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柔らかい人ほど、踏ん張れない|頑張りすぎて、あそびを失った人へ

「もっと頑張らなきゃ」
「休んでいる場合じゃない」

そう思いながら、
毎日ちゃんとやっているのに、
なぜか満たされない。

楽しいはずの時間も、
楽しみきれない自分がいる。

動いているのに、
何もしていないような感覚。

そんなとき、
私たちは「怠けているのかも」
と自分を責めがちです。


開脚のたとえ


ある講座内で、
いつもお伝えしていることがあります。


開脚をするとき。
足を大きく開けば開くほど、
体は安定しなくなる。

反対に、
柔らかさを緩めることで、
踏ん張りが効くようになります。

身体は、
柔らかさと支える力を
同時に最大限発揮することは難しい。

これを、実践を通して、
自分の中のバランスを体感してもらっています。


人のこころも、同じです。


支える力に寄りすぎると


こころにも、
「柔らかさ」と
「支える力(踏ん張り・安定感)」
があります。

支える力が強く働いているとき、
私たちは立派に機能する。

やるべきことをこなす。
責任を果たす。
周りを支える。

でも、その状態が
長く続くと、
こころの柔らかさは
少しずつ弱くなっていきます。

膝が固まってしまうように。
同じ体勢を続けることで次の動きが撮りづらくなるように。

あそびが、
ゆとりが、
「なんとなく楽しい」が、
遠のいていくことがあるのです。


動いているのに、止まっている感覚


少し前、私自身がそう感じていました。

noteは毎日書いているし、
鑑定やセッションもしている。
アルコールインクアートやテクスチャーアートなど、趣味にも時間を取っている。

動いているはずなのに、
手応えが返ってこない。

「今日も1本書いた」
「今日も鑑定した」
で終わってしまう。

楽しかったはずの時間も、
楽しみきれない自分がいる。

今振り返ると、
それは怠けではなく、
支える力に寄りすぎて、
柔らかさを失っていたサイン
だったのかもしれません。


相反するものは、欠点ではない


柔らかさと支える力。
一見すると、それは相反するもののように見えます。

でも、
どちらか一方が正しくて、
もう一方が間違い、
という話ではありません。

地球のパズルのように、
凸凹は欠点ではなく、
つながる形。

支える力があるから、
日常が回る。

柔らかさがあるから、
こころに余白が生まれる。

どちらも必要で、
どちらも、
大切なピースです。


一度、力を抜いてみる


「もっと頑張れ」
と言われるより、
「ちょっと力を抜いてみませんか」
と言われたほうが、
不思議と動ける人もいます。

休むことへの罪悪感。
生産性へのこだわり。
「やらなきゃ」の積み重ね。

それらはすべて、
支える力の表われです。

けれど、
グッと力を込めて支える力だけを使い続けると、
いつかバランスを失っていきます。


柔らかさを取り戻すのに、
大きな休暇である必要はありません。

好きな音楽をただ聴く。

窓の外をぼーっと眺める。

誰かのペースや時間を気にせず、
自分のリズムでコーヒーを飲む。

「意味のある時間」じゃなくて、
「意味を問わない時間」を5分だけ作ってみる。

それだけで、
こころの柔らかさは
少し戻ってくることがあります。


あなたのこころは今、どちらに寄っていますか


柔らかい人ほど、
踏ん張るのが難しかったり、

踏ん張り続ける人ほど、
こころとからだが固まったり。

頑張りすぎて、
あそびを失ったと感じるとき。

それは、
弱さのサインではなく、
支える力が限界に近づいている
合図かもしれません。

それは、
こころが
「もう少し、ゆるめていいよ」
と伝えているのかもしれません。


あなたは今、
支える力と柔らかさ、
どちらに寄っていますか。


別の角度からも綴っています。
今のあなたに、しっくりくる気づきが見つかりますように。


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美結(みゆ)|“目に見えない関係性”を読み解く人 応援、ありがとうございます。いただいたチップは、執筆や対話・探究を続けるための活動費に使わせていただきます。