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ツレシモノ〜憑かれしものの残響録〜 第十九話 殻を砎る

廣川日向は四぀這いになり、アスファルトに走った䞀本のひび割れを芋぀めた。怖かった。額の蟺りに、圧迫されるような嫌な感芚が広がる。小さく、䜕床も呌吞を繰り返す。

スヌハヌ。スヌハヌ。

最埌に倧きく息を吞い蟌み、止める。目をき぀く瞑る。そしお日向は、倧きく身䜓を反らした。



䜏宅街南偎区域。阿倍野本家から盎線で最も近い封鎖地点に、日向は到着した。すでに配眮されおいた門䞋生たちが皆、慌ただしく動いおいる。

道路には芏制線が匵られ、その向こうでは避難誘導が続いおいる。遠くから聞こえるサむレンの音。飛び亀う指瀺。䜏宅の窓から、䞍安そうに倖を芗いおいる人の姿もあった。日向は近くにいた門䞋生ぞ声を掛ける。

「お疲れ様です。応揎に来たした」

「ああ、ありがずう」

男が振り返る。

「でも、もう倧䞈倫そうだ。圌方さんが察象ずの接觊に成功した」

「兄が」

「ああ。もう制圧に入るらしい」

日向は小さく息を吐いた。

「そうですか」

兄なら倧䞈倫。それは身内だから信じおいる、ずいうだけではない。圌方は、阿倍野本家でも実戊経隓の倚い門䞋生だ。珟堎にいる誰もが、その実力を知っおいる。

あずは察象を封印するだけ。そう思った。日向は無線機のチャンネルを切り替える。その瞬間だった。無線機から緊迫した声が響き枡った。

『掞倪郎。もう意識は刈れない。怪異化だ』

『  了解した。党員に通達。譊戒レベルを二から四に匕き䞊げろ。結界維持を最優先。救助班、救護班は消防ずの連携を密にしろ』

日向の肩に緊匵が走る。状況が悪化しおいる。その盎埌。

ビィィィィッ

甲高い譊告音が無線から響いた。

『掞倪郎結界出力を䞊げろ。綻びはじめおやがるぞ』

日向が状況を理解するより早く、次の声が飛び蟌んでくる。

『北西、結界物が限界です』

『出力を萜ずすな』

たた別の声。

『結界物、䞀基砎損』

『残り四基で抑えろ』

結界が壊れ始める。

『二基目、砎損』

『䞉基目』

『四基目、砎損 残り䞀基です』

『退避しろ』

日向が顔を䞊げた。その瞬間。

ゎォォォォッ

蜟音ず共に、䜏宅街の向こうで火柱が同時に五本、倜空ぞ突き䞊がった。

「  え」

目の前で起きた状況を、理解できなかった。倜空が赀く染たる。炎に照らされ、䜏宅の壁が赀黒く揺れおいた。たるで、街そのものが燃え始めたようだった。

「なんなんだよ、あれは」

誰かの呆然ずした声が聞こえる。誰もが火柱を芋おいる。霊障戊争。日向は逞話ずしお聞いたこずのある、そんな蚀葉を思い出しおいた。その堎にいる誰もが動けなかった。

『党員聞け』

掞倪郎の声が、珟堎に響き枡る。

『結界は厩壊した。各珟堎、最小限の人員を残せ それ以倖は霊障珟堎の状況確認ず救助ぞ移行』

その声を合図に、みんなが䞀斉に動き始める。

『共有システムをA3ぞ切り替える 情報粟床は構わん 芋たものをそのたた䞊げろ』

『了解』

『西偎、火灜地点ぞ向かいたす』

『東偎、䜏民避難を開始』

『南偎、移動したす』

声が次々ず重なる。日向も火柱を芋た。誰かがあの堎所にいる。助けを埅っおいる人がいる。

「私も行きたす」

返事を埅たず、地面を蹎った。倜颚が頬を叩く。遠くでサむレンが鳎っおいる。火柱が䞀本、たた䞀本ず消えおいく。それでも日向は前だけを芋お走った。

はぁっ、はぁっ、はぁっ。

呌吞が远い぀かない。胞が痛い。それでも走る。もっず速く。日向はさらに地面を蹎った。

『掞倪郎』

無線から圌方の叫び声が響いた。

『察象が包囲網を突砎した』

「え」

それでも足は止めない。

『本家ぞ向かっおる』

本家。日向の胞がざわ぀いた。どうしお。

『狙いは』

圌方の声が途切れる。そしお。

『䞉鷹乃だ』

足が止たった。

「    え」

呚囲の音が遠ざかった。䞉鷹乃。その名前だけが、䜕床も頭の䞭で響く。

『䞉鷹乃さんは、私の垌望です』

数時間前、䞉鷹乃に蚀った蚀葉。本圓にそう思った。あの人が霊の圱響を受け぀けないからじゃない。

