32歳、法人化し、株式会社の代表になった日のこと
肩書きが変わっても、自分は自分のままだ、と思っていた。
——のに、なぜか少しだけ期待していた。
法人化。
このときの私は、次の夢を叶えれば今度こそ何かが変わると思っていた。
本気で。
この連載は、一度丸ごと私の人生を振り返り、一つの物語に再構築してみようという試みの第21弾です。続きものですが、この記事だけで読み切りとしてお楽しみいただけます。
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きっと、お店を出したときと、同じ顔をしていたと思う。
ブランドをやるなら、いつかお店を持つ。
お店を持ったなら、いつか法人化する。
まるでそういうルートが、最初から敷かれているかのように。人生ゲームのようだ。私は次のマスに、コマを進めようとしていたのだと思う。
人生ゲームでは当たり前に決まっているように、結婚したら子供が産まれる、家族ができてしばらく経てば家を買う、そんなふうに。
ブランドをやったら、お店を出す。
ブランドが成長したら、法人化する。
私はずっと、その人生ゲームのような規定の物語を律儀に踏襲し続けてきたのだと思う。
お店を出す、というマスに、運良くルーレットが止まり実現することができた。でも皮肉なことに、コマを進めても進めても、天井を突き抜けるような喜びはやってこない。身体中に確かにまとわりつく静かな戸惑いを、私はまだちゃんと消化できずにいたままだ。
なのに、次のマスへコマを進めようとする。きっと、ゴールがある、と信じて。
株式会社。
代表取締役社長。
その肩書きになったら、世界はどう変わるんだろう。
きっと、私は私のままだろう。
会社員で仕事ができないポンコツだった私も、自営業になったあとの私も、何も変わっていない。
でも。
あの時、いる場所と役割が変わっただけで世の中の反応が変わった。
だからきっと、私は知りたかったんだと思う。法人化したら私の外側の反応はどう変わるのか。そんな好奇心の方が強かった。
✴︎
「maruoさんは、職人になる人じゃないよ」
法人化の話をする前に、少し時間を巻き戻したい。
私が会社を作る、決断の本当の入り口になった出来事のこと。
コロナで海外に行けなくなり、時間だけがぽっかり空いていた頃。ブランドの成長のために、何かしらの分野でレベルアップしようと思い立った。
そして思いついたのが、彫金。
そうだ、彫金を習いにいこう。
シルバージュエリーや、もう少しハイジュエリーに近いものも作れるようになりたい。ブランドの価値をできるところから上げていきたい。そんな思いがあった。
そんな気持ちで、最終的に恵比寿の彫金スクールに30万円を払って入ることになる。
3回か、4回。通っただろうか。
正直に記録しよう。
私は彫金に、なんともあっさりとすぐに飽きてしまった。
彫金という作業は果てしない。たった1個のリングを作るのに、途方もない時間をかける。こんなに世の中が進んでいるのに、ここだけなぜこんなにアナログなんだ、と震えるほどに時間をかける。
途方も無い時間がかかる上、ちょっとの磨き方、削り方の具合で完成度が変わってしまうのも特徴だろう。彫金にのめり込む特殊な才能を持った方々はこれが醍醐味だという。もはや尊敬の念すら生まれる。私はこの、「やり方が決まっている」ことが大の苦手分野だ。やるまで気づかなかった。
同じ作業を延々とずっと繰り返すわけだが、そのアトリエに通う人たちは誰一人文句も言わず(そりゃそうだ)、黙々と集中して削って、磨いている。当たり前のように何日もかけて、たった1つのリングをつくる。月に数百点のファッションアクセサリーを作っている私からすると、こんなに時間をかけて私の人件費が載って、このとんでもなく労力のかかったリングはいったいいくらで売ればいいんだ?と途方に暮れる。
これは、本当に"私がやること"なんだろうか。
細かくて、時間がかかって、地道だ。それが悪いという話では断じて、ない。ただ、私には向いていなかったし、とにかく下手だった。絶望的に無能だった、というだけの話だ。そして、この作業をやっている間、いくつもの普段の仕事は自然と皺寄せされてゆく。これでいいのか──?習いたくて始めた彫金だったが、実際に彫金をやればやるほど、焦りが募ったのが正直なところだ。
