発達障害の私が吹奏楽を経験した結果
こんにちは、発達障害マダムの大磯りんご飴です!
私は子供の頃に音楽教室に通っていて、その影響で吹奏楽の世界に足を踏み入れた事がありました。
今回は音楽教室から吹奏楽に至るまで、私の波瀾万丈の音楽人生についてお話ししたいと思います。
音楽の世界と私
音楽の世界とのお付き合いは幼稚園に入る前から始まっていまして、記憶は曖昧になってしまいましたがお歌遊びの教室に連れて行ってもらっていました。
幼稚園に入ってからは音楽教室でエレクトーンのレッスンを受けて年1回の発表会にも参加し、小学校中学年で転校してからはピアノ教室で音楽を嗜んでいました。
金管楽器を始めた小学校時代
転校先の小学校で行われた学芸会で金管バンドクラブの演奏を聴いた私は、華やかな衣装に身を包み金管楽器を奏でる彼らの姿をかっこいいと感じて憧れを抱き、自分もあの中に入って同じように演奏したいと思いました。
数ヶ月後にテストに合格し金管バンドクラブの仲間入りを果たし、生まれて初めて金管楽器のコルネット(トランペットより少し小さいラッパ)を手に取った時の感動は今でも憶えています。
コルネットを演奏しているうちに、今度は入部2年目以降の児童のみが演奏できる大きな低音楽器に憧れを抱くようになり、2年目に入ってからは希望が通りチューバに持ち替える事になりました。
同じ金管楽器でも大きさが違えば演奏方法も変わるものでコルネットとは違う感覚に戸惑いもありましたが、すぐに慣れてチューバの演奏を楽しんでいました。
音楽の厳しさを痛感した中学校時代
中学校に進学し、金管バンドクラブで苦楽を共にした仲間達のほとんどが運動部に入った中、運動が嫌いだった私は吹奏楽部に入るという選択肢しかあり得ませんでした。
入部当初はフルートかトランペットに興味がありやってみたいと思っていましたが、テナーサックスの先輩からの勧めでアルトサックスを体験した事によりそのままの流れでアルトサックスの担当になりました。
正直強く惹かれたわけではない楽器でしたが、私にサックスを勧めた3年生の先輩が大らかで優しかったのでそれなりに安心感を覚えていました。
吹奏楽部で初めて知った道具にチューナーと呼ばれる機械があり、それを使って音程(音の高さ)をチェックし調整していましたが、この音程の微調整がどうも上手くいかず大変な思いをしました。
1年生の夏休みが終わってからは優しかった3年生が引退し2年生中心の新体制になりましたが、2年生の中でも一番厳しい先輩が部長になった事で部内の雰囲気は厳しくなりました。
音程を調整したり周りと溶け合うのが下手だった私は先輩や同期からとりわけ厳しくガミガミ言われ、喧嘩をした事も1度や2度ではありませんでした。
運動部が主流だった中学校での文化部をどこか恥ずかしく思ってしまっていた事と、当時片想いをしていた人が別の部活だった事もあり、次第に部活の時間を楽しいと思えなくなりました。
それでも全てが苦痛だったわけではなく、ベートーベンの交響曲第9番の演奏会に合唱団の一員として参加するための歌の練習は楽しく、プロの指揮者やオーケストラ、ソリストの歌手達と同じステージに立った演奏会本番はいい経験ができて良かったと今でも思っています。
音楽より恋に生きた高校時代
中学校時代の嫌な思い出から高校では音楽を続けるつもりはありませんでしたが、何となく気が向いて吹奏楽部の見学に行きました。
何度か見学に行き先輩達と交流をした結果、これまで音楽をやってきたから流れで何となくが半分、そして先輩の中にいたイケメンの人と仲良くなりたい気持ちが半分で、結局吹奏楽を続ける事にしました。
経験者のほとんどが中学校と同じ楽器を選ぶ中、私は過去に経験した楽器はやりたくなかったのと、中学校にホルンがなく新鮮さを覚えたという理由でホルンの担当になりましたが、世界一難しい金管楽器と言われている事を後から知り、知っていたら最初から選ばなかったと後悔しました。
それでも部活自体は中学校時代に比べて楽しいと感じ、特に前述のイケメンの先輩に恋をしてからは学校生活に懸ける情熱のほとんどを部活に費やしていました。
イケメンの先輩を好きになった女子は私以外に何人もいて、練習に気合いを入れずアプローチばかりしていた私に敵意を向けてきた恋敵もいました。
顧問教師は気さくで感じが良く卒業後も交流を持った数少ない教師ですが、吹奏楽には厳しく何度も駄目出しをされてきました。
