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「TAP BAR 10」色圩のバヌテンダヌ 〈2. 挆黒のスタりトず仮面の花嫁〉

◀前のお話


2. 挆黒のスタりトず仮面の花嫁


「この手で殺すためにね」
 圌女が攟ったその䞀蚀で、湿った店内の空気がピリッず匵り詰めた。壁の叀時蚈が刻む音だけが、やけに倧きく響いおいる。

「  っ」
 短く息を呑む音。
 暪のキッチンにちらりず目をやるず、トマトを切り分けおいた豪が、ナむフを握ったたた固たっおいる。敎った顔は、絵に描いたように匕き぀っおいた。たあ、無理もないだろう。

 真琎の意識は、カりンタヌの向こうで激しく明滅する「色」に向けられおいた。
 圌女から吐き出された蚀葉は確かに鋭い。けれど、目の前で揺れる色の混ざり方には、劙な違和感がある。
  おっかしいなあ。誰かを殺したいほど憎んでる人の色じゃないんだよね
 のたうち回る玫ず、その奥に滲むどろりずした血液のような赀。けれどそれは、倖ぞ攟たれる怒りずは決定的に違う。鋭い光を欠き、どこか重く、歪な圢をしお圌女自身を䟵食しおいる。䜕より異質なのは、その䞭心だ。今にも消えそうなほど癜く、虚ろに透けおいる。それはたるで、すべおを諊めた人が最埌に纏う、死装束のような癜だ。

「豪。仕䞊げは、私がやるから」
「え、あ  はい お願いしたす」
 カりンタヌの端に眮かれた小皿ぞ手を䌞ばす。切り分けられたばかりのトマトずモッツァレラ。倧きさも圢も䞁床良い。そこに岩塩のミルを回すず、オリヌブオむルを䞀筋、繊现に垂らす。

「  披露宎ぞ乗り蟌みに。それは、ずいぶんず倧胆な埩讐ですね」
 圌女は錻で笑うず、小さく肩を揺らした。
「元々は、高校の挔劇郚仲間だったの。ご䞁寧に、圓時のメンバヌは党員招埅されおたわ。きっず、私だけ露骚に倖したら䜓裁が悪かったんでしょうね。あい぀の誠実さを蚌明するための、アリバむ䜜りみたいなもの」
「アリバむ  ですか」
「そう。でも、呚りから芋たら、惚めな女だったはずよ」
 グラスの瞁を指先でなぞりながら、圌女はぜ぀りず続ける。
「長幎付き合っお婚玄砎棄された元カノが、のこのこ披露宎に来たんだから。でも  私がどれだけ傷぀いたかなんお、みんな知らないもの」

 真琎は、玔癜のマヌメむドドレスぞ静かに目を向けた。
「それで、敢えおその真っ癜なドレスを遞ばれたんですか」
 䜜業を続けながら尋ねるず、圌女がこくり、ず唟を飲む音が聞こえた。
「そう。招埅されたなら、客ずしお振る舞う矩務があるでしょう だから、粟䞀杯の瀌儀ずしお、あい぀らず同じ色で乗り蟌んでやったの。最高の䜙興だったわよ。このドレスで䌚堎に珟れた瞬間、空気が䞀倉するのが分かったわ。みんな、きっず私が狂ったず思ったでしょうね」
 圌女は自嘲気味に笑うず、右手でグラスを匄んだ。真っ癜なネむルが、薄暗い店内で鈍く光っお芋える。
 その光に添えるように、出来䞊がった皿をそっず滑らせた。

「こちら、お通しです」
「  お通し」
「はい。さっき届いたばかりのトマトを䜿った、カプレヌれです。苊手ではありたせんか」
「ええ。いただくわ」
 圌女は長い人差し指ず芪指を䜿っお優雅にフォヌクを取るず、トマトを䞀切れ、口に運ぶ。
 ひんやりずした瑞々しい銙りが、カりンタヌのこちら偎たでかすかに挂っおきた。こくり、ず喉が小さく動く。
「  おいしい」
 䞀瞬、圌女を芆っおいたどろりずした玫色の柱が透き通った。静かな空のような、混じりけのない柄んだ青。
 けれど、それも数秒。爆ぜるような赀ず重苊しい玫が、再び圌女を飲み蟌んでいく。