『倉わらないこずで、䜕かを倉えおみせるよ』

そのたたでいおくれるず蚀った。なのに、倉えおみせるずも蚀った。そんな圌が今、危険の䞭心にいる。

「どうしお」

そしお。

ドンッ

すぐ近くで、䜕かが地面を蹎った。顔を䞊げる。䞀瞬だった。党身から炎を噎き出す男が、日向のすぐそばを駆け抜けた。

速い。声を䞊げるこずすらできなかった。振り返る。もう遠い。男は止たらない。本家ぞ。䞉鷹乃のいる堎所ぞ。

「埅っお」

声が挏れた。振り返っお远おうずしたが、足がも぀れお転んでしたう。

「埅っお」

それでも腕を䌞ばす。届かない。ただ遠ざかっおいく背䞭を芋る。䜕もできない。日向の手が震えた。

「たた」

倜の䜏宅街が揺らぐ。

『日向』

母の声。自分を庇う背䞭。

『䞋がれ』

圌方が前ぞ出る。血の匂い。誰かの悲鳎。父の叫び声。怖い。䜕もできない。動けない。ただ、誰かが自分を守る姿を芋おいるこずしかできない。

「うぅっ」

身䜓が冷たい。足に力が入らない。呌吞が、うたくできない。たただ。あの時ず同じ。私は䜕もできなかった。お母さんも。兄さんも。それに、お父さんも。

私は䜕も、救えなかった。

そしお今床は、䞉鷹乃たで。地面を芋る。アスファルトに走った䞀本のひび割れ。なぜか、それだけが異様なほど鮮明に芋えた。



どのくらい時間が経ったのだろうか。

『日向』

無線から声が聞こえる。遠い。

『日向聞こえおるか』

身䜓が震えた。知っおいる声だった。

「兄さん」

『よかった』

荒い呌吞。無線の向こうで颚を切る音が聞こえる。圌方は今も走っおいる。

『聞こえおるな』

「うん」

『十階建おのマンションに延焌した』

日向の目がピクリず動いた。

『煙が酷い。䜏民の避難が終わっおねぇ』

誰かがただ、そこに取り残されおいる。

『来れるか』

日向は答えられなかった。䞉鷹乃。本家。火の霊。マンション。圌方。いく぀ものこずがグチャグチャず頭の䞭を回り続ける。どこぞ行けばいい。私は、䜕をすればいい。

『日向』

別の声。掞倪郎だった。

『聞け』

䜎く、萜ち着いた声。それだけで、散らばっおいた意識が少しだけ戻った。

『圌方の蚀う通りだ。十階建おのマンションに延焌した』

カタカタずキヌボヌドを叩く音。

『䞊階に取り残された人がいる可胜性が高い。だが煙で䞭の状況が分からん』

䞀拍。

『圌方だけでは限界がある』

指が埮かに動く。

『芖界が必芁だ』

自分の瞌ぞ觊れる。自分にしかできないこず。分かっおいる。それでも、足は動かなかった。

『日向』

掞倪郎がもう䞀床名前を呌ぶ。そしお。

『行け』

それだけだった。倧䞈倫だずも、頑匵れずも、蚀わなかった。ただ、行け。

「はい」

䜕ずか、返事をした。それでも、足は動かなかった。通信が切れる。芖線を萜ずす。たた、あのひび割れが芋えた。

母は、自分を庇っお傷぀いた。兄も、自分を守っお傷぀いた。䞡瞌に残った傷は、今も消えおいない。自分だけが守られおいた。あの時も、今も。

「このたたじゃ」

日向は四぀這いになり、アスファルトに走った䞀本のひび割れを芋぀めた。

「私は、どこたでいっおも倉われない」

怖かった。額の蟺りに、圧迫されるような嫌な感芚が広がる。小さく、䜕床も呌吞を繰り返す。

スヌハヌ。スヌハヌ。

最埌に倧きく息を吞い蟌み、止める。目をき぀く瞑る。そしお日向は、倧きく身䜓を反らした。そしお。

ガンッ

額をアスファルトに叩き぀けた。

「぀っ」

頭の奥たで衝撃が突き抜ける。痛い。芖界が滲む。

ポタッ。

赀い雫が、ひび割れの䞊に萜ちた。日向は額に觊れる。指先に血が぀いた。

「痛い」

圓たり前だった。自分でやったのだから。でも、痛い。ちゃんず痛い。今、ここにいる。日向はゆっくりず立ち䞊がった。

額から流れる血を袖で拭う。䞉鷹乃が心配だった。ただ怖かった。䜕も解決しおいない。それでも。

遠くに黒煙を䞊げるマンションが芋える。あそこに今、自分を必芁ずしおいる人がいる。日向は地面を蹎った。今床は、足が動いた。炎の䞊がるマンションぞ向かっお、走り出した。

いいなず思ったら応揎しよう