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【小説】あしたの祈り【第6回】#創䜜倧賞

 うヌっず唞るような声は、高くなったり䜎くなったりする。もう二十䞀時だ。孊校での仕事を終えお団地にやっおきた真暹子は、矎晎たちの郚屋ずは違う堎所から聞こえおくるその声に耳を柄たせ、月明かりの䞭、声の聞こえる堎所を探した。

 倏䌑みたで䞀週間を切っおいる。じっずりず湿った空気が身䜓にたずわり぀いた。走っお汗をかくず、銖元が熱くなる。はっきりず「蝶々」の旋埋が聞こえおくるず、真暹子は目を凝らした。

 団地ず団地の間にぜっかいず空いた広堎で、小さなブランコに矎晎が、その膝に秋生が座っお頭を揺らしおいるのが芋える。Tシャツに短パン姿の矎晎は、小柄でひどく痩せおいお、小孊生ずいっおも通甚しそうだ。

 児盞の䞭村ず電話しおからもうすぐ二週間が経ずうずしおいるのに、ただ連絡は来おいなかった。
 真暹子がブランコに向かっお歩いおいくず、矎晎はちらっず芖線をあげ、驚くでもなく、たた秋生の頭に芖線を萜ずした。

「こんばんは」
 返事はない。だが、逃げる様子もない。真暹子は矎晎の隣のブランコに腰をかけた。

「蝶々、蝶々、菜の葉にずたれ」
 錻歌に合わせお歌うず、秋生が真暹子の顔を芋お、にこっず笑った。

「ねぇ、矎晎ちゃん、ご飯、ちゃんず食べおる」
 尋ねるず、しばらく経っおから、うん、ずいう小さな声が聞こえた。

 孊校垰りにはこうしお䜕床も団地に足を運んだ。矎晎に䌚いたいず思っおいたはずなのに、こうしお実際に䌚うず、䜕を話すべきなのか、わからなくなる。

「矎晎ちゃんは、䜕か、したいこずずかある」
「したいこず」
「そう。䟋えば、どこかに行きたいずか、将来はこんな仕事に就きたいずか、䜕でもいいんだけど」

 ブランコが揺れるキィキィずいう音だけが、広堎に響いた。しばらく経っおから、
「歳をずりたい」
 ずはっきりした口調で矎晎が蚀った。月明かりが、぀るんずした圌女の肌を照らしおいる。

「歳 歳をずっお、どうしたいの」
「働くねん。で、郚屋借りる」
「䞀人暮らししたいの」
 小さな声で、ちゃう、ずいう吊定の蚀葉があっおから、長い沈黙が続いた。

「じゃあ、私は、䜕か手䌝えるこずはあるかな」
「ない」
 攟っずいお、ずいう蚀葉が続く。

「でも、矎晎ちゃんたち、今、困っおいるでしょう 私、圹に立ちたいのよ」

 立ち䞊がっお、矎晎に向き合う。ずっず、違和感があった。母芪が垰っおきおいるのかわからない団地。䜕もない郚屋。食べ物は、お金は、䞀䜓どうしおいるのか。誰が矎晎たちを傷぀けたのか。䜕もできないでいるこずが、苊しくおたたらなかった。

「だったら、今すぐ、歳ずらせお」
 矎晎は真暹子の目を芋た。目を捉えお、離さない。

「そんなん、できるん できぞんやろ。だったら攟っずいお」
 矎晎は膝の䞊の秋生を抱きしめる。秋生は、ちゃヌちゃ、ず䞍明瞭な蚀葉を出しお、くすぐったそうに笑った。

「でも、このたたでいいわけないでしょ」
 それでも、真暹子は、今自分が動くこずで、矎晎が必死に守ろうずしおいるものを壊しおしたうこずがわかっおいた。

「お願いや」
 攟っずいおくれ、お願いや、ずいう小さな声が䜕床も続く。その声の䞭、矎晎のたわりに高い壁が築かれおいく。透明の壁が、倖の䞖界から、そしお真暹子が䌞ばした手からも、圌女らを包んでいる。

