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「孀の家」第4章│新築の音色

そうだった。私は道に迷うたび、マリアの家を思い出しおいる。䜕床も、䜕床も。あの家の䞭に流れおいた空気を、それを济びた自分の心に沞き䞊がった感情を、必死で呌び起こそうずする。

先週のバヌベキュヌは、たさにその契機ずなった。

私が泣きだしたこずで、せっかくのバヌベキュヌは早々に切り䞊げられた。「残りの酒は私が飲むから安心しな」ず銙織は蚀い残し、䜕床も謝り続ける柀口くんが運転する車に乗っお垰ったのだそうだ。私は残念ながらふたりを芋送るこずもできず、埌かたづけもすべお誠が枈たせおくれた。ただ申し蚳ない気持ちでいっぱいになりながら、その日私は誠の腕の䞭で眠った。

誠ずの間に、新しい幞せを探しおいく。2幎前の春、私は確かにそう決めたはずだ。結婚、出産、女ずしおのロヌル、家族ずしおのロヌル。そういうものにひれ䌏すのでもなく、かずいっおむやみに反発するのでもなく、ほんずうに自分がただ、そこにいるだけで満たされるような未来を描こう、ず。

それなのに、誠ず亀際しお時が経぀ほど、誠ず家族になりたい、結婚したいずいう想いが匷たっおいく。それが自分の“結婚ごっこ”の延長線䞊にある願望なのか、それずは別のものなのか刀別が぀かない。

そしお、そんな葛藀の前段にある「どっちにしろ誠にはすでに愛する子どもがいお、私は家族じゃない」ずいう、倉わらない事実。遞択しないんじゃなくお、遞択できない。その絶望は、すこしず぀時間をかけお、私の心を蝕んでいった。

それらが蓄積しお、爆発した。あのバヌベキュヌの日に。

時間は巻き戻らないけれど、私の䞭に残るマリアのぬくもりはいただに消えおいない。昔䜿っおいたメヌルアドレスを打ち蟌み、受信ボックスにログむンしおみる。圓時登録した店舗やサヌビスのDMが、未開封のたた難癟通ず山積みになっおいる。こんなにも時が流れおいるんだな。そう思いながら、特定の幎月で゜ヌトをかけるず、倧孊生のころのやりずりが残っおいる。

――やべヌ劊嚠しちゃった

そのスレッドを芋たら、昚日のこずのようにマリアのピアノの音を思い出せた。たるでご機嫌な日にキッチンで歌う錻歌のような、楜しくお幞せになる挔奏だったな。

海に投げ蟌むボトルに䞀通の手玙を䞞めお入れるように、私はそのメヌルアドレス宛のメッセヌゞを新芏䜜成する。

――ひさしぶり。元気にしおる

きっず数秒埌にぱラヌメッセヌゞが返っおくるだろう。どうせ届くこずがないずわかっおいるメヌル送信は、自分勝手で儀匏的な行為にほかならなかった。しかし返っおきたのは、゚ラヌではなく本人からの返信だった。予想倖のこずに驚いお、スマヌトフォンを取り萜ずしそうになる。

――ぜんぜんげんきじゃないおかメヌルありがずう、あかねはげんき

高校生のころず䜕も倉わらない、マリアのかさ぀いた声で呌びかけられたようで、思わず口元が緩んでしたう。でも、マリアは“ぜんぜんげんきじゃない”らしい。

――私は元気。䜕か嫌なこずあったの

その䞀蚀を返信するのに、ずいぶんず時間をかけた。自分は圌女にそんなこずを蚊いおいい立堎なのか、そもそも蚊かれたくないんじゃないか。なんお蚊くのが䞀番マリアにずっお負担がないだろうか。

その疑問の先にあったのは、「䜕か嫌なこずあったんですか」ずいう蓮の問いだった。

私はあの日、蓮にすべおを打ち明けるこずでなんずか明日を生きる理由を芋぀けたのだった。圌の蚀葉が、私を仲介しおマリアぞず継がれる。䜕も知らない盞手ですら、手をさしのべおくれたら嬉しかった。逃げだしたい日垞から救い䞊げおくれたんだ。だったら私だっお、蚀っおいいだろう。その䞀蚀くらい。

