私が審判への異議より「倒された選手」への声を優先する理由〜特別に上手い選手への通り道〜
先日ある指導者から「審判に異議を唱えることはあるか」と問われました
私の答えは「あるな」ですw
しかしそれは感情に任せたものではなく 明確な条件がある時だけ
選手の安全を確保するための「防波堤」となる時
納得がいかない選手の感情を代弁し 警告(カード)を未然に防ぐ時
しかしこの問いに向き合った時、私の中で一つの確信が芽生えました
私は審判に言葉を投げることよりも ファウルを受けた自チームの選手に言葉を掛ける時間の方が圧倒的に多いということ
なぜなら私たちのスタイルである「ボールを握り 運び 仕掛ける」というサッカーにおいて、ファウルを受けることは単なるアクシデントではなく一つの「証明」だから
「狙われる」という必然
特別に上手い選手は必ず相手に目を付けられます
「あいつに持たせたらやられる」という恐怖を相手に植え付けているから
だから狙われ、潰され、結果としてファウルを受ける
これは残酷なようですが 上のステージを目指す選手にとっての「必然」であり避けては通れない通り道です
私が今まで見てきた「本物」の選手たちは、ファウルに対して過度に憤ることはありません
むしろ、それを受け入れています
逆に自分が上手いと勘違いしている選手や普段から不用意なファウルが多い選手ほど、倒された瞬間に吠え、感情を乱す傾向にあるなとまで思っています
指導者が掛ける「問い」の本質
だからこそ私はファウルを受けた選手に対し 次のような言葉を掛けます
「ファウルに『されて』しまったな」
「相手の足が最後まで見切れていなかったね」
「スライディングに対して足を抜けきれなかったね」
上手い選手は常に敵を観ています
狙われることを前提に ミスをせずプレーを完結させる準備ができている
彼らは「避けきれない」と判断した際に瞬時に受け身を取る術も持っており、理不尽な接触を除けば怪我も少ないものです
私が掛ける言葉は「今の局面、君ならもっと高い次元で回避できたのではないか?」という選手へのリスペクトを込めた問いかけでもあります
敵が少ない場所へ逃げる選手の行き先
「狙われること」を拒絶し、ファウルを嫌がる選手は、カテゴリーが上がるにつれて攻撃的なポジションから外れていきます
キックがあるならボランチへ
足があるならサイドバックへ
体があるならセンターバックへ
敵の圧力が少ない、いわば「安全な場所」へとコンバートされていくのが現実です
最後まで攻撃の最前線に立ち続けられるのは「狙われる自分」に平気でいられる選手だけです
マラドーナやメッシのように
YouTubeで調べれば、彼らが明らかに狙われ、ひどい仕打ちを受けている映像が山ほど出てきます
それでも彼らはやめない
果敢にゴールを狙い続け 栄光を勝ち取った だからこそ今の地位がある
最後に
選手たちに伝えたいのは「ファウルを受けるようになったのは、君が少し上手くなった証拠だ」ということです
相手が正当な手段では止められないと認めたからこそ、彼らは反則に手を染めるのです
ファウルは相手からの最大級の「警戒」という名の称賛です
自チームの選手たちは、その「通り道」をどれだけ覚悟を持って受け入れているでしょうか?
その覚悟の先にしか 誰も手が届かない「特別に上手い選手」の領域はないのだと私は信じています
追記
私がこのnoteで大事にしていこうと思っていることは「1次情報」です
どこかから持ってきた情報ではなく、あくまで20年現場で培った経験や失敗、ちょっとした成功をみなさんに伝えていこうと思っています
自分が現場で積み重ねた数多くの失敗談やプロセスは、今現場で頑張っている指導者にも共通の思いだと思います
現場でしか知り得ない体験
現場での苦悩やちょっとした成功
現場で培ったマインド・考え方
そういった積み重ねた1次情報を、惜しみなく書き綴ります
今みなさんの現場が少しでも良くなって、少しでも選手がサッカーを楽しくなるように
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