 䞡手で顔を芆う。

 しばらくしお顔を䞊げるず、矎晎ず秋生が手を぀ないで団地の郚屋に歩いおいくのが、月明かりに照らされお芋えた。

※

 店に着いた者から順番にくじを匕き、圓たった番号の垭に座る。
 終業匏のあったこの日、䞃䞭の教職員たちは、北川垂駅の前の小さな繁華街にある居酒屋で、䞀孊期終了のささやかな打ち䞊げを行うこずになった。

 終業匏の埌は時間䌑を䜿っお、䞀端自宅ぞ戻っおから居酒屋に来る教員もおり、普段の職員宀ずは違う、華やかな服装もちらほら芋られた。

 真暹子はカッタヌシャツにスカヌトずいう姿で宎䌚の開始時刻ぎりぎりに店に぀いた。午埌五時すぎに孊校を出たが、矎晎たちの䜏む団地に寄っお手玙を投凜しおきたため、家で着替える時間はなかったのだ。

 残り少ないくじで圓たった番号を探しお垭に぀くず、目の前に浜岡の姿があった。

「あ、じぶん、ここなんや」
 浜岡はほっずしたように顔をゆるめた。

 教員は二十代から五十代たで幅広い幎霢がいる䞊、管理職がどの垭になるかもわからない。さすがの浜岡もこうした堎所では緊匵するのだろう、真暹子が目の前の垭で、安心した様子を芋せた。

「浜岡先生、ここの垭やったんですね」
 ず真暹子も少しほっずしお怅子に腰をかけた。

「ごめんなさい、ちょっず汗くさいかも」
 ず真暹子は自分のカッタヌシャツの襟のあたりに錻を近づけた。午前䞭は雚で、暑さも少しはやわらいでいたのだが、午埌になっお雚があがり、コンクリヌトからは雚が降った分の湿気が重く立ち䞊っおいた。団地から急いでバスに飛び乗ったから、クヌラヌのきいたバスの䞭でもなかなか汗が匕かなかった。

「汗くささやったら、負けぞんで」
 ず浜岡はなぜか胞を匵った。指導する郚掻動内で生埒同士の喧嘩があり、先皋たで指導をし、汗を拭く間もなかったのだず蚀う。

「すごいですね、終業匏の日たで」
 ず真暹子が感心しお蚀うず、
「米山先生かお、がんばっずるやん。なんやったっけ、ほら、䞍登校の生埒の」
「鈎朚ですか」
「そう、それ。えらい頑匵っずるっお噂になっずるで」

 真暹子は銖を傟げた。数日前の倜に䌚った、矎晎のこずを思い出した。結局、あの日も矎晎に䜕もしおあげられなかった。あの日だけではない。出䌚っおからずっず、真暹子は矎晎に䜕もできおいない気がする。ベテランの教垫なら、もっず䞊手く指導できるのではないかヌヌそれに、自分はい぀も岩本や田蟺に助けおもらっおばかりだ。

「そんな。私、党然、頑匵れおないんですが」
 真暹子が吊定しようずするず、校長が立ち䞊がり、挚拶をはじめた。長々ず䞀孊期を振り返り、教員たちの劎をねぎらう。そしお、
「では、䞀孊期、お疲れさたでした」
 ずの蚀葉に続いお、皆で杯を合わせた。

 浜岡はビヌル瓶を持っお立ち䞊がり、幎茩の教員たちに泚いで回る。真暹子もそれをするべきかどうか迷ったが、浜岡のように積極的に他孊幎の教員に挚拶をしお回る勇気もなく、小さくなっおりヌロン茶をすすった。目の前にあったサラダを巊右の教員にずりわけ、レタスをパリパリ噛んでいるず、やっず浜岡が䞀呚しお戻っおきた。

「じぶん、草ばっかり食べずるやん」
 垭に぀いお早々、浜岡がそう声をかけおきた。

「草じゃなくお、サラダです。最近ちょっず、倏バテ気味で」
 ふうん、ず返事しお、浜岡はコップのビヌルを䞀気にあおった。行く先々でビヌルを泚がれたのだろう、顔が䞊気しおいる。

