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検閲をかいくぐる絵師たち:見立てという武器〈3〉

前回、鳥山石燕の妖怪図鑑によって、江戸の人々が妖怪を「共通の教養」として共有するようになった様子をたどりました。名前と個性を持ったキャラクターが増えるほど、それを崩し、いじって笑いに変える土壌も育っていきます。

今回はその土壌の上で、絵師たちが権力による表現の統制と向き合った、したたかな攻防を見ていきます。

不自由な状況に置かれたとき、人はかえって創意工夫を凝らすものです。江戸後期の絵師たちの仕事を追っていると、そのことをつくづく実感させられます。


禁じられたからこそ、姿を変えた

天保の改革をはじめとする幕府の言論・出版統制のもとで、歌舞伎役者を描いた「役者絵」や、政治・世相を直接風刺する絵は、たびたび厳しく禁じられました。この逆風に対し、絵師たちがとった手段が「見立て」――人間を猫や蛙、道具などの別の存在に置き換えて描く、というアプローチです。

歌川国芳が描いた、そばをすする猫や仕事に励む猫たちの戯画は、その代表例として知られています。人間のように振る舞う猫たちの姿は、単なる可愛らしい動物画ではなく、当時の人気役者や庶民の日常を、猫という「別の姿」に仮託して活写したものだったとされます。

蛙の人力車に乗る、庶民の縮図

同じ精神は、河鍋暁斎の作品にも見て取れます。
暁斎が描いた「町の蛙たち」は、蓮の葉でできた人力車の上で悠々と煙草をふかす二匹の蛙を描いた一枚です。人間のように車上でふんぞり返るその姿は、単なるユーモラスな動物画にとどまらず、人間社会のある種の縮図を、蛙という姿を借りて描き出そうとしたものだと言われています。動物を擬人化することで人間の営みを映し出す、暁斎ならではの真骨頂とされる作品です。

婚礼の妖怪絵巻に隠された、もう一つの物語

見立ての技術がもっとも凝縮された例として語られてきたのが、幕末の絵師・浮田一蕙による『婚怪草紙絵巻』です。狐や狸などの妖怪たちが婚礼を挙げ、やがて合戦へと突入していくこの絵巻は、当時の政界を揺るがした皇女和宮の徳川家茂への降嫁と、それをめぐる朝廷と幕府の緊張を風刺したものだ、と長く語られてきました。

ただし、この解釈には留保が必要です。
一蕙の制作活動を仔細に追った研究では、この絵巻の元になったとみられる「狐の嫁入り」を主題にした作品を、一蕙が和宮降嫁の話が持ち上がるよりも数年早い時期にすでに手がけていたことが指摘されています。つまり、この絵巻が最初から和宮降嫁を狙って描かれたのかどうかは、実のところ研究者のあいだでも意見が分かれているのです。

見立てとは、選ばれた者だけが読める暗号である

それでも、この絵巻をめぐる議論そのものが、見立てという技法の本質をよく示していると思います。
見立てとは、誰の目にも同じように見える絵でありながら、事情を知る者だけがその裏にもう一つの物語を読み取れる、という二重構造の表現です。だからこそ検閲をすり抜けられ、だからこそ後世の私たちには、その真意をめぐって解釈が分かれることにもなるのです。

この「型を崩し、別の姿に仮託して真意を語る」という技術は、権力への抵抗という文脈を離れても、日本の擬人化文化の芯として生き続けていきます。
明治以降、水木しげるが妖怪を隣人として描き、現代のポップカルチャーが刀剣や城、乗り物までも人の姿に変えて愛でるとき、その根底にあるのは、江戸の絵師たちが磨き上げた「別の姿を借りて何かを語る」という同じ精神なのではないでしょうか。

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