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Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America / 新日米安全保障条約

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新日米安全保障条約

Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America

正式名称|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
署名|1960年1月19日
発効|1960年6月23日
署名地|ワシントンD.C.
日本側|岸信介 内閣総理大臣
米国側|ドワイト・D・アイゼンハワー 大統領政権


旧安保から、現在の日米安全保障体制へ

1951年、日本は サンフランシスコ平和条約 と同じ日に 旧日米安全保障条約 へ署名した。
1952年の主権回復後もアメリカ軍が日本に駐留する法的な枠組みが作られ、日本自身も 警察予備隊、保安隊を経て、1954年に 自衛隊 を発足させた。

しかし、1951年の 旧安保 には現在の条約にあるような明確な対日防衛規定がなく、日米間の権利と義務には大きな非対称性があった。
そこで1950年代後半、日本とアメリカは条約改定交渉を進める。
そして1960年1月19日、新しい条約がワシントンで署名された。

これが現在まで続く、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 いわゆる 新日米安全保障条約( 新安保 )である。
安保改定交渉では条約形式、事前協議、日米地位協定などについて日米間で調整が重ねられたことが外交資料から確認できる。

旧安保が作った最初の枠組み

1951年の 旧日米安全保障条約 は、占領終了後もアメリカ軍が日本に駐留するための枠組みを作り、独立回復直後の日本に安全保障上の空白を生じさせないための重要な制度だった。

しかし 旧安保 は、現在の 日米安保 とはかなり異なる。
アメリカ軍には日本国内への駐留が認められていた一方、日本が武力攻撃を受けた場合にアメリカが共同して対処するという、現在の第5条に相当する明確な規定は存在しなかった。

また、日本から要請があった場合には一定の大規模な内乱・騒擾への対応に米軍を使用できる規定も存在した。
1952年の独立回復から時間が経過するにつれ、こうした占領直後の状況を反映した条約を見直すことが課題となっていった。

日本自身の防衛力

旧安保 成立時、日本にはまだ現在の自衛隊が存在していなかった。

1950|警察予備隊

1952|保安隊

1954|自衛隊

と、日本自身の防衛組織が形成された。
つまり1950年代の日本では、米軍駐留を中心とした安全保障体制 から、日本自身の防衛力+アメリカとの安全保障関係 という構造への移行が進んだ。

1958年 安保改定交渉

1950年代、日本政府は 旧安保 の改定をアメリカ側へ働きかけるようになり、 岸信介 内閣 のもとで交渉は本格化し、1958年10月から正式な改定交渉が開始された。

交渉では、アメリカの対日防衛義務、在日米軍の運用、日本政府との事前協議、条約の有効期間、在日米軍の法的地位 などが重要な論点となった。

外務省に残る資料からも、1958年から1960年の署名まで、事前協議や地位協定を含む具体的な制度設計について交渉が行われていたことが確認できる。

1960年1月19日

1960年1月19日、ワシントンD.C.で 新日米安全保障条約 が署名された。
条約は全10条から構成され、旧安保 が主として米軍駐留の枠組みを定めていたのに対し、新条約 には、日米両国の安全保障上の協力、日本への武力攻撃への共同対処、日本国内の施設・区域の米軍による使用 などが規定された。

条約名称にも、Mutual Cooperation and Security 相互協力及び安全保障
という言葉が入った。

第5条 ― 日本への武力攻撃

現在の 日米安全保障体制 を理解するうえで中心となるのが 第5条 である。
条約は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃 について、日米双方が自国の憲法上の規定・手続きに従って共通の危険に対処することを規定している。

つまり、日本の施政下にある領域が武力攻撃を受けた場合、アメリカにも条約上の対応義務が生じる構造が明確に置かれた。
なお現在の日米両政府は、尖閣諸島 についても 第5条の適用対象 になるとの立場を確認している。

「自動的に戦争になる」条約ではない

第5条 には重要な条件があり、日米両国は武力攻撃に対して、それぞれの憲法上の規定及び手続に従って 行動すると規定されている。
条約そのものが特定の軍事行動を自動的に発動する仕組みではない。

それぞれの国家が自国の憲法・法律・政治制度に従って対応する。
日米安保 は国家間の安全保障上の義務を定める一方、実際の行動については両国それぞれの国内法制度とも接続している。

第6条 在日米軍

もう一つの中心的な規定が 第6条 である。
アメリカは、日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため 日本国内の施設・区域を使用することが認められている、これが現在の 在日米軍駐留の条約上の基礎 となっている。

日本国内には陸・海・空軍および海兵隊を含む米軍部隊が駐留し、基地・施設を使用している。
したがって 日米安全保障条約 は、アメリカによる日本防衛への関与 と、日本からアメリカへの施設・区域の提供 という二つの大きな構造を持つ。

日米地位協定

在日米軍が日本国内で活動するためには、条約だけでは制度が足りないため、新安保 と同時に、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定 日米地位協定 が締結された。
これは 旧安保 時代の 日米行政協定 に代わるものだった。

