『曖昧な未来、黒沢清』藤井謙二郎~心理ドラマではなく、肉体としての人間を描きたい~
写真引用©アカルイミライ製作委員会2002
黒沢清の映画『アカルイミライ』の撮影密着ドキュメンタリー。監督・撮影は「≒森山大道」の藤井謙二郎。DVからのキネコ。
『アカルイミライ』は2003年の作品。『ニンゲン合格』(1999)、『カリスマ』(2009)、『回路』(2001)の後ぐらいの作品だ。ホラー映画中心に撮ってきた黒沢清にとって、「今までとは違うものを」とプロデューサーから言われていた。ホラーというジャンル映画ではないものを撮るのは難しいと言う。はるかにジャンル映画のほうが好きだし、ジャンル映画のほうが作家性が発揮しやすいと言う。ジャンル映画なら、あえて型を外すことで自分の作家性が出せる。しかし本作はホラーじゃないだけに難しいと悩む。ノンジャンルの映画はなんでもアリだし、無茶苦茶にするのは容易いが、それを抑制しなくちゃいけないと考えるので、そこが悩ましいと言う。
黒沢清は役者に心理的な演出はつけない。ほとんどが動きの指示をするだけだ。なぜその動きをするのか、役者にその理由を聞かれても答えられないと言う。「なぜかそうしてしまった」、そういう風に動きを現場でつけていく。人間の動きにそもそも理由なんてない。日常、我々はほとんどの動きの理由など考えずに動いている。人間は、曖昧で多義的なものである。自分のことなど分かっていない。理由がハッキリしている分かりやすい動きは、どんどん嘘っぽくなる。ハリウッド映画のように、分かりやすい人間などフィクションの中にしか存在しない。黒沢清は、そんな人間の曖昧さ、分からなさを描き続けている。この映画に出ている浅野忠信も藤竜也もオダギリジョーも、動きの理由など考えずに、感じたままに動いている。黒沢清の現場は、そういう現場なのだ。だから説明できない曖昧な分からなさを観客は感じるのだろう。
黒沢清は、人間の心理のドラマ、人間の心と心が葛藤するようなドラマは嫌なんだという。肉体が葛藤するドラマ、人間の肉体を通じて葛藤が見えてくるものを描きたい。ロバート・アルドリッチの『北国の帝王』のような世代間の肉体の葛藤のようなものを作りたいのだと言う。映画に映っているのは肉体だけ。そこに心理があるのは、何らかの嘘がある。ただ俳優の力もあるが、見ている人が心理の側に引き込まれてしまう。だから編集では、心理のドラマを断ち切るようにしている。心理を凌駕するような肉体のドラマを作りたいというのが、黒沢清の本音のようだ。
2003年製作/74分/日本
配給:アップリンク
監督:藤井謙二郎
プロデューサー:浅井隆
撮影:藤井謙二郎
編集:藤井謙二郎
キャスト:黒沢清、浅野忠信、藤竜也、オダギリジョー、北村道子、浅井隆、野下はるみ、原田恭明
