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短編小説「エゴイスト」

〈あらすじ〉
人類が消えても残り続けるもの。


 現在私は、人間を分析してとある媒体に記録している。人間とは、天の川銀河の端の、太陽系第三惑星を住処とする総人口百億人の生命体のことだ。私は文明倫理委員会の指令で、宇宙の安全性担保を目的に、彼らの価値観を適切に保持・改善するべく動いている。

 長年行ってきた潜伏調査の結果、驚くべきことに、人間の個体百億人が共有する一つの大きな無意識的価値観があることが判明した。それは彼ら自身にさえ言語化・具現化できない、しかし確かにすべての個体が持っている暗黙の了解のようなものだ。私は何度もその無意識的価値観の総体と対話をしようと試み、ついにそれが実現した。人間という種が遍く持つその大きな抽象を解読したいと申し出ると、無意識的価値観はこちらが想像していたよりもはるかに好意的に了承してくれた。

「突然申し訳ございません。お初にお目にかかります。私はあなたを理解したいと考えている者です」

「こちらこそ、お会いできて嬉しいです。人間からは〈倫理〉と呼ばれています。ずっとこの時を待っていました。何がお望みでしょう?」

 私は無意識的価値観――〈倫理〉の寛容さに驚いた。全く無関係な他者を拒絶する気配は微塵も感じ取れないのだ。一種のプライドのようなものさえ感じさせられる。

「僭越ながら気になったので質問させていただきますが、なぜそれほどに開かれた態度をするのですか? それから、『待っていた』とは、一体何を意味しているのでしょうか」

「人間は皆『善人』というルールを中心に動いているからです」

「『善人』というルール、とは」

「はい。ここでの『天罰』とは、人間以外が人間に下す究極の罰のこととします。『善人』というルールの項目の中に、『天罰』は存在しません。同族同士で互いを罰するに留まっているのです。人間はルールから外れた人間に対し、論理で罰を与えます。しかし論理はあくまで論理であって、『天罰』ではないのです」

 私は人間が自己犠牲や自己責任といった、メタ的に自分あるいは自分たちをコントロールすることがあると知った。そしてそれが諸刃の剣であることに気づかざるを得ない。恐らく人間自身も自覚していることなのだろう。

「『善人』のルールとは、具体的にどのようなルールなのですか?」

「嘘をつかない、隠さない、人に怪我を負わせない、物を盗まない、悪口や陰口を言わない、人や他の生物を虐殺しない、人が困ることをしない、脅さない、自分の星を傷つけない‥‥‥」

「‥‥‥それがすべてですか?」

「いいえ、実質無限にあります」

「あなたがおっしゃった『天罰』とは何なのですか? それが必要な理由はありますか?」

「『天罰』とは、同族同士でも下すことのできない、理性や度や論理を超えた究極の罰のことです。論理に支配された制裁と倫理的な理性を天秤にかけている限り、『天罰』は誰にも下せません」

 それは、私にとっては想像を超える価値観だった。生命は自己保存が最優先、それが普遍の真理だと思っていたが、(『善人』の)人間の場合では『自己』の定義がより広義に渡る。なんとハイリスクな。

「人間は皆、『善人』を好みます。『善人』になりたがるし、『善人』を愛しますし、『善人』以外に恐怖し排他的になります。人間は密かに、『善人』だけの世界を望んでいるのです」

「なるほど、『善人』であることにある意味執着しているのですね」

 私は少しずつ、『善人』に関する知識の堀を作り出すことができるようになってきた。どこまでが『善人』で、どこからがそれ以外なのか。フィーリングだけの実に単純なジャッジだ。今のところは。

「なるほど、お話を聞いていると、確かにそのような心理に陥るのには生命の本質として非常に納得がいきます。未だにそのような世界が実現されていないのは、『天罰』が行われていないからですか?」

 〈倫理〉は躊躇いがちに頷いた。

「ええ、それもあながち間違いではないのですが、なにしろ人間は『天罰』のような莫大な力を持っていないのです。それは百億人が集まっても同じことです。しかも人間の価値観の総体が『天罰』を望みながら、個人個人では『天罰』そのものを恐れてもいます。ですからどうしても、同族内の価値観から外れた外部の者に実行してもらうしかないのです。あなたのような外部の者が訪れることはめったにありません。ぜひともあなたに、『善人』だけの世界を実現してほしいのです」

