1740年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
| 十年紀: | 1720年代 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 |
| 年: | 1737年 1738年 1739年 1740年 1741年 1742年 1743年 |
1740年(1740 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]
1月-3月
[編集]- 1月8日 – オランダ東インド会社の船、ローズベック号の乗組員237名全員が水死。ローズベック号が、イギリス沖のグッドウィン・サンズで浅瀬に乗り上げたことによる海難事故。本船はインド諸国への二度目の航海に就いたばかりであった。残骸は250年以上後の2004年に発見されることとなる[1]。
- 1月31日(元文5年1月3日) - 京都の朝廷で年始の吉書奏が再興される[2]。
- 1月 -
- 2月11日 - 日本神話に基づく建国2400周年[要出典]。
- 2月17日 - エンフィールド(現ノースカロライナ州)誕生[4]。
- 2月20日 – ノースカロライナ議会が、ニュートン市を初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトンにちなみウィルミントン市と改名したうえでノースカロライナ植民地に組み込み、ガブリエル・ジョンソンを同市の首長と定めた。
- 3月16日 – ミスキート王エドワード1世 が自身の王国ミスキート王国(現在のニカラグアの沿岸部)をグレートブリテン王国の保護国とする条約に調印[5]。

ベセスダ孤児院 - 3月25日 – ジョージア植民地のサバンナ近郊で、男児向け孤児院のベセスダ孤児院の建設はじまる。同孤児院は、ジョージア植民地政府からジョージ・ホウィットフィールドに対し500エーカーの土地を提供することによってはじめられた。ホウィットフィールドは孤児院の建設に際し、約2530ポンドの資金を集めた。彼は1770年に死ぬまでに7度アメリカを訪れ、孤児院の運営に積極的な関心を持ち続けた。なお、開院当初のベセスダ孤児院の中心的な建物は1773年6月の火事で焼失し、再建されなかった[6]。
4月-6月
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- 4月1日(元文5年3月5日) - 敵討:江戸築地飯田町で、板倉家中山下宇右衛門・先内武平治兄弟が、母の敵である杉山嘉右衛門を討つ(『江戸真砂六十帖』)[7]。
- 4月8日 – ジェンキンスの耳の戦争:イギリス海軍がスペインの戦列艦プリンセサをフィニステレ岬沖で戦利艦として捕獲・編入。
- 4月15日(元文5年3月19日) - 辰巳屋事件[注釈 3]:大坂の豪商、辰巳屋久左衛門の後見を望んでいた木津屋吉兵衛の賄賂を受けて、大坂町奉行の稲垣種信が、辰巳屋の手代である新六に無実の罪をきせ投獄させていたことが露見。奉行の稲垣種信は罷免のうえ閉門、その家人は死罪、吉兵衛は遠島となった[2][8][9]。
- 4月 - 龍統元棟が黄檗山萬福寺の住持となる(それまで中国人が歴代の住持を勤めていた同時において、日本人として初)[10]。
- 5月31日 – フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の崩御(1713年-)に伴い、フリードリヒ2世がプロイセン国王として即位(-1786年)[3][11]。拷問を禁止し、出版と信仰の自由を認めた。即位の数日後には監督官庁にベルリン紙に対する規制をやめ、領内情報を無検閲で報道させるよう指示した。また、競争紙の出現を促す[9]。
- 5月 -
- 旧暦5月 -
- 6月1日 – 1740年のプランテーション法または1740年の帰化法が施行される。同法は、イギリス領アメリカに7年間居住したプロテスタントの外国人(ユグノーとユダヤ教徒含む)にイギリス国籍を認めるもの。
- 6月8日(元文5年5月15日) - 幕府、江戸の茶屋・うどん屋に旅人を宿泊させることを禁じる(『江戸町触集成』)[14]。
→「旅籠」も参照

- 6月12日(元文5年5月19日) - 幕府、綱紀粛正令を発する。三奉行(寺社奉行・勘定奉行・町奉行)・大目付・目付らの会合時に遊宴を催し、三味線をいれることを禁じる[2][13]。また、三奉行の贈収賄に関しても指示が下される[13]。