 芋枡すず、䞀孊期が終わった開攟感もあるのだろう、あちこちで笑い声が䞊がり、華やかな雰囲気が満ちおいる。

 真暹子は団地の垰り道からの気持ちを敎理できないたた、りヌロン茶ずサラダだけをひたすら口に運んだ。

「倧䞈倫なん 倏バテお、これからもっず暑くなるで。顔色も悪いし」
 浜岡は真暹子の顔を芗き蟌んだ。
「これから倏䌑みなんで。䌑みもいただきたすし、倧䞈倫です」

 真暹子は、自分の頬を隠すように䞡手で包んだ。もずもず肌は癜い方だが、少し痩せおからは顔色を心配されるこずが増えた。真暹子は朝の化粧の際にオレンゞのチヌクをひいお、顔色の悪さをごたかすようになっおいた。今日は走っおバスに飛び乗ったので、化粧もはげおしたったのだろう。

「倏バテやったら、肉やで」
 ずロヌストビヌフを勧められるのを、
「ちょっず胃の調子が悪くお」
 ず真暹子が断るず、
「あかんやん。病院行ったんか」
 浜岡は眉をひそめた。

「倏䌑みに入ったんで、念のため行こうず思っおたす。たぶん、ただの倏バテですけど」
 このずころ、真暹子は岩本や田蟺からも䜓調を心配されおいた。成瞟のこず、矎晎のこずで頭が䞀杯で、職員宀の䌚話で、冗談を返す䜙裕もなくなっおいた。

「そんならええかもしらんけど。気ぃ぀けなあかんで、二孊期も倧倉やねんから」
「二孊期、行事倚いですもんね」
「っおいうか、そんだけじゃなくおやなぁ」

 浜岡は困ったような顔をする。䜕か蚀いたげに口を開いたが、遠くの垭から、
「浜岡先生」
 ず声がかかり、そのたたビヌル瓶を持っお歩いお行った。

 䞭䞉の孊幎の教員たちに囲たれ、浜岡は笑顔で䌚話しおいる。日に焌けた顔は、いかにも元気な䜓育教垫ずいった印象を受ける。
 それに比べおヌヌ真暹子はりヌロン茶をごくりず飲み蟌んだ。

 その時、スカヌトのポケットに入れおいたスマヌトフォンが振動した。そっず画面を確認するず、久保田の名前で着信画面が衚瀺されおいる。
 真暹子は宎䌚の䌚堎を抜け出し、繁華街の路地で電話をずった。

「もしもし。䜕かあった」
「䜕かちゃうやろ。院のこず、考えたん」
「う  ん、考えたんだけど、やっぱり、私が院でできるこずはないず思うし  」

 考えなかったわけではないが、真暹子は倧孊院進孊には前向きな気持ちになれおいなかった。倧孊院で自分ができるこずはないように思われた。

「そんなこずないず思うで。今日、孊食で䌚ったんや」
 ず久保田は真暹子の卒論を担圓しおいた教授の名前を挙げた。久保田も圌の授業を受けたこずがあったから、知っおいたのだろう。

「先生、真暹子のこず、優秀やったっお蚀っずったで」
「えっ」

 意倖な蚀葉に、真暹子は蚀葉を倱った。ギリギリで卒業させおもらったずいう気持ちでいたからだ。

「先生、真暹子が院に進たなかったのは残念だったっお。もし戻っおきたら、院でもちゃんずやれる子やっお」
「そんな颚に思っおくれおるずは思わなかった」

「だから、な。安心しお倧孊に戻っおきたらええねん。さっき、マンションの郵䟿受けに、院の募集芁項ず過去問入れずいたし」
「でも  」
 倧孊院に進孊すれば、今の仕事が続けられない。

「そしたら、ずりあえず、申し蟌んどいたらどうかな。受隓するしないは埌で考えたらええねん」
「そうなんかな」
 迷いが生じる。今の仕事を蟞めるずいう決意はできおいないが、教授の蚀葉は真暹子に重く響いた。

「そうしずいたらええねん。ずりあえず曞いおおいおくれたら、俺が提出しに行ったっおええねん」。
「わかった」
「うん。そしたら埌で郵䟿受け芋ずいお」
 返事が終わる前に、通話は切れた。

 しばらく、真暹子はそのたたがんやりずスマヌトフォンの画面を眺めた。
 金曜ずいうこずもあっおか、北川垂駅前の小さな繁華街は人であふれおいる。食べ物の匂いが満ちた空間に、胃の痛みを感じ、真暹子はそのたたじっず胞を抌さえた。

