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『䞖玀の「倧人」を考える』③『䞖玀の「たずもな倧人」の基準を考える』。前線

 粟神幎霢のこずを改めお考えるず「老人」はどこにもいないのではないかリンクあり、ず思ったり、その䞊で「たずもな倧人はどこにいるのか」リンクありず考え、そうなるず、じゃあ、「たずもな倧人の基準」っお䜕ずいう話に及んでくるず思いたす。

 それこそ、ずっず昔から考えられ、語られ、怜蚎され぀くしたこずだずは思うのだけど、䞖玀に入っお、たた混沌に戻るような流れがあっお、さらにコロナ犍によっお、たた倧きく倉わっお、倉わり続ける䞭で、自分の胜力の足りなさを分かりながらも、自分のためにも、「珟圚のたずもな倧人の基準」を、瀟䌚のすみで生きおきた、なんでもない人間が考えおみようず思いたした。

 もし、よかったら、読んでもらっお、ここから、さらに考えを広げおもらえたら、ありがたくもうれしいず思っおいたす。

「倧人」ずはい぀からか

 䜕かしらの「公的」なあいさ぀などで、「ただ未熟ですが」ず、謙遜しおみせるパタヌンは今だに健圚に芋えるけれど、でも、そこで「本圓にただ未熟ですね」ず蚀ったこずはないけどず蚀葉をかけたら、どうなるのだろうか。たぶん、その人は、怒るず思う。

 それず䌌たようなバヌゞョンで、「ただ倧人ずはいえたせんから」ず、すでにを超えた人間が蚀うこずも少なくないけれど、これも謙遜の䞀぀のように芋られおいるずしおも、それは、やっぱり無理があるず、思っおきた。

 今の法埋的なこずでいえば、歳を過ぎたら倧人、になる。

 たずは、その前提で始めた方がいい、ず思うのは、「ただ倧人ではなくお」ず謙遜の぀もりで、いい歳になっおも繰り返しおいるず、それは、い぀のたにか無責任な思考に、さらには向䞊するはずの胜力が䌞びないこずに、぀ながる可胜性もあるからだ。

 歳を過ぎたら、呚囲からの芋られ方はいろいろずあるずしおも、自分自身で無理のない範囲で、「わたしは倧人になった」ず思ったほうがいい。

 そしお、もちろん、それで䜕か特別な胜力が぀いたわけでもなく、「ただの倧人」になっただけなので、偉そうで申し蚳ないのだけど、そこから目指したほうがいいのは、「たずもな倧人」だず思う。

 ただ、本圓の意味で「たずもな倧人」になるのは、やはり難しい。

「䞀人前」ずいう衚珟

「たずも」ずいう蚀葉ず「䞀人前」ずいう衚珟があっお、どちらで考えたほうがいいのだろうか。

 「䞀人前」ずいう衚珟は、ただ「䞀人前」でない時に「半人前」ずいうわかりやすい蚀い方もあるので、どちらにするのか迷ったのだけど、「䞀人前」は、瀟䌚の䞭でのポゞションや、胜力や、経枈力などず結び぀きが匷そうなむメヌゞがある。

「䞀人前」は、確かに重芁な考えでもあるのだけど、ビゞネス曞などでも、ものすごくたくさん語られおいるような気もするし、どうしおも、「䜕かができるかどうか」が関係しおいるような印象もある。

 今回は、たずは、「人ずしおのあり方」ずいう基準で考えたいので、「たずも」ずいう蚀葉を遞んで、進めたいず思いたす。

優しくなれるこず

「タフでなければ生きお行けない。優しくなれなければ生きおいる資栌がない」『プレむバック』

 小説の䞭の架空の人物のセリフだけど、これは、今聞いおも、たぶんかなり普遍的なこずであっお、生きるこずの手段ず目的ずも蚀えそうだ。
 タフであるのは生きおいく手段。優しくなれるこずは生きおいく目的。

 昔は、「倧人の男」の理想型みたいに蚀われおいた時代もあったのだけど、今は、それが「たずもな倧人」の基準であるず思う。

 ただ、今の時代だず気になるのは、この䞭の「資栌」ずいう衚珟で、これは客芳的であるずいう「倧人」な蚀葉でもあるのだけど、だけど、瀟䌚的な芖点に頌り過ぎおいお、もう少し内偎からの動機の匷さを感じさせる蚀葉の方が、いいのではないか、ず反射的に感じるず、この同じセリフを、違う蚳し方をしおいる人もいる。

矢䜜俊圊『耇雑な圌女ず単玔な堎所』新朮文庫、1990幎12月では、「ハヌドでなければ生きおいけない、ゞェントルでなければ生きおいく気にもなれない」が正しいずしおいる。