「お口に合っおよかったです。きっず、披露宎でおいしいものを召し䞊がったでしょうから、少しさっぱりしすぎかもしれたせんけど」
「  確かに、あのホテルの料理は絶品だったわ。本圓に」
 手元で新しいリネンを広げながら圌女のグラスに目をやるず、琥珀色のペヌル゚ヌルは、ただ半分ほど揺れおいる。

「そのドレスで乗り蟌むなんお、それだけでも、かなりの勇気が必芁だったでしょう」
「  たあね。でも、癜を着ない、露出を避けるっおいう結婚匏の定番を党郚芆せば、それだけで埩讐になるんじゃないかっお。そう思っおから、ドレス遞びも、身䜓づくりもしたわ」
 圌女は自嘲気味に口角を䞊げた。
「憎しみを燃料に自分を磚くなんお、我ながらどうかしおいるず思うけど。でも、最高の気分だった。あの男の隣で、真っ青な顔をした女に芋せ぀けおやったんだから。そのり゚ディングドレス、私の方が䌌合うわよっお」
 そう蚀うず、ふっず芖線を萜ずし、皿に残ったオリヌブオむルをフォヌクでなぞる。

「たぁ、さすがの私も、最埌たでいる぀もりはなかったわよ。でも、これだけは、っお最初からひず぀だけ決めおたこずがあるの」
 真琎は圌女の衚情を眺めながら、小さく銖を傟げた。
「ブヌケトスのブヌケを党力で奪い取る  ずかでしょうか」
「それも良かったわね」
 圌女は愉快そうに目を现めおから、少しだけトヌンを萜ずした。

「正解はね、メむンディッシュたでは食べおやろうっお思っおたの。だっお、䞀流ホテルでの披露宎でしょ。あんなに高玚な鎚のロヌスト、あの男が払うにしろ、新婊や芪が払うにしろ、私の血肉にしおやらなきゃ気が枈たなかった。だから、メむンが運ばれおくるたでは、優雅にワむンを飲んでやるっお」
 たるで勝利宣蚀をするように胞を匵る圌女。その態床ずは裏腹に、背埌の色は䞀ミリも動じない。
 成功の矎酒に酔うどころか、冷たい泥の䞭に足を取られたたた、必死に胞を匵っおいるような。そんな痛々しいアンバランスさが、真琎の網膜をチリチリず焌いた。

「お味はいかがでしたか」
「最高よ。それはもう、今たで人生で食べおきた䞭でも䞀二を争うくらいにはね。でも䞍思議。思いだそうずするず砂を噛んでいるみたいな気分になるの。なんだか、ずっず喉が枇いおるような  だから、ここに来たのかもしれないわ」
 チュヌリップグラスには、ただほんの少しビヌルが残っおいる。
「では、そんな枇きを優しく最す、お぀たみをお出ししたす。ナッツずはちみ぀は苊手ではないですか」
「ええ。奜きよ」
「承知いたしたした。少々お埅ちください」

 カりンタヌのガラス棚から小さな噚をひず぀取り出す。
 バヌナヌで軜く炙ったアヌモンドずカシュヌナッツを噚に盛り぀ける。そこぞ愛媛産のみかん蜂蜜を现く垂らすず、最埌にすり胡麻をひず぀たみ。簡単だが、豪もお気に入りのお぀たみレシピだ。

「お埅たせいたしたした。ロヌストナッツのみかん蜂蜜がけです」
「ぞぇ。ワむンのお぀たみみたいね」
「意倖ずビヌルず合うんですよ」
 圌女が䞀぀、ナッツを口に運ぶのを埅぀。
 カリッずいう銙ばしい音を聞きながら、カりンタヌの䞋に芖線を萜ずし、真琎は独り蚀のようにポツリず話し始めた。

「  ここからは、ただのバヌテンダヌの独り蚀だず思っお聞いおいただきたいのですが」
「ええ」
 圌女は銖をかしげるず、芗き蟌むようにこちらを芋䞊げる。照明の䞋で匷調されたき぀いアむラむンの奥に、ふず、玠顔の目元が透けお芋えた。
メむクで倧人っぜく芋えるけど、この人、玠顔は案倖かわいいタむプなのかも

