怒りは、こころがまだ動いている証拠|「何も感じない」と思っていた人へ
最近、
何も感じない。
止まっている気がする。
夜、布団に入っても、
怒りも、喜びも、薄い。
好きなことをしても、
「楽しかった」が、
うまく届かない。
そう感じたことはありませんか?
なのに、
ふとした瞬間だけ、
胸の奥がざわつく。
些細な一言。
雑な扱い。
予定のズレ。
頭では
「こんなことで怒るなんて」
と思うのに、
こころは、ちゃんと反応している。
その「ちゃんと」が、
実は、とても大事なサインだったりします。
「何も感じない」は、壊れているわけじゃない
「感情が動かない」
「気持ちが止まっている」
そう感じるとき、
つい、自分を責めてしまいませんか。
鈍くなった。
冷たくなった。
やる気がない。
でも、本当は、
こころが壊れているのではなく、
動く先が、まだ見えていない
だけなのかもしれません。
毎日を回すために、
「ねば」「べき」で動いていると、
感覚は後回しになりやすいものです。
感じる余裕がないまま、
役割をこなす。
すると、
大きな喜びも、
大きな怒りも、
いったん蓋をされてしまう。
でも、蓋の下では、
何も起きていないわけではないんです。
ただ、
名前をつけてもらえないまま、
滞っている。
そんな状態かもしれません。
怒りは、悪い感情じゃない
ふとした瞬間のざわつき。
それは、
しばしば「怒り」の形で
顔を出します。
イライラ。
引っかかり。
納得いかない感じ。
「こんなことで怒ってはいけない」
「大人なんだから」
「気にしすぎ」
そうやって、
また蓋をしてしまうことはありませんか。
でも、
怒りは、壊れている証拠じゃない。
こころが、まだ動いている証拠
なのかもしれません。
動かなくなったエンジンは、
熱を持たない。
ざわつくということは、
まだ、反応できる力が
残っているということ。
感じてはいけない感情なんて、ないんです。
怒りも、
いまのあなたを映す
バロメーターのひとつ。
いい悪いではなくて、
「私は、いまこう反応している」
という、ただの事実。
停滞は、無感動とは違う
何も感じないように見えるとき、
本当に止まっているとは限らない。
川の水が、
石のあいだでいったん滞るように。
流れ先がわからないとき、
こころも、
その場で渦を巻くことがあります。
渦は、止まっているように見える。
でも、中では動いている。
だから、
「つまらない」
「動けない」
「何も感じない」
その言葉の奥に、
小さな怒りや、
小さな違和感が
混ざっていることがあるんです。
それは、
こころが
「ここは、違う」
と知らせている声かもしれません。
聞こえないふりをする必要は、ありません。
今日、ひとつだけ
今夜、
今日いちばん引っかかった場面を
ひとつだけ、思い出してみてください。
大きな出来事でなくていいんです。
短い返事。
予定の変更。
自分を後回しにした瞬間。
そこで、
「これは、怒り?」
と、そっと名づけてみる。
答えがはっきりしなくても、
それでいい。
名づけた瞬間、
蓋の下にあったものが、
少しだけ空気に触れます。
感じることは、
すぐに行動することではありません。
まず、
「私は、いまこう反応している」
と気づくこと。
それだけで、
止まっているように見えた流れが、
ほんの少し動きはじめます。
あなたは今、
「何も感じない」の奥で、
どんなざわつきに気づいていますか?
別の角度からも綴っています。
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