特に私が人一倍言われたのは中学校時代と同じで、まるで集中攻撃をされたように感じ癇癪を起こした事が幾度となくあり、その度に他の部員と喧嘩をしてきました。
同じホルンの後輩達は私と違い中学校時代から続けてきた経験者でホルン歴は私より長く、上級生のくせに彼女達の足を引っ張っている事がコンプレックスで、それもプライドが傷つき癇癪を起こす原因になっていたと今になって思います。
キレ散らかしまくりの問題児だった私でしたが、2年生まではイケメンの先輩、3年生になってからはいつの間にか好きになっていた同期と接点を持ちたいがためにしつこく活動に食らい付き、動機はどうあれ引退まで留まれたのは自分でも頑張ったかなと思います。
↓同期に恋をした経緯はこちらにも記載していますので、気が向いたら参考にして下さい。
卒業後、市民吹奏楽団の活動に参加した事もありましたが、高校時代に苦楽を共にした同期達が一緒じゃなかった事もありすぐにやめてしまい、それ以来楽器は全くと言っていいほど触った事はありません。
吹奏楽をしていた時代を振り返って
楽しかった事から苦痛に感じた事まで、吹奏楽を通じて様々な出来事がありましたが、現在の私はこれをどう見ているのでしょうか。
音楽という行為は好きだけど小さな事にすらシビアな音楽業界が嫌い
「こんなに笑えるクラシックがあったのか」
このキャッチコピーで人気を博した"のだめカンタービレ"という漫画とは高校時代に出会い、卒業後にドラマ化した事で熱中するようになりました。
主人公カップルののだめと千秋先輩は初期は日本の音大で活動し中盤からフランスに舞台を移すのですが、終盤でのだめの音楽院の教師が彼女をこう評しました。
「彼女は音楽は好きですが、基本的にこの業界が嫌いです」
この台詞を見た時、私は自分の事のように感じのだめに共感しました。
「自由に楽しくピアノを弾いて何が悪いんですか⁉︎」
作中ののだめの台詞ですが、上述の教師の台詞を見た後はより一層自分の事のように思えました。
のだめは千秋先輩と出会った時に演奏したピアノ曲を弾いて立ち直り音楽と向き合う覚悟を手に入れましたが、彼女のようなきっかけがなかった私はそのまま音楽業界からフェードアウトしました。
興味がある事には殊更強みを持つASDの私が現在吹奏楽を続けていないのは、幼い頃からの惰性で何となく続けていただけで本当はそこまで吹奏楽が好きではなかったのかなと、今になって思うようになりました。
そう考えた時、練習が苦痛だと感じていた原因が分かり、幾度となく癇癪を起こす常習犯になったのも当然の事だと納得がいきました。
吹奏楽がきっかけで得られたもの
ただ、吹奏楽部に入った事を後悔しているかと言われれば、そんな事はありません。
高校時代にホルンの後輩と出会った事がきっかけで彼女が入れ込んでいたGLAYに興味を持ち、それ以降GLAYは私の人生に欠かせない存在になりました。
↓GLAYファンになった経緯はこちらも参考にしてみて下さい。
また、イケメンの先輩や練習態度を巡り何度も衝突してきた恋敵ですが、20歳そこそこの頃に彼女が働くエステに誘われて足を運んで以来美容についてサポートしてもらうようになり、現在は高校時代からは想像もつかない程全幅の信頼を寄せ良好な関係を築いています。
相談支援員さんや職場の人達から若々しいと言ってもらえる私がいるのも彼女のサポートがあってこそで、それを手に入れていない自分なんて怖くて考えられません。
このように、吹奏楽こそ続けていないものの部活がきっかけで得られた大切なものもあるので、全てを否定する事はできませんでした。
人生はどう転ぶか分からない
お歌遊びの教室や音楽教室に通っていなければ金管バンドに興味を持たず、金管バンドに入っていなければ吹奏楽の世界に足を踏み入れず、吹奏楽部に入っていなければGLAYやエステに出会えず……。
音楽と共にあった人生を振り返りながら今回の記事を書き、何が人生を変えるきっかけになるかわからないと改めて実感しました。
決していい事ばかりではなくむしろ苦痛が多かった音楽との人生でしたが、得られたものを考えれば悪い事ではありません。
今はまだ考えていませんが、創作小説のネタに吹奏楽を使ってみるのも悪くなさそうなので、機会があれば取材などもできたらいいなと思います。
次回は、私の社会復帰を手助けしてくれた就労継続支援A型事業所との出来事についてお話ししていこうと思います。
それでは次回の記事でお会いしましょう、ごきげんよう!
