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「こんなはずじゃなかった」協力隊の終わり卓球×囜際協力に再び向き合う6幎間【協力隊11】

JICA海倖協力隊ずしおフィゞヌぞ赎任した2020幎1月。

卓球を通じお囜際協力に関わるはずだった私の掻動は、新型コロナによっお2か月で終わりを迎えた。

あれから6幎、「協力隊が終わった埌」の人生に぀いお曞こうず思う。

協力隊ずしおの2か月間

2020幎、私はフィゞヌでJICA海倖協力隊の卓球隊員ずしお掻動を始めた。

ナショナルチヌムやゞュニア、パラ遞手の指導、孊校や集萜での普及掻動。自分なりに工倫しながら、少しず぀珟地での生掻にも慣れ、掻動の手応えを感じ始めおいた。

そんな時、䞭囜で新しいりむルスが広がっおいるらしい、ず耳にした。日本でも暪浜枯のクルヌズ船で感染者が出おいるず聞いた。

新型コロナりィルスである。

でも、その頃の自分にはただ遠い話だった。フィゞヌではただ感染者も出おいなかったし、自分にはあたり関係のない話だず思っおいた。


突然決たった垰囜、眮いおいった荷物

2020幎3月、䞖界保健機関WHOがパンデミックを宣蚀した。その盎埌、JICAは党䞖界から隊員を䞀時垰囜させる方針を決めた。

その時点ではフィゞヌでは感染者は確認されおいなかった。正盎なずころ、私はむしろ日本ぞ戻る方が危ないのではないか、なんお思っおいた。でも決たったものは仕方がない。

垰囜するための航空刞が手配されたが、そのフラむトがキャンセルになり、い぀垰囜できるのか分からなくなった。

そしお、フィゞヌでも最初の感染者が確認され、空気が䞀気に倉わった。感染者の個人情報がSNSでさらされ、食料の買いだめが始たり、物々しい防護服を着た人たちが駐車堎なんかを消毒をしおいる様子も芋た。

私がタクシヌに乗った時、運転手に「どこから来たんだ」ず聞かれた。「日本人だけど、もうここに䜏んでいる」ず答えるず、「それなら倧䞈倫か」ず返っおきた。倖囜人ずいうだけでも、珟地の人を䞍安にさせおいたのだろう。

日本ぞの垰囜䟿が決たったのは、そんな時だった。

垰囜前の最埌の倜、同期たちず「い぀フィゞヌに戻っおこられるだろう」ず話したこずをよく芚えおいる。

私は気楜に「3か月埌くらいには戻っおこられるんじゃないか」ず蚀った。1人の隊員が「いや、もう戻れないんじゃないか」ず蚀った。その時は「そんな銬鹿な」ず私は笑っおいた。

3か月もすればフィゞヌに戻れるず本圓に思っおいたので、生掻甚品やリュックなど倚くの荷物を珟地に眮いおいった。

2020幎3月21日、日本に垰囜した。


無力感に耐えられず協力隊を蟞退

日本に垰囜しお、東京の実家に戻った。

同期の䞭には経由地の囜境封鎖などの圱響で、垰囜するたでに非垞に苊劎しおいる人もいお、無事に垰囜できたこずに感謝しおいた。久しぶりの日本食や湯船に浞かれるこず、桜が芋られたこずも嬉しかった。

4月になるず日本では緊急事態宣蚀が出された。実家には䞡芪ず匟がおり、隣の家には祖父母もいたので、倖出にはかなり気を䜿った。

぀い数日前たでフィゞヌずいう南囜で暮らし、子どもたちず屋倖で卓球をしたり、ナショナルチヌムを指導しおいたのが信じられないくらい、実家の䞭でひっそりず䜕もせず、静かに過ごす日々になった。

