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忍者になった日の日記。〜再び〜

その日私はとある武器を携えて、オフィスの執務室エリアの入り口に立っていた。手裏剣ではない。全長は70cmほど。人に向かって振り下ろそうものなら、怪我くらい容易く負わせてしまうことのできる極めて強力な武器。その名も「ラケット」であった。

なぜ私が平日の朝っぱらからそんな武器を背負っていたのか。理由は至ってシンプルで、業務後にバドミントンへ繰り出す予定があったからである。

業務後に何をしようが自由なので、普段通り「おはざーす」と戦場に乗り込めば良いはずなのだが、今私の手にあるのは紛れもない武器である。しかもこの武器、一般的な武器と少し違う。「見つかったら少し恥ずかしい」のだ。

想像していただきたい。
部署のメンバーには特に告げることなく、ひっそりと勤しんでいる趣味。上手いわけでもなければ、もちろん何か賞とやらを取ったこともない。そんな状況で、「あれ、それ何ですか?」「へぇ~バドミントンされているんですね!」なんて大勢の前で言われたりでもしたら、「あぁ、まぁ、趣味程度ですが……」なんて口をもごもごさせながら消えてしまいたくなる。

バドミントンで想像しづらければ、ギターでも良い。弓道の弓でも良い。コインロッカーに預けるのは値が張るからと仕方なく会社に持って行った状況で、「そんな趣味があったんですね」やら「意外!」やら「すごい!」なんて言われたら、誰しも恥ずかしさで逃げ出したくなるのではなかろうか。

それゆえ、私はその武器を可能な限り人目に晒すことなく、最も効率的なルートで自席へ向かう必要があった。

普段なら移動距離を削減するために、給水機へ寄ってから自席を目指すのだが、今日に限ってはそんなことは言ってられない。喉の潤いは後回し。とにかく一刻も早く自席に辿り着き、一秒でも早くデスクの下に武器を滑り込ませる。それが最優先事項であった。

呼吸を整えてドアノブを握る。いざ、戦場へ突入。執務エリアへ入ると、ちらほら歩いている人はいたものの見知った顔はなかった。極限まで存在感を薄めつつ、抜き足差し足忍び足で一直線にデスクへと向かう。視界に普段座っている見慣れた空間が現れ、たどり着くや否や、リュックよりも先に武器を下ろして机の下に潜ませた。ひとまず第一任務は成功と言って良いだろう。

残るは退勤時であったが、出勤時よりは勝ち筋があった。何せ私の目標は、武器に関する”話題を提供されないこと”。出勤時はそこからの時間が無限であるため、話題提供を受けるリスクが高いのだが、帰り際はたとえ100人の目に入ったとしても、その場を去ってしまえばこちらの勝ちなのだ。

そんなわけで、業務を始めてからは普段と変わりない心の持ちようで仕事をすることができた。いや、正確に言うなら「定時退勤をキメるぞ」という心意気のもと、普段の何倍もの集中力で取り組むことができた。

そして迎えた18時。開いていたアプリを閉じて、打刻を済ませる。リュックに荷物を滑りこませ、席を立った。
「お疲れ様です」
私の発した声に視線が集まるが、心配は無用。なぜならラケットはまだ机の下にあるからだ。
「あ、お疲れ様ですー」「お疲れ様」「お疲れ~」
呼応してくれた彼らが、再びパソコンへと視線を戻す。今だ!今こそラケットを掴み、執務室の扉へと駆け抜けるべきときだ! 体の奥から発せられる司令に従ってラケットを掴む。体の向きを変える。右足を浮かせる。そのときだった。

「今日数人で軽く飲みに行こうって話になってるんですけど、もう帰られますか?」
タンポポ畑で生まれたと言われても信じ込んでしまいそうなほど可愛らしい後輩。普段ならありがたく誘いに乗らせていただくところであったが、残念ながら今日に限ってそうはいかなかった。
「あ、すみません。今日は予定があって」

思い返せばこの時の私はなんて愚かだったのだろう。
誘っていただいたのに申し訳ないです。行きたくないわけではないのです。本当に予定があるのです。嘘ではないのです。そんな気持ちを示したいあまり、「予定があって」と告げる瞬間、右手に持ったラケットをクイッと、ほんの少しだけクイッと持ち上げてしまったのだ。

途端に手元に吸い寄せられる視線。はじめは後輩だけだったのが、その隣へ隣へと広がっていく。半日も机の陰で過ごしていた武器が、まるでスポットライトを浴びせられているかのようだった。

「え! テニスですか? バドミントンですか?」
バドミントンです……
「バドミントンって結構ハードなスポーツですよね。平日もやるなんてすごいですね!」
いえいえそんな……
「え〜! 頑張ってくださいね!」
ありがとうございます……

ひと通りの質問を受けた私は、魂を半分吸い取られたような顔で「楽しんできます」と告げた。ラケットを掲げながら。

やはり一介のOLが武器を隠し持とうなんて、30年は早かった。部署の皆に笑顔で見送られながら、バドミントンへ繰り出して行ったのだった。

(おわり)

武器


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