三泊四日で尾道から橋とフェリーを使い芸予諸島を経由して呉まで行ってきた話③【呉・自衛隊編】
三泊四日の旅行もついに折り返しだ。
三日目となるこの日は大崎上島から海路で大崎下島へと渡り、そこからとびしま海道を経て本州へと戻り、そこから呉へと移動した。
今回はそんな「とびしま海道」でのドライブのほか、呉市内にある海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」や音戸瀬戸、そして呉湾艦船めぐり(軍港クルーズ)について書いてみた。

とびしま海道というのは安芸灘諸島連絡高架橋と呼ばれる7つの離島を結ぶ海上橋のことだ。
大崎下島もこれらの離島の一つで、ここからは海上橋で本州まで移動することが出来るのだ。







朝食を食べ終えたが、フェリーの出港時刻にはまだ早い。
時間もあるので宿の付近を少しだけ散歩してみることにした。

大崎上島循環線を海沿いに歩く。
この瀬戸内の離島に来て驚いたのは、思っていた以上に外国人が多いことだった。
散歩中も自転車に乗った外国人と数人すれ違っているし、前日にスーパーへ行った際も外国人が何人もいたのだ。
理由は明白だった。
この島の基幹産業である造船業における人手不足だろう。

これは広島商船高専の練習船広島丸だ。
全国に商船高専は5校あるが、そのうちの一校がこの大崎上島にある。
ちなみに初日に行った愛媛県越智郡上島町には五校のうちの一校である弓削商船高専があった。
この旅は商船高専めぐりではないのだが、結果的にはそうなってしまったのが面白い。







チェックアウトを済ませて明石港へと向かった。
明石港には大崎下島へと向かう航路がある。
出港時刻は午前9時だ。
これを逃すと次の便は1時間後になってしまう。
明石港には出港15分前くらいに到着しており、やや早めの到着だったので周辺を軽く散歩していた。




カーフェリー乗り場といっても港の規模が小さいからか、周辺の道路もあまり広くはなかった。













もう一つ似たような橋が見えてきた。
こちらは中の瀬戸大橋といい、船はこの橋の下を通過する。



満潮時でもガンダムはおさまるくらいの高さだ。



大崎下島から呉市街地へ向かう前に少しだけ寄り道をして行くことにした。
先ほど目にした岡村大橋や中の瀬戸大橋、そしてこの平羅橋を渡るためだ。
これらはいずれも合計7本の海上橋で構成される安芸灘諸島連絡架橋、通称とびしま海道の一部だ。
呉市街地とは逆方向ではあるが、せっかくここまで来たので全ての橋を渡っておきたかった。
これらの3本の橋は平羅島と中ノ島という二つの小さな無人島と岡村島を結ぶわずかな距離であり、寄り道といっても時間はさほどかからない。


三つの橋を渡り切って岡村島へ到着した。
見えている橋は岡村大橋で、なんとこの橋の真ん中は県境になっている。
大崎下島や平羅島、そして中ノ島はいずれも広島県呉市に属しているが、この岡村島は愛媛県今治市に属しているのだ。





「縁むすび」と言う割には人っこひとりいない。
もっとも、この周辺に婚姻適齢期の男女がいるとは思えないが。





再びとびしま海道を本州方面へと走行していく。
次に見えてきたのは豊浜大橋だ。
大崎下島と豊島とを結ぶ巨大なトラス橋で、吊橋や斜張橋が多い海峡部の海上橋としては珍しい。

豊浜大橋を渡り豊島へ上陸し、そのまま走ると豊島大橋が現れる。
豊島と上蒲刈島とを結ぶ海上橋であり展望台もあったのだが、立ち寄り損ねたため写真はない。





蒲刈大橋の上蒲刈島側には「であいの館」という名の農産物等直売所がある。
お手洗いと駐車場、そして売店とレストランがある道の駅のような施設だが、道の駅ではないようだ。







ついにとびしま海道の終点、安芸灘大橋へと到着した。
本州へとつながる最後の橋で有料道路として管理されており、対岸の本州側に料金所が設けられている。
ちなみにETCやクレジットカード等は利用できず、支払いは現金か回数券のみとなっていた。


