芋出し画像

『䞖玀の「倧人」を考える』②「たずもな倧人」は、どこにいるのだろうか

 粟神幎霢ずか、人ずしおの成熟ずいったこずを考え始めるず、粟神幎霢的には「老人」はいないのではないかリンクありず思ったり、もしくは、どうしおも「倧人ずはどんな人か」を考えるこずになる。粟神幎霢をあげようず努力するのではなく、いろいろずあっお、結果ずしお気が぀いたら成熟し、粟神幎霢があがっおいる、ずいうのが自然なこずだず思う。

 それは、明治時代に、倏目挱石が「高等遊民」ずいったこずを繰り返し曞いおいた頃から、「倧人」のむメヌゞに぀いおは、ものすごく倧量の文章が費やされおきたはずだし、そのこずで、「倧人」の像はいろいろず定たったり、揺らいだり、たた再定矩されたりしお、幎月がたっお、もう幎以䞊が過ぎた。

 だから、今さら、そこに察しお、画期的な「䜕か」を付け加えるこずもできないだろうし、そんな胜力があるわけもない。だけど、本来であれば、「倧人の䞭の倧人」がなるべきであろう、実質的な䞖界䞀の暩力者であるアメリカの倧統領が、幎間、ああいう人だったから、「倧人」の基準をたた考え盎す時に来おいるのかもしれない。もしかしたら近い未来に、アメリカでは初めおの女性の倧統領が誕生する可胜性も出おきたし、今は、䞖玀になり、「倧人の基準の曎新」がされる時に来おいる感じもするので、未熟であっおも、今の時点で、たずは「たずもな倧人はどこにいるのか」から、改めお考えたほうがいいのかもしれない。

教宀の蚘憶

 たずえば、小孊校や䞭孊校、高校でもいいのだけど、教宀ずいう堎所で、自分のこずは棚に䞊げお、たずえば人孊玚ずしお、男女問わず、この人はたいした倧人になるのではないか、ずいったこずを感じさせる人間が䜕人いたかを思い出すず、たずえば小孊校でも人か人。䞭孊校でも、高校でも䌌た感じで、人を超えるこずはないず思う。

 そういう孊生は、決しお優等生ずむコヌルではないけれど、いいや぀だったり、玠敵な人だったりする。それは、玠質なのか、才胜なのか、もしくは家庭環境に恵たれおいたのか、ず本人の努力のこずよりも、そういう呚囲のこずに぀いお芁玠を考えがちなのは、ただ生きおいる時間が短い、子䟛だからだず思う。そしお、確かに「たずもな子䟛」の芪や逊育者は、「たずもな倧人」が倚い印象がある。

 それでも、同じ幎代の子䟛ずしお、どうしお、こんなに勇気があるのだろう。心が広いのだろう。意志が匷いのだろう。い぀も、優しいのだろう。ず、環境を考えるこずを超えお、感心するくらいの子䟛はいる。それは、でも「無垢なたずもさ」ずいっおいいもので、そのあず、どうなったのだろう、ず䞍安ずずもに思う。

 そのあずに盎面する瀟䌚のこずを考えるず、正盎者は銬鹿を芋る、ずいった蚀葉や、䞖の䞭はそんなに甘いものじゃない、ずいった声が頭に浮かぶからだ。たいしたこずはないけれど、自分が経隓した嫌なこずや倧倉な事を思い出し、そういう環境を通っお、さらには、もっず過酷なこずがあるのは知識ずしおは知っおいるから、あの「たずもな子䟛たち」はどうなったのだろう、ず思ったりする。この過酷な環境を通り抜けながらも、あの「たずもさ」をキヌプできるのだろうか。

 ごく皀に、「たずもな子䟛」が、倧人になった姿を芋る事もあるが、もちろんひどくはなっおいないけれど、あの時から予想される「たずもな倧人像」たでは到達しおいないこずが倚い。だけど、それは、もっずすごくなっおいおくれたら、みたいな䞀方的な期埅をしおいただけで、その本人には責任はたったくないのに、勝手にがっかりするこずはある。

 そしお、瀟䌚に生きおいれば、誰もが分かるず思うのだけど、「たずもな倧人」は、教宀の蚘憶ず同様に、そんなに倚くいるわけでもない。だけど、時々、目にしお、感心もするような「たずもな倧人」は、どうやっお、そうなったのだろうか、ず思うこずはある。自分が知らない「ある堎所」にいくず、「たずもな倧人」が倧勢いたりするこずはあるのだろうか。

環境の圱響

 「たずもな子䟛」を芋るず、やっぱり家庭環境を思っおしたう。
 そしお、その家庭が「たずも」だったりするず、どこか確認できたような気持ちになるずずもに、埮劙な絶望感みたいなものがあるのは、生たれる堎所は遞べないし、環境で、その埌がそんなに決定されるのは、仕方がないのかもしれないけれど、そこに理䞍尜さも感じるからだった。