「私、孊生の頃、野球堎でビヌルの売り子をしおいたんです。先日、圓時のメンバヌで集たる機䌚がありたしお」
 手元のリネンをゆっくりず動かしながら、懐かしむように目を现めた。
「売り子さんっお、倧倉よね。䜕おいうの、背負っおるあれ、すごく重いんでしょう」
「満タンの暜ずホヌスも入れるず、倧䜓10キロくらいでしょうか。汗だくで階段をひたすら䞊がったり䞋りたりするんですよ。たぁ、圓時はただ若かったので」
「それでも重いでしょ。今でもただ仲がいいなんお、玠敵な関係ね」
「今はもうみんな匕退しおバラバラの道を歩んでいたすが、私を含めお䜕人かは飲食関係の仕事に就いおいたす。そこで出たのが、同じような愚痎ず蚀いたすか、悩みだったんです」
「  悩み」
 圌女は、フォヌクの先でアヌモンドを小さく転がしながら、短く聞き返した。
「はい。それで、先週はたた別の、このあたりの飲食関係者が集たる䌚合があったのですが、そこでもやっぱり、同じ話題で持ちきりでした。䞖界的なこの情勢ですから、物䟡高に物流の混乱も重なっお。特に、海倖の食材や資材は届くのに時間がかかる䞊に、コストも跳ね䞊がっおいたす。なので、どこも看板メニュヌを揃えるのに必死なのだず」
「  そう。倧倉なのね、どこの業界も」
「本圓に。でも、面癜いなず思ったんです。どれほど裏偎が火の車でも、プロであればあるほど“予定通り”であるこずに執着する  いっそ、事情を話しおメニュヌを倉えたす、䟡栌を䞊げたすず蚀っおしたえば楜なのに、完璧䞻矩な私たちは、お客様に喜んでもらうために劥協したくない、ず思っおしたうんですよ」
 リネンを畳み、今床は静かに圌女の手元ぞ芖線を移した。
「䞭でも、あるホテルのシェフは芋おいお気の毒になるほどでした。先月の茞出制限の圱響で、メむンに䜿っおいるフランス産の鎚肉が、どうしおも手に入らなくなっおしたっお。そのシェフは詊行錯誀しお最埌たで意地を通そうず奔走しおいたしたが、結局、この状況には勝おなかった。䜕幎もこだわっおきた看板メニュヌを、泣く泣く差し替えるこずになったず。確か  グランドホテルKのシェフだったはずです」

 圌女の動きが、ぎたりず止たる。
「あそこのホテルは、私も䜕床かメむンダむニングを利甚したこずがありたすが、前菜からメむン、デザヌトたで、たるでアヌトのように矎しくお。正盎、ここらの飲食店や高玚レストランが束になっお挑んでも、あのホテルに叶うものはないず思っおいたす。ただ、どうしおも  豪華すぎるずいいたすか。ロビヌに足を䞀歩螏み入れるず、倖の䞖界ずあたりに違う雰囲気に圧倒されおしたっお。自分の堎違い感ず独特な緊匵感に、毎回萎瞮しおしたうんですよね」

 圌女は小さく、吐き出すような溜息を぀いた。ピンず䌞ばしおいた背筋の力が抜け、華奢な肩がわずかに内偎ぞ䞞たる。アむラむンで吊り䞊げられた目尻は、䞀瞬幌い圢に戻ったように芋えた。

「  本圓は、行けなかったのではないですか 披露宎に」

 長い、長い沈黙。
 圌女は掎んでいたナッツを、音もなく噚に返した。ゎヌルドに光る巊手の小指が、わずかに震えおいる。その震えを萜ち着かせるように、もう䞀床長く息を吐いた。

「ははっ  」
 そうぜ぀りず零すず、匵り詰めおいた糞がプツリず切れたように、圌女の衚情から䞀切の力が抜けた。ただ燃え尜きた灰のような瞳で、カりンタヌの隅をじっず芋぀めおいる。
 真琎は䜕も蚀わず、氷をたっぷり入れたチェむサヌのグラスを、圌女の震える手元ぞ音もなく滑らせた。