安芸灘大橋の下蒲刈島側にはちょっとした公園が設けられていたので、ここに車をとめて撮影を行っている。




かわいい。


呉市街地へと到着した。
午前11時という飲食店が営業を始めるくらいの時間帯で、図らずもちょうどよい時間となった。
訪れたのは呉市街地の商店街にある「田舎洋食いせ屋」だ。




容器は小ぶりだが厚切りの牛タンがぎっしり入っており食べ応えがある。
シチューの味が濃い分みそ汁はあっさりした白みそというバランスも良かった。
ごちそうさまでした。

海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」

昼食を済ませて次に向かったのは、本日のメインの一つである海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」だ。
過去に呉を観光した際に時間がなくて観られなかった施設で、実に7年越しに来訪を果たすことができた。
この施設の目玉は外観からも分かるとおり、本物の海上自衛隊の潜水艦を陸揚げして施設の一部としている点にある。
なお、この施設には専用の駐車場はないが、付近にはコインパーキングの他にも隣接するゆめタウン呉店(写真後方の商業施設)に巨大な立体駐車場があるので、ここに駐車するのがよい。
ついでに買い物もしていけば駐車料金は取られずに済むので、私は翌日の朝食をゆめタウンの食料品売場で買うことで駐車料金をチャラにした。






自衛隊においては真珠湾攻撃に始まった対英米戦のことを太平洋戦争とは呼ばず、一貫して大東亜戦争と呼んでいる。
そのため対米戦争を指して太平洋戦争という表記がされていることに違和感を覚えたのだが、よく考えたら大東亜戦争という呼称は昭和12年7月7日の盧溝橋事件に端を発した支那事変(日中戦争)を含めた戦争全てを指すものであり、盧溝橋事件の横に大東亜戦争と書いてあったので方針転換をしたわけではなかった。








有名な話だが、魚雷発射管室の下に居住区があるおっかない仕様となっている。
そんな所でも平然と寝られるような強いハートがないとサブマリナーは務まらない。

これは潜水艦の居住区にあるベッドを再現したもので、靴を脱いで寝転がることが出来るようになっている。
実際に私も中段に入って寝転んでみたが、かなり狭い三段ベッドなので出入りは大変だった。
なお、最上段のベッドは狭すぎるからか使用禁止になっている。


各国の潜水艦乗組員が着用する潜水き章(ドルフィンマーク)の一覧が展示されていた。
ドルフィンというからイルカなのかと思いきや、その姿は全くイルカに見えない。
そもそもイルカにはない鱗もあり、イルカどころか鯉にしか見えなかった。
生き物の正体を調べてみたところ、なんとこれは鯱だった。
しゃちといっても名古屋港水族館にいる白黒の哺乳類ではない。
名古屋城天守に飾られている鯱と同じ。
つまり架空の生き物としての鯱だった。
/#イルカ だと思ったら、ウロコがあった件
— 海上自衛隊 潜水艦隊(公式) (@JMSDF_SBF) June 14, 2024
\
潜水艦乗りの証ドルフィンバッジ。金色が幹部で銀色が曹士です。「ドルフィン」ですが、モチーフは #シャチ であり、幻想上の海獣「鯱」からきています。
潜水艦は「どん亀」や「鉄のクジラ」と様々な愛称があります。あなたはどんな愛称をつけますか? pic.twitter.com/ITv9iazGzw

三階には潜水艦あきしおへの入口がある。
潜水艦内部の見学という日本ではここでしか出来ない体験だ。
色々と写真をあげたいところなのだが、内部は完全に撮影禁止なので写真は一枚もない。
撮影禁止の理由は明示されていなかったが、恐らく艦内が非常に狭く危険だからではないかと思っている。
艦内に入るとその異常な狭さに驚く。
こんな場所で撮影などしていたら転倒のリスクもあるし、撮影に夢中になった見学者のせいで見学者の列が滞留してしまう恐れもあるだろう。
そんな事を考えながら潜水艦内部を見学していた。
ちなみに一方通行なので逆走は出来ない。



