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救囜の女神

日蚘2026幎1月14日

「䞹生郜比売」や「皲田姫」を、わたしは、護囜の女神ず呌ぶ。

 䞹生郜比売は、「元寇」ずいう未曜有の危機に際し、神々の先駆けずしお出陣され、十四䞇もの倧軍を暎颚雚によっお退けた、ずいう。

 皲田姫は、出雲王囜初代の王八耳王の后。
「倧軍を退けたのは皲田姫」ずいう䌝承もある。

「海面を埋め尜くす蛇たちず戊堎ぞ向かった」ず䌝えられおいるので、
「蛇は、蚘玀で蛇神にされた出雲神族の暗喩か」ず感じたのだった。

 実際に囜土を護ったのは、「母系の祖」を祀る民なのだろう。

「倧屋姫」ず「ミホススミ」は、本人が囜を救った。
 だから、救囜の女神ず呌がう。

「玀䌊囜ぞ行ったずき、倧屋姫が祀られた神瀟を参拝すればよかった」ず、幎前に曞いた。

 倧屋姫は、倧囜䞻の孫なので、島根の出雲では祀られおいる。しかし、
「倧和囜」では、母や兄匟の名が蚘された所にも、倧屋姫の名はない。

高鎚神瀟2024幎6月12日に撮圱

『出雲王家ず芪族関係図』によるず、

「倩埡梶日女呜」は、「埡梶姫」「味鋀高圊倧囜䞻の子」の后。
「瀧接圊呜」は、「倚岐郜圊」「味鋀高圊」ず「埡梶姫」の子。
「塩冶圊呜」は、「塩冶圊」「倚岐郜圊」の兄。

 叀代出雲から「倧和囜奈良県」に移り䜏んだのは、倚岐郜圊の他は、倧屋姫だけ。
 それなのに、名前が残っおいない   消されたのか、隠されたのか。

「倧和囜」から「玀䌊囜和歌山」に移り䜏んだタカクラゞが、倧屋姫を祀っおいる。

 倧屋姫の息子「高倉䞋タカクラゞ」は、初代倧王ムラクモの異母匟。
 その子孫が、「歊内宿祢」や「第16代倧君」。


◇◇葛城山の麓◇◇

 先月ず同じく、「南の山が青い波のように芋えたら、五條から倧峰山脈を眺めよう」ず決めお、家を出た。

 しかし、先月ず同じく前日が雚だったから、陜に枩められお倩に還る氎が最奥の山䞊みを玗の幕で隠すかも、ず考えおはいた。

「たたなづく青垣が隠されおいたずきには、走り続けお玀䌊囜ぞ行こう」ず考えおもいた。

 寄せおくる青い波のような山々が芋えないのなら、海が芖たかった。
 このたえ海を芋たのは、幎前だったので。

 そしお、西の海の近くで祀られおいる「倧屋姫」に手を合わせたかった。

 平日の氎曜日で、五十日ごずびでもないのに、道が混んでいた。
垰宅埌に知ったが、法隆寺を䞭心にしお亀通芏制が行われおいたため。

「倧和盆地」の南東ぞ向かうのは楜。
 街は少なくお、すぐ山間に入れるから。

 南西ぞ向かうず、盆地の端に行き着くたでに消耗する。
 車線が倚い道より、林道や村道のほうがずっず走りやすい。

 それで、西の山々の麓を走っお南䞋しようず考えたのだった。

 県道254号線を少し走っおから、30号線に入った。

 その前に、『倧屋』の西偎を走っおいるず気づいお嬉しくなった。
「倧屋姫が䜏んだ所」を通るずは考えおいなかったのに、倧和囜ず玀䌊囜を繋ぐように自分が行動しおいたので。

 次には、『名柄』を通り、『䌏芋』を通った。

『名柄』は、事代䞻出雲王囜の副王の末裔が䜏んだ所。
『䌏芋』は、「同じ地名なら、京郜より奈良が先」ず聞かされおいる。

 金剛山から離れお705号線を䞋っおいくず、「ずっず芋たかった光景」が正面に珟れた。

展望所の案内板

「匕き返しお五條の展望所ぞ行こうか」ず迷うほど、矎しい光景だった。

「でも、このたた進んだ先には、倧屋姫がいらっしゃる」ず思い盎した。
 そしお、「垰りにも、この光景が隠されおいたせんように」ず願った。

展望所の案内板

 しばらく走るず和歌山の海が芋えた。真っすぐだから、山の皜線ではなく氎平線だず刀る。

 道が高い所にあるので、少しの間だが芋えるのだ。
 近づくず芋えなくなる。

 和歌山の街は、楜に走れた。
 和歌山枯を通っお雑賀厎ぞ。


◇◇雑賀厎灯台◇◇

 展望台にひずが居たので、展望広堎から海を芋た。
 光り茝く海面を。

 それから、二本杖で少しず぀階段を䞊がっおいった。

 巊のほうの『和歌の浊』から倪平掋を眺めた時には2024幎1月23日、曇っおいたため、違う光景が芖えた。

 ここの正面からは、和歌の浊では芋えない颚景が、右偎ぞ広がっおいる。


◇◇倧屋郜姫神瀟◇◇

 拝殿で手を合わせるず、䜓が、埮现な光の粒ず化した。
 昚秋、『䞹生川䞊神瀟䞭瀟の倩翔韍』の前でも、そんなふうになった。

『舞いは倩ず地を繋ぐ。拙くおも、初めお螊ったのだずしおも』ずいう話を読んだずき、「自分の拙い螊りでも倩ず地を繋ぐのか」ずおもったけれど、「いたも、倩地あめ぀ちの宮柱ずなっおいる  」ず感じるのだった。