 統蚈的に芋おも、たずえばニュヌペヌクで、以前は、銃撃が日垞のような地域に生たれおしたうず、その埌も、いわゆる法埋の倖で生きざるを埗ないような将来が倚くなる。そんな資料などは読んだ蚘憶があっお、それは、環境の䞎える圱響のこずを考えたら、割り切れないけれど、必然であるように思えおしたう。

 だけど、これも、さらにどこかで読んだはずだし、もしかしたら、自分が信じたいだけのね぀造の蚘憶の可胜性すらあるが、少数であるが、過酷な環境で育っおも、瀟䌚的にも、たずもに生きおいる倧人たちがいる。その远跡調査によるず、生育環境の䞭で、自分のこずをきちんず盞手にしおくれた倧人がいたたずえ䞀人でもずいった共通点があるらしい、ずいうこずを知っお、自分で勝手な垌望にしおいるずころはある。

 もしかするず、「無垢のたずもさ」よりも、厳しい環境の䞭に生たれ育っお、その䞊で、「たずもな倧人」ずの出䌚いによっお、自分自身も「たずもな倧人」になっおいくずいうパタヌンが、「たずもな倧人」ずしお、䞀番匷く深い存圚になっおいくのではないか、ずも思う事はある。だけど、それは、自分自身の勝手な、劙に甘い願望なのかもしれない。

「若い時の苊劎は買っおでもしろ」

 こんな蚀葉は、昔はよく聞いおいたけれど、䞀方では重すぎる苊劎が人をゆがたせおしたうようなこずもあるから、䞀抂に苊劎すればいいずいうものではないず思っおいた。それに、「若い時の苊劎は買っおでもしろ」ずいう幎長者ほど、自分は苊劎をしおいないこずが倚い印象があったから、これは、若い人間ぞの嫌がらせでもある乱暎な蚀葉ではないか、ず疑っおもいた。

 それでも、幎霢を重ねおいくず、この蚀葉ぞの印象は埮劙に倉わっおいる。

 たずえばサッカヌのワヌルドカップ のような倧きな舞台で、そこで戊うようにサッカヌをするずいう経隓がどのような質のものなのかは、ただ、ずんでもないプレッシャヌがあるず想像するしかない。

 その䞭でプレヌを続けた、特に若いプレヌダヌは、そのワヌルドカップ の期間䞭に、それは䞀ヶ月くらいの時間にもかかわらず、ずいうよりは、極端にいえば、詊合ごずに成長しおいるのを芋おいるず、その詊合が、これたでのリヌグ戊ずは違っお、ずんでもないプレッシャヌがかかっおいる結果だずは思う。もちろん他ではない晎れがたしさや充実感はあるかもしれないが、それでも、ずんでもなく重い時間なのは想像も぀く。そしお、おそらく若いプレヌダヌのほうが、そのプレッシャヌの䞭での成長率は高いように思う。

 若い時の苊劎は買っおでもしろ。

 もしかしたら、この蚀葉は、それを語っおいた人の意図を超えお、こういうワヌルドカップ での経隓みたいなこずも瀺しおいるかもしれない。確かに若い時でないず、倧きく成長できるような、重い負担を背負うこずは難しく、歳をずった時に、重い苊劎を背負うず、本圓に呜に関わっおしたうこずになるので、若い時に経隓したほうがいい、ずいう知恵かもしれない、ず思うようにはなった。

 毎日を淡々ず、仕事や生掻に関しおの工倫や努力も圓然ずしおも、突発的で䞍芏則な倧きなできごずがないず、成長の速床に拍車はかからないずいうこずかもしれず、だから、苊劎も人をゆがたせるだけではなく、たしかに意味は倧きいのかもしれない。ただ、こうした倧きなプレッシャヌは意識しお遞択しないず、遭遇しない可胜性も高い。だから、自分の倧きな成長のために、若い時は、できるだけ困難なこずぞのチャレンゞはしたほうがいい。

 それが、「若い時の苊劎は買っおでもしろ」ずいう意味なのかもしれない。

 ただ、これは向䞊はするものの、たずもさに結び぀くかどうかは、たた少し違うような気もする。

たずもな倧人は、どこにいるのか

 教宀に「たずもな子䟛」は少数掟で、そこから成長しおいっお、いろいろず厳しいこずがあっお、それでもゆがたずに成長に぀なげるこずができお、「たずもな倧人」になっおも、それは、どう考えおも、倚数掟ではない。

 そしお、子䟛の頃は、厳しい環境の䞭にいたこずで、たずもに芋えなかった人間が、成長する䞭で「たずもな倧人」ずの出䌚いによっお、自身も「たずもな倧人」になる人たちも、残念ながら倚数掟ずは思えない。

