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noteを始めて2ヶ月、わたしは何を残したいのか

noteを始めて、2ヶ月が経ちました。

早いですね。まだ「はじめまして」と言っている途中くらいの気持ちなのですが、気づけば投稿画面に向かうのが生活の一部になってきました。

生活の一部と言うとちょっとかっこいいかも。

いえいえ、とんでもないことです。実際には、投稿画面を開いて、少し考えて、お茶を飲んで、また考えて、猫に話しかけて、当然のように無視されているだけ。お茶はちょっと冷めてるし。
おしゃれでスマートな創作風景というには、まだちょっと距離があります。

1ヶ月の節目では、noteを書く時間は「人に届けるための時間」というより、自分の人生をもう一度見直す時間なのかもしれない、という話をしました。

2ヶ月書いてみて、もうちょっとだけわかってきたことがあります。
わたしはたぶん、苦しさを集めたいわけではない。というか、そんなことはとても耐えられない。
苦しみの真ん中から生中継したいわけではないのです。

「現場のクロワさん、そちらの様子はいかがですか」
「はい、こちら感情の大雨です」

みたいなことではない。
もともと楽天的な性分のわたしにとって、それは拷問です。

普段のわたしは、わりと普通に機嫌よく暮らしています。好きなものに囲まれて、猫を撫でて、お茶を飲んで、時々クロワッサンを食べたいと思いながらのんびり暮らしています。

そんなお気楽な場所から、昔の自分を見に行っている。まったく、道楽がすぎる。

あの時自分に何が起きていたのか、なぜあんなに苦しかったのか、みたいなことを思い出して、言葉にして、とりあえず読める形にする。あれは世界の終わりではなかった。ただ当時のわたしには世界の終わりくらい大きく見えていた。

そういうことが、書くことで少しずつわかってくる。

わかるのが遅い。
でも、遅くてもわかるなら、まあいいかと思っています。成仏成仏。

わたしは誰かの悩みを代わりに解決したいわけではありません。
そんなことはできないし、やるつもりもないです。やろうとするとわたしの方が先にお茶をこぼします。

ただ、「なんでこんなに苦しいんだろう」と思った時に、自分の中で何が起きているのかを眺められる文章は残しておきたい。そんな立派な教えではないです。

過去のわたしへ。遅くなりました。

読んでくださる方、スキやコメントをくださる方、本当にありがとうございます。
2ヶ月前、この場所がどう育っていくのかは、あまり想像できていませんでした。でも今は下書きが大渋滞しています。

わたしは考えすぎることをやめたいわけではない。楽しいことはやめられませんので。ただ考えすぎて苦しかった頃に見えなかったものを、今の暮らしの中から、もう一度見に行っては遊んでいるだけなのです。

そして、使えそうなものがあれば、ここに残しておく。
これからも、たぶん何かを考えています。

でも、お茶はできれば温かいうちに飲みたいです。


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