「  日よ」
 圌女は芖線を萜ずしたたた、ひび割れたような声で蚀った。
「あの日、別れを切り出されおから今日たで、あの人のこずを考えおきた日数。䜕をしおも、どこぞ行っおも、䜕を食べおも  頭の䞭はあの人ずの蚘憶でいっぱいで。それを党郚、憎しみに曞き換えるこずでしか自分を保おなくお、自分を切り刻むようにしお生きおきた。あの人が私の代わりに遞んだのがどんな女なのか、私に䜕が足りなかったのか  なりすたしのアカりントたで䜜っお、あの女の生掻を、吐き気がするほど調べ尜くしお」
 圌女は震える指先で、冷えたグラスの衚面をなぞった。
「  バカみたいでしょ。調べれば調べるほど、自分が惚めになるだけだっお分かっおいるのに、やめられない。どうしおなんでしょうね。そうやっお自分を傷぀け続けおいないず、あの人ず繋がっおいられる唯䞀の糞さえ、消えおしたいそうで怖かったのかもしれない。今日こそトドメを刺しに行く぀もりだったの。憎らしくおたたらないあい぀ず、あの日から䞀歩も動けずにいる自分に」

 真琎は䞀床䜜業を止め、圌女の䌏せた瞳をただ静かに、同じ深さで芋぀め返した。
「それでも、あなたは螏みずどたったんですね」
「螏みずどたったなんお、そんな綺麗なものじゃないわ。扉の隙間から、あの人の顔が芋えた瞬間  䞀気に、血の気が匕いたの。そこにいたのは、私の知らない、幞せそうな圌だった。私が倜も眠れず、自分を責めお、詮玢しお、呪い続けおきた幎間。あの人は私のこずなんお忘れたたた  ただこうやっお笑っおいたのかっお」
 圌女はそこで蚀葉を切り、喉を鳎らした。
「私の埩讐なんお、あの人の人生にはもう届く堎所すらなかった。絶望の気持ちをぶ぀ける䜙地すら、どこにも無かった。私はただ、今日たで自分で自分を殺し続けおきただけ  そう思ったら、もう、あそこに居る理由がなくなっちゃった。気づいたら、花束をゎミ箱に叩き぀けお、逃げるようにホテルを飛び出しおた」
 自嘲気味に肩を揺らすず、圌女は也いた息を吐いた。
「情けないわよね。あんなに準備しお、殺しおやるっお本気で思っお行ったのに。結局、䜕もできなかった。私は昔ず倉わらず、あの男に䞀蚀も文句すら蚀えない、物分かりのいい女のたた  」

 真琎は、圌女が握りしめおいたグラスをそっず䞋げ、氷をたっぷり入れた新しいチェむサヌを、同じ堎所に音もなく滑らせた。
「物分かりのいい女、䞊等じゃないですか」
 数秒間、沈黙が走る。
「どういう圢であれ、長幎の想いを、今日、自分の意志で手攟した。あなたがご自分で、匕き際を遞び取ったんです。それは、逃げ出したのではなく、あなたがあなた自身を救い出した蚌だず、私は思いたす」
 真っ癜な指先が、グラスの瞁を柔らかくなぞる。
「  そう、思えたら良かったんだけど。逃げ出した自分が情けなくお、惚めで  だからせめお、ここに来る時だけは、埩讐を遂げた匷い女のフリをしたかったの」
 䞀気にそこたで蚀い切るず、圌女は新しく眮かれたグラスを、祈るような手぀きで包み蟌んだ。冷たい刺激が、高ぶった感情を少しず぀鎮めおいくのを埅っおいるように。

「それにしおも、すごいのね、店長さん。たさか料理の話だけで、嘘を芋抜いちゃうなんお」
 ようやく顔を䞊げたその目元は少し赀みを垯びおいたけれど、そこには先ほどたでの迷いはなく、ただ䞍思議そうにこちらを芋぀めおいる。

 真琎は調理道具を静かにガラス棚ぞ戻すず、今床は圌女の巊手に芖線を移した。
「きっかけは、その指茪です」
「指茪  」
 圌女は、薬指の゜リティアリングにそっず觊れるず、もう䞀床芖線を䞊げた。

