MVP ARCHIVE PEOPLE | Prime Ministers of Japan : Nobusuke Kishi 1896–1987 / 岸信介 - 占領から独立国家へ日米同盟の深化へ

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岸信介 - 占領から独立国家へ日米同盟の深化へ
1945年、日本は敗戦した。
軍は解体され、連合国軍による占領が始まり、戦前の政治・経済制度は大きく作り替えられていく。
1952年、日本は主権を回復した時、冷戦 はすでに東アジアへ広がった。
中国では中華人民共和国が成立し、朝鮮戦争 が起き、アメリカとソ連は核兵器を含む世界規模の対立へ入っていた。
1960年の 日米安全保障条約改定 を実現した首相が、岸信介 だった。
その経歴は、戦前・戦中・占領・戦後という、日本の巨大な断絶を一人で横断している。
官僚としての出発
1896年、岸信介 は山口県に生まれた。
東京帝国大学法学部を卒業し、1920年に農商務省へ入省する。
岸 が歩んだのは、政治家からではなく官僚として国家を設計する道だった。
当時の日本では工業化が進み、国家と産業の関係も急速に変化していた。
岸 は欧米の産業政策や統制経済を研究し、商工行政の中で頭角を現していき、1936年には満洲国へ渡った。
満洲国と統制経済
1932年、満洲事変 後の中国東北部に満洲国が成立していた。
日本はここで、鉄道、石炭、鉄鋼、化学、電力などを組み合わせた大規模な工業開発を進める。
岸 は満洲国政府の産業行政に深く関わり、1937年には産業部次長となり、国家が資本、資源、生産、企業を政策的に組織する統制経済だった。
1939年、岸は日本へ戻り、商工次官に就任した。
東條内閣
1941年10月、東條英機内閣 が成立、岸 は商工大臣として入閣した。
その約2か月後、日本はアメリカ、イギリスなどとの戦争へ入る。
戦争が長期化すると、日本経済はさらに全面的な戦時統制へ移行した。
国家は限られた資源を戦争遂行へ集中させていく。
1943年、商工省などを再編して 軍需省 が設置されると、岸 は 国務大臣兼軍需次官 として戦時経済の運営に関わったが、1944年、サイパン陥落後に東條内閣は総辞職、翌1945年、日本は敗戦した。
A級戦犯容疑者
敗戦後、岸 は連合国軍によって A級戦犯容疑者として逮捕 された。
しかし 岸 は、極東国際軍事裁判 で起訴されず1948年に釈放。
アメリカとソ連の対立が激化し、中国では国共内戦が進んでいた。
アメリカの対日政策も、日本の 非軍事化 と弱体化を中心とした占領初期の方向から、日本を経済的に復興させ、西側陣営へ組み込む方向へ変化した。
岸 も1952年に公職追放を解除され、政治活動へ復帰する。
吉田茂の戦後日本
岸 が政界へ戻る頃、吉田茂 による戦後国家の基本路線が形成されていた。
1951年、San Francisco Peace Treatyと旧日米安全保障条約が締結。
1952年、日本は主権を回復。
安全保障ではアメリカ軍の駐留を認め、その一方で日本は「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済復興へ国家資源を集中させる方針をとった。
旧安保条約には、アメリカ軍には日本国内の基地使用が認められていた。
一方、アメリカによる日本防衛義務は、後の1960年条約ほど明確ではなかったため、独立国家としての対応課題であった。
保守合同と自由民主党
1950年代前半、日本の保守政治勢力は複数の政党に分かれていた。
一方、社会党も勢力を拡大、1955年、自由党と日本民主党が合同。
自由民主党が結成され、社会党も左右両派が統一した。
ここから、自由民主党と日本社会党を中心とする、いわゆる55年体制が始まり、岸 も自由民主党の有力政治家としてその中心へ入っていく。
1956年に石橋湛山内閣で外務大臣となり、石橋の病気による退陣後、1957年2月、第56代内閣総理大臣に就任した。
Eisenhowerと岸
当時のアメリカ大統領は、Dwight D. Eisenhower 。
第二次世界大戦 では連合国軍最高司令官としてヨーロッパ戦線を指揮し、戦後は 冷戦期 のアメリカを率いていた。
岸 は首相就任後、日米関係の再構築を重要課題とし、1957年、岸 は訪米しEisenhower と会談する。
岸 が求めたのは、占領期から続く関係をそのまま維持するのではなく、独立国家同士の同盟へ近づけることだった。
ここから 日米安全保障条約改定 へ向けた動きが本格化する。
なぜ安保を改定するのか
1951年の旧日米安全保障条約は、占領終了と同時に成立した。
日本国内への米軍駐留を認める一方、日本防衛については相互性が弱く、米軍の行動について、日本政府が十分な協議権を持たないことも問題だった。