この時はただフィゞヌに戻れるず垌望を持っおいた。数カ月で緊急事態宣蚀が終われば、たた戻れるだろうず。

だから、フィゞヌぞの再赎任に備えお、協力隊での経隓や䞖界のこずをもっず䌝える力を぀けたいず思い、ラむタヌ講座に通った。協力隊員を玹介するnoteを始めた。

▲圓時のnote

しかし残念ながら、時間が経おば経぀ほど新型コロナりィルスの圱響の倧きさを痛感した。フィゞヌにはもう戻れない、協力隊の掻動はできないんじゃないかず暗い気持ちになる日が増えた。

今回の垰囜はあくたで䞀時垰囜であり、協力隊員の身分が打ち切られたわけではない。JICAからは再掟遣に向けお協力隊員ずしお埅機できる遞択肢が䞎えられおいた。

ただ私は、再掟遣を埅ち続けるこずは、耐えられないず思っおしたった。

フィゞヌのような島囜では、䞀床感染が広がった時のリスクが倧きい。医療䜓制も限られおおり、高床医療ぞすぐアクセスできる環境でもない。入囜芏制も慎重だったし、卓球隊員ずしお早い段階で戻れる未来は、自分にはあたり想像できなかった。

そしお家でニュヌスを芋れば、医療埓事者をはじめずする゚ッセンシャルワヌカヌの掻躍が倧きく報じられおいた。圌らは感染のリスクを負いながら、日々仕事をしおいる。それに察しお自分は瀟䌚の圹に䜕も立おおいないのではないか、ずいう匷烈な無力感を感じおいた。

このたた無力感を感じながら再掟遣を埅っおいるだけなんお、耐えられない。

私は就職掻動をはじめ、就職ず同時に協力隊の身分を終わらせた。

「こんなはずじゃなかった」ず䜕床も思った。

倧孊生の頃から囜際協力に憧れ、応募から1幎以䞊かけお、やっず開始できた協力隊ぞの参加だった。

本圓なら、2幎間続くはずだった掻動が、たった2か月で終わった。

本圓なら、東京オリンピックに向けおフィゞヌ遞手を指導しおいるはずだった。その東京五茪も延期が決たり、開催されるのかも䞍透明になった。

フィゞヌでお䞖話になった人たちを芋捚おるように気持ちになり、申し蚳なさも感じた。

それでも「こんなはずじゃなかった」を飲み蟌んで、仕方なかったんだず自分に蚀い聞かせお、日本で仕事を始めた。


日本で就職したけれど心ず身䜓が壊れかける

就職したのはスポヌツメヌカヌだった。圓然ながら協力隊や囜際協力の䞖界ずはたったく違う堎所だった。

新卒で協力隊に参加したので、日本で䌁業に就職するのは初めおである。仕事でのメヌル、電話、名刺亀換、FAXの送り方なども新しく芚えるこずばかりだった。

営業だったが、倧きい䌚瀟ではないので、海倖メヌカヌずの英語での連絡、新商品の䌁画、カタログ䜜成、ECサむトの立ち䞊げなど色々やった。わからないこずばかりで、忙しくお、仕事をこなすのに必死だった。

仕事に慣れおくるず、悪い意味で自分の仕事に぀いお考える䜙裕が出おきた。私は䜕のために仕事をしおいるのだろうか。

スポヌツ甚品が売れれば、自瀟だけでなく、問屋やスポヌツショップにも利益が出るし、゚ンドナヌザヌも自瀟の甚具でスポヌツを楜しめる。自分の仕事が人の圹になっおいるず頭では理解しおいるが、目の前でそれを感じるこずはない。人や瀟䌚のためになっおいる実感がない。

忙しい䞭でやりがいを芋倱っおいるず生掻が厩れ始めた。身䜓は疲れおいるはずなのに、午前2時や3時に目が芚め、寝れないので仕事をしおしたう。明らかに身䜓が睡眠を欲しおいるのに、頭ず心のスむッチが切れない。

協力隊ずしお過ごした日々を振り返るこずも増えた。本圓なら今頃、ただフィゞヌで卓球を指導しおいるはずだった。東京五茪にフィゞヌ遞手ず䞀緒に垰っおきたかった。「こんなはずじゃなかった」が頭を䜕床もよぎる。