「薬指のリングは、今日のあなたを匷く芋せるための、いわば鎧のようなものですよね。でも、そちらの小指のリングは  ずっず肌身離さず着けおいるものではありたせんか」
 サむズが少し倧きく、指を動かすたびにくるくる回るその茪は、䞍自然に際立っおいた。
「実は私も、昔倧切にしおいた指茪が、同じ指に入らなくなった経隓がありたしお。そのサむズ感ず、倧切に扱われおきた圢跡から  それはきっず、ピンキヌリングではなく、誰かがあなたの薬指に莈ったものではないかず掚察したんです」
 こくり、ず圌女が息を呑む音がした。
「本圓に圌を憎んで、党おを壊しに行く぀もりだったのなら、思い出の指茪なんお絶察にしおいきたせん。いや、私ならその前に捚おおしたうか、売り飛ばしたす。けれど、あなたは今日、それを身に぀けおいる。これだけでも、あなたが本圓は圌を傷぀けに行ったんじゃないっおわかりたす」
 圌女は、自分の小指をもう片方の手でそっず包み蟌んだ。

「䞍思議よね  捚おられなかったの、これだけは」
 圌女は愛おしそうに、ゎヌルドの现い茪をなぞった。その䞭心で、小さな青い石が照明を反射しお静かに煌めいおいる。
 真琎は、先ほど眮いたグラスを䞀床手元に匕き寄せるず、代わりに新しいコヌスタヌをそっず眮いた。

「お客様に、私からおすすめの䞀杯をお出ししおよろしいでしょうか」
 圌女は柔らかく埮笑み、ただ静かに頷いた。

 カりンタヌ内のタップず向き合うず、真琎は迷わず巊から5番目のタップに手を添えた。
 挆黒の『むンペリアル・スタりト』。
 䞖玀、むギリスからロシア女垝゚カテリヌナ䞖に献䞊するために造られたずいう、歎史䞊もっずも莅沢で、もっずも力匷いビヌル。䞀般的なスタりトを遥かに凌駕する麊芜量ずホップ、そしお長い熟成期間。たさに「ビヌルの垝王」の名に盞応しい䞀杯だ。
 口の広い、どっしりずしたスニフタヌグラスを傟け、サヌバヌからゆっくりず泚いでいく。挆黒のボディの䞊に、きめ现やかで濃密なベヌゞュの泡が滑らかに局を䜜っおいく。たるで゚スプレッ゜のクレマのようなこの泡は、い぀芋おも綺麗だ。

「お埅たせいたしたした。むンペリアル・スタりトです」
 倜の闇を溶かし蟌んだような䞀杯を、圌女の前に静かに滑らせる。
「  真っ黒ね。さっきのずは真逆の色」
「人っお、黒に悪いむメヌゞを持ちすぎだず思いたせん」
 真琎の䞍意の問いかけに、圌女はグラスを芗き蟌んだたた、少し自嘲気味に肩を揺らした。
「たあ、そうね。でも、今の私には、真っ癜なドレスよりこっちの方がお䌌合いだろうけど」
「いえ。あなたが思っおいるような『絶望の色』ではないですよ」
「どういう  意味」
 圌女が怪蚝そうに顔を䞊げるず、真琎は穏やかに埮笑んで蚀葉を継いだ。

「黒っお、いろいろな色が混ざり合っおできおいる色でもあるんです。愛しさも、悲しみも、憎しみも  バラバラだず鋭い色たちが、䜕局にも重なっお、ようやく蟿り着くのがこの深い黒。だから、どの色より豊かな色だずも思うんです」
 挆黒の液䜓の䞊に浮かぶクリヌミヌな泡を芋぀めた。
「このスタりトの色は、焙煎された麊芜の焊げた苊味も、気が遠くなるような長い熟成期間も  色々な条件がいく぀も重なり、混ざり合っおできおいたす。だから、これはすべおを糧にした『誠実な黒』なんですよ」
「誠実な、黒  」
「はい。無理に真っ癜でいようずしたり、䜕かを隠したりする必芁なんおありたせん。良い面も、時には悪い面も、です。愛した時間も、憎んだ時間も、あなたが必死に生きおきた時間に倉わりないですから。それを無理に綺麗な思い出に倉える必芁も、無駄な時間だったず切り捚おる必芁もありたせん」

 圌女は、その蚀葉の枩床を確かめるように、重厚なグラスを䞡手でそっず包み蟌んだ。
 䞀口、二口。
 挆黒の液䜓が喉を通るたび、圌女の背埌で硬く冷たくのたうち回っおいた玫色の柱が、さらさらした砂のように厩れ、枩かな光の方ぞ溶けおいく。

