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【自伝7】てんかん発症。差別され、隠された私は一体何者?

まだ幼かった我が身に、こんな悲劇が現実に起こったなんて、自分でも信じられない。


やっとできた友達

小4の時は、Yという仲の良い友人がいた。
今振り返れば、利発で目立ちたがり屋のYと私が、仲良かった事が不思議でならない。

とはいえ、この頃の私はおとなしい感じではなかった。授業中もたくさん手を挙げて発表していたし、Y以外の子とも明るく遊んでいた。休日もYとはお互いの家にもよく遊びに行っていたし、クラス替えの希望も、委員会の希望もYと同じにして、いつも一緒だった。
Yと仲が良い事で、自分に自信がついていたのかもしれない。いじめられっ子の経歴はあるものの、元々成績は良く、外見も中の上はあった。

楽しい学校生活に必要不可欠なもの。
それは友達だ。
それがやっと私にもできたのである。
だから神様、私から友達を奪わないで。

てんかん発症

しかし、小4の途中で「てんかん」を発症。
初めての発作は、夜寝ている時。私はうめき声をあげながら白目をむいていたらしい。
父が必死で私の名を連呼していた事を今でもはっきり覚えている。
すぐ病院で検査をし、てんかんと判明。
私は意識を失うタイプの発作ではなかったから、発作で身動きがとれなくても、親の反応やパニック度合いが分かる。それが結構辛かった。

母からの差別

信じられない事に、母は私に何の病気なのか、どういう病気なのかを教えてくれなかった。この時の私は不安を通り越して、
自分が何者なのかすら分からない、
どう生きていけばいいのか分からない、
という境地にまで堕ちた。

何やら変な発作が起きる頭の病気らしい、という事は分かる。でもどれだけ問い詰めても、母は病名すら教えてくれなかった。
理由としては、「お前が外でうっかり病名を口走ったら終わりやから。」だそうだ。
それだけでなく、「絶対外で発作を起こしたらいかん。白い目で見られるけん。」
「だから絶対薬を飲み忘れたらいかん。」
とも言われていた。
自分でコントロールできない発作を、絶対外で起こすな、という言葉は、9歳の子供にとってどれだけ恐怖で重荷だったろう。
しかも病気についての説明が無い状態で。
とりあえず薬を忘れずに飲んでいればいいのか、と理解するしかなかった。

これはれっきとした、母からの差別である。
我が子の心よりも、世間体を一番に守る。
母の対応が、私を奈落の底へ突き落とした。

「私は何やら世間にバレたら生きていけないほどの恐ろしい病気を持っているんだ。」

こう解釈した私は、自分の心を重厚な鉄扉で閉ざし、固く鍵をかけた。

失った友達

てんかんの薬は、過剰な脳の働きを抑える作用を持つ。薬の副作用か、もしくはてんかんそのものの影響により、私はだんだんコミュニケーション障害のようになり、学力はみるみる落ちていった。事実、軽い脳障害児だった訳だ。

仲良しだったYは、私の変化に気付いたのだろう。今までは給食が遅くても責めてこなかったのに、「もう、早く食べてよ!外に遊びに行けんやん!」と怒ってくるようになった。私は申し訳なさに耐えきれず、「もう私を待たずに先に遊びに行っていいよ。」と言った。それ以来、Yは私を捨てた。
4年の終わり頃だったと思う。

Yは他の子と仲良くなり、私の事は、今まで共に過ごした時間が全く無かったかのように、全く相手にしてくれなくなった。

Yと一緒に入った放送委員会は、5年から活動が始まったが、最悪の場所と化した。
元々目立ちたがり屋のYが、一緒に放送に入ろうと誘ってきたのだが、私は人前で上手く喋るのは苦手だったので(授業中の発表はしていたが)、何度も放送はイヤだと断っていた。それなのにYがしつこく入ろう入ろうと言ってくるので、仕方なく放送委員に希望を出したという経緯だった。
てんかん発症後「変な子」的な扱いを受けるようになっていた私は、放送委員会でも孤立した。みんな気が強いし、顧問も生徒もみんな私をバカにしてるし、「なんでアイツ放送になんか入ってるワケ?場違いじゃね?」みたいな雰囲気で、本当に地獄だった。
ケーブルの種類や機器の操作が分からないと、顧問にも生徒にも笑われた。
各曜日の担当を決める際も、月~金は2名ずつ、土曜は1人の割り振りだったので、顧問は「土曜は(私の名)でいいな~?」と皆の前で発言し、私もそれに従うしかなかった。
1人で担当する方が気楽ではあったが、1人で集団下校の放送をして、音楽を流し、全校生徒が帰って行く様を見下ろしていた心境は、本当に孤独であった。
Yのせいだと思った。
裏切られたと思った。
Yに合わせて放送に入ってあげたのに。
なぜ私は捨てられたように扱われて、
Yは楽しく学校生活を送っているのか。

Yはその後も目立ちたがり屋の優等生まっしぐらで、中学に上がってからも生徒会長に立候補したりしていた(落選していたが)。
てんかん以来、私とは一切接点の無い人となったが、ずっと私を見下している事は明白だった。中学の吹奏楽部で、私がタンバリンやカスタネットやトライアングルを演奏している姿を馬鹿にしていたという噂が耳に入ったからだ。
いずれにせよ、たとえ私がてんかんになっていなくとも、たとえ給食を食べるのが遅くなかったとしても、こんな性格のYとの友人関係など、どうせ続いていない。




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