あきしおから出て建物に入ると、非常に珍しいものが展示されていた。
これは潜水艦に装備されていた双眼鏡なのだが、海上自衛隊の潜水艦に搭載されていたものではない。
なんと帝国海軍の伊号第四〇〇潜水艦に搭載されていた双眼鏡だったのだ。
伊四〇〇型潜水艦というのは帝国海軍が建造した当時世界最大の潜水艦で、水上機3機を搭載できる潜水空母でもあった。
潜水空母というのは潜水艦に航空機を搭載して出撃するというロマンの塊のような兵器で、実際に帝国海軍の伊号第二五潜水艦の搭載機はアメリカ本土の空襲に成功している。
これは軍事作戦としてアメリカ本土を空襲した唯一の例だ。
話が逸れてしまったが、この双眼鏡は展示されているだけではなく実際に覗き込むことが可能となっている。


伊号第四〇〇潜水艦の双眼鏡の右横には、もう一つ潜水艦の双眼鏡が展示されていた。
こちらは大戦中に米海軍が運用し、戦後海上自衛隊に貸与され「くろしお」と名付けられ運用された潜水艦のものだ。
つまりいずれも同年代の装備品であり、どちらも覗き込めるので比較することも出来る。
覗き込んだ感想として、より鮮明に見えたのは「くろしお」の双眼鏡だったと思う。


血の気が多いしノリノリでやりそうだね、めぐちゃん…
音戸瀬戸
てつのくじら館を出て次に向かったのは音戸の瀬戸だ。
本土と倉橋島との間にある非常に狭い海峡で、古来から現在に至るまで海上交通の難所として知られている。
現在は音戸大橋と第二音戸大橋という朱色の橋が二本架けられており、この二本の橋が現在の「音戸の瀬戸」の美しい景観を形作っているといえよう。
令和元年に初めて呉を訪れた際、第二音戸大橋を利用したことで「音戸の瀬戸」の存在を知った。
その際にも非常に美しい景色だと思ったが、当時は江田島への往復のために利用したに過ぎず周辺をじっくり散策するような時間はなかったので、いつか再訪したいと思っていた。






音戸大橋と第二音戸大橋はいずれも国道487号の橋梁だ。
前者は昭和36年に竣工した下路アーチ橋、後者は平成25年に竣工したばかりの中路アーチ橋となっている。
まずは音戸大橋から渡ってみることにした。

音戸大橋を渡りきったところにある無料駐車場に車をとめて散策をすることにした。
駐車場はループ橋の中央部分の空き地を利用したもので、伊豆の河津七滝ループ橋を想起させる。
音戸大橋は本土側と倉橋島側との間にかなりの高低差があり、この高低差を強引に埋めるためにループ橋を建設しているのだ。


本土側の高所からの眺めも良いが、下から見上げた方が音戸大橋の高さと迫力が強く感じられてよいと思う。

橋の手前にある石垣に囲まれた場所は清盛塚という。
この音戸の瀬戸は平清盛が開削したとの伝説があり、その功徳を讃え元暦元(1184)年に建立されたそうで、敷地内には供養のために宝篋印塔が建っている。
かつては参拝橋が設けられ正面から見られるようになっていたのだが、貨物船が激突して大破したため撤去され、再建は未定とのことだった。



これが渦潮だろうか。


音戸大橋の下を通過してしばらく歩くと、小さく古びた木造の小屋が姿を表した。
これは日本一短い定期航路として知られた音戸渡船の渡船場跡だ。
第二音戸大橋開通による利用者の減少と船舶の老朽化により事業者から廃止の申出があり、令和3年10月31日をもって廃止されている。
先述のとおり私は令和元年に呉を訪れており、その時点ではまだ運航されていた事を思うと、ここも目的地の一つにしておけばよかったと思わざるを得ない。
渡船に限った話ではないが、当たり前にあると思っていたものがいつまでも存在しているとは限らない。
行こうと思っていた店がいつの間にか閉店していたとか、事業が廃止されたとか、そもそも建物が焼失するとかいうこともある。
行きたいと思った場所があるなら、ごちゃごちゃ言わずに今行っておくべきなのだと強く感じた。




