個人事業主だった私が、31歳で原宿にお店を出すまで
夢というものは、叶えた瞬間にはじめて、本物かどうかがわかるらしい。
2021年3月。原宿。
私はようやく手に入れた自分のお店の真ん中で、届いた花に埋もれるようにして立っていた。

家賃24万円。
初期費用250万円ちょっと。
何もかも投げ打って、やっと辿り着いた場所。
嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった。
なのに。
天井を突き抜けるような期待していた喜びは、いつまで経ってもやってこない。
——なんでだろう。
この連載は、一度丸ごと私の人生を振り返り、一つの物語に再構築してみようという試みの第20弾です。続きものですが、この記事だけで読み切りとしてお楽しみいただけます。
このお話は、今から5年前のこと。未曾有の感染症、コロナで世界が止まり、いちばん好きだった海外での買い付けという仕事ができなくなった私が、原宿に自分のお店を出したときのこと。
お店をどうやって出したのか、いくらかかったのか、何を基準に決めたのか。そして、出してみて何を思ったのか。いつか自分の店を持ちたいと思っている方に、少しでも参考になりましたら幸いです。
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飛行機が、飛ばなくなった
はじまりは、コロナだった。
一年間のパリ生活を終えて日本に帰り、ブランドを再開して、さあこれからだ、と走り出したすぐのこと。世界がぴたり、と止まった。人生で初めて起こる体験。
それが私にとって、何を意味していたか。
いちばん好きだった買い付けが、できなくなるということだった。
私の仕事の、いちばん奥にある核だった。
楽しさであり、やりがいであり、そして何より、社会と——つまりお客様と、私とを繋いでくれるもの、そのものだったから。
そのすべてが、ある日突然、取り上げられてしまった。
とはいえ最初は、まあ大丈夫だよね、すぐ出られるでしょ、とどこか楽観視している部分もあったのも事実だ。しかし事態は、時間が経つにつれ不安になるほど深刻になっていく。
海外のパーツを使ったジュエリーを制作している私たちのブランドにとって、海外仕入れにいけないことは大打撃だ。急いでフランスのディーラーさんに連絡をすると、向こうは向こうでお客さんがぱったり来なくなって困り果てていた。これまで一切の対応をしていなかったディーラーさんが、次々とリモート仕入れを快諾してくださる。
よかった。仕入れは、なんとかなりそうだ。
しかし、である。
買い付けにいけない状況で、ブランドは何を物語として語ればいいのだろう。
ただリモートで仕入れて、日本で作って販売する。
もちろん、できる。
でも、デザインセンスが飛び抜けているわけでもない私が、そんな一般的なブランド運営をやっているようじゃ、いつかすぐにジリ貧になってしまう。
海外に行けないなら、別のことをしよう。
なにか日本の中にいて、できることを──。
そして決めたこと。
それが、
お店をやろう。
ということだった。
——とはいえ、この時点ではまだ、雲みたいにふわふわした願望でしかなかった。
「22万円なんだよね」
不思議なもので、そういうときに話が重なる。
ちょうどそのタイミングで、知り合いのアンティークショップさんがお店を移転するということで、私に話を持ちかけてくださった。「いつかお店をやりたい」と方々で口にしていたことが、この辺りで実を結び始める。
「まるおちゃん、よかったらここ、引き継がない?」
そこは代官山駅を降りた、目と鼻の先の物件である。 お客として何度か訪れたことのあったお店だ。私は飛びついて「すぐに伺います!」とご連絡をし、内見に出向いた。
お客として来ていた時には、全体の雰囲気や商品にばかり目がいっているので、きちんと内装を見ていなかった。
改めて伺い、改めて内装を見る。
なんと、こだわりの詰まった素晴らしい空間なことか。