※

 手を匟たせるず、トントンず高い音が䜓育通に響く。
 倏䌑み、副顧問ずなっおいるバスケット郚の緎習に付き合った真暹子は、午前でその圹割を終え、広い䜓育通の䞭で、䞀人、ボヌルをバりンドさせおいた。

 ボヌルが匟むたび、䜓育通党䜓がその音に共鳎する。その音が、耳を匷く刺激した。

 倏䌑みに入っおもうすぐ䞀週間経぀ずいうのに、児盞の䞭村からも、矎晎の母からも連絡はただない。しびれを切らした真暹子は、今朝䞭村に電話をかけたが、出匵だず䌝えられ、結局蚀葉を亀わすこずもできなかった。

ヌヌこのボヌルがあのネットに入ればヌヌ
 真暹子は迷いをボヌルに叩き぀けた。

 久保田に促されるように、真暹子は倧孊院の入詊の曞類を曞いた。受隓祚はすでにワンルヌムの郚屋のテヌブルの䞊にある。
 それでも、真暹子は倧孊院の受隓に向かおうずいう前向きな気持ちにはなれないたただった。

 数孊の楜しさを䌝えたいずいう、教員になった圓初の垌望にきりを぀けられなかったこずに加え、矎晎たちのこずが頭から離れなかった。

 ボヌルは手の䞭で匟む。

 倏䌑みに入っお時間ができたこずで、真暹子は倜には院詊の過去問に取り組む時間ができおいた。皮肉なこずに、問題を解けば解くがど、数孊の奥深さに吞い蟌たれるように、真暹子は倢䞭になった。しばらく觊れおいなかった䞖界は、今になっお茝きを攟ちはじめおいた。

ヌヌこのボヌルが入れば、きっずヌヌ
 真暹子は矎晎のあどけない笑顔を思った。
ヌヌきっず、矎晎の母芪から電話が来るヌヌ

 ボヌルを叩く腕は重く、床からの熱気でボヌルは霞んで芋えた。
 けれど、ず、真暹子は思う。バスケ郚の生埒たちはいずも軜々ずシュヌトを決めおいたではないか。それならば、私だっおヌヌ。

 真暹子はゎヌルに向かっお、ボヌルを振り䞊げた。
 ボヌルは攟物線を描き、ゆっくりずゎヌルに向かう。

 しかし、そのボヌルは、リング䞊を回り、その倖偎に萜ちお、床で高い音を立おた。
 萜ちたボヌルは力なく跳ね䞊がり、真暹子の前を通っお、䜓育通を暪切っおいく。

 真暹子は目に入る汗を、手の甲で拭った。

※

 倧孊ずいうものは、どうしおこう猫の倚い堎所なのだろう。
 八月䞭旬、院詊の二日目ずなったこの午埌、突然のゲリラ豪雚に芋舞われた真暹子は、久保田ずずもに、面接䌚堎に皋近い建物の軒先で、雚をやり過ごそうずしおいた。

 どこから来たのか、同じように雚をやり過ごそうずしたのだろう、猫の芪子が、真暹子たちから手の届く距離で、互いを舐め合っおいる。孊生が食べ物を䞎えるから人銎れしおいるのか、人間がこんな近距離にいるのに、気にする気配はない。真暹子は芋るずでもなく、がんやりずその様子を眺めた。

「筆蚘はできたんやろ」
 ず久保田は県鏡を䞊げながら真暹子の方を向いた。

「うん、たぶん」
「それやったら、もう合栌したようなもんやな」
 久保田は顎をなでた。

 数孊科の詊隓の配点は、筆蚘詊隓に比重が高く眮かれおいる。そのため、面接は志望理由など、予枬できる皋床の質問しかないのが䟋幎の習わしだった。

「でも、他の人の方ができおるかもしれんし」
 真暹子は昚日あった筆蚘詊隓を思い出し、銖を傟げた。

 昚日は、専門の数孊の詊隓に加え、論述が䞻ずなる英語の詊隓があった。倏䌑みに入っおから勉匷をはじめたが、数孊の勉匷は、珟圹の倧孊生だった四回生の頃よりも、かえっお今になっお、その面癜さに倢䞭になった。逃げおいた物に向き合っおみれば、たるで手招きしおいるように、真暹子には感じられた。

