【自伝43】手紙と別れと誕生日
約10ヵ月の休職後、
私は実家から働きに出るようになった。
博物館という場所柄もあり、職員さんも研究者タイプの人が多く、業務内容も、傷付いた心でも働ける、落ち着いたものであった。
そして私は彼にようやく手紙を書いた。
口頭では伝える勇気がなかった。
ずっと隠してきた『てんかん』の事。
薬を飲んでいる内は子供を産めない事。
母には、「てんかんが治るまで隠しておけ」と言われていたが、彼に隠したままなんて嫌だった。もし告白して、それで終わるなら終わればいい。友達にも会社にも隠してきた事を、人生で初めて伝えたいと思ったのだ。
結果、てんかん持ちという事で捨てられる事はなかった。
でも彼の家族の問題は変わらない。
相変わらず、母の口から出る言葉は、
未来を決め付けた発言ばかり。
毎日繰り返される母の暴言を止める為、
私達は一度別れてみる事にした。
一度別れてみたら、
母の暴言が落ち着くかもしれない。
一度別れてみたら、
お互いに意外と平気かもしれない。
一度別れてみたら、
他に好きな人ができるかもしれない。
お試しのお別れ的な感じで。
母には「別れたから」とだけ伝えた。
それでも、母の暴言は止まらなかった。
別れた後の私の日記も、相変わらず悲観的な言葉が並んでいた。
「母の一言一句が怒りを誘発する」
「私に明るい未来なんて似合わない」
「経験によってひがみ根性が育つばかり」
「周囲に恵まれなければ全て悲しい徒労」
「他人の苦労話聞いても大したことない」
「悲観と卑屈のアンサンブルは耳に痛い」
「将来に浅はかな希望など持たず」
「神様、これ以上の試練は与えないで」
「毎日耐えるように息をする」
「身体しんどい、腰もおかしい、あちこち痛い、ご飯も美味しくない」
「今更ラクをしようとは思わないが、ラクになりたいとは思う」
「感じる事の大半が、命の消耗につながっているようだ」
「生きる事は特に素晴らしい事ではない」
母の暴言が止まらないのなら、
別れた意味もない。
私は、良いのか悪いのか分からないまま、
もういいや、と思って、約3ヶ月ぶりに彼に会いに行った。
会ってみたら普通で、今まで距離とっていたの無駄だったな、と思った。
彼の元で安心し、久しぶりによく眠れた。
別れた期間中に私の26歳の誕生日があったのだが、なんと彼は私に誕生日プレゼントを買ってくれていた。
「渡せるかどうか分からないまま買ったんだけど、渡せて良かった。」と。
白い革ベルトの腕時計だった。
私は、親にさえ、誕生日を祝ってもらった記憶がない。バースデーケーキも食べた事すらない。「子供に生まれてきてくれてありがとうなんて思わん!お前が勝手に生まれてきたんや!」と豪語する母が、パーティーなどするはずもない。
遠い昔、父が食卓で「今日は蓮ノ花の誕生日やな。」と言った時でさえ、「誕生日!?それが一体どうしたんや!?」と母はキレた。
それ以来、
私の誕生日はカレンダーから消えた。
私は腕時計に感動した。
誕生日なんてただの生まれただけの日、
といつも流していたのに。
友達からおめでとうと言われても、
社交辞令だと思っていたのに。
たかが腕時計ひとつだが、
私は彼と未来に向かって歩き出す事にした。
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