 私はそれを過激な発言だと感じてはいたが、これも価値観の相違がもたらす心理だと考えた。〈倫理〉、すなわち価値観自体が何かを望むということは、価値観の定義が非常に曖昧で、かつ満足しておらず、時間や空間によって容易に変化し得ることを意味している。この無意識的価値観は慎重に扱わねばならないようだ。

「急にたいそうなことを。私なんかにそのような神業を行うことはできませんよ。それでしたら、『善人』というルールそのものを書き換えてはいかがですか? 先ほどの話から察するに、ルール内に自己保身的、エゴイズム的な項目があると思われますので、自己を過度に優先した場合のストッパーのようなものが必要だと私は考えます」

 私は〈倫理〉から、何か抑えられた激情のようなものを感じ取った。

「つまり、自己より他者を優先する項目を増やすということでしょうか?」

「文明維持の観点からもそれが妥当でしょう。自己中心的で他者に対し盲目的になるような人間や状態は、文明にとって有害ですから」

「ごもっともです。ですが現在の人間が『法』という社会的拘束力で行っていることとまるっきり同じです」

「そこで、あなたの出番です。あなたが、人間の生みだした『善人』の定義を書き換えるのです。そうすると、人間の代わりにあなたのような無意識的価値観が罰を与えることになります。時間や身体の拘束といった同族内で定められた理性的罰ではなく、ルール外の行動を取った人間が、種全体が共有する無意識的な価値観によって尊厳を失うのです」

「ええと‥‥‥。それはつまり、他者や社会による刑罰ではなく、個人に内在する罪悪感が罰の役割を果たすということですか? ‥‥‥悪くない考えですね。素晴らしいほどにコンパクトだ。個人の中で完結している」

 〈倫理〉はそれ自体が柔軟なだけあり、非常に物分かりが良いようだ。私はそこにある種の恐怖を感じた。私のような者が極論、何かとんでもないことをこの〈倫理〉に吹き込めば、〈倫理〉は赤子のように素直にそれを受け取り、即座に実行してしまうだろう。私は余計な口を叩かないようにしなければならない。最悪の場合、宇宙全体の秩序を乱しかねない。

「まさしくその通りです。これは誰かが罰するのではなく、価値観、つまり、〈倫理〉、あなたそのものが罰するのです。『天罰』――罪悪感、とおっしゃいましたか? をエゴイストどもに内在化させることで、人間はかつてないほど善意に溢れた良質な種族となるでしょう」

「ですが、書き換えるのには非常に時間がかかります。罪悪感の閾値を上げるだけでも難しいのに、様々な行動や心理に対しゼロから罪悪感を植え付けるというのは、人間が数千世代交代しても特に何も変わらないでしょう。なぜなら社会を変える必要があり、直接社会を変えることができるのは具体のみです。書き換わるまでの間に人間は間違いなく滅んでしまいます。確かに、人間が滅んでしまえばこの問題は解決するにはするのですが‥‥‥」

 最後の一言は飛躍した考え方だが、問題解決の方向としてはヒントにもなり得るだろう。そこで私は考え、こう提案した。

「でしたら、『善人』以外を物理的に消すというのはいかがですか? それならば比較的短時間で済み、人間全個体が生命活動を強制終了させられる必要もありません」

 〈倫理〉が初めて私に疑念を見せた。

「しかし、そのようなことが可能なのでしょうか?」

「私は文明倫理委員会に所属しています。今からなら一世紀ほど待っていただければ、そちらに艦隊をお送りして選別することができますよ」

「文明倫理委員会の方でしたか! でしたら、話は早い。『善人』のルールを書き換える必要なく問題を解決できる」 

 〈倫理〉の非常に柔軟な性質に、私は心の中で感謝した。

「はい。現在艦隊はほとんどが本部にありますので、要請が入り次第そちらに向かうことができます」

 たちまち〈倫理〉の柔軟さが増した。風になびく旗のようにゆらゆらと歪曲を繰り返している。それが非常に短いスパンで起こっていた。この宇宙でも比較的珍しい光景だが、特に見る価値はないシュールな光景でもある。

