<2026東京国立博物館常設展 >「特集 明末清初の書画一乱世にみる夢ー」(後期)(東洋館):鑑賞は楽しさに変わったか?「書」を書かずに鑑賞はどうする?
作品画像が多いため長文になります。
時間の余裕がない方は、作品画像をとばし「はじめに」、「前回の鑑賞と何が違う」、「さいごに」の三つの章の文だけお読みになるだけで十分です。
はじめに
2月9日に投稿した下記の記事の最終章「おわりに」で、私は、次のように宣言しました(下記引用文、太文字部分)。
さて「書」です。正直に言えば、「水墨画」については実作品を見て鑑賞することを自ら課したのですが、「書」については、意識的に避けていました。
しかし心のどこかで、「書」を避けては「中国絵画」を語ることはできない、もっと言えば日本の美術の独自性を論じることができないのではと思っていました。
今回の記事を契機に、今後逃げの姿勢は止め、良い作品だと言われる「書」を見続けようと思います。
https://note.com/wataei172/n/n368dad7cd83e
太文字は筆者による
実は正直に言いますと、その宣言を書いたときは、次に「書」の鑑賞文を書くのははるか先になるだろうと考えていたのです。
しかし、その考えはあっというまに覆されました。甘かったのです。
2月14日、私は自分が書いた記事のコメントを再確認するために、作品をもう一度見ようと東京国立博物館の東洋館4階を訪れました。
確かに「特集 明末清初の書画一乱世にみる夢ー」は継続していました。しかし、どこを探しても私がコメントした作品はありません。実は特集が前期と後期に分かれていて、まさに後期が始まったばかりでした。
私は前期展示作品は総入れ替えとなったことを知らずに訪問したのです。
私は腹をくくりました。今回も書を鑑賞し紹介しようと。
作品横の解説カードを頼りに鑑賞し、すべての(禁止作品除く)作品を撮影したのです(これまでなら、立ち止まることなく通り過ぎていました!)。
そして帰宅後、以前読んだ下記の石川九楊氏の著書を読み返し、にわか勉強に努めました。
なぜなら、前回の記事では私は無謀にも基礎知識なしに、作品横の短い解説カードを読むだけで、あつかましくもコメントを書いたのですが、今回はさすがに前回のような態度で記事を書くわけにはいくまいと思ったからです。
せめて基本的な書の変遷の歴史を知るべきだと。
というよりも、学芸員が書いたあの解説カードですが、今思うと、明末、清初の「書」の特徴や背景、作者の人生が、短い文にも関わらず見事に言いつくされており、「王義之」「顔真卿」「欧陽詢」「褚遂良」という私が教科書で学んだ書聖達の「これぞ THE・書」という固定観念とはまったく違う書の様相が私の前に現れて、もっと「中国書史」を知りたいと思ったのです。
なぜ、筆・墨・紙の組み合わせしかない、こんな”似たような文字の羅列”に、書が分かる人は違いを感じることが出来るのか? なぜ美を感じることが出来るのか?
本記事では、「特集 明末清初の書画一乱世にみる夢ー」(後期)の作品を紹介しながら、私は今後どのような姿勢で鑑賞していくのかを考えてみました。
作品紹介について
前回の記事は、ほぼ会場の展示順に作品を紹介しました。まったく基礎知識がない状況でしたので、そうせざるを得なかったのです。
今回は、以下の方針に従い紹介いたします。
(1)書をたしなむ人ならば知っている有名人、著名人の作品を優先して紹介する。
元の中峰明本、趙孟頫
明の莫是龍、張瑞図、文徴明、董其昌、米万鍾、
陳継儒、黄道周、倪元璐
明末清初の王鐸、ハ大山人、呉偉業、傅山
(2)有名、無名にかかわらず筆者が気になりコメントした作品を紹介する
(3)残りの作品は、参考として記事末尾にまとめて紹介する。
(1)各時代で著名な作家の作品
1)中峰明本《ちゅうほう みんぽん》

人生:元を代表する禅僧。 仁宗皇帝や趙孟類ら貴顕から尊崇され、
日本僧を含む多くの修行僧が 参禅した。
作品解説要約:本作は済という侍者に宛てた警策(修行精進を励ます文章)。破格と言うべき字姿 。
コメント(わたなべ):あくまで知らないままの感想だが、日本の禅僧ならば、ここまで特徴のある書ではない気がする。書家が書いたような書に見える。
2)趙孟頫