- 6月13日 - ジェンキンスの耳の戦争:サン・アウグスティン包囲戦(-7月20日)。ジョージア植民地のオグルソープ総督、フロリダ遠征を試みるも失敗[3]。西部方面はフランスからの脅威があったものの、そちらはイギリスに友好的なインディアンであるクリーク、チェロキー、チカソーなどの諸部族により守られていたので、南部方面のスペイン領フロリダに侵攻した。オグルソープの軍隊はサン・アウグスティンに包囲に先立ち、サンフアン川沿いのサンフランシスコ・デ・プポ砦とピコラタ砦を攻略していた[15]。
- 6月16日 – プロイセン王国でプール・ル・メリット勲章が軍人に対する栄誉として初めて送られる[16]。
- 6月26日 – ジェンキンスの耳の戦争:モセ砦の戦い - スペイン正規軍300名と解放奴隷黒人の民兵、インディオ援軍の軍勢が、イギリス軍の戦略的要衝であるモセ砦(現フロリダ州)を急襲し、占領。スペイン軍の勝利は、サン・アウグスティンを包囲するオグルソープのイギリス軍にとって脅威となり、同軍に撤退を余儀なくさせた[15]。
- 6月28日(元文5年6月5日) - 岡山藩の牢獄から4人脱走。翌日3人捕縛、長門萩の三五郎は獄門、二人は打ち首[8]。
- 6月 - 本屋で出版者のアンブロシウス・ハウデが、フリードリヒ2世の許可で「Berlinische Nachrichten von Staats- und Gelehrten Sachen」(のちの「シュペーナー新聞」(独: Spnersche Zeitung))を発刊。週3回刊行。簡明文体で特色を出した[9]。
- 閏6月 - 苗族の乱、広西省・湖南省に拡大[3]。貴州総督張広泗、湖南に派遣される。
7月-9月
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- 7月7日 – アダム・スミスがオックスフォード大学ベリオール・カレッジでの学究のためスコットランドを発つ[17]。
- 7月11日 – ポグロム:ユダヤ人が小ロシアから追放される。
- 元文5年7月 -
- 8月1日 –『ルール・ブリタニア』が、イングランドにあるプリンス・オブ・ウェールズ・フレデリックのカントリー・ハウス、クリブデンで初演[18]。
- 8月17日 – ベネディクトゥス14世が、クレメンス12世の後継として即位。247代目の教皇となる。
- 9月6日(元文5年7月16日)(閏) - 京都・大坂で大水害。鴨川が氾濫。三条大橋が破損する[8][2]。
- 9月7日(元文5年7月17日)(閏) - 大和国の金剛山・葛城山で豪雨。御所で約700戸が流出し、死者は約300名におよんだ[2]。
- 9月8日 – イングランドでオックスフォード大学ハートフォード・カレッジ一度目の設立[19]。
- 9月9日(元文5年7月19日)(閏) - 水戸藩、番方(武官)組士の美酒・美食を禁ずる[2]。

ジョージ・アンソンの世界周航 - 9月18日 - ジョージ・アンソンの世界周航:イギリス海軍の軍人、ジョージ・アンソン提督が、スペインに対する通商破壊(ジェンキンスの耳の戦争)の指名を帯びて、世界周航に出発する(-1744年)[3][20]。
- 9月 - フリードリヒ2世が『反マキャヴェリ論』を匿名で出版[11]。
- 元文5年9月 -
10月-12月
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- 10月9日-22日 – バタヴィア華僑虐殺事件:バタヴィアで、オランダ東インド会社の軍隊が少なくとも10000人以上の中国系インドネシア人を虐殺[21][3]。
- 10月17日 - ロシア女帝、アンナ=イヴァノヴナ崩御(在位1730年-)に伴い、彼女の姉妹エカチェリーナの孫イヴァン6世即位(-1741年)。イヴァンの母、アンナ・レオポルドヴナが摂政となるが、実権はクールラント公ビロンに代わる新寵臣、ミュンニヒ伯が握ることとなる[3]。
- 10月20日 – 父であるカール6世の死(1711年-)に伴い、マリア・テレジアが1713年の国事詔書に基づいてハプスブルク帝国の世襲領(オーストリアとボヘミア、ハンガリー、現在のベルギー)を継承(-1780年)[11]。マリア・テレジアの神聖ローマ皇帝位の相続は、彼女が女性であったこともあり、バイエルン・ザクセン・スペイン・フランス・プロイセンから広く異議が唱えられたが、この後40年に渡り帝位に就くこととなる[3]。
- 元文5年10月 - 江戸幕府、大坂で干鰯・油粕の買い占めを禁ずる[3][3]。

『失神せるパミラ』ジョセフ・ハイモア画。1743年4月。オーストラリア、ビクトリア国立美術館蔵。 - 11月6日 – サミュエル・リチャードソンの人気で影響力のある書簡体小説『パミラ、あるいは淑徳の報い』が、匿名でロンドンで出版[22][3]。