道路の向かい側には大きなビルが建てられていた。
道の駅のような観光振興施設に見えたので立ち寄ってみることにしたのだが、思いもしないものを目にする。
ネットで見たことがある有名なものが目の前にあったのだ。


ネットで一時期有名になった通称いいよこいよポストの現物があった。
こんなところに、いや「こ↑こ↓」にあったのか…
私も存在は知っていたが、わざわざ見に行くほどでもないので場所を調べたこともなく、本当に偶然見つけてしまい驚いた。
私は淫夢厨でも淫夢キッズでもないのだ。
しかし、焼かれている牡蠣のイラストがネットでよく目にする腰掛けた野獣先輩の画像と似ているように見えるのは私の気のせいだろうか。
ネットミームに明るくなく淫夢厨とか淫夢キッズみたいな話が分からない人もいるかもしれないが、元ネタは下品で汚いネットミームなので自己責任の範囲で検索して欲しい。
(責任は一切取ら)ないです。
私は淫夢厨ではないので、当然だが元ネタのビデオを観たことはない。

あまり語録を使いすぎると淫夢厨だと思われそうなので、このあたりにしておこう。
まあ、実際は「これ指摘したら淫夢厨ってバレるな…」という意識が働いて誰も指摘してこないとは思うが。

館内には音戸今昔ギャラリーと称して古写真が展示されていた。
音戸瀬戸の歴史が分かる非常に面白い展示だ。



音戸瀬戸を下から堪能したところで、お次は第二音戸大橋へと向かった。
第二音戸大橋の音戸側にはひまねきテラスという小さなPAのような休憩所が設けられており、ここから橋を眺めたり歩いたりすることが出来るようになっていた。






この歩道橋は坪井広場横断歩道橋といい、対向車線側にある駐車場と行き来できるように作られている。
展望台としての機能も兼ねているのだろう。
実はこの橋は「第三音戸大橋」という愛称が付けられており外観だけ音戸大橋に似せてあるのだが、そんな事は帰宅して調べるまで知らなかったので撮影しそこねてしまった。






呉湾艦船めぐり
音戸瀬戸を堪能したところで、一旦ホテルへ向かいチェックインを済ませた。
しかし、今日の旅はまだこれで終わりではない。
ホテルに車を預けて徒歩で向かったのは、この日最後のお目当てである呉湾艦船めぐりだ。
要するに軍港クルーズであり、集合場所である呉中央桟橋ターミナルへと向かった。

この日の宿であるビューポートくれホテルが見える。
ホテルの対岸にある川沿いの道路をまっすぐ海へ向かって歩いていくと呉中央桟橋ターミナルに到着するようになっているため分かりやすく、所要時間も徒歩で10分程度と大した距離ではない。
駐車場が埋まってしまうと困るので早めに車を入庫させておきたかったこともあり、最良の選択肢だったと思っている。




この日の艦船めぐりは夕呉クルーズという日の入りの時間帯に行われるクルージングだ。
一日の終りに行われる護衛艦の艦尾にある自衛艦旗を下げる様子を見ることが出来る。

平成25年4月にサービスを開始し、爆発的な人気を誇ったDMMのオンラインゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」のポスターが飾られていた。
実は私もかつて提督として艦これをプレイしており、サービス開始翌月である5月から登録していた古参勢(横鎮提督)だったので、懐かしく感じる。


船内には旭日旗が大量に置いてある。
手を振ってくれる自衛官に向かってこれを振って返すのだ。









(あさぎり型護衛艦8番艦)
自衛隊に詳しくない人に説明すると、アルファベットは艦艇の種別を意味し、続く数字は艦艇固有の番号(艦番号)となっている。
海上自衛隊におけるDDは汎用護衛艦を意味するが、諸外国の海軍で言うところの駆逐艦に相当する。
DとはDestroyer(駆逐艦)のDを意味しており、元々は魚雷を搭載した水雷艇と呼ばれる小型の高速船を「駆逐する」役割を担っていたことから駆逐艦と呼ばれていた。
現在では対艦、対潜、対空戦闘などを何でもこなす艦隊の主力となる戦闘艦といった立ち位置にある。