作品解説要約:篆書の題額と楷書の本文は趙孟頫の書。
本文は、王羲之の流れを汲む唐の李邕(りよう)の書法を素地とした端整な字姿
コメント(わたなべ):趙孟頫の名前もどこかで見た記憶がある。元代を代表する書家ではないかと思って調べたらそうだった。
3)莫是龍

人生:莫是龍は華亭 (上海市松江区)の人。同郷の董其昌は父の莫如忠に学び、兄弟のような 間柄。作品解説要約:本作は墨の潤渴、線の太細、文字の大きさに変化をつけて書写され、
線質は強く、 紙面には奥行きがある。
コメント(わたなべ):長く伸ばす線の筆の運びが、微妙にゆれたり、
くっくっくと屈折して伸ばされているのが面白い。
4)張瑞図

人生:晋江(福建省泉州市)の人。明時代末期の高官、能書。
作品解説要約:本作は、鋭く歯切れのよい筆致で、
筆の抑揚を利かせた多様な線が見られる。
コメント(わたなべ):前期も展示があった。好きな書家になるかもしれない。

人生:張瑞図は全体の第三席で科挙に及第して要 職を歴任するも、
後に罪に巻き込まれて辞官 した。
5)文徴明

人生:長洲(江蘇省)の人。明時代中期に蘇州芸苑の領袖として活 躍 した文人。
作品解説要約:敬慕した元の趙孟頫と同様に王義之を主とする晋唐書法を基盤として、
宋の黄庭堅の筆意を加味したような清爽な趣の字姿。
6)董其昌

作品解説要約:行草書の本文一転して、款記は懐素「自叙帖」風の、変化を尽くした狂草。
コメント(わたなべ):運筆が気持ちよさそう。前回の記事でも書いたが、最後の署名がかっこよく感じる。

作品解説要約:王羲之ら魏晋の書への習熟後に作意を 排除する、率意の書を尊重しました。同じく王を規範とした元の趙孟頫の書を、形似で俗態を得、作意ばかりだと痛烈に批判した。
7)米万鍾

人生:明末の官僚で能書。父の代から宛平(北京市)に移った家系で、地方官を歴任した。
作品解説要約:山水画に題した詩を書写した本作には、重厚な線が見られます。
8)陳継儒

人生:松江 (上海市) の人。著述出版を生業とした 。
作品解説要約:本作は避暑を題材とした自詠詩を記し、
涵六なる人物に 贈った扇面。墨量の変化が紙面に奥行を感じさせる。
9)黄道周

人生:漳浦(福建省漳州市)の人。天啓2年(1622)の進士で、
南明政権で高職に就き、清軍に抵抗した烈士。
作品解説要約:筆力が横溢し、右上がりの強い用筆で、
強さと険しさを備えた字姿
10)倪元璐

人生:上虞(浙江省紹興)の人。明末の高官で烈士
作品解説要旨:38歳時に自詠詩を書写した本幅は早期の作例。
険絶な筆致と太細の変化が顕著な用筆は 、北宋の米芾を想起させる。
コメント(わたなべ):前期でも倪元璐の作品を幾つも見た。これだけでも、重要人物であることがわかる。

人生:黄道周、王鐸と同じ天啓2年(1622)の進士。王鐸が清王朝に降り、
「弐臣」と貶められるのに対し、倪元璐は黄道周と同様に祖国のために殉死した硬骨の人物。
11)王鐸

人生:孟津(河南省洛陽)の人。明清両朝に仕えた式臣、高官。
作品解説要約:変化に富む筆法と墨法、文字を巧みに連関させる 優れた章法を特徴とする。

人生:同上
作品解説要約:文字の形や傾き、大きさ、墨量を大胆に変化させ、卓絶したバランス感覚で書写。

人生:王鐸《行書五言律詩京北玄真廟軸》の項参照。
コメント(わたなべ):扇方や団扇型の形状内に、植物を美しく配置するには工夫がいることを最近広重の花鳥画で指摘したが、ここでも通常ならば、ゆるい自然なカーブを描きながら左下に向かう蘭の葉が、扇に収めるために、円に近い強いカーブで地上に降りていく。