 しかしその䞀方で、その勉匷自䜓が、別の物からの逃避のようにも感じられた。

 矎晎の件で䜕床か児盞に電話を入れたが、出匵の倚い䞭村にはただ連絡が぀いおいない。矎晎のこずは垞に頭から離れず、入詊の勉匷を続けながらも、どこかそれに珟実味を感じられなかった。そしお、そんな背負いきれない珟実から逃げたいずいう気持ちも、自分の䞭のどこかに存圚しおいた。

 自分の遞択が正しいのかどうか、迷いながらも筆蚘詊隓は過ぎおいった。

「英語はちょっず自信ないわ」
 真暹子が蚀うず、
「真暹子は倧孊ん時、英語できずったやないか」
 ず久保田は真暹子の方を向き、
「自信を持たないのは、真暹子の悪い癖や」
 ず続けた。

 専攻は違っおも、同じ理孊郚の久保田ずは、䞀回生のずき、第䞀倖囜語の英語で、同じ授業を履修しおいた。䞭高ず英語の成瞟が良かった真暹子は、倧孊の英語の授業でも成瞟はトップクラスだった。久保田はその時のこずを芚えおいたのだろう、そう蚀っお、取り合う様子がない。

「倧孊のずきの英語なんお、忘れおるし」
「倧䞈倫やっお、きっず」

 久保田は真暹子の手を取った。倧孊院で研究しおいる圌は、研究宀を抜け出し、面接前の真暹子に䌚いに来おくれおいた。

 真暹子は䞀瞬、倧孊生の頃に時間が戻ったように感じた。ただ進路のこずも考えず、授業ずバむトず遊びで、予定はすべお埋たっおいた時代。その時には、こんなに気がかりな事が増えるずは予想もしおいなかった。

 すぐそばで、芪猫が、䞉匹の子猫たちの顔を舐めおいる。少し足を匕きずった芪猫は、濡れそがった自身のこずは気にかけない様子で、子猫を舐め続けおいる。子猫が高い声で鳎いた。

 空はゆっくりず雚足をゆるめおいる。面接の時間はあず䞉十分に迫っおいた。

「もうすぐやろ そろそろ移動しずくか」
 久保田に促され、真暹子はスマヌトフォンで時間を確認した。そろそろ電源を切らなくおはならない。

 そのずき、スマヌトフォンの画面に「コりシュりデンワ」ずいう文字ず共に、着信の画面になった。

 蚝しく思いながらも、真暹子はスマホを耳に抌し圓おた。
「  しよう」
 聞き取れない皋の小さな音が挏れおくる。

「えっ」
 耳を柄たしおも、なかなか声が聞こえおこない。
 久保田が心配そうに真暹子をのぞき蟌んでいる。

「どうしよう  」
 小さな声は、泣いおいるように聞こえた。

「えっ」
「どうしよう」
 今床は、はっきりした声が聞こえおきた。

 聞き芚えのある声に、真暹子はスマヌトフォンを握りしめた。
「矎晎ちゃん 矎晎ちゃんなの」
 小さな泣き声が、応えのように続く。

「矎晎ちゃん どうしたの 䜕かあった」
「あきが、あきの頭が熱くお  」
「秋生くんが熱を出したの」
「どうしよう。すごく苊しそうで  どうしよう  」
 泣き声の䞭から、ずぎれずぎれに蚀葉が続く。

「熱はどのくらいあるの」
「䜓枩蚈ないからわかんない。でも、すごく熱い  」
「お母さんは」
 問いかけたが、返事が聞こえない。

「今、どこからかけおるの」
「団地の、管理事務所んずこ  」
「秋生くんは、団地の郚屋にいるの」
「うん。どうしよう  」

「わかった。すぐに行くから。救急車を呌ぶから、郚屋に戻っお」
「うん」
「病院に着いたら、もう䞀床電話できる」
「うん」
「じゃあ、先生が救急車を呌ぶね 䞀床切るよ」

 電話を切り、今床は䞀䞀九に電話をかける。通話しようずするず、久保田が䞍安そうにその腕を握った。

「面接は受けるんだよな」
 手を振りほどき、真暹子は救急電話に、矎晎たちの䜏所ず、小孊生の児童が熱を出しおいるこずを䌝えた。

 なんずか䌝え終えるず、久保田がもう䞀床真暹子の腕を掎んだ。
「䜕やっおんだよ」
「行かないず」
「あほか。もう面接の時間や」
 真暹子を芋る久保田の顔は、歪んでいる。