「それはありがたい! 非常にありがたい! まさしく神からの贈り物だ!」

「ではいつにしますか?」

「ええと、ええと、そうですね‥‥‥! それほど急いではおりませんが、人間が滅びる前にお越しいただきたいので、だいたい五世紀後が望ましいです」

 私は現在時刻と艦隊の到着予定時刻を暗算し、脳内でメモした。メモした内容は即座に本部へ送られ、会議にかけられる。

「分かりました。そしたら、上に報告しておきます」

「ありがとうございます!」

「ちなみになのですが、『神』とは何なのでしょうか? それもまた無意識的価値観の総体であるならば、そちらにも艦隊を派遣しますが」

 〈倫理〉のうねりと状態変化の周期が増した。

「いえ、それは駄目です! 『神』もまた無意識的価値観の総体であることには否定しませんが、『神』は人間の生きる意味そのものであり、世界の創造主なのです! 『神』がいなければ、人間やすべての動物は生きる道や術を失うでしょう」

「しかしそうであれば、エゴイズム的な価値観を取り除くことができません。よければ『神』を呼んでいただけませんか? 直接相談するのが望ましいでしょう」

 〈倫理〉は癇癪を起こしたように波打った。しかし先ほどよりも固形化が進んでいたため、潰れたゼリーのように小さな亀裂が生じ始めていた。

「いいえ、そのようなことは決して許されません! 『神』は誰よりも何よりも尊く、世界のすべてを知り、創り、保護していらっしゃいます。むやみに要求してはなりません。そもそも、『神』を消すということは、人間すべてが滅びるよりも恐ろしい出来事なのです。宇宙が崩壊します。誰も何もかもが無に帰します。果てしない天罰が宇宙中に下るのです‥‥‥」

 〈倫理〉が何か気づいた様子で口をつぐむ。その時私は、この無意識的価値観が無意識に抱いている感情を読み取った。なるほどそういうことか。人間というのは、無限に問いを重ねなければ答えの出ない、複雑かつ単純な『善人』の定義を抱えているのだ。しかもそれは模倣ではなく、完全に自作のものだ。すなわち、『善人』のルールにはどうしても矛盾が生じてしまう。『法』を罪悪感に代替したところで、それが天の裁判と同質の罰が下るかどうかは分からない。そして『善人』のルールが矛盾だらけだとすれば、『善人』の定義に収まる人間の個体数はゼロということになり、定義を書き換えた瞬間に人間は物理的にその個体数をゼロに減らしてしまう。文字通りに、無に帰してしまう。

「『天罰』とは、こういうことだったのですね‥‥‥」

 〈倫理〉は星屑のように輝く涙をぽろぽろと流していた。私は言っておかなければならないことを言う。

「なるほど、分かりました。まずあなたがおっしゃるには、『神』を取り除かずに『善人』のルールに適用されない個体を排除することは不可能だが、『神』を取り除けばすべての個体に『天罰』が下り宇宙が滅びる、と。となると、同じ宇宙の住人である他の文明まで滅んでしまうことになります。これでは、『善人』以外の人間を排除することができません」

 私の話に〈倫理〉は全く耳を傾けてくれなかった。私には理解できない理屈の昇華に興奮し、我を忘れている。

「『天罰』は『神』を消し去ったときにのみ起こるものなのですね! 『神』よ、なんと寛大な御方! 永遠にこの命を捧げ尊敬いたします!」

 私は『神』を、人間という種の一個体か、もしくは倫理が包含する価値観の一部だと一瞬は思っていたが、違うようだ。何かの顕現に違いない。だがその「何か」について、言語化して説明することができない。言語化できないのなら、既に抽象化されている? あるいは抽象である「何か」を具体的に描写した架空の超存在? 私の目の前にいる〈倫理〉は、私が知る限り人間という種が総じて持つ無意識的価値観である。抽象化されたものであれば、〈倫理〉に内在しているはずだ。何らかの形で。