人生:同上作品解説要約:絖本に表された字姿は、墨の潤渇の変化が豊かで躍動感に満ちている
コメント(わたなべ):この書ではじめて、私が戴明説《行書孟浩然五言律詩軸》の書で指摘した、墨の潤滑の変化が解説カードに記されている。巻を見渡すと、墨の濃度変化の分布が絵画的である。
12)ハ大山人

人生:皇族出身。祖国滅亡後に出家し、のちに道教に転じて 、生涯抗清の意を貫いた。
コメント(わたなべ):前回の記事でも特に目立った。マーカーで書いたような文字と評したが、浅はかだった。八大山人の書画について別途記す。
13)呉偉業

人生:太倉(江蘇省)の人。明時代末期、高級官僚となるが明が滅 亡、
一時は清に仕えるが本意でなくすぐに致仕した 。
作品解説要約:殺伐とした乾いた筆法による本 図は彼の内面を表しているようだ。

人生:太倉(江蘇省)の人。明末の進士、のちに清朝に仕えて国子監祭酒に至るも、
清朝への仕官を悔いた。
作品解説要約:濃墨を用い、文字の大きさや配置、線の太さに大胆な変化をつけて書写される。コメント(わたなべ):筆の運びをなぞると楽しい書が本当に多いと感じる。第一行の「帰」、第二行の「千」、第四行の「中」の最終縦棒は思いっきり長く引っ張り、ノリノリの感じ。
14)傅山

人生:明末清初期の学者、道士で、明朝の遺民。
作品解説要約:息の長い運筆で連綿を駆使して、
余白を自在に操りながら鋭い筆致で書き進める。

人生:山西省太原の人。学者の家柄で、書院で講学、明滅亡後は遺民の立場を貫いた。
作品解説要約:楷書(真書)、1書、草書の三体を収める貴重な 作例。
(2)上記作家以外で筆者がコメントした作品

人生:管道昇は趙孟頫の妻。宋を滅ぼした元に仕えざるをえなかった夫をよく支えた。
夫妻はともに画家として著名。竹を得意とした。
コメント(わたなべ):14世紀に活躍した女性画家は世界でもめずらしいのではないか。

人生:明時代後期に活躍した永春(福建省泉州市)出身の官僚。
国子監で学ぶことを許される歳貢に推挙され、のち九江通判など地方官を歴任。
作品解説要約:造形や構成に明末の倪元璐の書風に繋がるところが ある。
コメント(わたなべ):確かに前期で見たぐにゃぐにゃとした倪元璐の書に似ている

人生:休寧(安徽省)の人物画家。明末の奇想趣味を代表する存在として知られている。
コメント(わたなべ):前期展示されたこの画家の水墨画は湿潤で樹木も大人しい表現だった。なぜこの絵では、樹木も岩も機会なのか?

人生:侯官(福建省)の人。倪元璐に師事して官途を目指すも、
明朝滅亡と倪の殉節に遭い、遺民を貫いた。
作品解説要約:連綿草の本作は、行を巧みに連関させる特異な章法の許友の作風をよく伝える。
コメント(わたなべ):異なる文字の大きさと行内の配置、なぞると息詰まるような緊張感。配置は練習をするのだろうか、それとも一発勝負なのか。後者だと信じたい。

人生:浦江(浙江省)の人。曹洞宗の僧侶で、明朝滅亡後、1677年に招かれて来日、
のち徳川光圏が水戸天徳寺の開山に迎えた。
作品解説要約:自然な流れのなかで巧みに連綿を用いて各行を構成している。
コメント(わたなべ):最後の文字の縦にやたらに長い筆跡、気にならないのはなぜか?

人生:滄州(河北省)の人。明末の進士で、のちに清朝にも仕えて戸部尚書などを務めた弐臣。
作品解説要約:淋漓(滴り落ちるさま)と評される大胆な墨法と
太細の変化が豊かな線 条が目を奪う。
コメント(わたなべ):墨がたっぷりの部分と薄いというかかすれに近い薄さが目立つのは、他の書と違う様に思う。