- 11月14日 – ペンシルベニア大学が正式に設立。
- 11月 - 清で『新修大清律令』完成、公布される[3]。
- 12月16日 – プロイセン王フリードリヒ2世がハプスブルク家の支配下にあるシレジアに侵攻(第一次シュレージエン戦争、-1742年)。オーストリア継承戦争はじまる(-1748年)[3][11]。
- 12月 -
日付不詳
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- 清
- 李氏朝鮮 - 田雲祥が軍船を建造[25]。
- イギリス
- ハンツマン、るつぼ式鋼鉄(crucible steel)製造法を発明[22][9]。
- アイルランドで飢饉(-1741年)[3]。
- サミュエル・ジョンソンが偽名リリパットの名で「ジェントルマンズ・マガジン」紙に議会記事を寄せ、議会でも好評に(-1743年)。当時、イギリスの議会議事討論についての報道は講評議事録、または定められたもの以外禁じられており、これを破った記者は投獄された。しかし、同紙は1733年頃から議事を体制迎合的に報道することによって議会記事の発表を黙認されており、他の新聞社もこの流れに続いていた。このような状況下で「モーニング・クロニクル」紙(1769年創刊)の記者ウィリアム・ウッドフォールは、その並外れた記憶力によって再現した傍聴議事によって人気を博した。議会議事の報道は、1771年に解禁された[20]。→「エドワード・ケイヴ」および「リリパットとブレフスキュ」も参照
印刷業者で画家、彫刻家のアーサー・ポンドが、アンニバーレ・カラッチ、パオロ・アントニオ・バルビエリ、アントワーヌ・ヴァトーらの戯画集を出す[20]。
カラッチに題をとったポンドによる戯画 - 反ウォルポール勢力伸長[20]。
- オランダ -
- オスマン帝国がフランスとのカピチュレーションの更新において、同制度の恒久化を図る[3]。
- ワッハーブ運動の創始者、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブがウヤイナ(現リヤード州の町)に帰還し、活動をはじめる[3]。
- ドイツ
- ゴットシェート『古代ギリシャとローマの規範によるドイツ演劇論』(または『ドイツ演劇論』)を刊行する(-1745年)、書籍印刷者式典[22][3][23]。
- ボードマー、ブライティンガーら『詩における不思議なもの、ならびに、それ を真実らしさと結合することについての批判的論考』[22]。
- ケーニヒスベルクの歴史家、フリードリヒ・ボック(Bock)が週刊誌「Einsiedler」を発刊(-1741年)[23]。
- エッセンのルーテル派孤児院が「Neueste Essendische Nachrichten」発刊。
- ブランデンブルク州立図書館75000冊[22]。
- フリードリヒ2世がジャン・アンリ・サミュエル・フォルメイに、フランス語紙「Journal de Berlin ou nouvelles politiques et littéraires」を発刊させ、対外広報に用いる[23]。
- 国勢調査:このころ、プロイセンの人口280万、ベルリンの人口8.1万[23]。
『食前の祈り』 ジャン・シメオン・シャルダン画。本作は画家がヴェルサイユ宮殿に赴いた際にルイ15世に献上された。
- フランス
- ボーモン・リール・クレルモン=フェランなどの諸都市において、物価高騰を背景とした民衆蜂起がおこる[3]。
- ピエール・ルイ・モーペルテュイが『宇宙論』において適者生存説を唱える[25]。
- エミリー・デュ・シャトレ『自然学原理』[22]。
- ルイ・ベルトラン・カステル『色彩工学』(仏: Optique des couleurs)[22]。
- シャルダン『食前の祈り』[22]。
- ブーシェ『ヴィーナスの勝利』[22]。
- フランスの小説家、ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴによるメルヘン小説・異類婚姻譚『美女と野獣』が刊行。
- アントワーヌ・フランソワ・プレヴォが不法紙協力の罪で追われ、「Le Pour et contre」紙廃刊[9]。
- イタリア
- インド
アーリーヴァルディ・ハーンがサルファラーズ・ハーンを破る。アーリーヴァルディ・ハーンはベンガルのナワーブ(太守)(-1756年)となったことで、ベンガルがムガル帝国から自立[25][3]。
アーリーヴァルディ・ハーンの騎馬肖像画 18世紀第2四半期ごろ - バーラージー・バージー・ラーオがマラーター王国のペーシュワー(宰相)となる(-1761年)[3]。