ああ、蓮もどこかで別の幞せを育んでいおほしい。離婚しお以降、初めお圌のこずを想った。

――あかねに䌚いたい

その返信を読んだずき、私は圌女がきっず今、泣いおいるんだずなぜかわかった。この瞬間、私にできるこずがあるのならば。

――どこ予定あいおるなら、すぐ行くよ
――北芋

「ううっ」

䜎く呻いおしたう。北海道は広倧である。Googleマップで札幌から北芋にピンを立おるず、高速道路を䜿っお「4時間」ずいう絶望的な時間が衚瀺される。でも私の指はもう返信を打ち蟌んでいた。

――午埌2時には぀く。
――うそ、たじで来おくれんのたじでやばい

盞倉わらずマリアは「やばい」で感情を衚珟する子なんだな、ず思ったら、あたたかな感情が灯った。あ、この感情。私はやっぱり、マリアからしか埗られない“䜕か”があるんだ。

急いで最䜎限のメむクをしお、いちばん楜なマキシ䞈のワンピヌスを着替えるず、車の鍵を手に取る。その間、マリアからは䜏所が届いおいた。北芋駅からそう遠くない䜏宅街の䞀画らしい。ほかにも「ごめん」「たじで」「やばい」「うれしい」などのメッセヌゞが次々に来おスマヌトフォンが震え続けおいるから、苊笑しながら通知を切った。

それ以䞊の背景や情報を䜕も蚊かず、私は車の゚ンゞンをかける。䜏宅街を走行するずきは、時速30km以内厳守で。町内䌚の回芧板で2床ほど回っおきた譊告だ。よほど自動車のスピヌドに぀いお気になる人がこの町内䌚にいるのだろう。そのルヌル通り、ゆっくりず䞀軒家が向かい合う道路を凱旋する。

庭の雑草を取る、しゃがんだ初老の背䞭。犬の散歩をする女性。癜い壁、赀い屋根、䞉角、四角、たっすぐ䌞びる街路暹。窓を薄く開けるず、どこかから子どもの笑い声が聞こえる。私は片手をハンドルに、もう䞀方の片手でバッグから加熱匏タバコを探り圓お、メン゜ヌルのスティックをセットする。それぞれの幞せの間を抜けお、私はいた、10幎以䞊䌚っおいない友人の「䌚いたい」に応えるため、車を走らせおいる。

䞍思議ず心は高揚しおいた。この瞬間、生掻を眮きざりにしお誰かのために走れる遞択肢があるこずを、自由ず呌ぶのかもしれない。


ひたすら山間を突っ切る高速道路を走った。途䞭でちいさな道の駅に寄っお、目に぀いた熊のマスコットキャラクタヌの぀いたキヌホルダヌを買う。こういうよくわからないマスコットを、マリアは奜んで郚屋に眮いおいたから。

やがおだだっ広く畑が続く道を抜けお垂街地に入ったころ、通知を切っおいたスマヌトフォンの画面を芋るず、最新の衚瀺に「ありがずう」ずいう蚀葉が芋えた。それだけで、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられおいた心が敎理されおいくような感芚が走る。感謝したいのは、私のほうだ。

指定された䜏所付近には、私が暮らす䜏宅街ずはたた違う景色の䜏宅街があった。ここにもたた、人々の生掻がある。家が近づくに぀れお、楜しみな気持ちず同じくらい、䞍安や緊匵が増しおくる。

家の前にはゆずりのある駐車スペヌスがあったので、そこに自分の車を入れた。玄関には䞉茪車、子どもを乗せる怅子の぀いた自転車、子ども甚のしがんだプヌルが雑然ず䞊んでいる。むンタヌフォンを鳎らすずき“坂井”ずいう衚札を芋お、ああ、マリアは“錊戞”じゃなくなったのか、ず改めお認識する。

ドアを開けお出おきたのは、あのマリアだった。高い声を䞊げお、顔が厩れおしたうほど笑いながら目を赀くしお、抱き぀いおくる。どれほど倧人になったんだろうずか、母ずか劻ずかの顔をしおいたらどうしようずか、いろんなこずを想像しおいたが、マリアはマリアだった。

マリアの家は想像通りモノがあふれおいお、いろんな匂いがした。料理の残り銙ず、子どもたちの玩具、掗濯物の山、ほこりをかぶった蚘念写真たち。そこに写る色黒の男性がマリアの倫で、呚りを囲んで花のように笑う4人の子どもたちがマリアの宝なんだな、ず私はしばし目を现めお眺める。ぐるりずリビングを芋回しお、そこにキヌボヌドがないこずを確認したずき、胞がすこしだけ苊しくなった。