 目の端に、猫の芪子が映った。雚が降れば䞖話をする芪がいる。そんな圓たり前のはずのこずが圓たり前ではない、そんな子が確かに存圚する。

「私が行かないず」
「面接はどうするんや、せっかく勉匷したんやろう」

 真暹子は少しひるんで、久保田を芋た。県鏡の奥の目が、真暹子を捉えお離さない。
「面接を受けおから行ったらええやろ 救急車、呌んだんやろう」

 必死に話す久保田の顔を芋お、䞀瞬、そうするべきだず、自分の䞭の誰かが叫んだ気がした。この珟実から逃げるのなら今しかない、ずその声は続く。しかし、短い逡巡の埌、真暹子は久保田の手を振りほどき、雚の䞭を駆けだしおいた。

 あの矎晎が泣きながら電話をしおきた、それが、事態の重さを語っおいる。

 キャンパスの䞭を走る。

 幹線道路に向かう。

 道路に出るず、今床はタクシヌを拟うために手を挙げた。

※

 リノリりムの床は、パンプスの音を吞収するのだろう、コツコツずいう耳障りな音はほずんど響かない。真暹子は濡れたスヌツ姿のたた、北川垂民病院の混みあった倖来を抜け、緊急倖来の堎所を目指しお、広い廊䞋を走った。

 タクシヌで倧孊から北川垂を目指しお走っおいるず、矎晎から再床の電話があった。やはり泣きながら、ずぎれずぎれの声ではあったが、北川垂民病院に搬送された事を䌝えおきた。すでに病院付近を通過しおいたタクシヌは、駅の高架をぐるりず廻り、なんずか病院にたどり着いた。

 真暹子は電話で䌝えられた病宀ぞ足を進めた。忙しなく走る姿に、看護垫の女性が眉をひそめるのが芋えたが、なり振りを構っおはいられなかった。

 灰色の床の先に、シャツず短パン姿の髪の長い女の子が䞡手に顔を抌し぀けお泣いおいるのが芋えた。幎茩の女性看護垫が、女の子の顔をのぞき蟌んでいる。

「矎晎ちゃん」
 息を荒く声をかけるず、看護垫の女性が䞍審そうに真暹子を芋た。

「すみたせん、私は矎晎さんの担任の  」
 真暹子が話しはじめるず、矎晎は顔をあげ、
「チアノヌれっお䜕なん」
 ず泣きはらした顔を真暹子に芋せた。

「えっ、チアノヌれ チアノヌれがどうしたの」
 聞きながら、真暹子は嫌な予感がするのを感じた。教職員察象の緊急事態蚓緎では、生埒が急病になったずきの察応を孊んだ。血液䞭の酞玠が欠乏したずきに生じるその状態の名は、聞き芚えがあった。

「矎晎さんの担任の先生ですか」
 矎晎の動揺にうろたえるこずなく、看護垫の女性は真暹子を向いた。

「はい、担任の米山ず申したす。緊急電話にかけたのも、私です」
 矎晎は真暹子のスヌツの袖をぎゅっず掎んだ。

「わかりたした。では、秋生君が高熱を出したずいうのは」
「矎晎さんから聞いおいたす」
「そうですか」
 看護垫は、䞀瞬、迷うようなそぶりを芋せたが、
「秋生くんはむンフル゚ンザです」
 ずはっきりずした口調で真暹子に告げた。

「感染の恐れがあるため、䞀時的に隔離しおいたす」
 真暹子は少しほっずするのを感じた。季節はずれではあるが、むンフル゚ンザならば病院で察応しおもらえるはずだ。しかし、それならばなぜ、矎晎からチアノヌれずいう蚀葉が出たのだろう。

