聖地、六甲比命大善神社と瀬織津姫さまのこと
こんにちは、あい・とわ実行委員会の・はっこうにん(発行人)、あいとです。
ぶっちゃけトークの4回目です。宜しければお付き合いくださいませ。
ちょっと踏み込んだ話をします。
「あいと」として発信をしていると、時々スピリチュアルな人だと思われることがあります。
実際、そう見えると思います。
でも今日話すのは、盛った話でも、誰かに教わった知識でもなく、わたし自身の身体で経験したことです。
わたしには「聖地」と呼んでいる場所があります。
神戸市灘区、六甲山の山中にひっそりとある「六甲比命大善神社」という小さなお社です。
山道の先にあった、巨石
そこは立派な社殿があるわけではありません。
神主さんが常駐しているわけでもありません。
現在は、大江先生ご夫妻が引き継がれ、交代で管理されている、本当に小さな祠です。
主役は建物ではなく、その奥にある巨大な磐座(いわくら)です。
縄文時代に人の手で積み上げられたとも言われる、巨石。
でも、その巨石に、神のエネルギーが宿っているのだと言います。
何故かあの磐座に引き寄せられた気がしました。
実際にその前に立った瞬間、頭で考えるより先に、身体の方が反応して
いました。
朝の9時台で、澄んだ空気感、雲の切れ間から日差しが差し込み、
神聖な感じで、空気が変わる、というのはこういうことかと思いました。

御祭神は瀬織津姫(せおりつひめ)さま。
水の神、祓いの神とも言われ、弁財天や六甲姫、向津姫(むかつひめ)など、時代や文脈によっていくつもの名で呼ばれてきた、謎の多い神さまです。
ホツマツタヱという古伝では、天照大神(男神)の正后として登場するという説もあるようです。
でも、そういう「本当のことが覆い隠されてきたかもしれない存在」に、なぜか自分が呼ばれた気がしたんです。

磐座から伝わってきたもの
ここからは、言葉で説明するのが、いちばん難しいところです。
あの磐座の前に立つと、何かを「教えられた」というより、大自然そのものが持っているエネルギーが、巨石を通してそのまま身体に流れ込んでくるような感覚がありました。
頭で理解するのではなく、皮膚や胸の奥にじかに響いてくる感じです。
そのとき伝わってきたのは、細かい言葉のメッセージではありません。
むしろ逆で、「言葉にする前の、いちばん本質的な、多分、光や、周波数、振動に近いもの」がそのまま流れ込んでくる感じでした。
理屈で納得したのではなく、身体の方が先に「そうだ、これだ」と勝手に
受け取っていました。
後から振り返って言葉にするなら、「そのままでいい」という一言に近かったと思います。
自然の中の、人の手が入っていない大きなエネルギーに、身体ごと触れる。
多分それは、水のエネルギーが体内の水に振動として反応したのだと思っています。
あの体験があったからこそ、頭で考えた理屈よりも、身体で感じたものの方を信じていいんだ、と思えるようになりました。
中学生のときの、置き去りになっていた問い
話は少し遡ります。
中学生の頃、友人から借りた自己啓発本を読みました。内容の大半はもう覚えていません。
でも最後の方に出てきた「ライフワーク」という言葉だけが、なぜかずっと心に引っかかったまま残りました。
自分の人生をかけてやることって、なんだろう。
答えは出ないまま、20代も30代も40代も、目の前の仕事や生活に追われて過ぎていきました。
問いは消えたわけじゃなくて、ただ奥にしまい込まれていただけだったんだと思います。
50代に差し掛かった頃、少しずつ新しいことに挑戦するようになりました。うまくいかないことの方が多かったです。
でも、失敗するたびに何かしら学びがあって、それが少しずつ積み重なっていきました。
その積み重なったものが、ある日、あの磐座の前で、置き去りにしていた中学生の頃の自分の問いと、静かに結びついたんだという。
そんな感覚でした。
「そのままでいい」という言葉が降りてきた場所
うまく説明できないんですが、あの場所に立ったとき、何かに答えを教えられたというより、自分の中にずっとあったものに、ようやく気づいた、という方が近いです。
そこから現実の動き方が変わりました。
奉納という形で自分にできることを差し出すようになり、そのエネルギーが今の「あい・とわ」という活動につながっています。
「ひとつの・からはじまる」という言葉も、この体験なしには生まれなかったと思っています。
それ以来、神社を巡るようになりました。
最初がこの六甲、その後は、兵庫県高砂市の鹿嶋神社にも足を運びました。
後から振り返ると、不思議な感覚で、偶然というより、何かに導かれていたのではないかと感じています。
聖地は、遠くにあるとは限らない
こういう話をすると、特別な力を持つ場所の話だと思われるかもしれません。
でも、わたしがお伝えしたいのはそこじゃありません。
自分の中に、ずっと置き去りにしてきた問いがあるなら、それはいつか、思いがけない場所で、思いがけない形で、あなた自身と結びつく瞬間が来るかもしれない、ということです。
もし近くに、なんとなく気になる神社やお寺、そんな場所があるなら、理由をつけずに、心のおもむくままに、一度は足を運んでみてください。
答えを探しに行くのではなく、ただ自分の身体がどう感じるか、確かめに行くつもりで。
神社や自然はきっと、何かをそっと、教えてくれるかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
この続きはまたどこかで、よかったら、記事の感想なんかをコメントで教えてください。
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