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明治時代 大田区の語り継がれる名物先生たち④ (田園調布特別出張所) #442

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。


山本精一郎先生

どの学校で教鞭をとっていたのかは
記録が見当たらないが
発起人7名、
賛成員外123人により
1899年 (明治32年) 3月に
東光院に建立されました。


山本精一郎先生之碑

大田区の文化財 第37集には
通番:462
カード番号:1049‐003
名称:墓塔(筆子塚)
所在地:田園調布本町35‐8 
と記載されています。
(最寄:東急多摩川線 沼部駅)

写真:東光院 正面
撮影:かえる11号
写真:ステンドグラスの飾りがある手水舎 放水口は龍の意匠
撮影:かえる11号

学校の考察

1878年 (明治11年) 10月1日
調布村の嶺鵜尋常小学校が開校しました。

1908年 (明治41年) 4月1日
嶺鵜尋常小学校 
沼部尋常小学校 
調布高等小学校の
三校が合併して、
調布小学校と改称しました。
(現・東調布第一小学校)

これらのことから
山本精一郎先生は
この3校のいずれかで
教鞭を執っていた可能性があります。
ただし、
現時点で確認できる史料からは
どの学校で教えていたのかを
特定することはできません。


おわりに

現在の大田区
田園調布地域の
小学校黎明期に
教鞭をとった山本先生。
数多くの人々の思いが込められ
碑が建立されました。

Otapediaは、
山本精一郎先生を
「大田区無名の偉人」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『大田区の文化財 第37集』大田区の石造遺物 大田区教育委員会
 2.『大田区立東調布第一小学校』大田区教育委員会

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