ととのいと煩悩のあいだに(前編)
「最近どう?整ってる?」
女性の皆さんは知らないと思うが、今や男性の挨拶では恒例となっている。
久しぶりに顔を合わせた中学の友人だろうと、落ち込んでいる他部署の後輩だろうと、結婚の申し込みをする際の義父だろうと、男同士の挨拶は「パスタ巻いてる?」よろしく「整ってる?」なのだ。
それほどまでに、「整い」、この文化が浸透して、崇高なものになってきている。
もはや社会現象を通り越して文化として根付いてきた、サウナ。
そんなこんなで、ミーハーでにわかで節操がない僕もサウナが大好きだ。昨日もサウナに行ってきた。
当たり前であるがサウナはみんな裸だ。同性同士、年齢問わずみんな裸である。
裸であるということは何が起こるかというと、気持ちがオープンになる。スーツも、パーカーも個性的なビンテージTシャツも脱ぎ捨てて、みな裸一貫なわけだ。
裸は人間の心が近くになる服装。普段は着飾って隠した心もここでは、誰もが等しくあらわになる。
となると何が起こるか。
魂の会話が巻き起こるのである。
略して「魂会」。
女性陣は知らないだろう。男性陣の魂会のすごさを。
サウナで汗を流し、整い後に繰り広げられる、熱く心震える魂の会話だ。
僕が「整って」いると、近くの整いスペースから魂会が聞こえてきた。僕はそのまま耳を澄まして整いスペースの近くに陣取った。

するとすぐに水風呂から上がってきた、男子大学生が3人ほど整いスペースにやってきた。20歳行くか行かないか、体の線が細い、大学生だ。
すぐにそれは始まった。
「いやほんとだよな、ファミチキって、温度の規制法律作るべきじゃね?」
「マジでまじで!」
その前から聞きてぇ。
ファミチキの温度の法律?
どんな少数野党でも絶対に相手にしない法律が、男子大学生の中で全会一致で可決されつつある。
法律は概念とはよく言ったもので、実際に彼らの中には「ファミチキの温度を規制する法律」が存在しているのだ。
時に人間は誰であれ、恐ろしく自分勝手な法律を作り上げてしまう。政治家を批判している場合ではない。
「この後アイス食べようぜ」
男子大学生の頭の中は無限だ。話題なんて掃いて捨てるほどある。ファミチキが熱いなんて話題は、もって5分だ。
Aくん「てかアイスの中で一番好きなの何?」
Bくん「あーオレ、チョコモナカジャンボ。絶対」
Aくん「オレも好きよあれ、でも一人暮らしするようになってからは、ちょっと贅沢したくなるんだよな。ハーゲンダッツとか」
Bくん「それもわかる。なんか酒と一緒にアイス食べるとうまいんだよな」
Aくん「わかる。お前は?」
Cくん「オレはパピコかな。
パピコってさ、2つで1つじゃん。つまり1人で食べることってあんまないのよ。2人でいる時にしか食べない。だからパピコにはアイスとしての思い出よりも、誰かといる時との思い出が強く残るんだよね。
だからパピコが好き。」
AくんBくん「……わかる」
いたなー。僕の周りにも。
村上春樹が好きすぎて、口調が村上節になってるやつ。ジャズがすきで、コーヒーのうんちく語るのが好きだった。
そのうちC君もあいつみたいに「人々は実際には不自由が好きなんだ」とか言って、退廃的な20代前半を送るんだ。
AくんとBくん引いちゃってんじゃん。
Cくん整って気持ちよくなって、会話まで悦に入っちゃってんじゃん。
Aくん「パピコさ、あれはメタファーなんだよな。分かち合うことを前提にしているアイスってことだろ?つまりはあのアイスそのものが友情を表現している。だからパピコは友情のメタファーなんだよ」
風向きが変わった。
Aくんもそっち側の人間だったというのか。
「メタファー」それは村上春樹の小説で最も使われる単語。タイトルにも入っているくらい、「メタファー」「メタファー」「メタファー」。
Aくんはパピコという可愛いアイスに、友情のメタファーを見つけたのだ。グリコもびっくりの展開だ。
Bくん「待って、待って。じゃあオレがいつも1人でパピコ2本とも食ってるのは、孤独のメタファーってこと……?」
最高だよ、お前ら。
全員が全員、最高だよ。
そうかそうか、忘れていたのは僕だったようだ。
気の合うやつと、何の意味もない会話を、自分の個性を乗っけて話す。これが大学生だった。
僕も数年前にそんな学生生活を送っていた。村上春樹に飽き足らず、太宰だの三島だの、彼らの文調に寄せた話をしていた。
彼らはいま人生の中で唯一、何をどう話しても、誰にも何も言われない、そんな人生の隙間時間を楽しんでいる。
サウナ後の熱った体を冷ますにはこれくらいの会話が必要なのだ。まさに魂会だ。
Cくんすまない。君のことを「退廃的な痛いやつ」という烙印を押してしまった。AくんBくんも君のことをわかっているし、これからもきっと支えてくれる。
社会人になるとそういった仲間には出会えない。大切にするんだぞ。
整いスペースの端で涙を堪える、整いぬすみ聞きおじさんこと僕は、彼らに微かな微笑みをかけた。
彼らは一通り整うと、どこかに行ってしまった。
後編おじさん編はこちらから