パリのアパルトマンの一室を彷彿とさせるアンティークな空気。 こんな場所でお店ができたら、格が上がるな。私はすっかり空想に浸ってうっとりする。
「それで、家賃なんだけどね、」
わたしはつばをごくりと飲み込み、次の言葉をじっと待った。
「22万円なんだよね」
……22万円。
めまいがした。
ああ、無理だ──。
キラキラと空想していた脳内の絵はガラガラと悲しげな音を立てて崩れてゆく。
22万円。自宅の家賃でも借りたことのない金額だ。でも冷静になってみれば、そりゃそうだ。代官山だもん。駅前だもんな。そりゃそうだよ、東京だし、一等地だし……
そんなお金が毎月払えているって、本当にすごいな。やっぱお店するって、本当すごいことなんだな……
コロナになり、完全オンライン販売のみになっていた当時の月商は、約300万円程度。売上高だけで見れば「いけるのでは?」と思われるかもしれないが、冷静に考えてみて欲しい。
当時はまだ個人事業主で、会社にもしていない。というより、売れ続けるかもわからない。海外買い付けも再開できるかわからない。先の約束のない業界で生きていて、なんなら私が大病を患えば長期間売上0円だってありえる。
家賃に加えて、毎月プラス22万円が、何もしなくても口座から消えていく。
シンプルに怖い。怖すぎる。
光熱費だってかかる。什器だって0から全部揃えないといけない。
──いったい初期費用、いくらかかるんだ?
しかもそのお店は引き継ぎ契約の兼ね合い上、3日以内という、かなりタイトなスケジュールでジャッジせねばならなかった。冷静に数字を計算する余裕もなく、何を判断材料にしたらいいかもわからないことが多すぎて、結局決断できず、辞退させていただくことになった。
やっぱりな、と思った。
お店を持っている人は、私よりずっとすごい人で、私よりずっと稼いでいて、私とは違う世界の住人なのだ。自分の家以外に、もう一つ家賃を払っているなんて、意味がわからない。ネクストレベルだ。すごすぎるよ。
私にはまだ早い。まだ早すぎた。
そう自分に言い聞かせて、私は「お店」という言葉をまた遠くの棚に置き直した。
「ここ、家賃6万円なのよ」
そんなことがあってから、少し経った頃のこと。
当時、私は月に一度、カウンセリングに通っていた。
これは、パリで身についた習慣だ。フランスでは、歯が痛ければ歯医者に行くのと同じ顔で、心の調子が悪くなればカウンセラーさんのところへ行く。友達に話すには重すぎることを、プロにお金を払って、建設的に処理してもらうのだ。非常に合理的である。
日本にいた頃の私は、そういう場所があること自体をよく知らなかったし、精神科との違いもわかっていなかった。パリに住む前までは「カウンセリングは精神的にまいっちゃった人がいくところ」という偏見があったのも事実だ。(なんて、もったいない思考をもっていたのだろう、と今なら思う。)
一般的なカウンセリングは傾聴に徹するところが多い。一方で、私が通っていたカウンセリングルームのカウンセラーさんは、割とガツガツとアドバイスをくださったり、私が前進するような問いかけをしてくださる方だった。というのも、まさにそれをやってくださる方を求めて何人ものところに訪れた末に出逢った方。さらにコラージュ療法という不思議な面白い心理療法を用いていて、これがかなり面白かった。そんなわけでかなり懇意にさせていただいていた人だ。
ある日。カウンセラーさんが、こう聞いてくださった。
「今、やりたくてやってないことって、ないの?」
私は少し考えてから、答える。
「いつか、お店ができたらいいなとは思ってますけど。」
すると、あっさりと返ってきた。
「じゃあ、やってみたらどう? なんだか最近、エネルギーが有り余っているように見えるし」
海外にいけなくてストレスが溜まっていることを感じ取っていたのだろう。鋭い。しかし、「いやいや」と私は笑う。
「まだ、そんなフェーズじゃないと思うんですよ。お金も随分かかりますし」
そのとき言われた一言が、私の中の何かを、ど真ん中から射止めた。
「そんなことないわよ。ここ、家賃6万円なのよ。」
……ここ?
