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忍者になった日の日記。

4月より私が普段働いているオフィスで自動消灯が導入された。定時の1時間後である19時にフロアの電気が一斉に消えるという現象で、長時間残業の抑制に繋がるらしい。

なんとも迷惑な話である。
もとより19時までに社員全員が仕事を終わらせられるのであれば、節電の観点から称賛に値する取り組みと言えるだろうが、残念なことに現実はそうではない。

電気の消えた薄暗い空間の中で、ぽつぽつと点在するパソコンの光に照らし出されながら、疲れ切った顔でキーボードを叩くサラリーマンの顔。もはやホラーである。
それだけではない。30人ほど残ったフロアの中で始まる「誰が電気を点けに行くか」の心理戦。なんて居心地の悪いことか。普段にこやかな笑顔でクッキーを配って回る女性社員が、毎度ほんの1ミリたりとも腰を浮かせることのない姿には、幽霊よりも見てはいけないものを見た気分になった。

かく言う私も、はじめの方こそ「ついでにトイレでも行くか」と立ち上がる思いやり女を装っていたのだが、最近は電気が消えるやいなやすくっと立ち上がる面倒見の良いチームリーダー(電気の女神様)に頼りっぱなしになっている。クッキー女のことをとやかく言っている場合ではない。

普段は疲れるからというその一点で平日に予定を入れることを避けている私であるが、今週に限ってはなぜか予定が二つも入っていた。しかし、運の悪いことにプロジェクトも大詰め。いざ帰ろうとチームメンバーの傍を通りかかった末には、ビリビリと感電し自席に押し戻されてしまいそうなほどの帰りづらい雰囲気があった。

だがしかし帰らないという選択肢はない。この多忙な時期に予定を入れてしまったのはこちらが悪いとしても、ドタキャンなどして約束の相手に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。これらの予定を見越して、先週は人一倍と言わずその何倍も頑張っていたのだ。帰らせてくれたっていいだろう。

パソコン内で起動しているいくつものアプリやファイルをそろりそろりと閉じていく。時刻は18時50分。約束の19時半に友人と落ち合うためには遅くとも19時5分までにはここを出る必要がある。

いっそのこと突き抜けるほど明るい挨拶でも振りまいて帰ろうか。もしくは鼻歌でも歌って気味悪がられてしまうか。そんな強行突破案に走ろうとしたとき、ひとつの名案が頭をよぎった。

「そうだ、忍者になろう」

19時の自動消灯。その際訪れるしばしの暗闇を利用して出口まで突っ走ればいいのだ。

電気が点けば帰ったことはばれてしまうし、そもそも荷物をまとめる物音で気づかれてしまうことは免れない。ただ、私が何よりも恐れている「もう帰るのか」という冷たい視線だけは回避できる。それしか方法はないと思った。

迎えた19時。
辺りが暗がりに包まれた瞬間、リュックにパソコンを滑り込ませて席を立つ。メンバーの座る座席に挟まれた通路を難なく通り抜け、なんともあっさりと出口まで辿り着いた。

そうだ、久しぶりに電気だけでも点けてあげよう。

スイッチを押し、部屋中が蛍光灯の光に満たされる前に、数センチだけ開けた扉の隙間に身を滑り込ませて外に出る。

任務成功。

体内で未だ騒ぎ立てているアドレナリンを落ち着かせながら、忍者走りでビルの出口を目指す。ベストなタイミングでやってきたエレベーターに片足を踏み入れようとする。そのときだった。

なんと中にいたのは、あの電気の女神こと面倒見の良いチームリーダー。

体内に氷を突っ込まれたようにすーっと血の気が引いていく。
バレた。バレた。いや、別にバレてもいいのだけれど、これだとまるでチームリーダーのいない隙を狙って帰ろうとしたみたいじゃないか。
その場で固まっていると、

「お疲れさま」

向けられたのは鋭い視線でも呆れた表情でもなく、柔らかい笑顔だった。
人の目を盗んで、コソコソと退勤しようとしていた私に向けられたのは
「気をつけて帰ってね」
女神のような笑顔だった。

「ハイィィィ、、、!!!」
声を裏返らせながら背筋を伸ばす。どうやら私は自分が思うよりも恵まれているらい。
忍者作戦なんて姑息なことなど考えなくて良かったのだ。

ビルを出ると、無数の白い光がオフィス街を照らしていた。

明日からはまた、働いて働いて働いてまいります。

(おわり)

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