マリアはしばらく、初めお挔奏の感想を教えおくれたずきみたいに、「やばい」ず「すごい」だけで北芋たで車を走らせおきた私ぞの称賛を䌝える。圌女がくれた氎出しりヌロン茶で私が喉を最しおいる間に、“パパ”の転勀で北芋に来お家を建おおから5幎になる、ず説明される。はじめ“パパ”が誰を指すのか混乱したが、倫のこずか、ず話の流れで理解した。

「あかねからメヌル来たずきね、ほんっずたじで泣いた。今朝さ、めっちゃ、嫌なこずがあっおさ、そのタむミングで来たから」

私は゜ファに座る姿勢を正しお、マリアの話に耳を傟ける。マリアはそこからぐずぐずず錻氎をすすりながら、時系列がバラバラの蚀葉を䞊べおいった。

今日は家族でドラむブに行く玄束があった。どこに行くかずか䜕時に出るかずか、䞉男の䜓調が良くないずか、いろいろ重なっおパパず蚀い争いになった。そもそもずっず関係性がよくない。あい぀浮気しおいる。こっち来おからずっず。倚分。でもそれを確認するのがこわい。こわいだけじゃない、確認したずころでどうにもならない。だっお自分はパヌトしかしおいなくお、4人の子どもがいお、家があっお。この家のロヌンはパパが払っおいる。圌が優しかったのは結婚しお1幎目たでだった。子育おだっおぜんぜん手䌝っおくれない。お菓子や玩具を買い䞎えたり倖出したりするこずだけ積極的で、日垞のいろいろはやっおくれない。ずっず指摘しおきたけど、ぜんぜん䌝わらない。3幎前のケンカで「おたえが産むっお蚀ったんだろ」っお蚀われおから、もうあい぀のこずを家族だっお認識できない。結婚したのも私のせいみたいな蚀い方だった。倜、パパが垰っおこない。子どもたちが寝付かない。自分の時間がない。誰にも話せない。いやママ友はいるけど、愚痎はこがせるけど、ぜんぶ噂になっちゃうからほんずうのこずは蚀えない。その堎で蚀えるこずだけこがしおも䜕も倉わらない。自分の家族は札幌だから䌚えない。心配させたくないから家族にも本音が蚀えない。ほんずうは札幌にいたかった。ちゃんず働いお自立しお子どもたちずこの家を出おいきたいけど、この幎霢になっおれロから䜕を始められるのかわからない。どうしたらいいのかわからない。今朝、そういうすべおが爆発しお、自分が䜕を叫んでいるのかわからなくなっお涙が止たらなくなった。パパは子どもたち党員を連れお家を出おいった。私を眮いお予定通りドラむブに行ったんだ。もう私は必芁ないんだ。

嗚咜が混じっお蚀葉の茪郭が厩れお、ずころどころ䞍明瞭ではあった。でもマリアは同じこずを䜕床も話しながら、そういう䞀連のこずを私に䌝え続けた。途䞭から、もうマリアそのものがどろどろに溶けおしたうんじゃないかず心配になっお、なんずか人間の圢を保おるよう圌女の现い肩を抱きしめた。

マリアが私の知らなかった10幎間を吐き出し続けるなか、私は自分がいかに䜕も知らなかったかを知っおいく。私が思い描いおいたマリアの明るい未来は、なんお自分勝手でおこがたしいものだったのだろう。私もたた、圌女の孀独に気付けなかった倧勢のうちの䞀人だ。その自芚が、胞をじりじりず焌いおいく。そうしお私がずっず探しおいた“マリアの家”の像も、ほろほろず焊げお厩れおいく。たしかにあそこには、幞せがあった。でも私が芋たのは、きっず家族のほんの䞀面なんだ。

ずっず、ずっず私の心の䞭で倧切にしおきた玩具がある。赀いさんかく屋根のドヌルハりスだ。私はそこに、いろんな人圢を入れ替えながらたたごずを続けおきた。傷぀きたくないから、たたごずの範疇を超えた珟実を避けおきた。でも、マリアは本物の家に生き続けおいる。だから抱えおいるものがたくさんあっお、遞択肢も少なくなる。自由からは遠く離れた堎所で足を螏ん匵っおいる。それが“家族”なんだろう。

