「来てくれてありがとうね」――そのあと、本堂に響いた音
まだ私が五歳くらいの頃、
近所に住んでいた幼なじみの
Aちゃんのおばあちゃんが亡くなった。
おばあちゃんはとても優しい人で、
Aちゃんがいない日でも私の相手をしてくれた。
だから私は、Aちゃんだけでなく、
おばあちゃんにもよく会いに行っていた。
そのおばあちゃんが亡くなった。
私にとって、それは人生で初めてのお葬式だった。
Aちゃんの家の隣には尼寺があり、お葬式はそこで行われた。
引き戸を開け、玄関のたたきから一歩、
床へ足を踏み入れた、
その瞬間だった。
「来てくれてありがとうね」
はっきりと、おばあちゃんの声が聞こえた。
私は驚くよりも先に感動した。
「すごい! この床を踏むと、
おばあちゃんの声が聞こえるんだ!」
そう信じた私は、
もう一度聞きたくて玄関を出ては入り、
出ては入りを繰り返した。
玄関をぐるぐる回りながら、
何度も同じ場所に足を踏み入れてみた。
でも、声が聞こえたのは最初の一度だけだった。
そのうち、玄関でいつまでも
ぐるぐるしている私に業を煮やした母が、
「いつまでそこで遊んでいるの。こちらへ来なさい」
と私の腕をつかみ、そのまま本堂へ連れて行った。
本堂にはすでにお葬式の支度が整い、
祭壇には白い菊に囲まれたおばあちゃんの遺影が飾られていた。
私は見よう見まねで
母と一緒に手を合わせた。
近所の人たちも、一人、
また一人と祭壇の前へ進み、
静かに焼香をしていく。
その中に、私もよく知っている近所のおばさんがいた。
おばさんが遺影の前に座り、
静かに手を合わせた、
その瞬間だった。
パァーーーンッ!!
本堂中に響き渡るほどの大きな音がした。
おばさんの手に掛けられていた水晶の数珠が、
まるで何かに弾き飛ばされたように四散したのだ。
透明な玉は畳の上をころころと転がり、
本堂のあちこちへ散っていく。
一瞬、空気が止まった。
それでも尼さんは落ち着いた様子で、
「大丈夫ですよ」
と声を掛け、
散らばった数珠を一つひとつ拾い集め、
おばさんへ手渡した。
おばさんは震える手で、
それを受け取っていた。
後から聞いた話では、
そのおばさんは、
おばあちゃんにかなりの額のお金を借りていたという。
それが数珠の切れた理由なのかは、
もちろん分からない。
ただ、
「来てくれてありがとうね」
と優しく聞こえたあの声と、
数珠がはじけ飛んだあとの張りつめた空気。
その二つは、
同じ場所で起きた出来事とは思えないほど、
まるで別の世界のようだった。
五歳だった私にも、
その違いだけははっきりと感じられた。
Aちゃんは、
おばあちゃんが亡くなって
半年ほどすると引っ越していった。
それ以来、一度も会っていない。
そして、お葬式が行われたあの尼寺も、
住職が亡くなられたあと廃寺になったと聞いた。
今では、その場所を訪れることもできない。
それでも私は、ときどき思い出す。
あの日、
玄関で聞こえた「来てくれてありがとうね」という声は、
いったい誰の声だったのだろう。
そして、畳の上を転がるキラキラと光る水晶の玉を、
一粒ずつ静かに拾い集めていた、
尼さんの厳しくも美しい横顔を。
今回は、数珠がはじけ飛んだ話を書いた。
実は、私自身にも数珠が切れた体験がある。
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