壊れた道具が、なぜ妖怪になるのか:付喪神と百鬼夜行の変容〈1〉
大切な道具が壊れたとき、あなたはどうしますか。
現代の消費社会では、古くなったり壊れたりしたものは、たいてい機械的に「ゴミ」として処分されます。しかし日本には古くから、道具への感謝を込めてそれを「供養」する文化が根づいています。人形供養、針供養、筆供養――生活を支えてくれた道具に魂が宿っているとみなし、その役目の終わりに際して弔う行為は、世界的に見てもかなり独特な感性です。
なぜ日本人は、モノにまで「心」を見出してしまうのか。この問いをずっと追いかけてきました。
今回はその源流として、日本の妖怪文化における一つの大きな転換点――道具が「本物の恐怖」から「愛嬌のあるキャラクター」へと姿を変えた瞬間をたどってみます。
かつて、道具は妖怪にすらなれなかった
平安時代、夜の都を練り歩くとされた「百鬼夜行」は、遭遇すれば命を落としかねない、文字通り「見てはならない」絶対的な恐怖でした。
『今昔物語集』には、経文の力にすがってようやく難を逃れたという貴族の説話が残り、『大鏡』にも、夜道で百鬼夜行に行き会いながら難を逃れた人物の逸話が伝わっています。当時の夜の闇は、人間の秩序がまったく及ばない「異界」そのものだったのです。
この時代の百鬼夜行に、道具の姿はほとんど見当たりません。恐怖の対象は、あくまで得体の知れない鬼や物の怪でした。
「百年経った道具は、化ける」という発想
この距離感を劇的に変えたのが、中世・室町時代に成立したとされる「付喪神(つくもがみ)」の思想です。『付喪神絵巻』では、器物は百年の年月を経ると精霊を宿し、心を持って化けるのだと語られます。物語の中で、使い古されて捨てられた道具たちは、自分たちを顧みなかった人間を恨み、節分の夜に妖怪となって仕返しを企てる――恐ろしくも、どこかコミカルな復讐劇として描かれています。
そして室町時代、この「百鬼夜行」がビジュアルとして絵巻に描かれた際、その主役に据えられたのは、鬼や物の怪ではありませんでした。ボロボロの琵琶、壊れた鍋、古びた傘――古道具の付喪神たちだったのです。京都・大徳寺真珠庵に伝わる『百鬼夜行絵巻』は、その代表的な一例とされています。
恐怖に「顔」を与えるということ
かつて遭遇するだけで死に至ると恐れられた百鬼夜行が、日常の道具が化けた姿として、ユーモラスに描かれるようになる。この変化の意味は、決して小さくありません。
恐怖に、道具という親しみやすい輪郭――いわば「顔」を与えることは、得体の知れない恐怖を、洒落とユーモアのフィルターを通して手なずけ、日常の隣に置いておくための知恵だったのだと思います。壊れた古道具を単に捨てるのではなく供養する精神と、それが化けて妖怪になるという発想は、実は根っこでつながっています。
どちらも、モノと人間のあいだに絶対の壁を置かない、日本的な世界観のあらわれなのです。
恐ろしいはずの異形に、あえて「器物の顔」を与える。
この発想は、やがて江戸時代に入ると、思いもよらない形で花開いていきます。妖怪一体一体に名前と個性が与えられ、庶民の共通の教養にまでなっていくのです。
>> 擬人化〈2〉「妖怪に名前がつくと、何が起きるのか」

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