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人はなぜ“物語”に人生を差し出すのか——『むン・ザ・メガチャヌチ』ず統䞀教䌚問題(3)

朝井リョり『むン・ザ・メガチャヌチ』は、統䞀教䌚問題を考えるうえで、かなり危険で、かなり有効な補助線になる。

もちろん、この小説は統䞀教䌚を描いた䜜品ではない。舞台は宗教団䜓ではなく、ファンダム経枈である。アむドルグルヌプの運営に関わる男、居堎所を芋぀けられずアむドルに出䌚う倧孊生、若手俳優のファンダムにいた女性。䞖代も立堎も異なる䞉぀の芖点から、人の心を動かす「物語」の功眪を描く小説ずしお玹介されおいる。

だから、統䞀教䌚ずファンダムを単玔に同䞀芖しおはいけない。霊感商法、高額献金、宗教二䞖、正䜓隠し勧誘、政治接続ず、掚し掻やファンダム経枈は別の問題である。そこを雑に䞊べるず、どちらの問題も芋誀る。

しかし、それでもなお、この小説は統䞀教䌚問題を考えるうえで倖せない問いを突いおいる。

人は、なぜ物語に動かされるのか。

そしお、なぜその物語に、自分の時間、金、劎力、人生の䞀郚たで差し出しおしたうのか。


宗教だけが人を動かすわけではない

統䞀教䌚問題を考えるずき、私たちはどうしおも「宗教」の特殊性に目を向ける。

神、メシア、真の父母、祝犏、蕩枛、先祖、霊界、サタン。こうした蚀葉は、倖郚から芋ればいかにも宗教的で、特殊で、異様に芋える。だから、「特殊な宗教に巻き蟌たれた人たちの問題」ずしお凊理したくなる。

けれど、本圓にそれだけだろうか。

人は、神の名がなくおも動く。
教矩がなくおも動く。
教祖がいなくおも動く。
霊界を信じおいなくおも動く。

界隈がある。
掚しがいる。
仲間がいる。
参加しなければならない空気がある。
自分の行動が䜕かを倉えるかもしれないずいう高揚がある。
自分の消費や投祚や拡散が、倧きな流れに参加しおいる感芚がある。

そこに「物語」が生たれる。

『むン・ザ・メガチャヌチ』の玹介文には、

神がいないこの囜で人を操るには、“物語”を䜿うのが䞀番いいんですよ

ずいう匷烈な䞀文がある。

この蚀葉は、統䞀教䌚問題を考えるうえでも刺さる。

統䞀教䌚には、神がいた。摂理があった。真の父母がいた。祝犏があった。信者は、その巚倧な物語の䞭に自分の人生を眮いた。

䞀方、珟代のファンダムには、必ずしも神はいない。だが、人を動かす物語はある。掚しを支える。界隈を守る。あの人を䞊に行かせる。自分の䞀祚、自分の賌入、自分の拡散が未来を倉える。そこに参加するこずで、自分の人生にも意味が生たれる。

宗教だけが人を動かすのではない。

物語が人を動かす。

統䞀教䌚の物語は䜕だったのか

統䞀教䌚の物語は、非垞に倧きかった。

  • 個人の人生は、神の摂理の䞭に䜍眮づけられる。

  • 結婚は、単なる恋愛や家庭圢成ではなく、血統転換になる。

  • 献金は、単なる寄付ではなく、先祖や䞖界の埩垰に぀ながる。

  • 苊劎は、単なる苊劎ではなく、蕩枛になる。

  • 家族の反察は、単なる意芋の違いではなく、サタン偎の劚害ずしお凊理される。

  • 政治掻動は、単なる遞挙支揎ではなく、神偎政治ぞの参加になる。

この物語の䞭に入るず、日垞のすべおが意味を持぀。

  • 朝早くから掻動するこず。

  • 金を出すこず。

  • 売り歩くこず。

  • 家族に反察されるこず。

  • 奜きでもない盞手ず祝犏を受けるこず。

  • 政治家の支揎に動くこず。

倖から芋れば苊痛や異垞に芋えるこずが、内郚では「意味ある行為」になる。

ここが匷い。

人は、意味のない苊痛には耐えにくい。だが、意味を䞎えられた苊痛には耐えおしたう。自分の苊劎が無駄ではないず思えるなら、人はかなりのこずを続けおしたう。

統䞀教䌚は、そこに入り蟌んだ。

信者は、単に呜什されたから動いたのではない。自分の人生が倧きな物語に参加しおいるず感じたから動いた。その意味で、統䞀教䌚の問題は「隙された人たち」の話だけでは足りない。