(おおすみ型輸送艦1番艦)
次に姿を表したのは満載排水量14000トンの巨艦、おおすみ型輸送艦だ。
輸送艦という名前が付けられているが、その実態は戦車その他の自衛隊車両やヘリコプターのみならず上陸用舟艇LCAC(ホバークラフト)を搭載することが可能なドック型揚陸艦に分類される。
要するに敵地に陸上自衛隊の部隊を輸送、上陸させるための艦艇だ。
この日は全通甲板の上に陸上自衛隊のトラックが多数積載されていた。
災害派遣でもないのに珍しい。陸自と合同で輸送訓練をするのだろう。
私は相変わらず旅先での運はすこぶる良いようだ。神に感謝。






(むらさめ型護衛艦6番艦)



(おおすみ型輸送艦3番艦)

(おおすみは鹿児島の大隅半島、くにさきは大分の国東半島が由来)





ATS−4203てんりゅう(右)
(いずれも訓練支援艦)



(ようこう型輸送艦1番艦)
次に見えてきたのは、これまた呉でしか見られない珍しい艦だった。
この輸送艦ようこうは自衛艦ではあるが、海上自衛隊の艦艇ではない。
自衛隊海上輸送群という新設された部隊に属しており自衛隊の共同の部隊ではあるものの、運用の主体は陸上自衛隊となっている。
つまり、実質的には陸上自衛隊が運用している艦艇だといってよい。
艦名の由来は太陽の光を意味する「陽光」から取られている。
山◯洋行は関係ない。





(うらが型掃海母艦)
洋上封鎖するために海中に仕掛ける爆弾のことを機雷といい、その機雷を除去する作業を掃海と呼ぶ。
要するに海の上にばらまく地雷のことだ。
掃海母艦というのは、掃海作業を行う掃海艇や掃海用航空機の司令塔を担う大型艦であると同時に機雷敷設能力を有する艦艇でもある。
艦尾の大きな扉が特徴的で、この扉の中には航空機用の掃海具が格納されている。

(あぶくま型護衛艦)
DEというのは護衛駆逐艦(Destroyer Escort)を意味しており、端的に言えば通常の駆逐艦(DD)よりも小型の駆逐艦だ。
これらの艦艇は主に沿岸警備を任務としている。





左から練習艦しまかぜと練習艦かしま、そして輸送艦にほんばれが並んでいた。
練習艦隊はその名のとおり練習遠洋航海をするために半年程度日本を離れるため、時期を見計らわないと見ることができないのだ。

(にほんばれ型輸送艦)
にほんばれも先述したようこうと同じく自衛隊海上輸送群に属し主に陸上自衛官を中心に運用される輸送艦で、ようこうよりも小さい。
しかし、にほんばれは令和8年3月23日をもって呉基地から神戸にある阪神基地隊へと移転してしまった。
本当によいタイミングだったと思う。



次に姿を見せたのは潜水艦だ。
潜水艦が配備されているのは呉と横須賀の2か所しかなく、特に呉は潜水艦を近くから見られることで人気があるスポットでもある。

潜水艦は隠密行動をするものなので、船体外部に艦番号などが書かれたりはしない。
そのため艦名の特定は私たちのような素人には困難だが、艦級等の特定をするための簡単な見分け方については遊覧船のスタッフが教えてくれた。
艦尾の舵の形状がX字形だとそうりゅう型もしくはたいげい型、十字形のものは旧式のおやしお型のみ
艦橋(セイル)に取り付けられたハッチの形状が小判型のものは川崎重工製、円形のものは三菱重工製
なお、同じX舵同士であるそうりゅう型とたいげい型は見分けるのが難しい。
比較画像をみれば何となく分かりそうな気もしてくるが、本職やマニア以外が遠目で瞬時に判別するのは困難だろう。

見分け方をおさらいしたところで写真を見返してみる。
舵の形状から、手前と奥の左側にあるX舵の潜水艦がそうりゅう型、奥の右側にあるのが十字形舵のおやしお型なのだろうと推測。
ハッチの形状までは分からない。
こうして見分け方を教えてもらえると、目の前に見えている潜水艦はどちらなのかをついつい見分けたくなって楽しい。