ここ、というのは、今わたしが座っている、このカウンセリングルームのことだ。
乃木坂である。
「……え!? 東京の、乃木坂なのに!?」
衝撃だった。
本当に、衝撃だった。
つい先日、代官山の物件が22万円、と聞いて膝から崩れ落ちたばかりだ。 それなのに、同じ東京の、しかも乃木坂で、6万円の場所が実在している。
え。待って。
そんなに安いところがあるなら。
——もしかして、私にも、できるのかも……
胸の奥でずっと閉まっていた扉が、かちゃり、と音を立てて開いた気がした。光の筋が心の闇を貫く。
これが、ひとつめのノウハウかもしれない。
私たちは「お店を持つ」という言葉に、勝手に途方もない金額イメージを貼りつけている。
実際の数字を一度でも知ると、そのイメージはあっさり崩れる。
崩れないのは、見ていないからだ。
知り合いの店に「ここ、家賃いくらなんですか」と聞くのは、勇気がいる。でも、その答えひとつで、人生の選択肢が動くことがあるのだ。
私みたいに。
「売上100万円くらいでも、出せますよ」
現実味が湧いてくると、今度は、忘れていたことを思い出した。
少し前に、ルミネ新宿店の中にある某セレクトショップさんから、常設で出店しないかと声をかけていただいたことがあった。交渉の際、条件が合わずお断りさせていただくことになったのだが、そのときに担当の方が、こうおっしゃってくださっていたのだ。
「maruoさん、それだけの売上があれば余裕で単独でお店持てますよ。むしろ、売上100万円くらいでも、安い物件であれば出せるもんですよ」
さらに、店舗を引き継がないかと言ってくださった方も、ご自身のお店の売上を具体的な数字で教えてくださっていた。その金額に、私は目を丸くしたのだった。
(もしかして。もしかして、私、本当にお店できるのかも……)
数字を見せてもらったら、そこは、思っていたよりずっと、現実の射程範囲内にあったようだ。
自分の売上と、実際に店を回している人の売上を、並べてみること。
これをやらないと、いつまでも「まだ早い」と言い続けることになる。私がまさにそうだった。
ただし、正直に補足しておきたい。知識が増えたあとに振り返ると、「売上100万円あるならいけますよ」という話は、売上ではなく利益の方がずっと大事なので、鵜呑みにするのは危ない。
それでも、現実味が増したのには違いない。
じゃあ、私にもできるかも。
そのふわっとした気持ちは、しっかりとしたお守りとなってくれ、私は物件を探し始めた。
探し始めた途端、こだわりがぼこぼこ湧いて出てくる。
都内であることは決まり。
当時原宿に住んでいたので、家から近い渋谷区・港区近辺がいいと思いそこに絞って探し始めた。カウンセラーさんの物件も住所は六本木、港区だ。港区に6万円があるなら、渋谷区にだってあるかもしれない。
そして、もうひとつ。私には、絶対に譲れない条件があった。
出勤が、死ぬほど苦手なのだ。
満員電車に乗って通う、ということがどうも向かず、会社員時代から会社の近くに住む選択をしてきた。徒歩でいける距離か、自転車で通える距離。
だから、家の近くにしよう。
そして探すと不思議と見つかるものである。10万円以内の物件はいたるところにあった。カウンセラーさんのいた建物も空き物件があったので内見にいった。リノベしないと難しそうだったのでパスをする。外苑前でも家賃8万円の物件を見つけた。内見に行く。気が悪くてやめた。青山でも見つけて、内見に行く。どの駅からも遠すぎて現実的でない、と思い断念した。
毎日賃貸物件サイトを漁りまくった。10万円以下で見つかるところはそれなりの条件であり、リノベがほぼ必須だった。少し予算をあげ、15万円以内で探し始めるが、イマイチいいところが見つからない。
実際に何件も物件をまわったことで、自分の中で「こういう物件がいい」という具体度が上がっていった。すると人間、欲が出るものである。
そしてふと思った。
一旦、値段の枠を外して理想的な物件を見てみよう。
見るだけ。一旦。