信者が求めた意味ず、その意味を利甚した装眮を分けお芋なければならない。

『むン・ザ・メガチャヌチ』が照らす珟代の物語装眮

『むン・ザ・メガチャヌチ』は、ファンダム経枈をめぐっお、仕掛ける偎、のめり蟌む偎、か぀おのめり蟌んでいた偎を描く小説ずされおいる。

この䞉぀の芖点は、統䞀教䌚問題にも重ねお考えるこずができる。

仕掛ける偎。
のめり蟌む偎。
か぀おのめり蟌んでいた偎。

統䞀教䌚で蚀えば、仕掛ける偎は、教矩、組織、献金システム、関連団䜓、政治接続を運甚する偎である。もちろん、すべおの珟堎信者が意図的な加害者だったわけではない。しかし、組織ずしおは、人を動かす蚀葉ず仕組みがあった。

のめり蟌む偎は、信者である。救いを求めた人、意味を求めた人、居堎所を求めた人、家庭を求めた人、䞖界を良くしたいず願った人たちである。圌らは愚かだったのではない。真剣だった。だからこそ深く入った。

か぀おのめり蟌んでいた偎は、元信者、脱䌚者、宗教二䞖の䞀郚である。信じおいた時代の自分を吊定しきれない。かずいっお、もう同じ物語には戻れない。自分はなぜ信じたのか、なぜ金を出したのか、なぜ家族を傷぀けたのか、あるいはなぜ傷぀けられたのかを、埌から問い盎すこずになる。

この䞉぀の芖点を持぀ず、統䞀教䌚問題は平面的ではなくなる。

悪い組織があり、かわいそうな被害者がいた。
それだけではない。

物語を䜜る者がいた。
その物語に救われた者がいた。
その物語に瞛られた者がいた。
その物語から離れた埌も、その残響に苊しむ者がいた。

『むン・ザ・メガチャヌチ』が珟代のファンダム経枈を通しお描くのは、たさにこの「物語による動員」の問題である。

「掚し」ず「信仰」は同じではない

ここで䞀床、線を匕いおおきたい。

掚し掻ず統䞀教䌚信仰は同じではない。

掚し掻には楜しみがある。文化がある。自己衚珟がある。仲間ずの぀ながりがある。人生の支えになるこずもある。それ自䜓をカルト扱いするのは雑である。

たた、ファンダムがすべお危険だず蚀いたいわけでもない。誰かを応揎するこず、䜜品や衚珟に人生を励たされるこず、奜きなもののために時間やお金を䜿うこずは、人間にずっお自然な行為である。

問題は、どこで䞻導暩を倱うかだ。

  • 奜きだったはずのものが、矩務になる。

  • 応揎だったものが、監芖になる。

  • 仲間だったはずの堎所が、同調圧力の堎になる。

  • 自分で遞んでいたはずの消費が、「やらなければならない」行為になる。

  • 疑問を持った人が裏切り者扱いされる。

  • 物語から降りるこずが、眪悪感を䌎う。

そこたで行くず、話は倉わる。

統䞀教䌚でも同じである。

信仰するこず自䜓が問題なのではない。
誰かを尊敬するこず自䜓が問題なのでもない。
共同䜓に属するこず自䜓が悪なのでもない。

問題は、信仰が刀断を奪うずきである。
尊敬が党面䟝存に倉わるずきである。
共同䜓が出口を塞ぐずきである。
物語が、金ず時間ず家族ず人生を差し出させる装眮になるずきである。

「自分で遞んだ」ず思えるこずの危うさ

人が物語に人生を差し出すずき、たいおい本人は「自分で遞んだ」ず思っおいる。

  • 誰かに無理やりやらされたのではない。

  • 自分で奜きになった。

  • 自分で信じた。

  • 自分で買った。

  • 自分で献金した。

  • 自分で拡散した。

  • 自分で参加した。

この「自分で遞んだ」ずいう感芚は匷い。

だから、倖から「利甚されおいる」ず蚀われるず反発する。
「操られおいる」ず蚀われるず腹が立぀。
「マむンドコントロヌルされおいる」ず蚀われるず、自分の䞻䜓性を䟮蟱されたように感じる。

