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『䞖玀の「倧人」を考える』④『䞖玀の「たずもな倧人」の基準を考える』。䞭線

 粟神幎霢のこずを改めお考えリンクあり、その䞊で「たずもな倧人はどこにいるのか」も再確認しようずしお、それで、前回から「䞖玀のたずもな倧人の基準」リンクありたで考えおきたした。

 もちろん、こうしたこずに本圓に新しいこずを付け加えたりもできないし、未熟なのも圓然なのですが、混乱し、䞋降しおいる䞖玀に、さらにコロナ犍で、本圓に先が芋えなくなったので、自分のためにも改めお考えようず思いたした。

 そしお、前回の「䞖玀のたずもな倧人の基準」に぀いお考えた時に、叀代からも䌝わる基準でもある「仁」や「慈愛」「愛」さらには、叀兞的な䜜品の䞭で「タフでなければ生けおいけない。優しくなれなければ生きおいる意味がない」ずいったセリフなどを怜蚎し、これからも、その基準は倉わらないのではないか、ずいう䞀応の結論は出たした。

 どんな状況でも、必芁な人に、適切に優しくなれる。
 そんな人が、䞖玀でも「たずもな倧人」では、ないだろうか。

 ただ、これだけだず、やっぱり乱暎な結論だずいう感じもしたので、もう少しゆっくり考えおいこうず思いたした。

トヌタルな力

「たずもな倧人」を考えた時に、いろいろな芁玠を䞊べおみたくなる。

「柔軟であるこず」。これからさらに混迷しそうで、コロナ犍のこずだけでなく、未知の状況が続く䞭で、この芁玠がなければ、おそらくは䜙裕がなくなり、もしくは適切な察応ができなくなるこずで、自分の安定性も保おなくなるず思う。

「孊び続けるこず」。ある時期に集䞭的に勉匷したからずいっお、それが「貯金」ずしおずっず通甚するのは難しい。あらゆる孊問や情報は曎新し続けるずいうこずもあるし、もしくは、その勉匷が受隓勉匷だった堎合には、あるはずの正解を探す、ずいう思考になっおいるず、䞍確定芁玠が倚いこれから先には、あたり圹に立たない可胜性もある。自分の無知を知り、孊び続けるこずで、そうした過ちは避けられるず思う。そしお、人間が生き残っおきたのは、知性のためだず思われるので、その力を少しでも䌞ばすこずで、瀟䌚でもサバむバルできる可胜性は高たるはずだ。向䞊心がある、ずいうこずでもある。

「過ちを認めお、謝れるこず」。今も蚀われおいるのかもしれないが、「あやたったら死ぬ病」ずいう蚀葉があっお、本圓にそう芋える人は今もいる。ずおも䞍自由に芋える。もしかしたら、「たずもな倧人」であった時期もあったり、そのこずで成功を手にした時もあるのかもしれない。「過ちを認めお、謝らないこず」によっお、自分の䜕かを守っおいる気になっおいるのかもしれないが、それは、実は䞍自由なこずだし、新たな「たずもな倧人」に曎新する機䌚を逞しおいる行為でもあるので、本人にずっおもずおもマむナスなこずだず思う。その䞊、柔軟性も倱っおいきそうだ。「過ちを認めお、謝れるこず」。それも、謝る盞手に玍埗しおもらえるよう、謝れるのは、知性も想像力も共感力も必芁で、ずおも高床な行為でもあるから、これができる人は「たずもな倧人」でもあるず思う。

「寛容であるこず」。これは、䞋手をするず偉そうな態床に思われるこずもあるのだけど、おそらくそう感じさせるのであれば、本圓の意味で「寛容」でないのかもしれない。倚様性を認める、ずいった蚀い方にも、人によっおは、埮劙に、偉そうなニュアンスは含たれおいるものの、「寛容であるこず」は、これから先はさらに重芁になっおくるず思う。「寛容」である人は、くだらない差別には加担しないはずだ。䞖玀の意識ずしおのグロヌバルな流れは、ただ続くはずだから、異文化ず接する時に「寛容」であるこずがベヌスにないず無意識な差別をしがちだず思う。

「基本的に正盎であるこず」。隠したり、疑ったりは必芁な時もあるかもしれないが、基本的にぱネルギヌを消耗しやすい。正盎で、いろいろな自分を装ったりしないで枈むほうが、粟神的な疲れも少なそうだし、正盎な人間の前では、自分も正盎でいられお楜なこずが倚い。そうした人も「たずもな倧人」ず思える。

「自由であるこず」。これたでにあげた芁玠を持っおいれば、䞍必芁なこずをしなくおもすみそうで、気持ちが自由でいられる時間が増えるような気がする。自由であるこずは、柔軟でもあるし、正盎でもある。正盎な人ず同じように、自由な人を前にするず、自分も自由でいられるような気がしおくる。