そうして見つけたのが、自分の部屋の、ほとんど裏っ側にあたる物件。パリのアパルトマンのような外観。こんな物件がまさか原宿の裏通りにあったなんて。
家賃、24万円。
……24万円。
そう、24万円である。
つい先日、22万円と言われて「ああ、無理だ」と目の前が暗くなった女が、その上をいく物件を見つけて、「見てみよう」と勝手に手が内見の申し込みをしていた。
覚えている。17時ごろだった。
わずか10分もしないうちに仲介会社さんから電話がかかってきた。
「今からでもご覧いただけますがどうでしょうか?」
家の真裏である。「5分後には行けます」
そして、すぐに内見させていただいた。
そして、私はその物件に入った瞬間に感じた。
──まずはここで、始めよう。
つい先日22万円が無理だ、と思ったところだ。
でも、あの体験があったからこそ、私はきちんと数字を理解することができた。22万円の家賃だったばあい、損益分岐点はいくらになるのか。利益でいくら残す必要があるのか。現在の利益率で、月商がいくらを切ると危険水域に入るのか。
明確さは力だ。
それらを計算していたので、24万円の家賃も、可能な範囲であることが具体的な数字となって把握できていた。きっと、22万円の物件を断っていなかったら、こんなにちゃんと計算していなかっただろう。
それでも24万円の物件を決めることは怖かった。先にも書いたけれど、こんな金額、自分の家でも借りたことがない。個人事業主だった当時、きちんと口座がわかれているわけでもなく、自宅の家賃13万円ちょっとと、24万円、合計37万円が一気に減る。普通に怖かった。
「ゼロになっても、後悔しない?」
大きな決断をするとき、私には、相談をする人がいた。
それは、フリーランスになるきっかけをくれた昔お付き合いしていた彼だった。恋愛としては(わたしのせいで)とっくに終わっていたけれど、彼の判断の物差しを私はずっと信頼していた。当時は頼れるAIもなく、知り合いの中で最も合理的な、そして挑戦を応援してくれる答えをくれる相手だったこともある。私がブランドをやる、と言い出した時にも一番の味方になってくれた。ここぞという場面で、最終的な判断の背中を押してもらいたくて、相談をする相手だった。
私は言った。
「お店を出そうと思ってて。でも踏ん切りがつかなくて。どうやって判断すればいいと思う?」
彼は、こう答えた。
「めちゃくちゃいいね!ひとみならできるよ。考え方としては、投資する金額は余剰資金でやること。仮に初期費用、半年先の運転資金を合わせて400万円くらいだとして、その金額が0円になっても、もう一度そこからブランドをやり直せる程度のバッファ資金を確保できる範囲でやること。」
そして、こう続けた。
「ゼロになっても、そこからまだ取り返せるんだったら、やらないほうが後悔すると思う。なくなってもいいお金だと思って、やってみたらいいんじゃない?できるよ。」
彼は私がフリーランスとして一人立ちし、ブランドでどのように利益を作っていくかを教えてくれた時のように極めてわかりやすい言葉でアドバイスをくれた。彼の返信を見て、決めた。
——取り戻せるなら、大丈夫。
やろう。お店。
出そう。
400万円で2度と経験できない体験ができるなら、やってみたい。
私はずっと、「失敗したらどうしよう」で考えていた。 でも、本当に見るべきなのは、失敗の大きさじゃない。失敗したあとに、立ち上がれるかどうかだ。そんな大事なことを教えてもらった。
彼は私のやりたいことを否定しない。これまでに一度もない。
必ず、どんな無謀なことでも「できる方法」を示してくれる。
だから私は彼に相談するんだと思う。だって、私の中ではもう、決まっている。どうしたいか。その背中を押してくれる声が欲しいのだ。そして必ず、前に進む方角の道標をくれるから。
立ち上がれる。それだけは、断言できた。 なにしろ私は、貯金10万円を切ったところから始めた人間である。ゼロから始めるのは、得意分野だ。