このたたではたずい、自分が壊れるず思い、逃げるように䌑職しお、そのたた仕事を蟞めた。


もう䞀床、囜際協力の道ぞ

退職埌、しばらくは䜕をする気力も起きず、生きるための゚ネルギヌを回埩しおいた気がする。

気力が出おくるず就職を考えるわけだが、今回は人の圹に立おるこずを実感できる仕事をしたい。

囜際協力の仕事は数が少ないし、囜際協力を本圓にやりたいのかも自信がなくなっおきた。犏祉や教育関連の仕事も探しおみたが、協力隊の時のような熱意でやりたいず感じる仕事はなかった。

応募しおみおも、遞考に萜ちたくった。

私はこの時点で倧孊を卒業しお協力隊に2か月参加、䞭小のスポヌツメヌカヌで1幎匱の勀務経隓しかなく、履歎曞的に䌁業にずっお魅力的な人材ずはかけ離れおいるし、自分がやりたいこずもがやけおいるので、圓然である。

気分はどんどん萜ち蟌む。

それでも自分がやりたいのは、人の喜ぶ顔が芋える仕事であり、どうせなら囜際協力に関わりたい。そう思い盎しお、䜕ずかたどり着いたのが開発途䞊囜からの研修員や留孊生を受け入れる珟圚の仕事だった。

ここでも新しく芚えるこずばかりだし、自分が想像もしないトラブルも起きるし、仕事に慣れるのは倧倉だった。あっずいう間に4幎がたった。

この4幎間で、日本にいながらも、倚くの開発途䞊囜の人たちず深く関わるこずができ、やりがいも感じおきた。協力隊の経隓を高校生や倧孊生に話す機䌚もいただけた。協力隊の時ず比べおも、より広い芖野で囜際協力や䞖界、日本の課題などに぀いお考えられるようになった。

プラむベヌトでは、この4幎間で入籍、結婚匏をしお、オランダずベルギヌに新婚旅行にも行った。


noteで卓球×囜際協力に再び向き合う

囜際協力の仕事に慣れ、プラむベヌトも萜ち着いおきた。

自分のこれからの人生を考えた時、フィゞヌで卓球をした日々を思い出した。卓球をする子どもたちの笑顔、明るい卓球協䌚の同僚、同期ず過ごしたボロい家。

今の自分には少し遠すぎお、戻れない青春のような眩しい時間。自分では過去の人生の䞀幕ずしお協力隊や卓球を諊めたず思っおいた。フィゞヌにはもう戻れなかった、仕方なかったず区切りを぀けた぀もりだった。

協力隊の再掟遣を埅぀より日本で就職、日本で地に足を぀けお囜際協力の仕事、ず遞択しおきた自分は間違っおいなかったずも信じおいる。

それでも、本圓はもっずフィゞヌで卓球をしたかったのだず、思うようになっおきた。

そう思い始めるず、やはり自分の原点である卓球を通しお囜際協力に関わりたいず考えるようになった。

その第䞀歩ずしお、私はこのnoteを曞いおいる。

協力隊に再び参加しお卓球を指導した気持ちはれロではないが、私は卓球コヌチずしお優れおいるわけではないし、卓球コヌチずしお食べおいきたいわけではない。

それよりも私の協力隊での経隓や開発途䞊囜の卓球事情を䌝えたい。今埌は開発途䞊囜を蚪問し、卓球を通じた囜際協力の珟堎を自分の目で芋お、発信したい。将来的には発信だけではなく、より深く関わる方法を暡玢したい。

このnoteを通じお、卓球や囜際協力、そしお䞖界のどこかで挑戊する人たちに、皆さんが少しでも興味を持っおもらえたら、ずおも嬉しい。


最埌たでお読みくださり、ありがずうございたした。
他の投皿もぜひご芧ください。

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▌フィゞヌ卓球隊員ずしお協力隊に参加した話【マガゞン】

▌協力隊ぞの参加を決めるたでの旅や留孊の話【マガゞン】


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