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日本と台湾の間で揺れた人生。ドキュメンタリー映画『湯徳章―私は誰なのか』

少し前に話題になった台湾のドキュメンタリー映画。日本でも公開になったので、ようやく見ることができました。早朝8時からの上映でしたが、がんばりました。

湯徳章は、1907年に日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれた人。父親は九州熊本出身の坂井警察官。台湾人の武装蜂起(西来庵事件)で坂井は亡くなります。当時はまだ日本人と台湾人の通婚が許可されなかったので、湯徳章の母は内縁の妻扱い。息子の徳章も母の姓を名乗っています。

やがて、湯は警察官になり、結婚して家庭を持ちます。当時の植民地では台湾人が差別されていたので、出世に限界があると思ったのか、父方の叔父を頼って養子になり、1936年に坂井に改名します。

その後、警察を退職した坂井は、東京の叔父を頼って日本に行き、苦学して高等文官試験司法科と行政科の両方に合格して弁護士になりました。これは、日本人でもなかな難しいことで、当時は台湾の新聞でも偉業と報道されたとか。でも、残念ながら日本に居場所は見つけられなかったようです。

1943年、台湾に戻って台南で弁護士寺務所を開設。そして、日本の敗戦。日本人がほとんど引き上げる中、台湾に残り、名前をもとの湯徳章に戻します。そして、二二八事件の処理委員のメンバーとして混乱収集にあたる中、政府軍に身柄を拘束され、1947年3月、広場で銃殺刑になりました。まだ、40歳の若さでした。

ドキュメンタリーでは、湯徳章が何度も名前を代えるところが印象に残っています。お母さんの姓から、父方の性へ。そして、また母の姓へ。仕事も警官から、弁護士へ。住む場所も台南から日本へ、また台湾へ。区長に推されたり、選挙に出て勝てなかったり。台湾人と日本人のはざまの存在として、自分の居場所を探していたのでしょうか。

湯徳章が処刑された大正公園は、日本統治時代には第四代台湾総督の児玉源太郎の石像があり、その後、蒋介石政権の下で民生公園と名前を変え、孫文の銅像が置かれました。2016年、独立派が孫文像を引き倒したので、今は現代アートのモニュメントが置かれています。

余談ですが、ドキュメンタリーが移す地域の資料館の倉庫には、児玉源太郎の石像の頭部と、孫文像がちゃんと同じ場所に保管されていて驚きました。歴史的資料だから当然といわれれば、確かにそうなんですが……いろんな意味ですごい。

長い間、蒋介石政権が戒厳令をしいて、国民党の独裁の体制をとっていたので、湯徳章の遺族たちは何も語ることができませんでした。台南で多くの人が逮捕されたのに、結局、湯徳章だけが処刑されたのは「日本人が反乱を煽動した」ことにされたからだと、天江喜久先生は、論文「台南の「救世主」になった「日本人」」で指摘しています(以下のURLから読めます)。

蒋介石の息子の蒋経国が1987年に戒厳令を解除して、亡くなって。その後は政治の民主化が進み、政権交代が実現します。すると今度は、民進党の台南市長のもとで、湯徳章は独裁政権の犠牲になった「英雄」として顕彰されてるようになります。

現代アートモニュメントとは別に、1998年、湯徳章の銅像もおかれて、公園は湯徳章記念公園に改名されたとのこと。この公園の名前も、湯徳章の人生みたいに変わります。中国とは全く別の意味で、台湾でも歴史は政治です。

ドキュメンタリーには、日本人で湯徳章の人生を書籍にまとめた作家も登場しますが、天江先生によれば彼の作品は、ノンフィクションというより小説に近く、「英雄」扱いで、日本との関係も強調しているとのこと。知れば知るほど、ご遺族や関係者の静かで平穏な生活を祈りたくなります。

日本と台湾の歴史に興味のある方、台湾の近代史を知りたい方におすすめですし、ぜひ映画を見た後は、天江先生の論考か、黒羽さんのblogを読んでみていただけるとうれしいです。

邦題:湯徳章―私は誰なのか(英題:In Search of a Mixed Identity)
監督・撮影:黄銘正
監督・撮影・プロデューサー:連楨恵
制作:台湾(93分)2024年

台湾の話題は、普通だとどうしても台北がメインになりがち。台南については、こちらの本もおすすめかも。


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