私はずっず倧事にしおきた心の䞭のドヌルハりスを、力いっぱい叩き壊す。

「ねえマリア、ドラむブ行こう」

今床は私が、手を匕くね。ただ泣きやたないマリアの手を握りしめお、できるだけ優しく助手垭に乗せた。道なんお知らない。でもどこか行ければそれでいい。車に眮きっぱなしだった熊のマスコットキャラクタヌを「プレれント」ず枡したら、マリアは目を䞞くしおから「誰こい぀、超かわいい」ず、錻をすすりながら笑っおくれた。

私たちはお互いがぜんぜん違う道を歩んできたこずを、車の䞭でかい぀たんで共有し合った。マリアは4人の子どもそれぞれ異なる匱点ず口癖があるこずや、長女に初めお圌氏ができたこずなどを、愛おしそうに説明する。私は自分の䌚瀟の事業内容や、誠ののろけ話などを返した。「なんかお互い、人生違いすぎお別の星の生き物みたいだね」ず私が蚀うず、マリアは「わかる、それな」ずげらげら笑った。

子どもを育おるマリアを、私は心から尊敬しおいる。そしおマリアは、ひずりで䌚瀟を経営しおいる私を、心から尊敬しおいるず䌝えおくれた。積み重ねおきたものは違えど、かけおきた時間は等しい。私が“ママ”ずいう存圚に察しおずっず抱いおきた感情をマリアに䌝えるず、驚いた顔をしおマリアは私を叱った。

「なんであかねすごいじゃんなんで子どもがいないから䞋だず思うのあかねはすごいんだよもっず自分のこず耒めお」

ハンドルを握る私の腕をぜこぜこず叩いおくる。その振動が胞にたで䌝わっおきお、私は涙を抑えられなかった。「運転しおるんだから、泣かせないでよ」ず震える声で懇願する。マリアは、「あかねがあかねのこず耒めないからだよえらいんだよあかねは」ず繰り返し、結局䞀緒に泣いおくれた。

「昔からあかねはすごいんだよ  ピアノも勉匷も、家族のこずを守るのも、がんばっおたんだよ  ずっず考えお、がんばっおきたんだよ」

あたりにもマリアがずっず「すごい」ず「えらい」を繰り返すから、私は運転に支障をきたすほど泣いおしたっお、車を路肩に止めた。そこは牧草地垯で、ずころどころ牧草ロヌルが眮いおある以倖、空だけが広がっおいた。その空の色は、すこしず぀倕方の準備をし始めおいる。

「きれいだね」

マリアが぀ぶやく。目元が熱い。マリアも目を真っ赀にしおいる。倧の倧人がふたりしお、こんな倧泣きしお。そう思うず、すこしず぀笑えおきた。

シンデレラは深倜0時たで螊れたけれど、マリアはそうはいかない。傟きかけた日を芋お、私は時間を想う。おなじようにマリアもいろいろず想像したのだろう。おもむろにスマヌトフォンをポケットから出しお、偎面のスむッチを抌す。その操䜜の動きを芋お、これたで電源を切っおいたずいうこずを知った。でも、わかるよ。私だっお、電源を萜ずしたいずきが䜕床もあった。䜕床も。

「  うっわ、やば、めっちゃ着信きおる」

盞手が誰か蚊かずずもわかるので、「折り返しな」ず促す。マリアは䞍安そうに顔を曇らせるが、深呌吞しおスマヌトフォンを耳におし぀けた。話し始めおから、マリアは車から降りお扉を閉じる。その䞀瞬だけ聞こえた声は、私が知るマリアの声よりもっずかすれおいお、たるで別人みたいだった。

ハンドルに䜓重を預けお空ぞず続く䞀本道を芋぀めながら、私もたた自分が垰る堎所を想った。自宅ではなく、思い描いたのは誠の䜓枩だ。バヌベキュヌの日以来、私は「すこし時間が欲しい」ずだけ䌝え、圌ずの連絡を絶っおいた。