地位協定では、施設・区域の使用、米軍人・軍属の地位、出入国、租税、刑事裁判権など、在日米軍の活動に関する具体的な制度が規定されている。
したがって、日米安全保障条約=安全保障関係の基本構造、日米地位協定=在日米軍の具体的な活動条件 という関係になる。

事前協議制度

1960年の改定では、在日米軍の運用について日本側が関与する 事前協議制度 も設けられた。

条約第6条の実施に関する交換公文によって、在日米軍の配置における重要な変更、装備における重要な変更、日本から行われる戦闘作戦行動のための基地使用 などについて、日本政府との事前協議が必要とされた。

旧安保 と比較して、日本政府が在日米軍の重要な運用について関与する制度が明確に設けられたことは、1960年改定の主要な変更点だった。

相互防衛では同じではない

第5条 が共同対処の対象としているのは、日本国の施政の下にある領域
への武力攻撃であり、アメリカ本土への攻撃に対して、日本が同じ条文によってアメリカを防衛するという構造ではない。

一方、日本は 第6条 によって米軍への施設・区域提供を認めている。
日米安保は、同じ義務を交換する条約 というより、日本の防衛、在日米軍、日本自身の防衛力を組み合わせた安全保障体制 として構成されている。

1960年 安保闘争

新安保 の成立は、日本国内で激しい政治対立を引き起こした。
条約改定に反対する政党、労働組合、市民、学生などによる大規模な抗議運動が展開された。

争点には、日本がアメリカの戦争へ巻き込まれるのではないか、在日米軍基地をどう位置づけるのか、条約改定そのものが必要なのか といった安全保障上の問題だけでなく、国会での批准手続きをめぐる政治的対立も含まれた。

1960年5月19日から20日にかけて、衆議院では条約承認をめぐり極めて激しい対立が発生、その後も国会周辺では大規模な抗議活動が続き、6月15日には国会周辺での衝突によって東京大学学生の樺美智子が死亡した。

新安保 成立をめぐる一連の社会・政治運動は、1960年安保闘争 として戦後日本政治史の大きな出来事となった。

アイゼンハワー訪日中止

新安保 成立に合わせ、アメリカの ドワイト・D・アイゼンハワー大統領 の訪日が予定されていたが、安保反対運動 が激化し、訪日は中止された。

一方、条約そのものは批准手続きを進め、1960年6月23日、新日米安全保障条約 は発効、同日、1951年の 旧日米安全保障条約 は失効する。
そして 岸信介 は条約発効後に退陣を表明し、7月に 内閣総辞職 した。

10年という区切り

新安保 には、旧安保 になかった条約終了に関する明確な仕組が置かれた。
条約第10条によって、発効後10年間は基本的に存続し、その後はいずれか一方が条約終了の意思を通告すれば、通告から1年後に終了できる

1960年から10年後の1970年、この期間を経過した。
しかし日本もアメリカも終了通告を行わなかった。
そのため条約はその後も継続し、現在に至っている。

自衛隊と在日米軍

新安保 が成立した1960年には、すでに自衛隊が存在していた。
したがって日本の安全保障は、自衛隊 日米安全保障条約 という二つの制度を組み合わせる形になった。

日本自身が 自衛隊 によって防衛力を保持する。
同時にアメリカは 条約第5条 に基づき、日本への武力攻撃に対する共同対処義務を負う。

さらに 第6条 によって、日本国内にはアメリカ軍が駐留する。
現在の 日米安全保障体制 の基本構造は、この1960年条約によって形成された。

冷戦を越えて続いた条約

新安保 が成立した1960年、世界は 冷戦 の最中にあった。
ソ連、中国、朝鮮半島を含む東アジアの 安全保障環境 は、日本の 安全保障政策 に大きな影響を与えていた。
しかし1991年、ソビエト連邦 が崩壊し、冷戦 は終結する。
それでも 日米安全保障条約 は終了しなかった。

その後も日米両国は、安全保障協力 の対象や運用を変化させながら条約を維持してきた。
現在の日米両政府も、日米同盟をインド太平洋地域の平和と安全に関わる安全保障関係として位置づけている。
現在の日米同盟は、1960年当時の国際環境を保存したものではない。
条約そのものを基礎として、国際環境の変化に合わせて協力の内容を変化させてきた 安全保障体制 である。

旧安保・自衛隊・新安保

1951年、旧日米安全保障条約 によって、占領終了後も米軍が日本に駐留する枠組みが作られた。
1954年、自衛隊 が発足し、日本自身の防衛組織が成立した。
そして1960年、新日米安全保障条約 によって、アメリカの対日防衛義務、在日米軍、事前協議などを含む新しい条約関係が形成された。

占領後の安全保障をアメリカ軍の駐留によって支える段階から、日本自身の防衛力と日米同盟を組み合わせた体制へ移行していく過程 として見ることができる。

Archive Point

1960年の 日米安全保障条約 は、1951年の 旧安保 を改定し、アメリカの対日防衛義務、在日米軍の駐留、日本政府との事前協議などを制度化した。

旧安保 による米軍駐留、自衛隊 という日本自身の防衛力、そして 新安保 による日米間の安全保障上の義務。
この三つが接続したことで、現在まで続く戦後日本の 安全保障体制 の基本構造が形成された。


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