見出し画像

祖父の死期が迫り「病」と「老い」と「健康」について、改めて思うこと【後編】

祖父が亡くなったのは、享年94だった。

祖父の死期が徐々に差し迫ってくる中、私自身これまで祖父に思うところが色々とあり、亡くなるまでの間にと思って書き始めた。

が、思っていたよりも早くその時は来て、葬儀が終わったのがつい先週のことだ。

タイトルは前編の時間軸のままだけど、続きなので直さずにいくことにする。

94歳。この年齢で亡くなった場合はやはり「大往生」なのだと思うし、人からそのように聞いた場合にも何となく故人が“天寿を全うした”という感じがする。

長生きすることは、基本的には喜ばしいことだ。

けれど祖父の場合は自分の意思とは裏腹に、身体の方が生きようとするので“死ねなかった”という余生だった。

祖母が亡くなり一人になってからずっと、祖母のところに行きたい、と周りに言いながら身体がだんだんと不自由になっていき、あちこちに支障が出てくるようになった。

年齢としては“大往生”なのかもしれないが、最期の数年の祖父の身体はボロボロだったし、長い間ずっと苦しかったと思う。

亡くなる前日までは特に痛みが酷く、夜中じゅうずっと叫んだりしていたそうだが、

幸いだったのは息を引き取るその時には苦しまずに逝った、ということを看護師さんが両親に教えてくれたこと。

それだけは本当に…良かったと思っている。

今回この内容を書くにあたり、何を伝えようとして衝動に至ったのかが自分の中で掴みきれず、一旦整理してみた。

しばらく置いて考えたらなんとか形になってきたので、書いていこうと思う。

前編の途中辺りの部分がいわゆる“一般的”な健康に対する意識のことで、それに対して今私の実践している栄養療法(分子栄養学)の前提は、だいぶ異なっている。

一応前編に書いた事をまとめるなら、

◾︎ ある程度年を取れば病気になることは当たり前であり、病院に行き薬を飲んで何とかコントロールしながら身体に気をつけていく

というのが一般的なようだが、分子栄養学では、

◾︎ 病気は自分で治せるものであり、不足している栄養素を補えば身体は健康レベルを上げ続けることができる

というのが基本になる。

途中で書く手が止まったのは、私と両親との間にあるこの認識の違いを、今後どうしようかと思い始めていたからだった。

祖父の経過を知るほどに、やっぱりできるなら早くから始めていた方が良いんだけどな…という気持ちが強くなっていく。

両親は2人ともきちんと健康管理を行っている方で、病院に通い検査も定期的に受け、薬も飲んでいる。

それは意識して健康に気をつけているという証なので、祖父ほど身体の状態が悪くなることはないのかもしれない。

しかしこうした「健康管理」は、それ以上悪くならないようには出来るかもしれないが、この薬を飲んでコントロールする医療、というのはそもそもが、

<その人のライフスタイルを変えないまま
現れた症状に対して行う処置>

だと思うのだ。

医師は患者のライフスタイルまでは介入しない。というか、そこは専門外である。

個人的に医療のありがたい点は、患者の状態や生活習慣がどうであれ、そこに共通して効くものが存在するということじゃないかと思っている。

薬や西洋医学的な処置(外科的処置などは言わずもがな)は、ピンポイントで治療が必要な場合には絶対に欠かせない。

だけど私自身が体験と知識の両方から栄養療法(分子栄養学)の効果を分かるようになった今、

慢性疾患とは共存していかなくても良いし、老いと病気は必ずしもリンクしない、完治できるものだと知っているからこそ、一番身近な両親にも…という気持ちになる。

でもこれは、私の中でいつも自分に確認する「自然だろうか?」「無理がないか?」という問いに対しては、残念ながら今のところ返答は Noになってしまう。

前編で、祖父の側で栄養管理係としてベタ付きすることはおそらくどの段階でも無理があった、というようなことを書いたが、今の私と両親の間でも、やはり少し無理がある。

というのは、あくまでも私はまだ“病気が治っている途中”の身であって、両親からすると私の方が心配の対象だからだ。

いくら症状が少なくなったとはいえ、よっぽどの変化を両親サイドが感じない限りは、私が言うことはおそらく“娘が見つけてきた自分なりのやり方”みたいな程度にしか映らないだろうと思うのである。

実際、現時点では両親の健康管理はスタンダードであり、病院には複数かかったけれど、栄養療法を知っている医師には一人も出会えなかった。

藤川先生のおかげで今でこそ広まっていっている感じはしてきているが、まだまだ分子栄養学の知名度は低い上、実践している私でさえ全面的に人におすすめすることは微妙にためらう。

これだけ書いておいてあれだけど、何度か過去記事でも触れているように、栄養療法のハードルは結構高い気がするからだ。

特に両親のように、自分たちで気をつけていると思っている人ならなおのこと、健康に対する意識があるからこそ、の抵抗も感じる。

だから私も私で、今両親に説得して…というか別に、特に誰にもおすすめして回りたいわけでもない。

ただ、現在取り組んでいる人がいればお互い頑張りましょう、という感じだし、私はレビューで体験談を書いてくれた人たちを励みにしていたから、そういう人がたくさんいると思うと心強く感じたので、自分もそうしようと思って書いている。

だけどもし、自分の身体に本気で取り組みたいと思ってくれるきっかけになれたら嬉しいな、という気持ちも同時に持っている。

実は最近三石先生の本を1冊読み終えたのだけど、三石先生は私の実践している栄養療法の藤川先生が学びの師とされている方で、分子生物学を研究し始めたのはなんと60歳からだそうだ。

そして三石先生が亡くなったのが95歳。祖父とほぼ同い年である。

ちなみにこれはその本に載っていた三石先生が80歳の時の写真なのだが、私の祖父に結構…いや、だいぶ似ているなと思って、それにもちょっと驚いた。

60歳から研究を始め「三石理論」を確立し、分子栄養学による健康の自主管理を実践。しかも亡くなる2週間前まではスキーを楽しんでいたらしい。

担当医は、三石先生の体にガンなど一切なく臓器は全て正常で、自身で体現されたのだという事を語っていた、という情報も見かけた。

以前から三石先生のことは藤川先生のブログで知ってから、亡くなるまでずっと現役だったというのはなんとなく頭にあったし、もちろん凄いとは思っていた。

しかし祖父の死期までの一部始終を通過した今は、その凄さがより際立って見える。

スキーを楽しむって、
こういうこと、だよね…?