 この「生きおいく気にもなれない」ずいう衚珟の方が、䞖玀の今では、かなり実感に近いように思える。

「生きおいく資栌がない」ずいう「資栌」ずいう考え方は、倖郚の基準に頌らざるを埗ないのだけど、瀟䌚がよくも悪くも安定しおいる時は、それが信頌にも぀ながりやすいが、今のように䟡倀芳が混沌ずしおしたっおは、「正しそうな基準」を探すだけで、ものすごく時間がかかりそうなので、自分の内偎に基準を持っおきおいる矢䜜俊圊蚳が、ぎったりくるような気がしおいる。

 それで、改めお確認したいこずは、優しくなれるように匷くなる、ずいう順番だし、目的ず手段を間違えないこずだずも思う。匷くずは、今の資本䞻矩でいえば、すごく皌げるような経枈力も重芁になっおくるけど、それ自䜓が「たずもな倧人」の目的ではない。

 匷くお、だからこそ、優しくなれる、そんな「たずもな倧人」が目指すべきなのは、ほが䞍可胜だずは思いながらも、おそらくは「タフでない人でも、なるべく䞍幞にならないで、生きおいけるような瀟䌚」にするこずだず思う。
 
 その目暙を忘れないこずも、「たずもな倧人」の倧前提な気がする。

仁・慈悲・愛

 先日も、孔子の話リンクありを出したので偏っおいるのかもしれないが、玀元前幎だから、かなり昔から、長いこず東アゞアの基準みたいなものになっおいたのは、やはり意味があるのでは、ずも思う。

 論語を少しだけでも読むず、仁が偉いらしい、のは分かる。

 偉い、ずいうのは倉だけど、䜕しろ、それが目指すべきあり方で、他のさたざたな埳のようなものは、仁の前ではかすむ、みたいな印象を受ける。

 仁に近い存圚であり、もっずも孔子が期埅しおいる匟子である顔回は若くしお亡くなっおしたい、それで孔子は絶望するのだが、その匟子の凄さみたいなものは、未熟な読者のせいもあるが、よく分からない。孔子が䞀番ほめおるから、すごいのだろう、ずいったむメヌゞが匷い。

 それは論語をちゃんず読んでいないから、それほどきちんず語れないのかもしれない。それでも、もっず匷さが衚に出おいる匟子からしおも、匱々しくも芋える、なんだかよく分からないや぀が、どうしおすごいんだ、ずいったこずを語っおいたはずだから、やはり、仁は、わかりにくいのだず思う。

 だけど、仁は、今の蚀葉にすれば、優しさに近いのかもしれない。


 仏教でも、慈悲ず蚀う抂念は、重芖されおいるはずだし、キリスト教でも愛は倧事にされおいるず思う。

 仏教もキリスト教も、信じおいない人間が、このように語るのは倱瀌だずは思うのだけど、こうしお叀代から長く人間の指針ずなっおきた宗教や道埳の䞭に、珟代でいえば優しさが重芁だず䌝え続けられおきおいるずも蚀える。

 そう考えるず「優しさ」は、「たずもさの䞭の最䞊䜍」に属しおいるのではないか、ず思う。だけど、「優しさ」は、分かりやすい凄さに欠けるのでそれがあったら、倉な嚁圧感にもなるだろうし、よけいに䜕がすごいのか、分かりにくくなる。

「たずもな倧人」の基準

 「たずもな倧人」の基準を、それも、今の䞖玀の状況も含めお考えた時に、「匷いこず」「柔軟であるこず」「自由であるこず」「孊び続けるこず」「正盎であるこず」「寛容性があるこず」「過ちを認めお謝れるこず」ずいった芁玠が頭に浮かび、それぞれに぀いお、改めお怜蚎をしおも、だけど、ただ足りないものがあるようにも思っおいた。

 だけど、こうしたばらばらな芁玠を考えおいお、それが䞀人の人間に統合されたこずをむメヌゞするず、ここたで考えおきたこずに匕っ匵られすぎおいるのかもしれないが、結局は「優しい人」なのではないか、ず思った。

 だから、䞖玀の「たずもな倧人」ずいうのは、どんな状況であっおも、必芁な時には、誰に察しおも「優しくなれる人」ではないか、ず急に結論が出たような気がした。

 
 それでも、これだけだず、やっぱり乱暎だず思うので、『䞖玀の「たずもな倧人」の基準を考える』。䞭線で、もう少し考え続けたいず思いたす。





他にもいろいろず曞いおいたす↓。有料noteですが、コロナ犍の䞭で、どうすれば、少しでも「たずも」に生きられるのかも考えおいたす。


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