- マラーター、カルナータカのアルコットに侵入、ナワーブのドースト・アリー・ハーンを殺害する。同地は無政府状態に陥る[3]。
- 日本
- 青木昆陽、野呂元丈らが、将軍徳川吉宗の命によりオランダ語を学ぶ[25][3][9]。
- 吉宗の意により植村政勝が『諸州採薬記』を作成。また、幕命により甲斐その他の地方の古文書の探索が行われる(#上述)。さらに、書物奉行により、京伶(江戸に上った者のうち、雅楽を演奏する楽人・舞人のこと)の楽書を書写[9]。
- 三浦有隣斎が『東海済勝記』、篠崎東海が制度風俗考証書『東海談』を著す[9]。
- 巽我鬼丸著『吾妻海道』(江戸文刻堂)、白兎園宗『南々やどり』、富天作『かはずの梅』刊行[9]。
- 踊り子・飯盛女・茶屋女ら私娼に対する取り締まり[23]。
- 江戸の回向院で信濃善光寺の如来が開帳される[10]。
- 薩摩・筑後で絣木綿布の生産はじまる[13]。
- 下野・下総で縞木綿布の生産はじまる[13]。
- この年(元文5年)、大坂の高津新地に銭座(天王寺村銭座)がおかれる[3]。
→「高津入堀川」も参照
誕生
[編集]→「Category:1740年生」も参照


- 1月6日(元文4年12月8日) - 本多忠籌[27]、老中、陸奥泉藩藩主(+ 1813年)
- 1月29日(元文5年1月1日) - 内山真龍[28]、国学者(+ 1821年)
- 2月4日 - カール・ミカエル・ベルマン[29]、スウェーデンの詩人(+ 1795年)
- 2月17日 - オラス=ベネディクト・ド・ソシュール[30]、スイスの地質学者、登山家(+ 1799年)
- 5月9日 - ジョヴァンニ・パイジエッロ[31]、イタリアの作曲家(+ 1816年)
- 6月2日 - マルキ・ド・サド[32]、フランスの小説家、侯爵(+ 1814年)
- 8月26日 - ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエ[33]、フランスの発明家、熱気球による人類初の空中飛行に成功(+ 1810年)
- 8月28日 - ユーハン・トービアス・セルゲル[34]、スウェーデンの彫刻家(+ 1814年)
- 9月19日(乾隆5年7月29日) - 崔述[35]、清の歴史学者(+ 1816年)
- 9月23日(元文5年8月3日) - 後桜町天皇[36]、第117代天皇(+ 1813年)
- 10月29日 - ジェイムズ・ボズウェル[37]、スコットランド出身の弁護士(+ 1795年)
- 12月12日(元文5年10月24日)? - 朱楽菅江[38]、狂歌師、洒落本作者(+ 1799年)
- 12月22日(元文5年11月4日) - 岡田寒泉[39]、儒学者(+ 1816年)
- 松岡青蘿[40]、俳人(+ 1791年)
- 彭紹升、清の学者、居士仏教の宗祖 (+1796年)[25]
死去
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- 1月31日(元文5年1月3日) - 志太野坡[41]、俳人(* 1662年)
- 2月6日 - クレメンス12世[42]、ローマ教皇(* 1652年)
- 4月12日(元文5年3月16日) - 香月牛山[43]、後世派の医師(* 1656年)
- 4月30日(元文5年4月5日) - 市川團蔵 (初代)[44]、歌舞伎俳優(* 1684年)
- 5月31日 - フリードリヒ・ヴィルヘルム1世[45]、プロイセン王(* 1688年)
- 10月20日 - カール6世[46]、神聖ローマ皇帝(* 1685年)
- 10月21日 - (元文5年9月1日) - 宮古路豊後掾[47][3]、浄瑠璃太夫(* 1660年?)
- 10月28日 - アンナ[48]、ロシア皇帝(* 1693年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ↑ Wendy van Duivenvoorde, Dutch East India Company Shipbuilding: The Archaeological Study of Batavia and Other Seventeenth-Century VOC Ships (Texas A&M University Press, 2015) p145
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 山本 2007, p. 114.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 石橋ほか 1992, p. 371.