✴︎
そんな(悲しいけれどすぐにやめてしまうことになる)彫金を習おうとしたとき、いくつかの探した。その過程で、目ぼしい教室にアポイントを取り、実際に足を運んで、体験をさせてもらっていた。
その中の一つに、小さなアトリエで、たった一人で彫金をやっている職人さんと出会う。家から近かったこともあり、その方のところへ行ってみることにした。
彫金というのは、前にも述べた通り途方もなく時間がかかる仕事だ。細部に細部を重ねていくような、気が遠くなるほどの集中と反復。その日は体験ということで、少しだけ手を動かさせてもらった。
正直、その作業自体に面白さはなかったというのが本音だ。でも、私はあることに夢中になった。作業をしている時間よりも、その職人さんの手元を見て、作業を垣間見て、彼の話を聞いている時間だった。
「わあ、こんなことができるんですか」
「すごい。この技術を使って、例えばこういうのって依頼できますか」
「なぜ職人の道を志たんですか?」
気づいたら、そんな質問ばかりしていた。作る側としてではなく、頼む側として、その人の技術を見ていた。そして、職人さんのバックグラウンドがとても気になり、興味深かった。
体験作業を終えたのち、本来は教室の費用のことやらどういった流れで通うか、という話をする時間が設けられた。のだが、その時間、職人さんは一切教室の説明をせず、静かにこう言った。
「圓尾さんは、職人になる人じゃないよ」
——え?
「圓尾さんは、仕事を作れる人だから。自分で作っちゃダメだと思うよ」
続けて、こう言われた。
「仕事が作れる人って、なかなかいないから。きみが職人になっちゃったらもったいないよ。君みたいな人が、僕みたいな人に仕事を依頼するんだ。だから、うちでは受け入れられません」
想定していなかった言葉と流れに一瞬、時間が止まる。
そして、なんだか否定された気がした。
胸の奥がちくっとする。私はただ、彫金を習いたくて来ただけなのに。作らせてもらえない、拒まれた、そういう痛みが、一瞬だけよぎった。
でもその痛みは、驚くほどすぐに引いていった。
そして代わりにやってきたのは、なんだろう——ずっと薄く立ち込めていた霧が、すっと晴れるような感覚だった。
ああ、そうなんだ。
職人さんの言葉によって、何かが腑に落ちる音がした。
でも、それはうまく言葉にできなかった。
そのときの私は、やっpり彫金を習いたい気持ちの方がまだ強かったし、ここでは通わせてもらえないんだ、と落ち込む気持ちも拭いきれなかった。門を叩いてぴしゃりと閉められた感じだ。でも、自然と嫌な気持ちはしなかった。彼の優しい心遣いのこもった言葉とともにいただいたからだろう。
私は職人さんからその言葉は頭の片隅に置いたまま、結局、私を受け入れてくれる別のスクールへ通うことにした。
でも、結局続かなかった。
同じことを、ずっと繰り返すこと。
それが、苦痛すぎた。すぐに、足が遠のいた。
入会金や2年分の会費を併せて30万円くらいした。安い金額ではない。自分にとって学びにこんな大金を投資するのは初めてだった。
でも。通わなくなったことに、いいのか悪いのか、私はまったく後悔していなかった。むしろ、なるほど、と妙なすっきり感があった。
やってみた。
だからこそ、わかった。
私は職人にはなれない。向いていない。
——やっぱり、そうなんだ。
あの職人さんの言った通りだった。
30万円という痛い金額を払って、やっと私は職人さんの言っていた言葉をまっすぐ受け取ることができたようだ。
「圓尾さんは、仕事を作れる人だから。自分で作っちゃダメだと思うよ」
私は力無く笑う。ちょっと遠回りしちゃったけど、やっと理解しました。そう職人さんに伝えるように。
私はあるいは、仕事を作る側の人間なのかもしれない。
幸いにも、それを人に頼めるくらいの規模までブランドは育っている。そして、不幸にも「時間をかけて作る」ということに耐えられない性質を持ってしまった。
だとしたら、人にお仕事を依頼して作りたいものを実現させればいいのではないか。そしてむしろそうなってくると、全部を自分でやろうとすることは、誰かの仕事の機会を私が奪っていることにもなるんじゃないか。
そして、ようやく決めることができた。
一人でやるのはやめよう、と。