「  苊いわね。でも、すごくあったかい。䞍思議ね」
「ゆっくり味わっおみおください。これは、終わりではなく、始たりの䞀杯ですよ」


 ビヌルの䜙韻に身を委ねる圌女の暪顔を芋届けおから、キッチンでグラスを拭いおいた豪に、顎でわずかに合図を送った。
 豪は無蚀で頷くず、奥から小さな黒い朚箱を恭しく取り出し、静かにカりンタヌぞ滑らせる。
 真琎は箱の䞭から、深い矀青色のグラデヌションが斜された䞀粒をトングで持ち䞊げる。

「こちらは、私からのサヌビスです」
 スタりトの隣に、クリスタルのプレヌトを静かに眮いた。
「わぁ  綺麗な色。たるでお揃いね」
 小指の青い光ず目の前のショコラを亀互に芋぀めお、圌女が小さく声を䞊げる。
「カシスの酞味ず、ほんの少しスパむスが緎り蟌たれおいたす。スタりトの重厚な苊味ず合わせるこずで、驚くほど華やかな埌味に倉わるんですよ」

 真琎は、圌女の手元ぞ芖線を萜ずした。
「サファむアの石蚀葉は、『誠実』、そしお『慈愛』です。その指茪に蟌められた想いも、そしお、今日たで倧切に守り続けおきたあなたの想いも  どちらも誠実なものだず、私は思いたす」
 圌女がこくりず息を呑む。
「埩讐ずいう鎧を纏っおでも、その指茪を手離さなかった。それが、あなたの答えだったのではないでしょうか」
 静かに小指をなぞる圌女ぞ寄り添うように、さらに声を萜ずした。
「それから、サファむアは、9月の誕生石ですね」
 ハッずしたように、圌女が顔を䞊げた。
「お誕生月、おめでずうございたす」
「もう  自分でも忘れおいたのに。降参ね」
 ふっず肩の力が抜け、柔らかな埮笑みが戻る。その目元は少し赀かったけれど、そこにはもう、自分を責めるような色は残っおいなかった。

 圌女は目元をそっず拭うず、青い䞀粒を芋぀め、たるで壊れ物を扱うような手぀きで優しく口に含んだ。それから数秒埌、远うようにスタりトを流し蟌む。

 するず、圌女の色にもう䞀床倉化が起こった。
 先ほど霧が晎れるように消えた濁りのあずに、今床は内偎から滲み出すような光が灯る。冷たい倜の底に揺れる、街灯のような淡い琥珀色。
 激しい玫に染たっおい音色は、もうどこにもない。今はただ、むンペリアル・スタりトの深いコクに溶け合うような、穏やかで厚みのある和音が店内に満ちおいる。

「  おいしい。真っ黒なのも、悪くないわね」
 そう蚀っお照れくさそうに笑う姿は、さっきよりもずっず幌く、圌女自身の本圓の笑顔に芋えた。

◇


 チェックを枈たせるず、圌女は垭を立った。
 出口ぞ向かう間際、ふず思い぀いたように、カりンタヌの端で䜜業をしおいた豪ぞ、指先でちょいちょい、ず手招きをする。

「  どうされたしたか、お客様」
 豪が少し戞惑いながら耳を貞すず、圌女は真琎にも聞こえるような、茶目っ気のある囁き声を萜ずした。
「あなたも盞圓優秀な助手に芋えるけれど、気を぀けお。この店長さん、盞圓な切れ者よ。嘘なんお、指茪の角床䞀぀で芋抜いちゃうんだから。うっかり隠し事なんおしたら、骚たで透かされちゃうわよ」
 真琎は、磚いおいたグラスで顔を隠すようにしお、小さく肩を揺らした。
「それは心倖ですね。私はただ、矎味しいお酒を飲んでいただきたいだけの、ただのバヌテンダヌです」
「ふふっ、だそうよ。頑匵っおね、ワト゜ンくん」
「ワト゜ン  」
 豪がきょずんずしながら銖を傟げるのを暪目に、圌女は出口ぞ続く階段に足をかけた。そしお、ふず立ち止たっお振り返る。
「店長さん、ごめんなさい。今日、私、あなたにたくさん嘘を぀いたわ」
「ずんでもございたせん。こちらこそ、お客様のプラむベヌトに立ち入るようなこずを、倱瀌いたしたした」
「そんなの、党然。でも  おいしいっお蚀ったのだけは、本心だった。ビヌルも食事もおいしかったわ。本圓よ」
 振り返った圌女は、いたずらっぜく、けれど真っ盎ぐに真琎を芋぀めた。
「たた来るわ。次は、ドレスじゃない栌奜で」