- ↑ “Town History” (英語). Town of Enfield, NC. 2026年7月2日閲覧。
- ↑ "Mosquito Coast", in Historical Dictionary of the British Empire, ed. by Kenneth J. Panton (Rowman & Littlefield, 2015) p384
- 1 2 中村 2010, p. 279.
- ↑ 明田 1993, pp. 112–113.
- 1 2 3 4 明田 1993, p. 113.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 小成 1998, p. 216.
- 1 2 山崎&笠原 1979, p. 292.
- 1 2 3 4 5 6 DK 2013, p. 248.
- 1 2 山崎&笠原 1979, p. 293.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 遠藤 2017, p. 202.
- ↑ 江原&東四柳 2011, p. 110.
- 1 2 中村 2010, pp. 278–279.
- ↑ Lehmann 1913, p. VIII.
- ↑ “On this day in 1740...”. Adam Smith Institute (2010年7月7日). 2019年11月19日閲覧。
- ↑ Williams, Hywel (2005). Cassell's Chronology of World History. London: Weidenfeld & Nicolson. p. 308. ISBN 0-304-35730-8
- ↑ Hamilton, Sidney Graves (1903). Hertford College. University of Oxford college histories. London: Robinson
- 1 2 3 4 5 6 小成 1998, p. 217.
- ↑ “Image: Bird's eye view of Batavia showing the massacre of the Chinese”. 2009年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年11月12日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 松岡 2024, p. 175.
- 1 2 3 4 5 6 小成 1998, p. 218.
- 1 2 谷井 2022, p. 288.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 松岡 2024, p. 174.
- ↑ Richard R. Henderson、International Council on Monuments and Sites. U.S. Committee、United States. National Park Service(英語)『A Preliminary inventory of Spanish colonial resources associated with National Park Service units and national historic landmarks, 1987』United States Committee, International Council on Monuments and Sites, for the U.S. Dept. of the Interior, National Park Service、1989年3月、88頁。2026年7月2日閲覧。
- ↑ 『本多忠籌』 - コトバンク
- ↑ 『内山真龍』 - コトバンク
- ↑ 『ベルマン』 - コトバンク
- ↑ 『ソシュール』 - コトバンク
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- ↑ 『セルゲル』 - コトバンク
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- ↑ 『後桜町天皇』 - コトバンク
- ↑ 『ボズウェル』 - コトバンク
- ↑ 『朱楽菅江』 - コトバンク
- ↑ 『岡田寒泉』 - コトバンク
- ↑ 『松岡青蘿』 - コトバンク
- ↑ 『志太野坡』 - コトバンク
- ↑ Clement-XII - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『香月牛山』 - コトバンク
- ↑ 『市川団蔵』 - コトバンク
- ↑ 『フリードリヒ・ウィルヘルム1世』 - コトバンク
- ↑ 『カール6世』 - コトバンク
- ↑ 『宮古路豊後掾』 - コトバンク
- ↑ 『アンナ・イワーノブナ』 - コトバンク
参考文献
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- 石橋 秀雄ほか『世界史大年表』山川出版社、1992年8月25日。ISBN 4-634-62100-2。
- 遠藤 元男『江戸時代年鑑 雄山閣アーカイブス資料篇』雄山閣、2017年4月25日。ISBN 978-4-639-02482-8。
- 江原 絢子、東四柳 祥子 編『日本の食文化史年表』吉川弘文館、2011年7月20日。ISBN 978-4-642-01459-5。
- ドーリング・キンダースリー 著、藤井留美 訳、樺山紘一 編『ビジュアル版 人類の歴史大年表』柊風舎、2013年11月11日。ISBN 9784864980074。
- 小成 隆俊『日本・欧米 比較情報文化史年表』雄山閣、1998年1月5日。ISBN 4-639-01495-3。
- 谷井 陽子 著「第6章 比類なき盛世の果てに――清朝全盛期」、姜 尚中 編『アジア人物史 第8巻 アジアのかたちの完成』集英社、2022年12月1日、288頁。ISBN 978-4081571086。
- 中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典1』原書房、2010年10月22日。ISBN 978-4562046423。
- 松岡 正剛 編『情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで 増補版』編集工学研究所、2024年12月25日。ISBN 978-4-9911639-1-3。
- 山崎 宏、笠原 一男 編『仏教史年表』1979年1月。ISBN 4831870021。
- 山本博文, ed (2007-10-10). 見る、読む、調べる 江戸時代年表. 小学館. ISBN 978-4-09-626606-9

