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妖怪に名前がつくと、何が起きるのか:江戸の「キャラクターデータベース」〈2〉

前回、壊れた古道具が、恐怖の百鬼夜行から愛嬌のある付喪神へと姿を変えていった様子をたどりました。
恐怖に「顔」を与えること――それが日本の擬人化文化の出発点でした。

今回はその先、江戸時代に起きたもう一つの大きな転換を見ていきます。妖怪たちが、ただの「顔」から、名前と設定を持った「キャラクター」へと進化した瞬間です。

一つの妖怪に名前がつくという、それだけのことが、なぜこれほど大きな文化的爆発を引き起こしたのでしょうか。私はこの飛躍にずっと興味を惹かれてきました。


妖怪を、一体ずつ切り分けるという発想

江戸中期、安永5年(1776年)に出版された鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は、日本の妖怪文化における一つの分水嶺です。それまでの怪談や絵巻の中で、妖怪たちは物語や群像の中に漠然と描かれる存在でした。ところが石燕は、彼らを一体ずつキャンバスに切り分け、それぞれに名前と特徴――いわば「キャラクター設定」を添えて、図鑑という形式でビジュアル化してみせたのです。

この試みは大きな人気を博し、続編が重ねられていきました。かつて群れをなして夜の都を練り歩いた漠然とした恐怖の集団は、ここで初めて、一体一体が固有の名前と個性を持つ「登場人物」になったのです。

教養としての妖怪、共有知としてのキャラクター

木版印刷という当時のメディア技術の普及も、この動きを後押ししました。
図鑑という形式のおかげで、江戸の人々は「あの妖怪はこういう性質を持つ」という知識を、社会全体で共有するようになります。いわば、江戸中に広がる共通の「キャラクター・データベース」のようなものが、この時代に育っていったのです。

これは単なる娯楽以上の意味を持っていたと思います。ある妖怪の名前を出しただけで、聞き手の誰もがその性質や見た目を思い浮かべられる――そんな共通の教養があったからこそ、次の段階が可能になります。それは、妖怪を人間らしくパロディ化したときに、「本来の姿とのズレ」を誰もが瞬時に読み取れる、という高度な笑いの土壌です。

型を共有するから、崩せる

パロディや風刺というものは、実は自由な発想だけでは成立しません。むしろ逆説的に、共有された「型」があって初めて成立する表現です。誰も知らないものを崩してみせても、崩したこと自体が伝わらないからです。

石燕が作った妖怪図鑑は、まさにその「型」を江戸中に配布する仕事だったのだと思います。一体一体に名前と個性を与えることは、単に妖怪を分かりやすくしただけでなく、のちの世代の絵師たちが自由にいじり、崩し、笑いに変えるための土台を用意することでもありました。

この土台があったからこそ、江戸後期、幕府による厳しい言論統制という逆風の中で、絵師たちはしたたかな武器を手にすることになります。妖怪や動物に人間を「見立てる」ことで、検閲をかいくぐりながら世相を風刺する――その技術については、次回たどっていきます。

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