ラッパを持った海上自衛官が艦内から出てきた。
日没となり自衛艦旗の降納を行うためだ。
自衛艦旗を降納する際は乗員によるラッパで君が代が演奏される。
この光景を観られるのが夕呉クルーズ最大の見どころで、遊覧船のスタッフも解説を一旦やめて自衛艦旗降納の様子を撮影するよう促していた。
ちなみにこのラッパの君が代は、私たちが知る普通の君が代とは全く違う。
その違いを口で説明することは出来ないので、ぜひ夕呉クルーズを利用してみて欲しい。




潜水艦が停泊するエリアが折り返し地点だ。
ここから再び艦艇を眺めながら呉中央桟橋フェリーターミナルへと戻っていく。








呉と松山を結ぶ高速船が見えた。
呉中央桟橋フェリーターミナルからは遊覧船だけでなく、このような旅客船も就航している。



2隻の護衛艦が並んでいる。
片方の艦番号105、むらさめ型護衛艦5番艦のいなづまだ。
一方で左の艦は艦番号が見えない。
艦番号が消されてしまっていたのだ。



いなづまの左に停泊しているのは、前年3月に退役して除籍された練習艦はたかぜだった。
当初ミサイル護衛艦(DDG)だったはたかぜだが、老朽化によって練習艦へと種別変更になり、練習艦としての役割も終えて除籍となっている。
あとは解体されるか、あるいは標的艦として最後の御用を全うするかのいずれかだ。

除籍された艦と現役の艦を同時に見られるという、またしても滅多に見られない光景を目にすることが出来た。


綺麗さっぱり艦番号は消え、前方にある艦砲は既に砲身が途中で切落とされていた。




海上自衛隊最大の護衛艦「かが」がドック入りしていた。
ドックの中にいるため、その姿は遠目に一部しか見られなかったのが残念だ。

(いずも型護衛艦)
DDHというのはヘリコプター搭載護衛艦を意味している。
しかし、DDとは先述のとおり海自において汎用護衛艦を意味するが、実質的には駆逐艦という意味で使用されてきた。
Dの本来の意味を踏まえれば、これは駆逐艦相当の艦艇を意味するものだと捉えるのが自然だ。
したがってDDHとはヘリコプター搭載駆逐艦という意味になるが、そうすると全通甲板を持ち帝国海軍の空母飛龍を上回る大きさの基準排水量19500トンの駆逐艦ということになる。
さらに今後の改修により艦上戦闘機F-35Bの運用能力を付与される予定だ。さすがにこれをDDHと呼ぶのはおかしいと思ったのか、改修完了後は艦種別をCVM(Cruiser Voler Multipurpose)と変更されるとのこと。
アメリカ軍では空母の艦種をCVとしているが、海上自衛隊によればこれは航空母艦を意味しているのではなく、あくまで航空機搭載多機能護衛艦だと言い張っている。
全通甲板を持ち艦上戦闘機の洋上運用能力を有する艦艇…
世界はそれを空母と呼ぶんだぜ!



ここが本日の宿、ビューポートくれホテルだ。
前日に引き続き和室での宿泊となった。


机の上に置かれた冊子に目を通す。
私は今回素泊まりなのだが、なんと900円の追加料金を払えば和朝食をつけてくれるとのことだった。
こんな事ならゆめタウンで翌朝の朝食など買わなければよかったが、仕方がない。
温かい食事に勝るものはない。
わずか900円でご飯もおかわり自由だったので、翌朝はホテルの朝食を追加で頼むことにした。
その代わりこの日の夕食は、ゆめタウンで買ってきた食品とケンタッキーフライドチキンにした。




これで三日目は終了だ。
最終目的地である呉まで来て、呉でも結構あちこち周ることが出来たほうだと思っている。
残りは帰るだけかと思いきや、実は最終日である四日目も呉やそれ以外の地域へ寄り道をしていた。
四日目については短くなると思うが、次の記事で書くこととしたい。
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