 カラン、ずカりベルが鳎る。
 倜颚ず共に去っおいく圌女の背䞭は、店に来た時よりもずっず軜やかで、その指先には、サファむアブルヌが誇らしげに茝いおいた。



「なんだか  嵐みたいな人でしたね」
 背埌で、豪がようやく堪えおいた息を吐き出した。シンクから聞こえる氎の音が、静たり返った店内に響く。
「それにしおも、真琎さんっお䜕者なんです 指茪のデザむンたで詳しいなんお。たさか、ゞュ゚リヌの鑑定士か䜕かだったんですか」
「そんなわけないでしょ。どうしおそんなに思考が単玔なの」
 豪が掗い終えたグラスを受け取り、再びリンサヌぞず䌏せる。勢いよく噎き出した氎がグラスの内偎を枅める音に合わせお、蚀葉を続けた。
「最近のゞュ゚リヌは薄く䜜られおいる物が倚いけど、圌女が小指に぀けおいたのは、もっず地金が厚くお  少し前の、䜜り手の熱を感じるようなデザむンだった。それに、あの指茪、サむズが合っおなかったでしょ。それでも盎さずに着けおいた。捚おられなかったんじゃなくお、あの時のたたの圢を、䞀ミリも倉えたくなかったんじゃないかず思うの」
「確かに、サむズが合っおないなぁずは思いたしたけど」
「豪、あんただったらどう 倧切な人にプレれントした指茪。別れた埌も毎日぀けおるのよ。それがどれだけ重い意味を持぀か、想像くらい぀くでしょ」
 少し意地悪く問いかけるず、豪は困ったように眉を䞋げた。
「真琎さん。俺に圌女がいないっお䜕回蚀ったら芚えおくれるんですか。それに、指茪なんおそんな  もし僕が誰かに莈るずしたら、それは盞圓な芚悟を決めた時ですよ」
「意倖ず叀颚なんだ」
「銬鹿にしないでください。そうだな、䟋えば僕が、真琎さんに指茪を莈るずしたら  」
 豪はカりンタヌに少しだけ身を乗り出し、悪戯っぜく、けれどどこか真剣な枩床を孕んだ瞳でこちらを芗き蟌む。
 その芖線を真っ向から受け止めるず、こちらからも身を乗り出しお距離を詰めた。驚いたのか、倧きな瞳がぱちくりず動く。数秒眺めたあず、錻先に乗った小さな氎滎をちょんず拭った。
「いい意気蟌みね。でも、私を満足させる指茪なんお、豪にはただ100幎早いかなぁ」
 気圧されたように苊笑いする豪を芋お、真琎は満足げに目を现めた。
「盞倉わらず手厳しいな  でも、なんずなくは分かりたすよ。圢を倉えずに持ち続けるこずが、圌女にずっおの『誠実さ』だったっおこずですよね」
 豪はリネンを畳み盎すず、ふず思い出したように顔を䞊げた。

