竜宮と交渉した妹神、桂女たちの誇り:消された者たちが遺した足跡〈3〉
前回、明治の女性誌が、神功皇后という象徴の意味を静かに読み替えていった過程をたどりました。歴史の主旋律の中では、こうして神功皇后の「女帝」としての側面や、彼女に従っていた女性兵士たちの姿は、次第に見えなくなっていきます。しかし、彼女たちの足跡は、中央の言説から離れた場所――地方の伝承や、古い文献の注釈の中に、今も遺されています。
中心で語られなくなったものが、周辺でひっそりと生き続ける現象は、神話や伝承を追いかけるたびに出会う、私の好きな瞬間の一つです。
竜宮に交渉に行った、皇后の妹
その代表例が、神功皇后の妹とされる「淀姫(豊姫、あるいは虚空津姫)」の物語です。
石清水八幡宮の僧侶によって元寇の後に制作されたと伝わる『八幡愚童訓』には、この妹神が、神功皇后の使者として自ら海底の竜宮に赴き、戦の勝敗を左右する宝珠「満珠・干珠」――潮の満ち引きを操るとされる珠――を竜王から授かる、という逸話が記されています。単なる付き添いではなく、物語の勝敗を左右する交渉役として描かれているのです。
この妹神を主祭神とする神社は、今も西日本各地に残っています。
中央の物語が皇后一人に焦点を絞っていくのとは対照的に、地方の伝承には、彼女を支えた女性たちの存在が、今も息づいているのです。
桂女たちが語り継いだ、祖先の誇り
もう一つ興味深いのが、京都の桂川流域を拠点とした女性の物売り集団「桂女(かつらめ)」に伝わる話です。彼女たちは、自分たちの祖先である「桂姫(岩田姫)」が、神功皇后の遠征に随行した侍女、あるいは武内宿禰の妻であったと語り継いできました。
桂女たちは中世以降、朝廷から独自の営業上の特権を認められ、自立したコミュニティを形成していたことが知られています。その由緒の根っこに、「神功皇后に仕えた女性の末裔である」という誇りがあったのだとすれば、この物語は単なる先祖自慢にとどまらず、彼女たちの自立を支える精神的な支柱でもあったと考えられます。
鏡の中心と、鏡の縁
ここまで3回にわたって見てきたことを、あらためて整理してみます。
神功皇后という中心の像は、時代の要請に応じて、ある時は女権拡張のシンボルとして、ある時は良妻賢母の鑑として、繰り返し読み替えられてきました。その読み替えのたびに、中心の周りにいたはずの人々――女性兵士たち、竜宮と交渉した妹神、桂女たちの祖先――は、公式の物語の中心からは少しずつ後退していきます。
けれど、それは彼女たちの物語が完全に消えたことを意味しません。中心の鏡が磨き直されるたびに、縁にあった像は見えにくくなります。しかし、縁そのものは、地方の神社や、ある集団の由緒として、静かに残り続けているのです。
私たちがただ与えられた歴史の美談を消費するだけでなく、時にはその縁の部分に目を凝らしてみることで、その時代が本当は何を恐れ、何を都合よく忘れようとしたのかが、見えてくるのかもしれません。
これは、以前見た香椎宮の物語――境界を溶かす日本的な世界観が、時に都合の悪い真実を静かに書き換える技術にもなりうる、という話――とも、どこかで響き合っています。中心をどう描くかという選択そのものが、常に何かを照らし、何かを影に追いやっているのです。
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