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40年間の末路 第10章 長女誕生 ドキュメンタリー小説|自叙伝|20代

 一ヶ月後のお盆、仁美とともに仁美の実家がある福島県いわき市へ帰省した。

 すると仁美はそのまま実家に残ると言い始めた。出産予定日は11月30日だったが、里帰り出産の準備に入るからと言った。

 結局一人で東京に戻り、二人だけのギクシャクした新婚生活は約1ヶ月で終わった。

 静かだった。誰にも干渉されない時間が久しぶりに戻り、勉学にバイトに集中できて、正直なところ、ほっとした。

 そこから2ヶ月が過ぎた10月。
プロ野球は巨人対近鉄の日本シリーズが始まった。
 ヤクルトファンの僕は近鉄に仇討ちを委ねて、にわか近鉄ファンになりテレビ観戦した。
 近鉄が三連勝して優勝まであと一勝に迫った。ところが巨人が三連勝で追いつき、最終戦に縺れ込んだ。
 そして10月29日(日)の第7戦は、巨人が一度もリードを許すことなく逆転優勝した。

巨人の日本一が決まった瞬間、不貞腐れてテレビを消し、落胆したまま布団に包まった。

 日付が変わった深夜0時、電話が鳴って起こされた。
寝ぼけながら電話に出ると、義母の雅子からだった。

仁美が破水して、救急車で病院へ搬送されたとのこと。

 ただ車の免許はあったが車はなかった。終電はとっくに終わっていた。すぐに東京から福島へ向かう手段がなかった。翌朝の始発の電車で行くと伝えて、電話を切り再び布団に入った。

 30分後、また電話が鳴った。
 一瞬、最悪の事態を期待した。

 「生まれました。女の子です。二人とも元気です」

しかし、期待は外れた。
まるで巨人が優勝したような感じだった。

 しかも予定日より一ヶ月早かったので、心の準備がまるでなかった。喜びも、安堵も、何も実感が湧かなかった。ただ、眠れなかった。一睡もできないまま夜が明け、5時前の始発電車に乗った。

 乗り継ぎのため上野駅のホームに降りると、売店に各社の新聞が積まれていた。どの一面にも「巨人優勝」の文字が踊っていた。
「巨人優勝」したその深夜に子どもが生まれるとは、とても皮肉だった。

 上野駅から常磐線を3時間揺られ、眠ることなく目的地のいわき市の泉駅に着くと、義母の雅子が迎えに来ていた。
 母子ともに健康だと聞き、駅前の公衆電話から自分の実家に電話して、初孫誕生を伝えた。それから病院へ向かった。

病室のベッドの傍らで、僕は我が子と初めて対面した。

赤ん坊は、僕の掌に収まってしまいそうなほど小さかった。信じられないほど小さかった。

痛々しいほど細い指を握りしめ、目を閉じたまま、かすかに、しかし必死に胸を上下させて息をしていた。
仁美との関係は冷え切っている。新婚らしい甘い時間などなかった。それでも、目の前で息をしているこの小さな命の重みだけは本物だった。

この子がいたから、僕らは壊れずに夫婦になれた。「子はかすがい」という言葉の意味が、冷え切った僕の心に初めてすとんと腑に落ちた。

仁美が長女を「愛里あいり」と名付けた。特に異論はなかった。

 年末年始は仁美の実家で過ごした。生後二ヶ月の長女と再会した。
 翌春、仁美が赤ん坊を連れてアパートに戻るのを嫌がったので、東京のアパートから埼玉の浦和市(現在のさいたま市緑区)の戸建の3Kの借家に引っ越した。
 僕が大学四年になり、電車とバスを乗り継いで東京の大学に通い始め、そして仁美が生後五ヶ月の長女を連れて埼玉に来た。

こうしてようやく三人の生活が始まった。

 両家の支援のおかげで翌年無事に卒業し、無事某大手旅行会社に入社した。
 初めての子育てに夜泣きやおむつ交換に悩まされながらも、ようやく人並みの暮らしが形になってきた。

 だがその年の年末、また思いもよらぬ不運が訪れた。

第9章   第11章

#創作大賞2026 #恋愛小説部門

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