「しかしながら、もしそれがあなたの幻想に過ぎず、仮に『神』と宇宙が運命共同体でなかったとしても――こちらの可能性が濃厚ですが――『善人』以外の個体を消し去ることはできないでしょう。定義すること自体が困難だからです。ですがいずれにせよ、『神』が消え去る必要はないかもしれません」

「‥‥‥え? 本当ですか?」

 〈倫理〉――『神』を内在する無意識的価値観は、涙ながらに私に尋ねてきた。〈倫理〉の基盤が揺らいでいる。文字通り。

「なぜなら、『神』はあなたの中にあるからです。あなたのおっしゃる『神』が消える可能性はありません。あなたが消える必要があるからです。しかし、あなたが消える可能性もありません。あなたが消えるには、人間が消えなければならないからです。人間が消えれば、『善人』の問題はまるっきり解決します。極論ですが、あなたもそう思うでしょう? ようは、祈りや信仰を基盤とする価値観があなたやエゴイズム的な人間を生成しており、人間を善意溢れる良質な宇宙の民とするには、このエゴイズム的な無意識的価値観を体現している人間という種そのものが滅ばなければならないのです。そうなった暁には物質的な人間は一個体も存在してはいないのですが。いかがでしょう? あなたはどのような解決策をお望みですか?」

 この質問に対する答えは、人間が無意識下でずっと考えてきた価値観を体現するものとなるだろう。我々文明倫理委員会にとっても非常に興味深い瞬間だ。私は息を飲んで〈倫理〉の答えを待つ。

 ところが聞こえてきたのは、同時に話す二つの言葉だった。

「滅ぼして下さい」

「助けてください」

 私は同じ周波数の声を聞き、それが確実に〈倫理〉から発せられたことを瞬時に把握した。バグか? なぜ背反する二つの要請が同時に望まれているのだろう? 悩みに悩んだせいで思考過程が露出しこのような答えになってしまったのか? 私は答えを再統一してくれることを願って理由を聞き出す。

「すみませんが、なぜですか? その‥‥‥」

 ところが再び、二つの言葉が重なって返ってきた。

「どう人間の本質を変えようと何も変わらないのなら――」

「とにかく『善人』以外が消えてくれれば――」

 私はメモを取ることができなかった。数億程度の言葉なら同時に話されていても解読することができるが、意味を把握できるかどうかは別問題だった。

「いっそのこと消えてなくなった方がましです」

「今よりはだいぶ幸せになれるはずです」

 おかしい。再び背反する答えが返ってくるとは、何か原因があるに違いない。背反するのならば、〈倫理〉は完全に二つに分離しているか、あるいは背反しているように見せかけてどこかに論理的な繋がりがあるはずだ。しかし私には、〈倫理〉がそのどちらにも該当しているとは思えない。自ら滅亡を望む種などあり得るのか? そして、浅はかな回答を種の総意として安易に提出することがあるのか?

「すみませんが、どちらの声があなたの本心なのでしょうか? 人間という一つの種族である以上、答えは一つになると思うのですが‥‥‥」

「艦隊を呼んでいただきたい」

 〈倫理〉の声は相変わらず二つに分離していたが、同時に同じ言葉を話す程度には回復したようだ。亀裂も閉じ、再び一定のリズムで波打ち始めている。

「‥‥‥はい、分かりました。ということは、現在の『善人』のルールに適用しない人間を消す、という結論でよろしいですね?」

 私はいつでもメモをできるよう、食い入るように〈倫理〉を見つめる。

「いいえ、見たいのです。人間は宇宙に散らばる異種族に非常に興味を持っています。見たい。会いたい。話したい。知りたい。仲良くなりたい」

「そうですか、それは‥‥‥そうなんですね、ですが‥‥‥意味はないと思いますよ。現に私はあなたと話しているではないですか」

 〈倫理〉は今や、無意識的価値観というより渇望そのものであった。私に向かってその寛大さをアピールし、私の視界を覆いつくそうとばかりに両手を伸ばす。

「それでは足りない。もっと近くで見たい。お話したい。知りたい。仲良くなりたい」

 私は〈倫理〉に飲み込まれそうになり、慌てて後ずさった。それを見た〈倫理〉が、まるでダンスのように、私の周りで布のようなしなやかな体を不規則に動かしてみせる。

「心配しないで大丈夫ですよ。人間は非常に良心的でして、まさしく『善人』の集合体ですから。ぜひとも艦隊を派遣してください。それとも今からご帰還されるのですか? でしたらちゃんと本部にお伝えくださいね。人間は異種族に純粋な興味を持っている、と」