やっぱり私は、誠のもずに垰りたい。ドヌルハりスを壊したあずの私を、抱きしめおほしい。自分のスマヌトフォンを手に取る。今日は圌も䌑日のはず。

――䜕も予定がなければ、今晩䌚いに行っおもいいちょっず時間かかるけど。

そうメッセヌゞを䜜っお、いた県前に広がる颚景の写真を送った。きっずドラむブが奜きな圌なら、どれほど遠くの地か写真だけでおよそ想像できるはずだから。

メッセヌゞを送信しお間もなく、助手垭のドアが開いおマリアが乗り蟌んでくる。

「パパにめっちゃ謝られた。ちゃんず話し合いたいから垰っおおいで、だっおさ。マリアは車持っおないのにいなくなったから、焊っおたよ」

私はうなずいお「急いで垰ろ」ず返しながら゚ンゞンをかける。今床はマリアの家の䜏所をカヌナビに入力しおUタヌンした。「でもね」ず、マリアはちいさな声で続ける。

「どうせ話し合いになんお、ならないんだよ。知っおる。ケンカになるんだよ、きっず。でもね、マリア垰るよ。ママだからね」

私はそのあず、マリアが私にくれたのず同じくらい、いやそれ以䞊に「えらい」ず「すごい」を繰り返し続けた。ずっず前からマリアはえらいんだよ、ず。私はマリアの挔奏から、家族から、蚀葉から、ずっずそのえらさを感じおきたよ、昔もいたも、私はマリアに救われおいるよ、ず。マリアは倧声でずっずわんわん泣いおいたけれど、家が近づくに぀れお、次第に倧人の衚情に戻っおいった。

マリアが家族を守るために䜜る顔ならば、それもマリアの䞀郚なんだろう。そう思ったら、私はふず、母芪の顔を思い出した。あれもたた、家族を守るための顔だったのかもしれないな。

  ――いたならば、母芪のこずを正面から芋られるかもしれない。

私は私の垰る堎所をめざしお、アクセルを螏んだ。


誠の家に぀くなり、き぀く抱きしめられた。誠は䜓が倧きいし力が匷いから、本気で抱きしめられるず骚が折れそうになるし息ができない。でも、その匷さずあたたかさが、私はたたらなく奜きだず、改めお思う。

「おかえり」
「ただいた」

家の匂いも、子どもたちの絵も、䜕䞀぀倉わらない。でも、私の心は晎れ枡っおいた。この家の䞭でも劬みや悲しみが芜生えないこずを確認しお、ほっずする。

私は誠が甚意しおくれおいた倕飯を食べながら、今日あった出来事を話す。マリアずいう倧切な友人に䌚ったこず、圌女が泣きながら話したこず。それを受け止めた自分が、どう感じたかを。それらを振り返るなかで、自分がいかに“家族”を求めおきたか、玠盎に䌝えられた。そしおあんなにも遠回りしお蚀えなかった願望が、䜕のしこりもなく口からするするずこがれる。

「私ね、誠ず結婚したいず思っおた」

ああ、過去圢だ。でも、わずかな波王が自分の心に広がるのを感じる。そのちいさな揺らぎにも、私は耳を柄たす。自分自身が投げかける疑問を、わずかでも芋逃さないように。もう抌し殺さないように。

「  正盎、自分には子どもがいないんだなっお感じるず、抌し぀ぶされそうになる。ずおも奜きな人が目の前にいお、幞せだなっお思っおいるのに、この先家族になるこずはないんだっお想像するず、すごくさみしい。それはたぶん、女だからっおいうより、誠のこずが奜きだからだず思う。きっずこれからもその気持ちは倉わらないし、そのさみしさず、うたく付き合っおいける自信はないんだ」

私は誰かに䜕かを䌝えるずき、決たっおその先にある流れをコントロヌルしようずしおきた。でも、いた自分が玡ぎ出した蚀葉の先には䜕の答えも、正しさもない。誠に䜕かしおほしいずいう期埅は䞀切なかった。ただ、感情を䌝えた。この先、圌ず䞀緒に歩み続けるために。たったそれだけの願いのために。

誠はしばらく、私の蚀葉をもう䞀床読み盎すように䞁寧な沈黙を眮く。私の家にあった沈黙ずは異なり、その間には私を理解しようず努める誠の必死さが感じられた。だから私は呌吞を乱すこずなく、ただ埅぀こずができる。

「  俺はね。茜ず䞀緒に暮らしお、関係性が倉わっおしたうのが、こわいんだず思う。もう二床ず、埌悔したくないから。埌悔しないように、茜のこずを倧切にしようず思っおお」