 ここたでは、その本人が「たずもな倧人」であるために必芁な芁玠ずいう印象になる。そしお、こうしお本人が「たずもな倧人」であれば、䜙裕もあるだろうし、刀断力も適切なので、「必芁な人に、必芁なだけ、優しくなれる」ず思う。

 だから、こうしたいろいろな芁玠を䞊べおみたけれど、「必芁な時に、必芁なだけ、優しくなれる人」は、こうした芁玠のすべおを持っお自分を安定させた䞊で、人ず関われるずいう胜力に結び぀いお、初めお可胜になりそうなので、こじ぀けずずられるかもしれないが、やはり「たずもな倧人の基準の頂点」であり、䞀芋すごさが分かりにくいが、トヌタルな力であるこずは倉わりがないず、思う。


 ずおも唐突な連想だけど、「サむボヌグ」ずいう挫画アニメがあった。

 これは、野球をヒントに、特城がある人のサむボヌグが力を合わせる、ずいったストヌリヌずいわれおいるが、䞻人公でもある「」は、䞀番新しいサむボヌグで、もっずも優れた「性胜」だずいう蚭定になっおいる。

 ただ、「」から「」たで、それぞれ突出した特城があり、䜓からミサむルを発射したり、口から火を吹いたりするメンバヌから比べるず、「」は䞀芋地味であるが、すべおの「性胜」が高いため、そう芋える、ずいう蚭定だった。それ以来、「トヌタルな力」は、そういうものかもしれない、ず考えおきたこずも、思い出した。

経枈力の話を避けおいるこずに぀いお

 これは「䞀人前」ず蚀う蚀葉を避けたこずずも぀ながるのだけど、「たずもさ」を考える時に、どうしおも、自分で生掻できる経枈力、ずいう芁玠はからんでくる。そしお、もちろんそうした経枈力は、珟代である以䞊は、必芁なこずでもある。

 前提ずしお、経枈力、自分で皌げる力はあったほうがいい。

 ただ、ここで改めお確認したいのは、経枈力があるこずは手段であっお、目的ではないずいうこず。こうしお、経枈力がものすごく匱い人間が蚀うのは、自己匁護ずずられおも仕方がないし、説埗力がないずは思い぀぀も、その原則は確認したい、ず思う。

 「たずもな倧人」であっお経枈力のある人も、もちろんいるず思う。
 同時に、経枈力を目的ずしお、たずもさを気にかけない人もいるかもしれない。その究極は、詐欺のような犯眪で、そこたで進む人はごく少数であるが、せっかく、これからを生きるのであれば、「手段を遞ばず」ではなく、たずもな手段法埋を螏み越えなければOKでなくをずっお、誰かを傷぀けたりしないで、それで経枈力を増す方法を暡玢したほうがいいず思う。

 こんなこずを蚀っおも、今、お金に困っおいるずしたら、きれいごずにすぎず、説埗力はないかもしれない。私自身が、たずもさも、経枈力も十分ではない。どちらも備えた「たずもな倧人スペシャル」でない以䞊、䌝わる力が匱いこずも自芚しおいる。

 それでも、経枈力の話を避けたのは、今は、新自由䞻矩に思考たで圱響を受けすぎお、経枈的な匱者は切り捚おおいい、ずか、自己責任ずか、䞋手をすれば、経枈力がないず「劣った人」のように評䟡されるような蚀説の方が優勢で、そこをひっくり返す蚀葉を出せる胜力は、ただないので、今回は、その芁玠をいったんはずしお考えるこずにした。

 匱々しい䞻匵になっおしたうが、「経枈力」ず「たずもさ」は垞に比䟋しないこずは確認したい。

「人に優しくなれる人」が、たたたた「タフ」ずいう手段を持たないために、心身の䞍調に远い蟌たれ、䌑逊するしかない状態に远い蟌たれおいたずしおも、それは、その時に経枈力がないのは事実ずしおも、「たずもではない」ずか「人ずしお劣っおいる」ずいうこずではない、ず考えおいる。

「たずもな倧人」であっおも、堎合によっおは「タフ」であっおも、心身の䞍調に陥るこずはありえる。それは、たたたた「たずもな倧人が調子を厩しおいるだけ」だず思う。

 さらには、これは安盎な蚀い方をしたら倱瀌なのだけど、病気など、いろいろな条件のために、本人の努力だけでは、どうしおも皌ぐこず自䜓が難しい人がいる。そうした堎合は、圓然だけど、それだけで「劣っおいる」わけでも、「たずもでない」わけでもないず思いたす。

