売れれば売れるほど、苦しかった。ブランド再スタートの裏側で
この連載は、一度丸ごと私の人生を振り返り、一つの物語に再構築してみようという試みの第19弾です。続きものですが、この記事だけでも読み切りでお楽しみいただけます。
このお話は、今から7年前のこと。1年間のパリでの生活とブランドの1年間休止に区切りをつけ、日本へ本帰国し、ブランドを再スタートさせた時のこと。
30歳、2019年9月19日。
私は、一年間暮らしたパリを離れ、日本に帰った。
そして、辞めようとまで思ったブランドを、
もう一度始めた。
このときの私はまだ知らない。
一年かけてようやく降りたはずの苦しみの車輪に、
わずか数ヶ月後、私はまた自分から飛び乗ろうとしていたことを。
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パリに居続けるか、日本に帰るかはずっと迷っていた。しかしある時、アーネスト・ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読んでいて気づいたのだ。
もし、きみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる。
なぜならパリは、移動祝祭日だからだ。
なるほどその通りだ、とストンと腹落ちしたのを覚えている。
そうだ、パリはずっと私と共にある。
ならば、どこにいようが、どこで暮らそうが一緒じゃないか。
長い間悩みの種だった大きな「どこに住むか」は、あっさりと答えを出すことになる。
そして私は、1年のパリ生活と、
1年にわたるブランドの休止にピリオドをうち、
日本に帰国し、日本でブランドを再開することに決めたのだった。
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物語が動く時には、それに相応しいスタートが必要だ。
ブランドを始めた人間が、「休止します」と宣言して1年も活動しないなんて、かなり珍しい行動だったと今になっても思う。
でもやっぱりその時間は必要だったし、どちらかというと正直なところ、ブランドを辞めたい気持ちの方が強かった。
なぜなら、ブランド休止はとてもネガティブな理由だったから。
しかし「ブランドを休止する」ということを自分で決断したこととはいえ、それでも1年間働かずにいるというのは、かなり応えた。
全然違う仕事をすることだってできた。
でも、何もする気がおきなかった。
語学学校に通って、旅をして、カフェに行って。
傍から見れば、夢のようなパリ暮らしだったと思う。
でも私の中には、ずっと小さな空洞があった。
私はいま、何者なんだろう──。
働かず、何も生み出さず、ただお金を使って生きている。
社会から少しずつはみ出していくような、奇妙な疎外感があった。
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だから。
一度「辞めたい」と思ったブランドを、もう一度やろう、と決めたのだ。
そんな思いの変遷や再スタートにあたっての決意は、どこにも書いてこなかった。Instagramに書くのはなんだか気が引けたし、noteに書くのも(当時は)気が乗らなかった。でも誠実にちゃんとファンのみなさんに、待ってくださっている皆様にお伝えしたい。
そう思い、私はある1つのことを決める。
──再スタートの決意と1年間のことを綴った、本を作ろう。
そこに、すべての思いの丈をしたためること。
お客様に、この1年、いやこれまでのブランドで、私が何を思っていたのか。
なぜ休止するに至ったのか。
何が本当は起こっていたのか。
書こう、と思ったのだ。
つまり、この人生の物語で書いているような赤裸々な思いを、ほとんど初めて、しっかりと語ろうと決めたわけである。
そして、それを手にしてくださった、読んでくださった方に、まずは新たに作るコスチュームジュエリーを届けよう。そう決意した。
本のテーマは「Re」。
再スタート、リスタート、の意味を込めて。

そして、この本に、再始動のPOPUP参加券を抱き合わせ、人生2度目のクラウドファンディングに挑戦すると決めた。
東京POPUP、限定150名様。
大阪POP UP、限定100名様。
名古屋での限定カスタムオーダー会。
クラファンの必勝方法が細かく書かれたこの本を読んで、その通りに行ったところ、クラファン公開と同時に、これらのリターンが数分で完売した。
久しぶりに味わう感覚だった。
少なくとも250人以上の方が、maruoというブランドの再開を、日本で楽しみに待ってくださっていること。
500名以上の方が、この本を買うと決めてくださったこと。
その「誰かが待ってくださっている状態」で帰国できるのは、涙が出るほど嬉しかった。私はここぞとばかりに帰国前最後の買い付けに精を出し、制作をはじめ、日本に1年ぶりに帰国した。
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イベント準備を進めるかたわら、本の仕上げ作業を一緒にやってくださる方を募り(それもクラファンのリターンにしていた)、ご支援くださった方々と一緒に作業。
すると……
なんということだろうか。
一緒に作業くださった方が、サプライズの特大ケーキをプレゼントしてくださった。

本当にびっくりした。
1年全く活動していなかったのに、待っててくださっただけでも嬉しいのに。こんなありがたいことが……
自分が、というよりも、「maruo」というブランドがいかに愛されているのかを痛感する出来事となった。
こんなサプライズ、人生で始めて経験した。
本当に嬉しかった。
でもどこか、これは「みんなが期待しているmaruo」に向けられたもので、"本当の私じゃない何か"に向けられたものなような気がして、100%手放しで受け取れなかった心の寂しさを、今でも手触り感をもって覚えている。
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そして、クラファンのリターンの1つとしていた帰国パーティも開催。
「非現実空間を作りたい」という夢を叶える。