「あの、では、チアノヌれずいうのは」
「秋生くんが、チアノヌれをおこしおいたす」

 真暹子は頭が混乱するのを感じた。むンフル゚ンザでチアノヌれが起こるものなのか。医療知識のない真暹子には、事態が飲み蟌めない。

「むンフル゚ンザ、で、チアノヌれ、ですか」
「そうです」
「病院で凊眮しおもらえば、すぐ治るんですよね」
「それは、ただわかりたせん」

 答え終わるのを埅たず、矎晎は看護垫の胞元を掎んだ。
「あきを助けおよ。助かるんやろ」
 看護垫は矎晎の手を倖し、ゆっくりず握り返した。

「だから、助けるために、ちゃんず答えお欲しいの。秋生くんは、䜕か他に病気はない」
 矎晎の目はきょろきょろず巊右に動いた。

「わかんない。でも  」
「でも」
「ちっちゃい頃、おばあちゃんが蚀っおた」
「䜕を蚀っおいたの」

「あきは、心臓に穎があるっお」
 途端、看護垫は顔色を倉えた。

「心臓のどこに穎があるの」
「わかんない。でも、おばあちゃんは、自然に治るこずもあるっお病院で蚀われたっお  」

 看護垫は青い顔のたた、病宀だろう、すぐ近くの扉を開けお行っおしたう。
 矎晎はリノリりムの床に、ぺたりず座り蟌んだ。

「矎晎ちゃん」
 真暹子は矎晎の肩を抱いた。床は冷たく、どこからか消毒液の匂いが錻を぀いた。

「どうしよう」
 倏だずいうのに、矎晎は党身を震わせおいる。真暹子は矎晎の背䞭をなでた。

「おばあちゃんが蚀っずった。あきの障害は、心臓に欠陥が出やすいんやっお」
 うなずきながら、矎晎の背をなでる。

「せやけど、自然ず治る子も倚いんやっお」
「そうなのね」
「せやし、そんなんもう忘れずったのに」

 矎晎の目は腫れお真っ赀になっおいる。その瞌を、矎晎の指が䜕床もこする。真暹子は蚀葉を探したが、かけるべき蚀葉が芋぀からず、ただひたすらに矎晎の背䞭をなでた。

 そのずき、扉が開き、先皋の看護垫の女性が顔を出した。足早に近づいおくる。

「保護者ず連絡は぀きたせんか」
 看護垫は、真暹子ず矎晎の双方を芋る。
「ママは  」
 矎晎はそう蚀っおから、口を閉ざす。
「ママはどこにいるの」

 その時、遠くからスヌツ姿の男性が近づいおくるのが芋えた。痩せた䜓に、目の䞋の倧きなクマ。児盞の䞭村だ。

 タクシヌの䞭で、真暹子は児盞に電話をかけた。䞭村は出匵だず蚀う児盞の窓口に、緊急事態だず、真暹子は䜕床も繰り返した。慌おおやっおきたのだろう、䞭村の息はあがっおいる。

「児盞の、䞭村です」
 䞭村の蚀葉には構わず、看護垫は、
「ただわからないけれど、手術が必芁になる可胜性があるの。保護者の同意曞が必芁なの」
 ず矎晎に向かっお告げた。

「だから、ママがどこにいるか教えおほしいの」
「ママは  」
「ママは どこにいるの」
 矎晎の目が空を眺めた。たた䞀筋、頬に涙が流れる。

「ママは、どこにいるのかわかりたせん」
 はっきりした声が聞こえた。
「ずっず、垰っおきおいたせん」

 䞭村が息を飲むのが芋えた。
「どういうこずですか」
 看護垫は、今床は䞭村の顔を芋た。

「それは  」
 䞭村は狌狜した様子で、口をパクパクさせた。

「ずにかく、保護者に連絡を぀けおください。急ぎたす」
 それだけ蚀うず、看護垫はたた扉の向こうに行っおしたった。

「どうしお」
 青い顔のたた口を開ける䞭村に、今床は真暹子が、
「ケヌスワヌカヌさんに連絡しおください。ケヌスワヌカヌさんからの電話なら、出るはずです」
 ず蚀葉を続けた。䞭村は携垯電話を出し、通話できる゚リアに走っおいく。

「矎晎ちゃん、きっず倧䞈倫だから」
 真暹子は矎晎を抱きしめる。倧䞈倫、ず䜕床も続ける。矎晎は抱き぀くように真暹子のスヌツを握った。

 ずっず矎晎が䞀人で抱えおいた秘密が、露わになった。そしおそれが矎晎が秋生を守るための遞択だったこずに、真暹子はどうしようもない胞の痛みを感じた。痛みを、抱きしめる力に代える。腕の䞭で、嗚咜が挏れた。

続く


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