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その“鍼”は誰の手に?(米国)理学療法士によるドライニードリング問題と、国家資格の境界線


「鍼くらい刺せるだろう。教育水準が違うんだから」

ある理学療法士のSNS投稿が、私のタイムラインをざわつかせました。 内容は、いま話題になっている「ドライニードリング」を、理学療法士(PT)のスキルのひとつとして捉えるというもの。

この投稿は一見、個人の意見に過ぎないように見えます。 しかし、その反応を見ていると、同じ考えに共鳴するPTが少なからず存在することに気づかされます。 実際に鍼を刺している理学療法士は、少なくとも制度上はまだ現れていない(現れてはいけない)はずです。 それでも、「整体」という形で独自に開業し、鍼灸的な介入を示唆する(鍼灸師とのダブルライセンスだとは思いますが…)ケースはすでに散見されます。

私は2008年、関西医療大学という鍼灸学科を持つ大学に勤務していたとき、 アメリカでこの“ドライニードリング”なる技術が理学療法士の手に渡り始めたことに強い危機感を抱きました。 大学の鍼灸教員たちに対しても、これは将来、制度を揺るがしかねないと警鐘を鳴らしましたが、 当時は「どうせ日本には入ってこない」と、どこか他人事として受け止められていました。

そしていま2025年、その“静かな空気”が、日本のSNSと教育現場を覆いはじめています。 ドライニードリングは「誰が」「どこまで」してよいのかという国家資格の境界線にかかわる問題であり、 それは決して、技術の優劣や知識の深さだけでは語れない話なのです。



第1章:見えないうちに、境界線は踏み越えられていた

2025年6月、あるnote投稿が鍼灸・柔道整復師業界の中で静かな波紋を広げました。 それは、「ドライニードリングは理学療法士にもできるはず」という主張に基づいた提言でした。

この主張に、鍼灸師や(鍼灸師とダブルライセンスであろう)柔道整復師の側からは「待ってくれ、それは越権だ」と反発があがりました。 その様子を見て私は、改めてこの問題の根の深さを感じました。 単に「技術的に可能かどうか」ではなく、国家資格のあり方、責任の範囲、教育機関の指導倫理までが問われているのです。

理学療法士が、どれほど高い解剖学的知識を有していようと、 筋膜やトリガーポイントの理解が深かろうと、 “身体に針を刺す”という行為は、日本では鍼灸師にのみ許された医療行為です(これはその方の投稿でも明記されています)。

にもかかわらず、SNS上では「(本邦の)理学療法士にも刺す資格がある」というミスリーディングともなりえる表現が、 誰の制止もないまま拡散され続けています。 


第2章:アメリカではどうだったのか?

ドライニードリングは、米国においても長らく議論の的となってきた手技です。 もともとこれは鍼灸の理論や経絡概念とは異なる形で、 筋膜や筋肉のトリガーポイントを対象とし、 そこに細い針を挿入して筋緊張を緩和させようとする施術です。

1980年代、アメリカでは1940年代からそれまで注射針を使って行われていたトリガーポイント刺激の治療に代わり、鍼灸で使用される細い鍼が用いられるようになり、ドライニードリングという形で広まり始めました。 しかし、当初からアメリカの鍼灸師団体(例:NCCAOM)や医師会はこれに強く反発しました。

  • 解剖学的知識があっても、針の取り扱いそのものには専門的な訓練が必要であること

  • 侵襲的行為としてのリスク管理(感染症、神経損傷、誤刺)に対する教育が十分でないこと

  • 「鍼を用いる行為」が伝統医療の一部であり、国家資格によってのみ許可されるべきという主張

こうした抗議と並行して、州ごとに許可・禁止が分かれ、 現在でも米国ではドライニードリングが合法な州と違法な州が混在しています。 (例:カリフォルニア州ではPTのDNは禁止/コロラド州では研修修了後に認可)

つまり、教育水準や技能の有無ではなく、「法的な枠組みがあるかどうか」こそがカギなのです。


折に触れては普及活動しておりました…鍼灸師ではないけど。

第3章:なぜ「できるからやっていい」ではいけないのか?

制度とは、常に「安全」を担保するためにある。 たとえ、ある技術が実際に行える知識や技術水準を持っていたとしても、それを無資格で行っていいことにはならないのは、法的にも倫理的にも明らかです。

「自分の体をよく知っているから、自分で薬を調合して飲んでいる」 これは個人の自己判断としては成り立ちますが、 「だから他人にも処方できる」と言い出した瞬間、それは越権行為となります。

ドライニードリングにおいても同様で、理学療法士がいかに解剖学や生理学に精通していたとしても、「鍼を刺す」ことが医療行為として定義されている以上、資格の枠を超えてはならないのです。

「できるからやっている」「ニーズがあるから応えている」 こうした行為が制度の外側で常態化すれば、制度の信頼性そのものが失われ、最終的にもっとも被害を受けるのは“患者”です。

国家資格とは、単にスキルを証明するものではありません。安全・倫理・訴訟への対応までを含めた「責任」を負う存在なのです。



第4章:今、誰がこの問題に気づいているのか?