何事も経験。
華やかな経験を一度やってみて、たくさんの方にお越しいただきかけがえのない時間となった。
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休みなく作り、生産依頼し、各イベントのスタッフさん手配、オペレーション組み。休止前の自分に戻りつつあった。今思い返しても、帰国後3ヶ月は、どう過ごしていたのかわからないほど怒涛の勢いで過ぎ去ってゆく。

そして、POP UPに向けて、きてくださった方のサプライズプチギフトも手配し、準備。

そして、迎えた150名限定の東京POPUP。
slobe IENAさんにご相談させていただき、店舗の大きい自由が丘店で単独POP UPを開催いただいた。

用意した商品は、すべて完売した。
一年間、ブランドを止め、
辞めようとも思った。
日本を離れた。
それでも戻ってきた私を、こんなにもたくさんの人が待っていてくれた。
──戻ってきてよかった。
たぶん、この瞬間だけを切り取れば、
誰が見ても「最高の再スタート」だったと思う。
私自身も、そう思いたかった。
けれど。
気づけば私はまた、
無心で、
作って、作って、作り続けていた。

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そして、なんとかクラファンリターンで設定したイベントが一通り終わった時。ほっと一息着く間もなく、仕入れたパーツがもう全くなくなってしまっていたのでまたヨーロッパに買い付けにいく必要に迫られた。
作っても作っても、足りなかった。
イベントにきてくださる方ががっかりしないように。
もっと作らなきゃ。
もっと生産しなきゃ。
もっと広げなきゃ。
買えないって悔しがる方々、行けないって残念がる人たちをもう見たくない。だから、もっと、もっと──
だって1年、ずっと待っててくれたんだから。
これじゃ足りない。
もっとしなきゃ。もっと還元しなきゃ。
どんな成功に見える結果になっても、
焦燥感が消えない。
申し訳なさが募る。
いや、申し訳なさが、勝つ。
苦しかった。
そして同時に思う。
1年間のゆったりとした人生の夏休みのような時間を経験したあとでの、この怒涛の3ヶ月。それはまるでパリに逃亡する前の自分に戻るようで、正直この言葉が頭によぎらざるをえなかった。
このままで、わたし本当にいいんだろうか──
完全に同じ車輪の中に入ってしまっていることを無視できなかった。このままこのやり方を、パリに来る前と同じ方法出続けるんだろうか。このまま、全く同じことを繰り返すのか。
いやだ、わたし、そのためにパリにいったんじゃない──。
✴︎
そんな時だった。
1通のお客様からメールが届いた。
それは、作った本を読んでくださった方からのメールだった。
hitomiさん、本、読みました。
hitomiさんがブランドをやるのが、こんなに辛かったなんて。hitomiさんもこんなに苦しかったなんて。全然気づきませんでした。
hitomiさん。たくさん作らなきゃ、なんて、私たちのために自分を犠牲にしなくていいんですよ。3個しか作れなかった、でもいいんです。いや、1個しかつくれなくてもいいじゃないですか。べつにいいんです。いいんですよ。hitomiさんが楽しんで作れることが、一番なんです
わたしはこのメールを読んで、スマホを落とした。
声を上げて泣いた。
崩れ落ちて、わんわん泣いた。
一年間パリに行って、あれだけ考えたのに。
私はまた、自分で自分を苦しい場所へ連れていこうとしていた。
そしてそれを止めてくれたのは、
私が「もっと作らなきゃ」と思っていた、そのお客様だった。
お客様のために自分を犠牲にしようとしていた私を、そのお客様自身が止めてくれたのだ。
✴︎
皮肉なものだ。
デザインで戦えない、と悟ったわたしは、「売り方」で勝負しないと生き残れない、と痛感した。だから必死になってマーケティングを学んだ。ファンビジネスを形成するために死に物狂いで学んだ。
するとどうだろう。
面白いほど結果に繋がり、ブランドは熱狂を産んだ。
信じられないほどに、売れた。
学びとは、時に恐ろしく、
とてつもなく強い。
でも、正しい方法を知っていることと、
自分にとって正しい人生を生きられることは、まったくの別物だったのだ。そんなこと、気づく余地もなかった。
マーケティングが功を奏し、どんどん売れ、同時に買えない人が続出して、買えない人たちの不満にわたしは申し訳なさでいっぱいになる。
もっともっと自分が頑張らなきゃ、自分が頑張ればいいんだ、と自分を追い込む。
その限界がきて歯車がおかしくなって、私自身が自分を喪失して未熟さを招いて炎上してパリに逃亡したのに──。
私はまた、また同じことをしてしまいそうになっている。
なんて滑稽なんだろう、と虚しくなる。
泣きたくなる。
でも、必死だった。
そして、それにすがってもいた。
1年間社会からはみ出ていた孤独をかき消してくれていたから。
だから。
自分の滑稽なほどのがむしゃらさと、社会とのつながりへの切望と、お客様の優しい言葉に。
涙が出た。
堪えきれないほどに。
不思議な現象だ。
売れれば売れるほど、完売すればするほど、苦しくてしかたがなかった。なんて、誰が信じてくれるだろうか。
でも、それが私にとっての真実だった。
応援されればされるほど、怖かった。
何かが壊れそうな気がして。
また、おかしくなってしまいそうな気がして。
何かを変えないと。
何かを。
でも、どうすれば──
そんな暗中模索の洞窟に入りかけた瞬間、世界を未曾有の出来事が襲う。
<つづく>
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