見出し画像

MVP OBSERVATIONS | Inception Spin-off vol.5 : What Is Inception? / 他者の選択にどこまで介入できるのか

割引あり

『 - 映画 Inception - フィッシャーという人物をきっかけに、真の問いについてを考える 』

What Is Inception? / 他者の選択にどこまで介入できるのか

初めて読む方は「 Inception」をご覧ください。
作品の紹介やシリーズ構成が確認できます。

※本記事は『 「 Inception 」 何が世界を現実にするのか 』後に生まれたスピンオフ考察です。

導入

Inception を見た多くの人は、この映画を「 アイデアを植え付ける物語 」として理解している。実際、作中でもそう説明される。
他者の深層心理へ入り込み、一つの考えを植え付ける。 それが Inception である。

しかし、Inception とは、本当に他者を変える技術なのだろうか。
むしろ逆なのではないか。

私は最近、この映画を見返しながら一つのことを考えていた。
人はどこまで他者の選択に介入できるのか、ということ。
もちろん影響は与えられる。説得も導くこともできる。

「 相手の選択そのものを変える 」となるとどうだろうか。

この問いは、決して映画の中だけの話ではない。
家族、恋人、友人、教師、親子。
私たちは日常の中で、常に誰かを変えようとしている。
あるいは、自分が変えられようとしている。
そしてほとんどの場合、それは思い通りにはいかない。

今回、「 Inception 」 という名作の考察をするに当たり、登場人物を通して様々な角度から考察を試みた。
モルコブアリアドネサイトー。それぞれの立ち位置と役割は何だったのか。

その結果、一つの仮説へ辿り着いた。
Inception 」とは、他者を変える技術ではない。他者が自ら選択する可能性をサポートする行為なのではないか。
違う角度から見てみると、また違った映画の解釈が出てくるのである。

第一章

フィッシャーは本当に変えられたのか

映画の中心となるミッションは非常に単純である。
ロバート・フィッシャーに一つのアイデアを植え付けること。
それが成功すれば、父親から受け継いだ巨大企業は分割される。

結果、サイトーの目的も達成される。
一見すると、これは他者の意思を操作する物語に見える。
しかし改めて見返してみると、少し奇妙なことに気付く。

コブたちはフィッシャーに「 会社を解体しろ 」とは植え付けていない。
「 父親に反抗しろ 」とも言っていない。
「 この選択をしろ 」とも命令していない。

彼らがやろうとしたのは、誘導や命令、強制ではない。
父親は本当に自分に何を望んでいたのか。
自分は何を引き継ごうとしているのか。
そして、自分自身は何を選びたいのか。

その問いをフィッシャー自身へ向けさせている。
実はここがとても重要なところ。

コブたちは「 答え」ではなく、自身に対する「 問い 」に気づかせ、選択に触れようとする。

そして私はここで、ある違和感を覚える。
もしフィッシャーが本当に変えられたのだとしたら、なぜここまで複雑な手順が必要だったのだろう。
なぜ彼らは夢を重ね、物語を作り、感情を誘導し、記憶を利用したのだろう、もっと単純な方法で命令すれば良かったはずである。

しかし彼らはそうしなかった、いや、できなかったのかもしれない。
なぜなら人は、他人の答えだけでは変わらない。
変わるとすれば、それは「 自分自身の選択 」として受け入れた時だけだから、そう考えた時、私はフィッシャーという人物を少し違う目で見るようになった。

彼は変えられたか。それとも、自ら選んだのだろうか。
その違いは思っている以上に大きい。

第二章

人はなぜ選択するのか

フィッシャーについて考えているうちに、私は別の問いへ辿り着いた。
そもそも人は何によって選択するのだろうか。

私たちは普段、人生の中の様々な分岐点を、自分の意思で選んでいると思っている。
進学、就職、結婚、進退を決めたり、新たな夢に挑戦したり。
様々な場面を現象として見る限りは、「 自分自身が決めている感覚 」がある、もちろんそれは間違いではない。
しかし同時に、私たちはその選択に至るまでの過程をあまり意識していない。

フィッシャーもまた然り。
映画の中で彼が下した決断は、まるで一瞬で生まれたように見える。
金庫を開け、父親の言葉を受け取る。
そして新しい道を選ぶ。
しかし彼は、本当にその瞬間のみの選択だったのだろうか。

私はそうは思わない。
あの選択は、その瞬間に生まれたものではない。
もっと前から存在していたはずだ。

父親との関係、期待と失望、承認欲求と解放欲求。
会社を継承する期待と不安。
その全てが長い時間をかけて積み重なっている。

フィッシャー自身は恐らく気付いていはいなかったであろう。しかしそれらは確かに存在していた。
私はここで面白いことに気付く。

コブたちは選択に影響を与える方法として、選択に至るまでの経路を設計しているのである。そうなると作戦は複雑だった。

夢を何層も重ね、感情を揺らす。
記憶を利用して物語を作る。
もちろんそれら全ては命令ではない。

一つの方向性に辿り着くための、したたかな仕込みであった。
私はこのコブの計画した「 Inception 」が非常に秀逸であることに気が付いた。

命令は選択を奪う、しかし経路は選択を残す。
最後までフィッシャー自身の選択を奪わなかった。
拒否することもできたし、信じないこともできた、それでも彼は選んだ。

あの場面は、決して洗脳ではない。
フィッシャー自身が「 選択するための条件 」が整えられた瞬間だったのではないか。

そして私はここで、はっと我に返る。
人は思うほど簡単には変わらない。
他人が与えた答えでは変わらない。
命令や強制、もちろん理屈だけでは変わらない。
変わるとすれば、それは自分自身の中にある何かと結び付いた時だけである。

フィッシャーの中には、最初からその可能性があったから選択できた。
もし存在しなかったなら、どれだけ巧妙な Inception を行ったとしても成功しなかったはず。

ここで私は、今回の考察の原点に帰る。
Inception とは、本当に植え付下なのか 」。
それとも、元々存在していた可能性を導き出す行為なのだろうか。
その違いは、思っている以上に大きい。

What Is Inception? / 他者の選択にどこまで介入できるのか

ここから先は

3,014字 / 2画像

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?