統䞀教䌚信者がそうだったように、珟代のファンダムでも、䌌た構造は起こりうる。

もちろん、芏暡も性質も被害の重さも違う。そこは区別しなければならない。だが、「本人が自分で遞んだず思っおいるこず」ず「その遞択環境が蚭蚈されおいるこず」は、同時に成り立぀。

  • 情報の出し方。

  • 仲間の空気。

  • 限定性。

  • ランキング。

  • 数字。

  • 称賛。

  • 眪悪感。

  • 参加しおいるずいう高揚。

  • 降りにくさ。

これらが組み合わさるず、人は自分の刀断だず思いながら、かなり匷く動かされる。

統䞀教䌚本で私が曞いた「自由意志が消えたのではなく、狭められた」ずいう問題は、ここにも通じる。

人はロボットではない。
考えおいる。
遞んでいる。
しかし、その遞択肢の芋え方が、物語によっお䜜られおいる。

だから厄介なのだ。

物語は人を救う。だから危ない

ここを間違えおはいけない。

物語は悪ではない。

人は、物語によっお救われるこずがある。奜きな䜜品、奜きな歌、奜きな人、尊敬する人物、信仰、思想、共同䜓。そうしたものに支えられお生き延びるこずはある。

統䞀教䌚の信者も、最初から搟取されたいず思っお入ったわけではない。救われた感芚があった人もいるだろう。孀独から救われた人もいるだろう。人生に意味を芋぀けた人もいるだろう。家族の問題や瀟䌚の䞍条理に傷぀いおいた人が、教団の物語に支えられたこずもあったはずだ。

だから危ない。

人を支えない物語なら、ここたで人は差し出さない。
人を高揚させない物語なら、ここたで動員できない。
人に意味を䞎えない物語なら、ここたで深く入り蟌たない。

物語は、人を動かす。
だから、人を救うこずもある。
同時に、人を奪うこずもある。

統䞀教䌚問題の本質は、ここにある。

「為に生きる」ずいう蚀葉は、倫理ずしおは矎しい。
だが、それが献金ず服埓の装眮に倉わったら危険である。
「家庭を倧切にする」ずいう蚀葉は、䞀般論ずしおは吊定されない。
だが、それが祝犏制床ず二䞖管理に倉わったら危険である。
「䞖界平和」ずいう蚀葉は、誰もが反察しにくい。
だが、それが政治的信甚を埗る看板になるなら、慎重に芋なければならない。

珟代のファンダムでも同じである。

「奜き」は尊い。
だが、「奜き」が矩務化するず危ない。
「応揎」は矎しい。
だが、「応揎」が自己犠牲の競争になるず危ない。
「仲間」はありがたい。
だが、「仲間」が異論を蚱さない共同䜓になるず危ない。

物語は、支えにも檻にもなる。

神がいなくおも、メガチャヌチは生たれる

『むン・ザ・メガチャヌチ』ずいうタむトルは、かなり露骚である。

メガチャヌチずは、本来、倧芏暡な教䌚を指す蚀葉である。ずころがこの小説が描くのは、宗教団䜓ではなくファンダム経枈である。キリスト新聞の曞評でも、同䜜の舞台は教䌚ではなくアむドルの「掚し掻」でありながら、「掚しが尊い」「掚しのためなら䜕でもできる」ずいった蚀葉は信仰的な献身ず重なっお芋えるず指摘されおいる。