「たずもな瀟䌚」が目指すこず

 たずは、その人が「たずもな倧人」かどうかは、その人のあり方で、考えおいきたい。

 そこを再確認し続けおいかないず、病気になったり、もしくは、誰でも歳をずるから、もしも䜓が動かなくなった時に「切り捚おられる瀟䌚」が進んでいくだけだから、それは、こわくお悲しいこずだず思う。そうした瀟䌚は「たずもな瀟䌚」ずはいえないのではないか。

 そうならないためには、「たずもな倧人」が䞀人でも増えお、基準がたずもに近づいおいくこずが、地味で平凡で頭が悪そうで、気が遠くなりそうな方法だけど、これから先、目指しおいくべきこずではないか、ず思っおいる。


病院での出来事

 党くの個人的な事で、それも、䜕回かどこかで曞いた蚘憶があるので、もしかしたら、たた読むこずになる人もいるかもしれず、それは申し蚳ないのですが、それなりに歳をずっおから、再び、「たずもな倧人」のこずを、考えるようになったのは、個人的には䞍可欠な出来事がありたした。


 もう幎くらい前のこずで、母芪が急に心身ずもに調子を厩し、䜕を話しおいるのか分からないような状況になり、い぀も通っおいた総合病院に2床目の入院をしたこずがあった。その半幎前にも、そんな状態になったので、粟神科医にも䜕床も蚺察を垌望したが、なぜか、それを避けられ、内科医だけが蚺察にあたり、母芪の症状はよく分からないうちに週間で改善しお、退院になった。どうしお、そうなったのかを医垫に䜕床も尋ねおも、「䞀人暮らしは避けおください」しか蚀わなかった。

 䜕も分からないたた、母は、たた意志の疎通ができないような状態になった。

 あずから振り返れば、ずっず母がかかっおいた内科医は、2床目の入院の時も、そんなにちゃんず怜査もしおいなかった。痎呆ですね、ず繰り返すだけで、病院でも、ずにかく困るんです、ず蚺察宀に患者の家族ずしお呌ばれ、医垫や看護垫が四人くらいいお、囲たれるように、ただ責められ、転院を急かされた。

 やっず病院が芋぀かり、い぀暎れるか分からない母芪を、あたり慣れない運転で時間以䞊かけお、劻ず䞀緒にやっずの思いで、なんずか転院をした。途䞭で富士山がきれいに芋えた。その移動に関しおも、最初の病院は粟神科医以倖は、ほが䜕もしおくれず、クルマで出発する時に、手を振っおくれただけだった。あずで聞いたら、劻は、母が暎れたら死ぬかもしれない、ず芚悟した、ず蚀っおいた。私も同様だった。

 そしお、粟神科の専門病院の閉鎖病棟に、母芪は入院するこずになった。
 その病棟の䞭の、䜕もない個宀にいるこずになった。私が、毎日のように通ったのは、これでよくなるずも思えなかったけれど、ずっず、ここにいお、䜕もない個宀で䞀人で居続けるだけだず、たったくよくなる気もしなくお、感情も動かないたた、ただ機械のように、通った。無意味ず思い぀぀も、行かなくなったら、完党に母芪は戻っお来れないのではないか、ず思っお、ただ通った。病院に着くたびに、重く湿った母の着衣がビニヌル袋に入っお、閉ざされた個宀の前に眮いおあっお、それを垰る時に持っお垰り、掗っお、たた持っおくるこずを繰り返した。

 その病院の担圓医は、入院時に説明しおもらった時に、もずもず肝臓が悪いために母が飲んでいた薬を、やめるこずを匷く蚀った。意味がないからず繰り返し、今の状況は䞍可逆ですから、ず繰り返した。私は、原因が分からないうちは、倉えないで欲しい、ずお願いしお、やっず、薬の継続が決たった。

 人を信じる、みたいな気持ちが、たぶんなくなっおいた。蟛いはずのこずも、あたり感じなくなっおいたが、病院には片道時間くらいはかけお、通っおいた。

 倏だった。電車だず、病院の最寄り駅たでは、本数が少ない路線に乗らなくおはいけないので、実家にあるクルマも䜿った。ラゞオから流れる明るい音楜を聎いお、クルマの窓の倖の海氎济やサヌフィンぞ向かう人を芋るず、別の䞖界に芋えた。時々、バむパスでスピヌドをあげお、少しがんやりするような時もあった。



 こうした出来事の䞀぀䞀぀が、自分が「たずもな倧人」に぀いお改めお考えるようになり、少しでも「たずもな倧人」になろうずした理由に぀ながっおいくのですが、ただ少し長くなるので、『䞖玀の「たずもな倧人」の基準に぀いお考える』埌線に続きたす。





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