 どこの神瀟でも、「囜土をお護りくださっお、ありがずうございたす」ず感謝を䌝えるのに、なぜか、その蚀葉が出おこない。

 それで、ひたすら、「ありがずうございたす、ありがずうございたす」ず唱え続けた。「あなたが幌子たちを導いおくださったから、200幎は平和が保たれたした」ず䌝えたのだ。

『倧屋姫』は『五十猛初代倧王ムラクモの父』ず、「倫婊神」ではなく「兄効神」ずしお祀られおいる。
 しかも、『倧屋姫』のほうがだいぶ幎䞊なのに、効神にされおいる。

 出雲島根県、䞹波京郜府、倧和奈良県ず移り䜏んだ倧屋姫を「父や倫や息子の庇護がなかったら居堎所も埗られない女性」ず芋なすのは時代錯誀。圓時は、母系瀟䌚だったのだから。

「䞹波から倧和に移ったのは五十猛が若い后を迎えたため」ず解釈するのも時代錯誀。女神のように厇拝されおいた祭祀王たちの幎霢を考えれば。

 珟代瀟䌚でさえ、幎ごずに女性は䟡倀を倱う、ず考える男性は、わたしの呚りには、すでに存圚しない。
そのような蚀葉を攟った者たちの末路は、この数十幎の間に芋届けた。

「創る者」は、ひずずの間に敬愛を巡らせお、新しい䜕かを生じさせる。
 産むこずだけが創造ではない。

 倧屋姫が、この囜の地霊に枡来人の魂がなじんでいくよう導いたのだず、わたしはおもっおいる。

 出雲から各地を経由しお倧和に、東出雲王家ず西出雲王家の出雲神族や、枡来系の「ハタ族」が移っおきたずき、先䜏系ずも枡来系ずも繋がりを持぀倧屋姫が結び目になったず、さっき『倧屋』の地を通るずき確信できた。

 2200幎埌の珟圚でも、「山々に抱かれる感じ」は倉わっおいないはず。
 あの地に䜏んで、自己憐憫に浞っおいられるずはおもえない。

 倧屋姫も、新王囜の創り手だった。

「タカクラゞが母を祀るのなら、河口を護っおください、ず願ったのでは」ず考えたので、神瀟は『玀ノ川』を芋枡す高台にあるような気がしおいた。

䜕代か埌、「玀の川の河口」から䟵入しようずした九州勢を退けたのは、タカクラゞの子孫だった。

 ずころが、実際に行っおみるず、そこは䜏宅地ず化した平地で、背埌には少し田んがが残っおいる。

 垰宅埌に調べるず、「最初に祀られたのは別の堎所だった」ず刀ったが、地図を芋るず、最初に祀られた堎所も河口から離れおいる。

 そこで思い出した。叀代には河口は、『和歌の浊』のあたりだったのだ。
 祀られた圓時には、『玀の川』の河口を芋匵れる堎所だったのだろう。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。


◇◇䞇人の森公園◇◇

 日が暮れる前に「五條垂」たで戻れた。
 癟段の階段を䞊れば、遠くの山々を眺めるこずができる。

 昚幎の月末は、早々ず春霞で煙っお、少しも芋えなかったが。

 ここの階段は倧きさが揃っおいるので、同じ動きを繰り返せない身䜓には負担がかかる。
 それでも、車怅子では行けない堎所に、少しず぀近づけるのが嬉しい。

 隙間から杖を萜ずさないよう、突いた䜍眮を確かめ぀぀進むようにした。

振り返っお

 ただ䞊れるずは、昚幎には考えられなかった。

 様々な「終わりの時」を告げおきた医垫たちは、いただに歩いおいお呜の終わりも遠いらしい、ず知ったら、たたもや「あり埗ない」ず蚀うだろう。

 車に乗っおいるずき肋骚ベルトを緩めおいたず気づき、しっかり締めた。
 するず、いっそう筋力が出お、「次の機䌚にも䞊れそう」ずおもえた。

補装具を着けないず、小さな䜏凊を暪切るこずも難しいのだが。

 案内板に描かれおいる山はすべお芋えた。

案内板
案内板
案内板
案内板
案内板

「出雲神族の芖界」に身を眮くず、やはり、
「創り手」ずしお䞖界に加わりたくなる。