「若い時の苊劎」を乗り越えお飛躍的に向䞊する人もいるが、その人たちのすべおが、自分の若い時ず同じような「厳しい環境」にいる人間にも優しい「たずもな成熟した倧人」になるわけでもない。


 さらに、ずおも「たずもな倧人」だず思っおいた人が、いわゆるベテランや晩幎になっお、急に、がっかりするような蚀動をするこずもある。特にスポヌツ界でも音楜界でも、そんなこずがここ䜕幎か続いたこずが、「たずもな倧人」を考えたくなった動機の䞀぀でもあった。

 おそらく、幎霢が高い人ほど、この芋方に同意しおくれる人が倚くなるような気はするのだけど、自分のこずは棚にあげお、もしかしたら、ずっず「たずもな人」なんお、䞖の䞭にいないんじゃないか、ずいった気持ちになる。だから、今の䞖界が、こんな感じになっお、困っおいる人に察しお、やたらず冷たくなるような䜙裕のない瀟䌚になるのかもしれない、ず思ったりもする。粟神幎霢が高く、成熟した人はいないのではないか、ずいったような思いにもなる。

 胜楜の䞖界で、「時分の花」、「たこずの花」ずいう蚀葉があり、このこずを自分が、本圓に理解しおいるかどうかも分からないが、ただ、今の䞖界で「たずもな倧人」ず芋える人は、その時の勢いによる「時分の花」に過ぎず、生涯にわたっお成熟しおいくような「たこずの花」のような「たずもな倧人」は、自分も含めおどこにもいないのではないか、ず思いたくもなる。

ガッカリした時に、どうするか

 だけど、こんなこずを考えおいるうちに、誰かに「たずもな倧人」であるこずを勝手に期埅するのを、やめたほうがいいずも思うようになった。

 あの人はすごいなどず思っおいお、そしお、その短い時間だけでなく、幎以䞊たったころ、その人のこずを忘れた時分になっお、ガッカリするような蚀動をしたりするのを、最近のほうが目にするこずも倚くなっおはいるが、少し考えれば、そのガッカリは、こちらの勝手な思い蟌みだったりもする。

 誰かがたずもだったり、立掟だったりするのだったら、その瞬間だけで十分で、それ以䞊を求めおはいけない。もしも、その行為などに孊べるこずがあったら、その「たずもさ」の存圚が可胜である、その事自䜓を蚌明したのだから、それから先を期埅しない。

 そのたずもさを芋お、そしお、それが参考にできお、もしも、もうガッカリしたくなかったら、少なくずもやれるこずはある。もしかしたら、無理かもしれないし、間に合わない可胜性も高いけれど、自分自身が少しでも「たずもな成熟した倧人」になるように努力なり工倫なりを始めればいい。しんどそうですが、筋トレず䞀緒で、やめずに少しず぀、ずいうこずだず思いたす。私も無理せず、がんばりたいず思いたす。

 だから、「たずもな倧人」ずは、「たずもな倧人」になろうずするこずをあきらめず、様々な詊行錯誀をやめない人のこずかもしれない。「たずもな倧人」は䞀床そうなったら、固定されるものではなく、そこからさらに「よりたずもであるこず」を目指し続けないず、気が぀いたら、「たずもでなくなる」ずいう困難なこずなのだず思う。時代が進むず、「たずもさの基準」が曎新されおいくこずも考えられるから、倉わらないたただず、たずもさが、遠くなる。

 「たずもな倧人はどこにいるのか」ずいえば、どこにでもいる可胜性があるし、自分自身が将来そうなれる可胜性がある、ずいうこずなのだろう。そしお、たずもな倧人でも、次の瞬間には、たずもでなくなるこずもある、ずいう単玔だけど、残酷な事実があるだけ、だずも思う。


 未熟な結論ではありたすが、今回の「たずもな倧人はどこにいるのか」に぀いおは、以䞊です。ただ、このたたでは、あたりにも抜象的で䞍芪切でもあるので、「䞖玀の、たずもな倧人の基準」に぀いおは、すみたせんが、たた別の機䌚↓に考えたす。




他にも、いろいろず曞いおいたす↓。読んでいただけたら、うれしく思いたす。



#いた私にできるこず   #倧人   #粟神幎霢   #哲孊   #たずもな倧人

#生き方   #成熟   #成熟した倧人   #自己玹介


いいなず思ったら応揎しよう

おちたこず 蚘事を読んでいただき、ありがずうございたした。もし、面癜かったり、圹に立ったのであれば、サポヌトをお願いできたら、有り難く思いたす。より良い文章を曞こうずする詊みを、続けるための力になりたす。

この蚘事が参加しおいる募集