【広島 契島】滞在時間、わずか数十秒の島
毎日パソコンの画面とにらめっこして、自分の仕事が誰の役に立っているのか分からなくなる日はありませんか。 誰かに褒められるわけでもなく、ただ淡々とタスクをこなす日々。 そんな息苦しさから逃げるように、私は広島県にある少し変わった島へと向かいました。 私が降り立ったのは、なんと滞在時間がわずか数十秒の島だったのです。
フェリーとカツカレーの温かさ
旅の始まりは、古い町並みが残る竹原港からでした。 船に乗る前に、たけはら海の駅のレストランで少し遅めの昼食をとることにしました。 注文したのは、ごく普通のカツカレーです。 特別におしゃれなフレンチでもなく、写真映えするような華やかなスイーツでもありません。 しかし、スパイシーな香りとサクサクに揚がったカツが、疲れた心にじんわりと染み渡りました。 余談ですが、歴史作家の司馬遼太郎さんも旅先ではよくトンカツやカレーを食べていたそうです。 どこで食べても味が安定していて、気取らないからこそ、旅人に優しいメニューなのかもしれませんね。
満腹になった私は、大崎上島へ向かう町営フェリーに乗り込みました。 瀬戸内海の穏やかな水面を滑るように進むと、やがて異様なシルエットが目の前に現れました。
観光地ではない、生きた軍艦島
海の上に突如として現れたのは、無数の配管と巨大な煙突がそびえ立つ要塞のような景観でした。 それが今回の目的地、契島です。 実はこの島、島全体が東邦亜鉛という会社の鉛精錬所になっています。 国内で使われる鉛の40パーセント以上を生産していて、私たちの身近にある自動車のバッテリーなどに使われているそうです。 ちなみに、島は関係者以外立ち入り禁止の私有地なのですが、船員さんに事情を話すと、フェリーが接岸したタイミングで桟橋にだけ降りることが許されます。
ゆっくりとゲートが降り、私は念願の契島の桟橋に両足を下ろしました。 ここには、観光客を迎えるようなお土産屋さんも、おしゃれなカフェもありません。 目の前にあるのは、ひっきりなしに煙を吐き出す鉄塔と、鼻の奥に突き刺さる強烈な金属の匂い、そして機械が稼働する重厚な音だけでした。 ここは過去の遺物ではなく、今まさに人々が働き、呼吸している生きた軍艦島なのです。 フェリーの運航の邪魔にならないよう、目に映る景色を無我夢中で心に焼き付け、ものの数十秒で再び船へと戻りました。 桟橋から一歩船に戻ると、足元の感覚がひどく曖昧で、自分が本当にあの要塞に立っていたのか不思議な気持ちになりました。
完璧じゃなくても、ただ動き続ける美しさ
船のデッキから遠ざかる契島を眺めながら、私は静かな感動に包まれていました。 この島は、誰かに褒められるためでも、きれいに見せるためでもなく、ただひたすらに日本の生活を支えるために黙々と働き続けています。 その姿は、少し不器用で無骨だけれど、とても誠実で美しく見えました。
私たちの仕事も、きっと同じなのだと思います。 常に100パーセントの華やかな成果を出さなくても、完璧じゃなくてもいいのだと、島が教えてくれた気がします。 泥臭くても、70パーセントの完成度でも、ただ目の前のことを一生懸命にこなしていくのです。 その小さな歯車が、どこかの誰かの日常をそっと動かし、社会という大きな船を前に進めているのだと気づきました。
もし、あなたも日々の仕事に疲れ、自分の価値を見失いそうになったら、瀬戸内海の奥深くで今日も煙を上げ続ける契島のことを思い出してみてください。 そして、今度の週末は、少しだけ足を伸ばして海を見に行ってみませんか。 波の音と、名もなき島々が、きっとあなたの背中を優しく押してくれるはずです。
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