「失敗したらどうしよう」ではなく、「失敗しても取り返せるか」で考える。
これは今でも、私の重要な判断基準として残っている。
ちなみに、実際にかかった初期費用は250万円くらいだった。
リノベーションは入れていない。ノウハウがなく、頼み方もわからず、幸いとても綺麗なほぼ新築物件だったので不要でもあった。
物件の初期費用、敷金礼金諸々で120万円ほど。
什器は、全部で130万円くらい。ジュエリー用のショーケースとして買ったアンティークのシャツケースが44万円。アンティークのレジが15万円。アンティークチェア、シャンデリア、床板、アンティークレジテーブル、大きなミラー、店舗用のiPhoneやiPad、PC、掃除機、オーダーカーテンやバックヤード用の細々した備品など。
口座からガクン、と金額が減る。
そしてもうひとつ、同タイミングで、我ながらどうかしていると思う決断をした。
まだ200万円ほど残っていた奨学金を、一括で返還したのだ。
理由は、まったく美しくない。
私は、余裕があると、動かなくなる人間だからである。
お金が口座にあると、「まあ、なんとかなるし」と思って動かなくなってしまう。追い込まれていないと、本気を出さない。だったら、お金をなくしてしまえばいい。そうしたら、やるだろう、私は。
そんなわけで、約450万円が、一気に口座から無くなった。
たった1ヶ月で。
こんなに一気にお金が減ったのは久しぶりだった。
久しぶりにアドレナリンが全身から沸き立つ。
経営を考え始めたのは、店を持ってからだった
そして、これはお店を出してから気づいたことなのだけれど、実務的にいちばん大きかった変化を、先に書いておきたい。
数字を、かなり細かく見るようになった。
それまでの私は、はっきり言ってどんぶり勘定だった。売れた、嬉しい、仕入れる、つくる。それで回っていた。
でも、店を持つと、そうはいかない。
毎月、何もしなくても、出ていくお金があるのだ。
固定費をどれくらいに抑えないといけないのか。
損益分岐点は、いくらになるのか。
私が初めてそれを真剣に計算したのは、お店を持つ、と決めた時からだった。
つまり、こういうことだ。
店を持つというのは、「売れたら嬉しい」だけでは続けられない。「毎月これだけは必ず稼がないといけない」に、ゲームのルールが変わることを意味する。割とシビアだ。難易度は、一気に上がるし、いやでも「続けなきゃな」という気持ちが生まれる。
それは責任感でもあり、そして、それはpoint of no return、引き戻せない場所に立ってしまった、ということでもあった。
誰も来られない店に、花だけが届いた
2021年3月。ついに、お店ができた。
……のだけれど。
開店した頃、世の中はまだコロナのど真ん中。店を持ったのに、しばらくのあいだ、誰にも直接来てもらえない。
「お店ができたら行きます!」と言ってくださっていた方たちが、来られない。会えない。 私は、鍵を開けて、電気をつけて、ひとりで立っていた。
代わりに、たくさんのお花が届いた。

一枚ずつカードを読んで、写真を撮って、お礼を送る。読んでは、胸がいっぱいになる。また読んでは、鼻の奥がつん、とする。運んでくださるヤマトさんも「圓尾さん〜いっぱい届くね〜嬉しいね〜」とニコニコである。
こんなにたくさんの人が、私のお店ができることを、喜んでくださっている。
嬉しかった。
「いつかお店を持ちたい」
そう、掲げてきていた夢。
その夢が、ついに叶った瞬間だ。
目を閉じて感じてみようとする。
泣けるかな。
息を吸い込む。
涙、出ないのかな。
人生の、結構大きい夢が叶ってる瞬間だよ?
でも。
美しい花々に囲まれ、まだよそよそしさを感じる什器たちの前に立ち、私の心のどこかが、静かに首をかしげていた。
なんでだろう、
もっと、こう、天井を突き抜けるような喜びが来ると、思ってた。
夢を叶えたら、私は満たされる。
店を持ったら、もうそれはそれは、すごく幸せになれる。
なんか、そういうことなんじゃないんだっけ?