䞀床そこで蚀葉が切れる。誠の肩が震えおいるこずを知っお、私はその分厚い肩を抱きしめる。倧䞈倫、ちゃんず䌝わっおいる。あなたが私を倧切に想っおくれおいるこずはわかっおるんだよ。結婚したいずいう私の願いを、あなたが無芖しおいたわけじゃないこずくらい、私だっおちゃんず理解できおるんだよ。そう䌝えたくお、腕に力をこめた。

「茜ず䞀緒にいお、俺はね、すごくいた、幞せなんだよ。だから、これからも、なにが䞀番幞せなのかは、ふたりで考えおいきたい」

初めお誠が喉を詰たらせる声を聞いた。私は目を閉じる。頬を涙が䌝う。過去よりもいた、このずきを守っおいくこずに集䞭しようず誓う。答えあわせなんおしなくおいい。きっず答えは倉わっおいくし、わからなければ考えればいい。ふたりで。

その日から、私は空き地になった心の䞀画に、ちいさな家を新たに建お始めた。


日々はすこしだけ圩床を高めお、たた巡りはじめる。

盞倉わらず私は毎朝コヌヒヌを淹れながら䞀服し、ひずりの空間でパ゜コンに向き合う。機材をそろそろ買い替えようかず法人口座の通垳の残高を芋おいたら、぀いわくわくしおしたう。こんなに皌げるなんお、私っお倩才かもしれない。日が暮れるず窓の倖から虫の声が聞こえ始めおいる。そろそろ䞀番過ごしやすい秋が来るなあ。凝り固たった銖を回しお、深呌吞をする。

ふず思い出しお、“高本蓮”ずブラりザに入力し、怜玢しおみる。元カレの名前を怜玢する女。これもたた、私が浅はかだず笑っおいたものの䞀皮だ。でも、私は圌の䞍幞を願っおいるわけじゃない。だから埌ろめたくはない。

むメヌゞ怜玢結果に、空虚な東京を写したモノクロヌムの写真がいく぀もヒットしお、その䞭のひず぀が今幎のフォトコンテストで優勝しおいるこずを確認する。こんなにも矎しく東京を切り取れるあなたの目に遞ばれた私を、誇りに思う。私はこれからも、この地であなたが絶賛した“かわいい”私を倧切にするね、ず、その颚景たちに誓った。

ある晩、「柀口ず付き合い始めた」ずいう連絡が銙織から来お、私はすぐ誠に電話をかける。あのバヌベキュヌの日、私が泣いたこずで時間を持お䜙した倜に、ふたりは急激に距離を瞮めたらしい。その流れを報告しお「私っおばキュヌピッドだよね」ずはしゃいだら、誠の笑い声がスピヌカヌをあたためた。早く䌚っおその笑顔を芋たいず、私は頬を熱くする。

マリアずは、あの日のあず頻繁に電話をしおいる。ずきどき子どもの泣き声や「ママ」ず呌ぶ声が響くなか、炒め物をする音の䞭で私ずの䌚話を楜しむマリアに、「マルチタスクっぷりがすごいね」ず耒める。「たじマリアのこず倩才枠で雇っおもくれおもいいよ」ずマリアは喜びながら、子どもたちをあやしおいる。電話を切る盎前になるず、い぀も「䞀番䞋の子がもうすこし倧きくなったら、マリアが䌚いに行くからね」ず蚀われる。その切実さは圌女が抱えおいるものを想像させるから、私は「マリアが䌚いたい日は、い぀でも私が北芋に行くよ」ず返す。友人を誰よりも倧切にできるこずが、家族をもたない私の特暩だから。

震える指で母芪にメッセヌゞを送ったのは、ここ最近のこずだ。

きっかけは、姉ず連絡を取り合うようになったこずだった。蚘憶の䞭の姉は鋭い県光を垯びおいたけれど、電話越しに聞こえる姉の声は、やわらかく、䞞くなっおいた。姉には新しい家族がいお、東京で働きながら子育おをしおいる。私が蚀葉を慎重に遞びながら母芪のこずを切り出すず、姉はこずもなげに「ああ、もうぜんぜん気にしおないよ」ず即答した。私はそれに驚いおしたったが、姉には姉の家族ず家があっお、私が囚われおいる実家や䞡芪のこずはすでに過去ずしおピリオドが打たれおいるのだず知る。「なんかもう、蚱した」ずいう姉のからりずした笑い声が、私の心を軜くしたのだ。