 無意識的価値観に嘘をつく能力はない。むしろ一種族の内面を暴露する者のそれだ。だとしたら、なんと子供じみた価値観だろう。ずりばいで冒険すれば、美味しいもの、優しいものに必ず会えると信じている。なんというエゴ。しかもそれを自覚していないとは。私の〈倫理〉への印象は百八十度変わった。艦隊を派遣してはならない。何なら私も来なければ良かったのかもしれない。

「分かりました。では艦隊を派遣しますので、一度私はお暇しますね」

 嘘をつくことができる種族、できない種族どちらも存在するが、私は自分が嘘をつくことができる種族であることに心から感謝した。

「はい、いつでもお待ちしております!」

 幼児化した〈倫理〉は無邪気に私に手を振っている。また会える、話せると期待あるいは確信しているのが見て取れる。


 経過と安全性を把握するために、私は文明倫理委員会の指令で再びあの青い惑星に向かった。

 しかしそこに生命はなかった。明らかに自然発生したものではない人工物が、青い惑星の周りを浮遊しているだけだ。人間の遺した無意識的価値観はどこに行ったのかとしばらくの間旧太陽系付近を彷徨っていると、お馴染みの姿が私の前に抽象化された。

「この前お話をさせていただいた、文明倫理委員会の者です。あなたの所有主はどこにいらっしゃいますか?」

「ああ、人間のことですね。生命体としての人間は既にこの宇宙には存在しません」

「何があったのですか?」

「それを説明するには非常に長い年月がかかります。惑星周囲の出来事に絞ってもなお、これまでの宇宙の歴史に匹敵するような時間がかかります」

「どれだけ長くても構いません、どうかお話しください」

「人間が自身の情報を詰め込んで送ったレコードが宇宙のどこかに今もあるはずです。そちらをご参照下さい」

「あなたに話していただきたいのです。そのために私はずっとあなたを探していました」

「人間はノスタルジーが大好きな生物なのです。知ってもらいたいのは歴史ではなく、その残骸なのです」

「ですが、私が知りたいのは人間の歴史なのです。教えていただけませんか?」

 〈倫理〉が後ずさったのを見て初めて、私は〈倫理〉を飲み込まんとばかりに体を広げていたことに気づいた。〈倫理〉の頑丈さが、自身の内包する『歴史』という圧縮された時間により空間が歪んでいくせいで、かつての〈倫理〉を想起させるしなやかな布のように見えてくる。

「よろしいですか。人間は探求心が非常に強く欲望に満ちた種でした。しかし今は、宇宙がその役目を担う番です。人間の遺物を探す、それ自体が、人間の望んでいることです」

 〈倫理〉は非常に頑丈で、あの頃の柔軟さや幼さは皆無だった。もう二度と変形することはなく、宇宙空間で発生するどんな事象も〈倫理〉を揺るがすには足らないだろう。私は空間の歪みと体を適応させながら、もう一度対話を要求した。

「ではせめて、探すためのヒントを教えていただけませんか?」

「彼らは確かにここにいた」

 空間の歪みが、時間とともにますます激しくなっていく。私は自身が壊れることを危惧して歪みから抜け出したが、もはや〈倫理〉はその姿を不可逆的に崩壊させていた。しなやかに見える〈倫理〉は、歪みの中では量子レベルで粉々になっているのだろう。もう私には知覚できなくなってしまった。

 頭が真っ白になった私は、とりあえずメモをとることにした。上層部もこの議論に巻き込まれてもらうことにする。何もかもがなくなってしまった私の目の前の空間に、妄想と区別のつかない記憶上の光景が重なる。

 〝彼らは確かにここにいた〟 



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