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インドは「製造大国」になれるか(インド編その3)

 前回までに見てきた通り、インド市場の本質は「人口の多さ」ではない。

 「インド市場の未来は『10億総中流』にかかる(インド編その1)」で述べたように、「人口×購買力」によって初めて市場は成立する。購買力が無い=内需が薄いにもかかわらず、製造力だけが発展すると、必ず他国と経済摩擦を起こすことは歴史が証明している。

 ここで改めて確認しておきたいのは、「人口が多いこと」と「市場が大きいこと」は全く別の概念だという点だ。人口はあくまで潜在値に過ぎない。市場としての規模は、人口の中でどれだけの人々が安定した所得を持ち、継続的に消費できるかにかかっている。


 日本の高度経済成長期における「一億総中流」は、その典型例だ。すべての人が豊かだったわけではない。しかし多くの人が耐久消費財を購入できる水準に到達したことで、内需が安定的に拡大した。これは単なる一時的な好況ではなく、「市場が持続する構造」が成立したことを意味する。

 「その1」でも触れた通り、中国は人口規模においては巨大でありながら、富の偏在によって中間層の厚みが不足し、結果として内需の安定性を欠く構造となった。人口14億人という数字は魅力的に見えるが、実際に市場として機能しているのはその一部に過ぎない。

 つまり、自動車産業にとって重要なのは「何人いるか」ではなく、「何人が買い続けられるか」なのである。

 そしてこの視点に立つと、インドという国はまさに分岐点にある。人口規模ではすでに世界最大。しかし購買力という意味ではまだ途上にある。このギャップをどう埋めるかが、今後のインドの運命を決める。

 例えば、内需の不足はかつて日本が第二次世界大戦に至った遠因のひとつでもある。明治維新以降、日本の輸出を支えてきたのは絹製品。それが、1930年代に入ると、綿の輸出が増えていく。トヨタやスズキの祖業である自動織機の発明と発展による生産性向上。加えて人件費の安さ、さらに円安と条件が揃った日本の競争力は猛烈に高く、当然、日本は強い輸出ドライブをかけた。

 1929年の世界恐慌ですでに保護主義へシフトし始めていた世界市場から見れば、日本の競争力の強さはダンピングに見え、それは同時に世界の貿易秩序の破壊に映った。しかもその競合先はインド綿生産の旧宗主国の英国と、南部の綿花栽培が重要産業となっている米国である。

 日本は貿易で利害の対立が起きると、最悪の場合国の存亡に至ることを思い知った。戦後に大きな構造改革を行い、内需を高め、輸出依存を軽減した図式は、「その1」で書いた通り。これも繰り返しになるが、今、第二次大戦前の日本と同じ問題を抱えているのが中国だ。豊かな中間層の育成に失敗した結果、国内の巨大な製造能力が外需に依存する構造となり、結果としてダンピング輸出につながって国際摩擦を引き起こしている。

 中間層が薄いと国際摩擦を生む構造は、今も昔も変わっていない。

 「クルマを売る前に、顧客を作るスズキ(インド編その2)」では、「インドに豊かな購買層を育み、購買力そのものを創出する」という、スズキの極めて特異な取り組みを見てきた。

 ここで「その2」の議論を思い出してほしい。

 スズキはインドにおいて、単にクルマを売る企業ではなく、「顧客そのものを作る企業」として振る舞っている。Next Bharatに代表される取り組みは、低所得層に対して直接的に所得機会を提供し、消費主体そのものを育成するという、極めて異例のアプローチである。

 これは通常の企業活動の範疇を明らかに超えている。なぜなら企業は本来、既存の市場に対して商品を供給する存在だからだ。ところがスズキは、需要の前提条件である「所得」そのものに介入している。

 ここまでやって初めて、「市場を作る」という表現が成立する。
 しかし、ここで話は終わらない。
 いくら購買力が育っても、供給能力がなければ市場として機能しない。

 つまり「顧客を作ること」と「製品を作ること」は、別の問題でありながら、同時に成立しなければならないのである。

 そしてこの後者、すなわち「作る力」の構築こそが、自動車産業において最も困難な領域である。

 当たり前過ぎて誰も指摘しないし考えないが、「たとえ国内に巨大な市場があっても、そこでクルマが作れなければ経済は回らない」。この「作る」という行為は、非常に軽視されているが、実は一般に想像されているよりもはるかに難しい。

見えやすい「工場」見えにくい「サプライチェーン」

 自動車産業は、ある種の揶揄も含んでしばしば「組み立て産業」と言われる。だがこれでは半分しか正解と言えない。確かに表面的に見れば、自動車メーカーの仕事は最終組み立てである。しかしその前提として「最適な品質の部品を、最適な数量、最適なタイミングで供給できるサプライチェーンの構築能力」が必要不可欠だ。

 この「最適」は極めて重要で、品質基準に足りない部品は当然ダメだが、不必要に高品質な部品はコストアップの要因でよろしくない。最適とは「過剰」も「不足」も認めない、針の穴を通すようなコントロールを意味する。

 エンジン一基を例に取れば、少なくとも数百点の部品が必要になる。車両全体では数万点規模に達する。そのひとつひとつが、例外なく設計意図通りの性能を発揮しなければ、商品としてのクルマは成立しない。作れたとしても、品質不足や過剰品質では市場の競争で淘汰されるからだ。

 しかもそれは1台作って終わりではない。年間数十万台、場合によっては百万台単位で、高い精度で品質を維持し続ける必要がある。調達にせよ、組み立てにせよ、この「過剰と不足のばらつきを抑える能力」こそが、自動車産業の核心である。

 またもや余談だが、だからこそ自動車にファブレス生産を持ち込む話は胡散臭く、門外漢の解説の臭いがプンプンするのである。自動車産業の心臓部たるサプライチェーンと組み立ての最適レベル管理を、外注化して手放すような自殺行為は、こと自動車に関する限りありえない。そこはすり合わせが自動車に比較して少ない家電と同様には語れないのだ。

 閑話休題。「ばらつきを抑える能力」は、当然のごとく、一つの工場で完結する話ではない。サプライチェーン全体を、最低でも矛盾のないレベルに、理想的には完全調和にコントロールして成立する巨大で精密なエコシステムである。

識字率は「産業インフラ」である

 では、そのサプライチェーンを成立させる条件とは何か。

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