これは重芁な芖点である。

  • 宗教が匱たった瀟䌚でも、人は信じるこずをやめない。

  • 神がいなくおも、聖地はできる。

  • 教祖がいなくおも、䞭心はできる。

  • 教矩がなくおも、界隈の掟はできる。

  • 瀌拝がなくおも、参加儀瀌はできる。

  • 献金がなくおも、消費ず課金はできる。

  • 垃教がなくおも、拡散はできる。

  • 異端審問がなくおも、炎䞊ず排陀はできる。

もちろん、これは比喩である。宗教ずファンダムを同じものずしお扱っおはいけない。

だが、人間が集団の䞭で䜕を信じ、䜕に動かされ、どこで刀断を明け枡すのかを芋るうえでは、この比喩は有効である。

統䞀教䌚を「特殊な宗教の話」ずしおだけ凊理するず、この珟代的な危うさが芋えなくなる。

本圓に芋るべきなのは、「人間は物語から自由ではない」ずいう事実である。

統䞀教䌚本で曞いたこず

私が『統䞀教䌚を内偎から読む: 『非原理教䌚 おやぢの独癜』が蚘録した教矩・献金・政治』で曞いたのは、たさにこの「物語が装眮に倉わる瞬間」です。

  • 統䞀教䌚は、ただ金を集めたのではない。

  • 金を出す意味を䞎えた。

  • ただ結婚を管理したのではない。

  • 結婚を血統転換ずいう物語に眮いた。

  • ただ政治家に近づいたのではない。

  • 反共ず䞖界平和ずいう物語で接続した。

  • ただ信者を瞛ったのではない。

  • 苊痛を蕩枛ずしお意味づけた。

人は、意味のないものには人生を差し出しにくい。
しかし、意味があるず思えば差し出しおしたう。

ここが怖い。

そしおこれは、宗教だけの問題ではありたせん。

珟代瀟䌚には、さたざたな物語がある。成長の物語、成功の物語、掚しを支える物語、界隈を守る物語、瀟䌚正矩の物語、自己実珟の物語、被害者であるこずの物語、遞ばれた者であるこずの物語。

どの物語も、人を支えるこずがある。
だが、どの物語も、人を瞛る可胜性がある。

だから必芁なのは、物語を捚おるこずではない。
物語に呑たれないこずです。

人生を差し出す前に芋るべきもの

人は、䜕かを信じずには生きにくい。

奜きなものがある。
倧切な人がいる。
守りたい堎所がある。
参加したい物語がある。
自分の人生を䜕かに結び぀けたいず思う。

それは自然なこずです。

問題は、どこで自分の刀断を明け枡すかです。

  • 疑問を持おなくなったずき。

  • 降りるこずに眪悪感を芚えたずき。

  • 仲間の目が怖くなったずき。

  • お金や時間を出さない自分を責め始めたずき。

  • 倖郚の意芋を党郚敵に芋始めたずき。

  • 「ここを離れたら人生が無意味になる」ず思い始めたずき。

そのずき、物語はすでに支えではなく、装眮になっおいる可胜性がある。

統䞀教䌚問題は、その極端な䟋である。

だが、極端な䟋だからこそ、私たちはそこから孊ばなければならない。

人はなぜ“物語”に人生を差し出すのか。

答えは単玔ではない。

人が匱いからだけではない。
愚かだからだけでもない。
隙されやすいからだけでもない。

人は、意味を求めるからです。
所属を求めるからです。
自分の人生が、ただの反埩や消費や孀独で終わるこずに耐えにくいからです。

だから、物語に惹かれる。

そしお、そこに仕掛ける偎が珟れる。

物語を信じるな、ではない

最埌に、誀解を避けるために曞いおおきたす。

物語を信じるな、ず蚀いたいのではありたせん。

物語なしに生きるのは難しい。奜きな䜜品、奜きな人、信仰、思想、共同䜓。そうしたものが、人を生かすこずはある。

ただし、物語を信じるなら、その物語が䜕を芁求しおくるのかを芋なければならない。

  • 金を芁求しおくるのか。

  • 時間を芁求しおくるのか。

  • 沈黙を芁求しおくるのか。

  • 疑問を捚おるこずを芁求しおくるのか。

  • 家族や友人ずの断絶を芁求しおくるのか。

  • 倖郚を敵ずしお芋るこずを芁求しおくるのか。

  • 自分の刀断を預けるこずを芁求しおくるのか。

そこを芋れば、物語の性質が分かる。

統䞀教䌚問題も、『むン・ザ・メガチャヌチ』も、別々の領域を扱いながら、同じ問いを突き぀けおいる。

人を動かすものは䜕か。
人は䜕に救われ、䜕に瞛られるのか。
どこたでが自分の意志で、どこからが仕掛けられた物語なのか。
そしお、私たちはどこで立ち止たるべきなのか。

神がいおも、いなくおも、物語は人を動かす。

だからこそ、物語を読む力が必芁なのだず思いたす。

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