そう信じて、250万円を使って、決死の思いで、お店持ってみたんだけど。
なのに、やってきたのは、そこそこの嬉しさと、たくさんの花と、SNSでいただくたくさんのお祝いのメッセージと、心に宿る静かな戸惑いだった。
……私の夢って、これじゃなかったの?
そして次に浮かんだのは、もっと途方に暮れた問いだった。
……じゃあ、どうしたらいいんだろう、
満たされなさの、正体
その後、答えを探しながら、私はしばらく過ごした。
隠すことでもないので、正直に綴りたい。
後になって、気づいたことがある。
お店を持ちたいという気持ちが、嘘だったわけではない。
ただ、それがどこから生まれた願いなのかを、私は一度も確かめたことがなかった。
ブランドを続けるなら、いつか自分の店を持つ。
お店を持てば、もっと立派なブランドになれる。
大きな夢を叶えれば、私はきっと満たされる。
そういう、世の中にすでに用意されていた物語と、自分の内側から生まれた願いとを、私はすっかり同じものだと思っていた。
夢として語ってきたものと、自分の内側の願いは、必ずしも同じではない。
私は、夢を叶えたあとで、初めてそのことを知った。
誰も、教えてはくれなかった。
だからといって、お店を出したことが間違いだったとは思っていない。
私が見誤っていたのは、お店の価値ではなく、「夢を叶えさえすれば、自分は満たされる」という、自分自身への期待だった。
でも、こうも思う。
本当の夢だろうがなんだろうが。
夢が叶うまでのプロセスの楽しさは、嘘じゃないな、と。
それでも、あの場所は
ここまで書いておいて、最後に、どうしても書いておきたいことがある。
ここまでの話は、お店や、そこへ来てくださった方との時間を否定するものではない。
「店を持った自分」になるだけでは満たされなかったことと、あの場所で生まれた時間を大切に思っていることは、私の中で矛盾せず、どちらも本当だ。
お店は、そのあと、私の想像をはるかに超えるものになった。
ようやく人が動けるようになって、扉が開いて、本当にお客様が来てくださった。 遠くから電車を乗り継いで来てくださる方がいて、飛行機に乗ってきてくださる方、新幹線に乗ってきてくださる方。毎月足を運んでくださる方がいて、あそこで誰かと誰かが出会って、友達になっていかれる瞬間にも、嬉しいことに立ち合わせていただいた。

あの場所を意味のある場所にしたのは、私ではない。 来てくださったおひとりおひとりだ。
お店を出して、本当によかった、と心から思う。
出さなければ見られなかった景色と思い出が、本当にたくさんできた。
半年出して、うんともすんとも行かなかったらすぐに撤退して閉店しよう、と腹を括っていたけれど、ありがたいことに2021年に出店し、2023年には念願だった代官山に移転し、お店はかれこれ5年以上続いている。

もしかすると、お店という夢は、オープンした瞬間に完成するものではなかったのかもしれない。
誰かが扉を開けてくださるたびに。
ジュエリーを手に取り、鏡の前で笑ってくださるたびに。
また来ます、と帰っていかれる背中を見送るたびに。
あの場所は、少しずつ、私ひとりの夢ではない何かに変わっていった。
私が想像していた「夢が叶う喜び」とは、随分違う形だった。
でも、それは決して悪いことではない、とも思うのだ。
夢を叶えたのに満たされなかったとき、それは失敗なのではなく、自分が本当に望んでいるものを知るための、最初の違和感なのかもしれない。
けれど、当時の私は、まだ立ち止まってその声を聞くことができなかった。
お店を出した。でも満たされなかった。
ならば次は、もっとブランドを大きくしなければ。
そうして私は、また次のわかりやすい目標へと向かうことにした。
法人化。
このときの私は、次の夢を叶えれば今度こそ何かが変わると思っていた。
本気で。
<つづく>
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