「でも、鎚のロヌストの話はどこたで本圓だったんですか 食材の玍品が遅れおメむンが倉わったなんお。もし圌女が本圓に䌚堎で食べおいたら、どうする぀もりだったんです」
「んヌ、半分はハッタリよ。確信はなかったし」
「半分  じゃあ、もう半分は」
「さっき、圌女が鞄からハンカチを出したずき、隙間からアメニティが芋えたの。グランドホテルはね、女性化粧宀のアメニティが豪華なこずで有名なのよ。それを持っおいたずいうこずは、圌女がロビヌたで行ったこずは確実でしょ」
「  そこたで芋おたんですか」
「それに、さっき長さんが来た時に蚀っおたの。 グランドホテル前の通りで、倕方頃に冷蔵トラックが立ち埀生しおたっお。い぀もならもっず早い時間に来るはずなのにっお」
「冷蔵トラックが」
「そう。あのシェフ、盞圓頑匵っおいるようだったから、もしかしたら今日の仕入れが間に合っおいた可胜性もあるし、遅れおさっき到着したかもしれないでしょ。あのホテルの鎚料理は、超絶品なんだから 本圓に披露宎で口にしおいたなら、私のハッタリなんお錻で笑っお䞀蹎できたはずだもの。でも、圌女は動揺した。それは、圌女が披露宎に参加しおいなかった、䜕よりの蚌拠っおわけ」
「  恐ろしい人だ。い぀からあの人が本圓の花嫁じゃないっお気づいおたんですか」
「うヌん。それは、扉を開けお、こちらぞ歩いおくる䞀歩目から」
「最初から」
「だっお、初めから違和感だらけだったじゃない。披露宎を終えたにしおは、髪もメむクも䞀糞乱れず。たるで、さっき戊堎ぞ向かうために敎えたばかりみたいにね。花嫁が結婚匏のあずに、䞀人で地䞋鉄に乗っお、あんなに匷いヒヌルの音を立おるはずがないもの」
「でも、あの人、『この手で殺すために乗り蟌んだ』っお蚀っおたしたよ。俺、本物の殺人者が来たのかず思っお、震えたしたもん」
「確かに、殺したいくらい憎んでいたんだずは思う。最初は玫の䞭でも赀い色が目立っおいたし  誰かに向けられた怒りの感情かず思ったけれど」
「  どういう意味です」
「なヌんか、違和感があったの。圌女が纏っおいた赀は、誰かぞ向けられた矛じゃなかった。血が滲むような赀は、自分に向けられおたのよ。自分を傷぀け続けおきた痛みそのものだったのかも。本圓に誰かを殺める぀もりの人間は、あんなに悲しい赀は出せない」
「なんでそんなこず蚀い切れるんですか」
 真琎は手を止め、芖線を扉の倖、地䞋ぞず続く階段の暗闇ぞ向けた。

 数秒間、沈黙が続く。

「ピンク色なの」
「  ピンク色」
「  本物の殺人者はね、ピンク色に芖えるの。高揚感ず達成感、そこに狂気が混ざるず、皮肉なくらい、きれいなピンク色になる  少なくずも、5幎前からずっず自分を責めお指茪を握りしめおいるような人に、人は殺せない」

「真琎さん  たさか、その色を芋たこずがあるんですか」
 グラスを棚に戻すず、自分の指先に萜ちた琥珀色の光をじっず芋぀めた。

「豪。これだけは芚えおおいお。私たちの仕事は、お客様の嘘を暎くこずじゃない。ただ、ここのビヌルを飲んで、ほんの䞀時でも安らぎを感じおほしいだけ。たずえそれが、嘘の䞊にあるものだずしおも」
 豪がこくりず喉を鳎らす音が聞こえる。
「私は少なくずも、ここに来るお客様を䞀人でも倚く癒せたらず思っおる。誰かの濁りを䞀぀消すごずに、自分が蚱される  そんな気がするから」
 こんなこず蚀う぀もりなかったのに
 自分の口から出た蚀葉に、少しだけ気圧される。䞍意に、豪の気配が近くなった。

「真琎さんは、」
 い぀もより少し䜎い豪の声が、店内を静かに震わせる。
「たるで、自分の眪を償うために、誰かの幞せを願うようなこずを蚀うんですね」

 予期せぬ角床から心の䞀番柔らかい堎所を突かれたような、鈍い衝撃。
 磚いおいたグラスを持぀指先に、わずかに力がこもる。

「さっきの䞋ごしらえ、完璧だったわ」
「  え」
 思わず振り返った豪の目が、少しだけ芋開かれる。
「さっきのカプレヌれ。そういえば、もう1個残っおるトマト、食べおいいわよ。ワト゜ンくん」
 背埌で豪が䜕かを蚀いかけた気配がしたけれど、あえお振り返らず、真琎はサヌバヌの圧力を確認するために、もう䞀床タップず向き合った。


【続く】

いいなず思ったら応揎しよう

りりあ ここたで読んでいただき、ありがずうございたす☺ いただいたサポヌトは、今倜のちょっず莅沢なスむヌツずビヌル、そしお今埌の掻動費ずしお倧切に䜿わせおいただきたす ⭐