中欧旅行記 #4|ハンガリーの草原で、羊について本気で考える
中欧4カ国周遊旅行3日目、ブダペストからブラチスラヴァへ向かう車窓で生まれた「羊がいない」という違和感を、帰国後に答え合わせした番外編です。
40代50代女性/添乗員付き中欧4カ国周遊ツアーの体験記。
この日は、ハンガリー・ブダペストから、スロバキアの首都ブラチスラヴァを経由して、チェコ・プラハへ移動する一日でした。

ブダペスト・プラハ間は約530km、車で7時間です。ほぼただの移動の一日……かと思いきや、地理好きにはたまらない時間となりました😊
前回はこちら
ハンガリーの草原で、羊について本気で考える
ブダペストからブラチスラヴァまでは、バスで約3時間半。
車窓に広がる、ハンガリーの草原。

広大な草原と菜の花畑がずっと続きます。
「お、綺麗やん」
「鹿おる!」
とテンション上がる。

けど、しばらく眺めていてふと違和感。
羊が、いない。
こんなに広い草原があるのに、羊飼いも、羊の群れも、見かけない。馬と牛はいた。なんでやろう。私の見立てとしてはこう。
放牧とか酪農とか羊毛って、利益の兼ね合いで、たぶん「最終手段」なんちゃうかな。畑ができる土地では、わざわざ放牧はしない気がする。
つまり、土が肥えてて畑作ができる土地なら、人はまず畑を作る。畑ができないところで、はじめて家畜に頼る。
だからイギリスやニュージーランドみたいに「とにかく羊だらけ」みたいな景色には、ここはならんのかもしれません。
本当のところはまだわからん。後でちゃんと調べよう、と心にメモ。

帰国後、ちゃんと答え合わせしてみた
気になりすぎたので、日本に帰ってから真面目に調べてみました。
結論から言うと、私の仮説は半分正解で、残り半分は文化と経済の話でした。
① ハンガリーはヨーロッパ屈指の穀倉地帯
そもそも国土の半分以上が農用地で、そのうち4割以上が耕地。永年放牧地は1割もない。主要農産物はとうもろこし・小麦・ひまわり・牛乳・豚肉で、羊は主要産業に入ってすらいない。土地のいいところは全部、畑になってる。ここまでは私の仮説どおり。
② プスタの牧夫文化に、はっきりした「格」があった
ここがおもしろかった。ハンガリー大平原(プスタ)の伝統的な牧夫文化には、家畜のヒエラルキーがあって、
1位:チコシュ(馬飼い) ← 一番カッコいい
2位:ギュヤーシュ(牛飼い/灰色牛担当) ← グヤーシュ/ブーヤッシュの語源、これ
3位:カナース(豚飼い) ←マンガリッツァ豚で再注目下位:ユハース(羊飼い)
つまり、羊飼いは牧夫カーストの最下層。
「ハンガリー人らしい家畜」は馬と牛で、羊はずっと格下扱いやったのです。グヤーシュの語源が牛飼いやとは知らんかった。ブダペストで食べたあのブーヤッシュ、もともとは牛飼いの男たちが大鍋で煮込んでた料理、ということになります。急に解像度が上がります。
③ 灰色牛は「歩く外貨」やった
ハンガリー在来の灰色牛(Magyar Szürke)、これが中世のハンガリー王国の最重要輸出品。屈強な体で、生きたまま、ウィーン、ドイツ、北イタリアまで徒歩で運ばれて売られた。文字どおり、歩く外貨。
対して、ハンガリー在来のラツカ羊は、肉・乳・羊毛が取れて生活には欠かせないけど、国内消費が中心。コートやフェルトや自家用食料になって終わる。
「輸出して国を富ませる家畜=牛」「自分たちの暮らしを回す家畜=羊」という、経済的な格差がずっと前からあった、と。
④ 20世紀で、羊文化はほぼ壊滅
そしてダメ押し。ハンガリー在来のラツカ羊、1939年時点で残存個体がたった4000頭まで激減していて、政府が国営農場に集めて保存に動いたレベル。戦後の共産化で農業は大規模・機械化路線に振り切られて、手間のかかる羊飼いの小規模文化は、衰退してしまった。
今ハンガリーに残っているラツカ羊は、ホルトバージ国立公園など特定の保護エリアに集中しています。だから、ブダペストからブラチスラヴァに抜けるバスの車窓では、そもそも見えるはずがなかった。
「畑ができる土地では放牧しない」だけでは足りなかった。
結局のところ、ハンガリーの草原で羊を見なかった理由は、
✅ 畑作と放牧の優先順位(私の仮説どおり)
➕ 牧夫文化のなかで羊は格下やった
➕ 灰色牛が輸出商品で、家畜としての経済価値が違った
➕ 共産化・近代化で羊飼い文化が衰退して、残った羊も保護区に集約された
の4段重ねでした。
つまり、羊がいなかった理由は、単純に「気候が合わないから」でも、「草原がないから」でもありません。
土地利用、経済合理性、牧夫文化の価値観、20世紀の農業政策。
その全部が重なった結果として、あの車窓には羊がいなかった。
こういうの、地理大好き人間としては、かなり楽しい話です。
北海道みたいな風景の中で、ハンガリーの歴史を見ていた
それにしても、あの車窓の風景は、本当に北海道みたいでした。白樺がところどころに混ざっていて、なだらかな丘が続いていて、遠くまで草原と畑が広がっている。富良野とか、美瑛のあたりを車で走っているときの感覚に近い。
ヨーロッパの真ん中を走ってるはずやのに、なぜか北海道ドライブをしている気分になる。旅って、こういう「バグる瞬間」があるから面白い。
けれど、見た目は北海道に似ていても、その土地が背負っている文化や歴史はまったく違います。
同じように見える草原でも、そこに羊がいる土地と、牛が歩く土地と、畑になる土地がある。その違いの奥には、土の肥え方も、食文化も、輸出経済も、国の近代化の進み方もある。
車窓から見えたのは、ただの「きれいな草原」ではありませんでした。
そこには、ハンガリーという国が、何を育て、何を売り、何を残し、何を手放してきたのかが、うっすら滲んでいたのだと思います。
羊がいない。
ただそれだけの違和感から、ここまで話が広がるとは思っていませんでした。
でも、旅先で生まれる「なんで?」って、たいていこういうものかもしれません。その場では、答えが出ない。
でも、帰ってから調べてみると、最初の仮説は半分当たっていて、半分外れている。そして、その外れていた半分にこそ、その国の文化や歴史の厚みが隠れている。
あの草原で羊を探していた時間は、ただの移動時間ではなくなりました。
北海道みたいな風景の中で、私はいつの間にか、ハンガリーの農業と牧夫文化と食の歴史を見ていたのかもしれません。
こういう発見があるから、移動日も油断できない。バスに7時間乗る日でも、無駄じゃない。むしろ、車窓にしか出てこない問いがある。
そう思うと、あの長い移動時間も、かなり贅沢だったなと思います。
次回は、ようやくスロバキアの首都・ブラチスラヴァへ。
明るくて、コンパクトで、想像以上に可愛かった街。
どうぞおたのしみに!
中欧旅行記連載はこちら
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