私自身は鍼灸師免許を持たない柔道整復師ですが、鍼灸師だった母が夜間部に通いながら学んでいた姿を幼いころから見て育ちました。 学校と家事と実習を両立しながら、国家資格取得に向けて努力する姿を傍らで見ていた私は、自然と「鍼を扱う」ことの重みや責任を肌で感じていました。

だからこそ、2000年代に米国で理学療法士が“ドライニードリング”と称して鍼を使いはじめたとき、 どこか「鍼灸という文化を冒涜しているのではないか」とさえ感じました。

それは単に手技の名前が違うという話ではなく、「鍼を刺す」という行為に込められた歴史・制度・倫理を軽視しているように思えたのです。現時点でこの問題に真正面から警鐘を鳴らしている団体や個人は、非常に少ないのが現実です。 理学療法士側は、制度的に可能かどうかよりも「需要と実績」に重きを置きがちで、 鍼灸師側も、これまでその拡がりを“無視”することでしか対抗してきませんでした。

さらに、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師、AT(アスレティックトレーナー)など、 隣接する医療・保健領域の国家資格者も、どこか「自分たちには関係ない」という距離を保っています。

制度の変化や資格の越境は、ある日突然起こるのではなく、 “誰も声を上げなかった”沈黙の中で、じわじわと進行していくのです。

SNS上では、ようやく「おかしいのでは?」という声が聞こえ始めました。 また、実はこの問題に早くから言及していた専門家も存在します。 2016年には、森ノ宮医療大学の山下仁先生が、MUMSAICの公式サイトにて、

「鍼灸師の免許を有しない者が医行為としての鍼を行うことの問題点」や、 「ドライニードリングが国内に導入される際に起こりうる職域の混乱」について明確な警鐘を鳴らしています。 それから9年、当時の指摘が現実のものとなりつつある今、私たちはようやくその重要性に気づき始めた段階なのかもしれません。 しかし、これが制度に届くまでには時間がかかります。 必要なのは、“当事者たち”の声と行動です。


第5章:制度を守るとは、専門性を守ること

制度を守るというと、何か堅苦しく、排他的に聞こえるかもしれません。 しかし、国家資格制度とは「誰が、どのような訓練を受け、どの範囲の行為に責任を負うか」を明示する枠組みです。

この枠を曖昧にしてしまえば、すべての専門職が“なんとなく”で入り乱れ、 結果的に本来の専門性も、患者からの信頼も失われていくでしょう。

私は、理学療法士という職能を否定したいわけではありません。 むしろ、優れたPTが正当な手技と理論に基づいて現場で活躍していることを、何よりも尊敬しています。

加えて、米国の理学療法士制度と日本のそれとの違いについても、理解しておく必要があります。 アメリカでは、理学療法士は大学院課程で養成され、独立開業権を有する医療職として位置づけられています。 一方、日本では3年制の専門学校が依然として主流であり、医師の指示のもとで施術を行う「準医療職」としての性格が強いままです。

こうした制度的背景の違いがあるにもかかわらず、「アメリカでできているから、日本でもやってよい」という議論だけが先行するのは、あまりに危ういと感じます。

開業を目指すのであれば柔道整復師や鍼灸師の資格取得を、鍼を用いた介入を望むのであれば、 鍼灸師として正式な教育と国家資格の取得を選択肢に入れるべきだと私は考えています。 日本には3年制の専門学校や夜間課程も存在し、働きながらでも学ぶ道は十分に開かれています。 だからこそ、その専門性が他職種の「一部を奪う」ことで成り立つものではなく、 自身の制度の中で評価されるべきものだと信じています。

「鍼灸師にしかできないこと」「理学療法士にしかできないこと」 それぞれの強みを、互いが尊重しながら連携していく。 それが専門職社会のあるべき姿です。

鍼灸の文化はドライニードリングで置き換えられるものではない、と身内向けにですが…

結語:静かに壊れていくものを、いま止めるために

私たちの業界では、「いつの間にか変わっていた」が許されない領域があります。

鍼灸という技術の安全性と価値を守るのは、制度の中で訓練され、資格を得た者たちの責務です。 そして、それは「他職種の侵入を阻む」ためではなく、「患者の安全を守る」ために存在しています。

声を上げなければ、制度は静かに壊れていきます。 反論が来ることを恐れて沈黙すれば、制度の土台ごと浸食されていきます。これにちゃんと抗うことができるのは鍼灸の有資格者で、その方々団結して応じない限り、それを食い止めることはできないのです。

だから私は、いまこうして書いています。ええ、いつ他の資格を持つ方が「骨折や脱臼の整復ができる」と言い始めるかもしれませんから…。

すべての国家資格者に問いかけたい。 「その行為に、本当に責任を持てるのか」

そして、未来の鍼灸師、柔道整復師、理学療法士、ATたちに向けてこう言いたいのです。

制度を守るということは、あなた自身の専門性と未来を守るということだと。


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Yoshikatsu Ushijima MS ATC このnoteをご覧くださりありがとうございます。サポートいただけた際には子供たちが安心してスポーツに打ち込める環境づくりに使わせていただく所存です。よろしくお願いいたします。