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日本書記・古事記・万葉集を巡って

社会学科に学んだが、文学部へ唯一聴講に行ったのが「万葉集」だった。
先生は、ロマンで語っていた記憶がある。
『きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかえかゆかむ まちにかまたむ
(君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ) 』ロマンで言えばこの歌が良かった。
私には、柿本人麻呂の仕えた皇子が亡くなり嘆く歌の記憶が強く残った。父親が天皇だと暗殺されるか自死か、または殺人者か。

よくぞ、世に出たと思う。年月が経つのを待って、全体のボリュームの中にまぎれさせたとしても。

そんな私にヒットしたのが
梅原猛氏の『水底の歌―柿本人麿論』だった。

梅原猛氏

哲学者が、歴史学者の常識に縛られないで推理していく。
仮説かもしれないが、素晴らしい説得力のある仮説だ。
騙されても良いわ、ついていくわ、となる。
『隠された十字架―法隆寺論』で怨霊を祀るという、概念に出会った。

晩年になって、考古学で多くの定説を覆す発掘があり、自分の著作を見返して現地を訪れて誤りを認めていたところが尊敬に値する。

井沢元彦氏・関裕二氏

どんどん読める。
歴史学者は、先輩教授の説を覆せないのだろう。

横道です 万世一系の天皇

というが、つながっていないような気がする。
つながる方が奇跡だ。天武天皇の妃になった天智天皇の娘が女系で血を繋ごうとしたことを考えても天武天皇は天智天皇の弟ではないという井沢元彦氏の論は説得力がある。ここでいったん途切れている。
桓武天皇で天智系にもどるがそのために光仁天皇(桓武天皇の父)の井上皇后(天武系)と皇太子を死に追いやっている。祟らないように神社で祀っている。


「継体天皇」を越後から迎えるところでもあやしいと、著作にあるが納得できる。


二人とも、日本書記は時の政権が自己正当化のために書き、歴史を歪曲化している、としている。

関氏は、古事記は、ひそかにそれを正すヒントをちりばめて出された、と言う。

そんな視点で読むと、面白く読める。
いま、関裕二氏の著作を軒なみ読んでいる。
仮説過ぎるところもあるが、そこを置いて読めば良い。

神様の名前がどんどん出てくる。神社検定を受けられるかもしれない。

まとまらない文章です。
ここで一応投稿します。

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