95歳…思い浮かぶ病気の祖父の姿とのコントラストが凄すぎて、茫然としてしまう。

ただ、三石先生は昔から身体が強かったわけでなく重度の糖尿病で、劣悪な栄養状態の家庭で育ち、弟さんは先に亡くなっている。

ちなみに糖尿病は自身の生活習慣によってなってしまったものではなく、当時の家の近所の工場から出た鉛とカドミウムによる中毒が原因だったそうだ。

水晶体の手術などもされており、決して生まれ持った身体にも環境にも恵まれていたわけではない、ということが本を読むとよく分かった。

そんな状態からでもこんなふうになれるというのは、何よりの理論の証明だと思うのだ。


そしてもう1人、実は三石先生の本を読む前から知っていた凄い人がいる。

カルメン・デロリフィチェさん。
(CarmenDell'Orefice)94歳で現在も活躍されているトップモデルの方である。まさかの祖父と同い年だ。写真は92歳とかだったか、画像検索で探すと色んな歳のものがあったけど、どれも美しくて言葉にならない。

そしてカルメンさんの美容で若い頃からずっと続けてきたのは、ビタミンCと馬用クリームというのが記事に載っていた。

分子栄養学を知る前だったら「へえ、ビタミンCか。やっぱ良いんだね」くらいで確実に読み流していたと思う。何なら記憶に残るかすら怪しいくらいだ。

しかし今となっては「おぉ…カルメンさんはビタミンCを続けてきたのか…やっぱ良いんだなあ…!」という感じである。

三石先生の本の中にはビタミンC単体で1冊になっているものもあり、分子栄養学では1番「量」が必要な栄養素じゃないかと思う。(ちなみに生涯で300冊ほど出されている)

以前だったらカルメンさんのことを知っただけでは、こういう人がいるという事に驚きはしても、やっぱりどこか別世界の人みたいな感じがするし、日本人ではないというのも手伝って、あまり現実味がなかったような気がする。

だけど三石先生の生い立ちから亡くなるまでの最期を知れたり、自分でも栄養療法で回復の体験をしてきたからこそ、やっぱりこのお二方のように生涯現役で輝いて快活に生きることはできるのだと、今は自然に思うようになった。


分子栄養学を取り入れるかどうかは、どんなふうになりたいか、によって選択肢に入ってくるかが決まると思う。

そして合う合わないもあるし何より、時間がかかることも多いのだ。藤川先生はよく、栄養を満たすのは年単位で考えて欲しいと言われている。

途中、人に勧めることはためらうと書いたのは、ハードルとして時間の部分も結構大きい。

私自身は回復の手ごたえはもちろんあるのだが、思っている以上にかかるものなのだな、という気持ちもある。これは特に、身体的症状の方だ。

今、栄養療法を始めて10ヶ月過ぎたあたりだけど、前書きでも書いた100→10まで減ったのは7ヶ月くらいの時点で、その10から今は8くらい、というふうに地味に推移している。

筋トレやダイエットや勉強などでいう停滞期、のようなイメージなのかもしれない。完全なる横ばいとはいわないが、症状の変化が微減すぎて萎えそうになることもよくある。

ただ一つだけ、病気になる前より確実に良くなった部分もあって、それは頭の中である。

明らかに脳が冴えているというか、栄養療法を始める前との違いをハッキリと感じている。

外側から見える部分ではないし、IQテストなどで数値を測ったりしたわけではないから完全に主観にはなるけど、以前と違うのは間違いなくて、きっとこういうことだろうなという心当たりもある。

今後一つ一つの栄養素の記事は書くのでその時に詳しくとは思っているが、私の場合は頭の方が変化を感じるのが早かったようだ。

正直、支障があるのは身体症状の方なので順番は逆の方が良かったのだけど、これはもう仕方がないと思って割り切ることにした。

と言いつつ、身体も早く追いついてくれ、とひそかに思っている。(※割り切れていない)

まあとにかく、それでも私はひたすら前を向き、できることをやるしかないのだ。

やっぱり、粛々と。

祖父は見せてくれたのかもしれない、と思う。どこに向かうか、自分はどう生きたいか、そしてどんな最期を迎えたいか、ということを。

私は三石先生やカルメンさんのように、生涯現役を目指していきたい。そして更に言えばここで書いた後藤さんの考えは、改めて私も望みだなと思う。

今頑張っている最中の方にも、これから頑張ってみようと思う方にも心の中でエールを送りつつ、私もまた日々、頑張るしかないのである。



今回ビタミンCの話が出てきたので、次回はビタミンCの話でいこうかと思った。が、栄養療法的には何よりまずプロテインなんだよな…と迷いに迷う。

まあしかし、せっかくなので、ビタミンCについて次回は書いてみようと思う。


つづきます。

▼前編から読む

【関連記事】
▼目に見えない部分を支えてくれた大きな存在の話

▼ 記事一覧トップ

いいなと思ったら応援しよう!