岸政権 が目指した1960年の新条約では、アメリカによる日本防衛義務が明文化され、日本の施政下にある領域への武力攻撃に対して、日米双方が共通の危険に対処することが規定された。
また、米軍の日本国内での重要な運用変更などについて協議する 事前協議制度 も整えられた。
岸 にとって安保改定は、日米同盟 を弱めるためではなく、より対等な形へ修正した上で強化する という政策だった。
核兵器の時代
1949年、ソ連が原子爆弾実験に成功。
1952年にはアメリカが水素爆弾実験。
翌年にはソ連も熱核兵器を開発する。
核兵器は都市を破壊する兵器から、国家そのものを壊滅させ得る規模へ発展、さらに1957年、ソ連は Sputnik 1 を打ち上げる。
大陸間弾道ミサイルと宇宙開発の時代が始まる。
日本の安全保障は、自衛隊による防衛と、アメリカの軍事力・核抑止力を組み合わせる構造へ進んでいく。
現在まで続く「 核の傘 」を含む日米安全保障体制の基本構造が、この時代に定着していった。
1960年 日米安全保障条約
1960年1月19日、Washington, D.C.で、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約が署名された。
岸 自身が日本側代表として署名する。
新条約では、日米安全保障関係が旧条約から大きく修正されたが、国内では、条約改定そのものに強い反対運動が起こる。
安保闘争
反対の背景には複数の問題があった。
日本がアメリカの戦争へ巻き込まれるのではないか。
米軍基地が固定化されるのではないか。
憲法第9条と 安全保障条約 は整合するのか。
冷戦 の軍事対立へ日本が深く組み込まれるのではないか。
1960年5月19日から20日にかけ、衆議院では警官隊が導入され、社会党議員らが排除される中で 新安保条約承認案 が採決された。
国会周辺には学生、市民、労働組合など多数の人々が集まった。
1960年6月15日の国会周辺での衝突では、東京大学学生の 樺美智子 が死亡、戦後最大規模の政治運動の一つとなった。
Eisenhower訪日中止
岸政権 は、安保改定によって新しい日米関係を象徴するため、Eisenhower大統領 の訪日を予定していた。
6月10日には、訪日準備のため来日した大統領報道官 James Hagerty の車が羽田空港付近でデモ隊に包囲され、米海兵隊のヘリコプターで脱出する事態となった。
最終的に Eisenhower の訪日は中止された。
日米同盟を強化するための条約改定が、日本国内では日米関係そのものをめぐる巨大な政治対立を生んだのである。
条約発効と退陣
新日米安全保障条約 は1960年6月23日に発効し、岸 が目指した条約改定そのものは実現したものの、政治的代償は大きく、岸 は条約発効後に退陣を表明、7月、内閣総理大臣を辞任する。
後継首相となったのが 池田勇人 だった。
池田は政治的対立が激化した安全保障中心の時代から、国民所得と経済成長を前面へ出す政治へ重心を移し、高度経済成長 の時代へ入る。
岸信介が残したもの
岸信介 という人物には、20世紀日本の断絶と連続が同時に存在している。
戦前には官僚として満洲国の産業政策へ関与した。
東條内閣では商工大臣として戦時経済を担った。
敗戦後にはA級戦犯容疑者として拘束された。
しかし起訴されることなく釈放され、戦後政治へ復帰。
自由民主党の成立に関わり、首相となり、日米安全保障条約を改定した。
戦前の国家運営に関わった人物が、戦後日本の安全保障体制の形成にも中心的に関与した。
吉田茂から岸信介へ
吉田の時代、日本はまず国家として生き残る基盤を作った。
占領から独立、経済復興、アメリカとの安全保障関係へ。
岸 の時代、その構造を独立国家として再調整する段階へ進む。
旧安保から新安保、占領期の米軍駐留から同盟、一方的性格の強い関係から相互防衛義務を含む条約へ。
MVP Perspective
アメリカとの同盟を維持しながら、占領の延長として残った非対称性を修正する、ここに岸外交の特徴がある。
敗戦からわずか15年、戦争の記憶は社会に強く残っている。
憲法は戦争放棄を掲げる。
一方、世界では米ソが核兵器を向け合い、中国革命 と 朝鮮戦争 によって東アジアの冷戦は現実の軍事対立となっていた。
平和を望むことと、安全保障を必要とすること。
岸 が選んだ答えが、日米同盟だった。
政治家への評価とは別に、岸信介 の時代に再設計された 安全保障構造 が、その後60年以上にわたって日本外交の基盤として存続したという事実。
敗戦国だった日本が、冷戦 世界の中でどのような独立国家になることを選んだのか。

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