26歳の時、たった一人で始めたブランド。自分の名前で生きていく。そんなことを実現するべくスタートしたブランド。
32歳のとき、私は「一人でやるブランド」を卒業する、と決められた。
それに、一人でやるのはやめよう、と決めたのにはもう一つ理由があった。
一人でブランドをやっていると、何かの拍子に——たとえば、炎上のようなことが起きたときに——心がぽきっと折れて、また簡単にやめてしまいそうな気がしていた。
チームにすれば、会社にすれば、私はもしかしたら、続けられるかもしれない。
……なんて。
いや、それは綺麗ごとだな、と今なら思う。
口当たりのいい、綺麗ごとだ。
でも、あの職人さんの一言が、決定打だったことは間違いない。
じゃあ、お仕事を頼みやすい器になる場所を、ちゃんと用意しよう。
そうして、株式会社を作ることにした。
私にとって、あの職人さんに出会えたことは、結構大きな幸運のひとつだと思う。「仕事を作る人だ」と言ってもらえたこと。誰もがもらえる言葉ではないだろう。私が憧れる種の人に、そういってもらえたこと。
餅は餅屋だ。
オーケー、ならば全うしよう。その道を。
✴︎
定款の欄に、増えていく言葉
税理士さんに、司法書士さんを紹介してもらい、手続きは淡々と進んだ。全部でかかった費用は20万円ほどだったと思う。
法人化の過程で、定款というものを作らないといけない。会社の、いわばお約束ごとを記した書類だ。司法書士さんとの打ち合わせで、事業内容を伝えた。
「コスチュームジュエリーの仕入れ、製造販売、卸売りをしています」
言い慣れた事業内容を伝える。私にとっては、もう何年も当たり前にやってきたことだったから。でも、返ってきた言葉が意外なものだった。
「ハンドメイドから始まって、ここまでの売上規模に育てているというのはその分野で一つの仕事になれるくらいの武器ですよ」
はあ……、とどういうことかよくわからず口籠る。武器。
「事業内容の欄に、ブランドのコンサルティングも入れておきますね。きっと今後、そういう需要も出てくると思うので。セミナーとか、講座とか。今は売上を公開していないんですか?公表すればそういうお声、絶対かかりますよ」
自分がやってきたことに、そんな言葉がつくとは思っていなかった。当たり前すぎて見えなくなっていたものを、他人の目で照らされた感じがした。
セミナー。講座。コンサル。やるかねえ……できる気もしない。ただ、何度も定款を書き直すのは面倒だから、と言われるがまま、その一文も加えてもらうことにした。
書類の上に、自分でも見たことのなかった自分の可能性が、一行増えていく。あの彫金師さんのときと、まったく同じ感覚だった。
自分がやってきたことを、他人に話す。その人の目を通して、初めて、それが何であるかを教えてもらう。
私は、自分では気づけなかった輪郭を、また一つ、他者の声によってなぞってもらっていた。
人生とは不思議だ。
この瞬間には全く予期していなかったそれらのことは、その数年後に現実となってゆく。
✴︎
あの彫金師さんの一言は、今でも私の中に残っている。
何かを、全部自分でやってしまおうとするとき。
あの日の声が、ふっと蘇る。
「圓尾さんは、仕事を作れる人だから。自分で作っちゃダメだと思うよ」
——そうだった
任せよう。振っていこう。
法人化は、私に何か大きな変化をもたらしたわけではなかったのかもしれない。突き抜けるような喜びは、社長になろうが株式会社になろうが、今回もやってこなかった。maruo vintageというブランド名を大きく使って仕事をしていた手前、個人事業だろうか株式会社だろうが、国内の取引先さまは個人事業時代から大手とお仕事させていただいていたし、ほとんど何も変わっていない。(ように思う)
ただ、実際的なところで海外に行った時に「ちゃんとした人」として商談に進みやすくなったのは一つ明確な変化かもしれない。
そしてもうひとつ。
法人化する過程で私は新たに一つのことを知った。
自分が何者なのか——それは、自分の内側だけを覗き込んでいても、なかなか見えてこない。
他者の目を通して、初めて輪郭が見えることがある、ということを。
<つづく>
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