ずはいえ、母芪に連絡をずるのが䜕幎ぶりかすら、もうわからない。敬語を亀えお淡々ずした近況報告のメッセヌゞをいく぀か亀換したあず、倕飯の玄束をする。向こうからは、䞡芪どちらも来るずいう。私は珟圚亀際しおいる男性ず共に行くず䌝えた。ただ、その盞手ずの結婚や家族ずいった未来はいたのずころ想定しおいない、ず事前に念を抌す。長らく絶瞁しおいた䞡芪に、私ひずりで䌚うのはあたりにも怖かった。どう接したらいいかわからない。そこたでストレヌトに䌝えたわけではないが、自分も圌がいたほうが話しやすいから、ずだけは䌝えた。

玄束の日、札幌のなかでは高玚な店が立ち䞊ぶ゚リアを指定されおいた。円山駅に着いおからずいうもの、劙な汗が止たらない。い぀も以䞊にペットボトルのお茶をがぶがぶず飲む私の背䞭を、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」ず誠はさする。数時間かけお迷いに迷っお買った手土産を片手に、䞡芪が予玄した店ののれんをくぐる。

久しぶりに顔を芋た䞡芪は、ずいぶんず老け蟌んでいた。䞡芪だけれど、老人だ。ふたりっお、こんなにちいさかったっけ。私は面食らいながら、手土産を枡す。

「ありがずう」

圓たり前の䞀蚀なのに、あたりにも嬉しそうに蚀われたから、感謝されたこずあったっけ、ず蚘憶をたどっおしたう。きっず、たくさんあったのだず思う。私が忘れおしたっおいるだけで。

厳しさをたったく感じさせない衚情で、䞡芪は深々ず頭を䞋げ、誠にあいさ぀した。私が抱いおいた䞡芪の印象は、もう過去なのだず痛感する。

家族の思い出話は䞀切しなかった。䞡芪は誠のこずにもほずんど觊れなかった。ただ、最近気になっおいる映画だずか、新しく買った家具だずか、政治に憀りを感じるだずか、そういうなんおこずない話を、早口でたくしたお続けおいる。

こんなに話す䞡芪を、私は芋たこずがなかった。あれほど冷え切っおいたふたりの間で、蚀葉のキャッチボヌルが成立しおいる。このふたりは子どもたちが巣だったあず、沈黙ずいう厄介な化け物ずようやく戊う決意をしお、い぀のたにか手を取り合うようになったのかもしれない。

絶え間なくしゃべり続ける䞍噚甚な䞡芪を芋守りながら、私は願った。その必死さの理由が、ずっず“家族”ずいう偶像に振り回されおきた嚘のきもちに、すこしでも寄り添うためであるこずを。

垰るころになっお、ようやく䞡芪は話のネタが尜きたらしく静かになる。ここたで沈黙から守っおくれたお瀌にず、私もたわいない話題をひず぀振るこずにする。

「そういえばね、この前、ひずりで北芋たでドラむブに行ったんだよ。すごく景色がきれいだったんだ」

マリアの話をするず過去ず぀ながっおややこしいず思ったから、私は写真フォルダにあった倕暮れの写真だけ芋せる。マリアずふたりで泣きながら、時間の経過を想った、あの倕暮れだ。

「きれいね」

母芪はスマヌトフォンの画像に芋入っお、うっすら涙を浮かべる。

「茜ちゃんが産たれた日もね、こんな空が広がっおたの。すごくきれいな色だったから、“茜”っお名前にしたのよ」

スマヌトフォンを私の手元にそっず戻した母芪の笑顔は、きれいで明るかった。

䞡芪ず別れたあずの垰り道、私は声をあげお泣き続けた。「よかったね」ず、誠は私の手を匷く握っおくれた。

その晩、私は誠の腕の䞭で目を閉じる。「だいすきだよ」ずいう蚀葉の子音が耳を撫でたあず、すぐ意識は遠のく。䜕の倢にも邪魔されない、深い、深い眠りの奥底で、新しい家を建おる静かな音色だけが、響いおいた。

了

―党章―

―解説―


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