人生:貴陽(貴州省)の人。明の亡命政権につき、最後は福建で清軍に殺された 。
作品解説要約:石田という人物の送別に際して贈ったもの。
画を見たら私を思い出してください、といいます。
コメント(わたなべ):金箋墨画にしては、墨が良くのっている。左半分の樹林、真ん中の巨木、河岸の葦(ススキ?)の植物の配置、描写が好きだ。
前回の鑑賞と何が違う?
冒頭で述べた様に、後期展示があることを知らずに出かけたので、事前の「書」の知識は前回と同様全くなく、「書」の鑑賞の方法はまったく変わっていません(次の鑑賞プロセス)。
1.ビビビときた作品、これはと思った作品の前で立ち止まる。
2.漢字を読むことは諦め、描かれた筆の動きの跡をなぞり、作者の運筆と制作当時の気持ちを推し量る。
3.学芸員が作成した解説カードの、人物の人生と、作品の評価の文章を読み込み、自分が感じたものと比べて、あらためて作品を見る
一方、今回ご紹介した作品は、前期と入れ替わっているものの、有名な書家はほぼ全員そろっています。ですから、前回感じたことと大きく変わっていません(下記前回記事引用)。
2.まず「書体」が素人には分かりやすい「楷書」ではなく、「行書」、「草書」が大半であったこと、そして古来からある「行書」はもちろん、明末に流行した連綿草や狂草(唐代からあるが)の優品、名品であるらしいことが理解できた。おそらく書をたしなむ人々にとっては常識であろうが、特に今回実見できた、倪元璐、黄道周、王鐸といった書家が明末の連綿草の代表作家であることを知ったことは個人的には大きい収穫である。
「特集 明末清初の書画一乱世にみる夢ー」(東洋館)
https://note.com/wataei172/n/n368dad7cd83e
今回も天井から床までの大きな軸に書かれた連綿草による書の筆の運びに惹きつけられました。
冒頭で述べた様に、帰宅後石川九楊氏の三つの著作を読み返したので、改めて中国の書史を知ったうえで、会場で感じた私の感想を再考してみたいと思います。(なお石川氏の本の引用部分は、「書」に詳しい方には常識の範囲になると思いますが、私見にたどりつくのに必要なのでお許しください。)
王義之の行草書から明末清初・連綿体への筆蝕のドラマ
石川九楊著「説き語り中国書史」は、だいぶ前に2回ほど読んでいます。
しかしつくづく思うのは、問題意識なく読んだ場合、かつての私はいかに浅い理解だったかということです。いや悲しいことに理解どころか大半記憶すらありません。
それでも覚えてるのは次の内容です。それは「王義之」の書を解説する第五章「書聖とは何かー王義之」の、「草書体」「行書体」の説明でした。
🔳文字の規範は王義之の行草体にあり
書聖・王義之は、楷書体や隷書体の名手と言うよりも。草書体を中心とする行草体のスタイルを整えた人です。現在もなお文字の規範は王義之の行草書にあります。(中略)
ここに横画が右に上がり、点画が省略されることを特徴とした、筆記体の代表である草書体が生まれました。(中略)
そして草書体の中にくぐもり省略されていた字画に、(中略)二折法というリズムが生まれます。その二折法の成熟から生まれたのが行書体です。
まずここで、私の思い込みを覆させられたのは、文字の規範が王義之の楷書体や隷書体ではなく筆記体の行草書にあるという指摘です(通常は、楷書が主だと思いやすい)。
次に覚えているのは、第七章の「書の典型ー初唐代楷書の成立」の「楷書体」の説明です。
楷書が漢字の標準体であるのは、姿が整然としていて、構築的だからではありません。(中略) 実は、楷書体が標準、基準、つまり文字の典型であるのは、楷書の三大名品とされる虞世南(生没年略)の「孔子廟堂碑」、欧陽詢(生没年略)の「九成宮醴泉銘」、褚遂良(生没年略)の「雁塔聖教序」が石に刻された碑であるところにその秘密があります。
現在では、書と言えば紙に筆で書かれたものと、多くの人が考えています。しかし、そのような共通感覚は、中国初唐代以降に一般化するもので、決して普遍的なものではありません。
ところが、この楷書の三大名品があたかも毛筆で書かれた文字であるように扱う、すなわち「書かれた通りに刻されている」と思わせるところに初唐代楷書の達成があるというのです。
かくして、他の書体と違って、楷書体は「紙に書かれていると同時に石に刻される、すなわち書法=刻法という構造の成立で楷書が完成した」といいます。
🔳実は楷書体は行草体よりもあとに生まれた
結果として、私が驚いた事実が述べられます。
楷書体があらゆる書体や書法に通じる基本書体であるのは、現在までところ楷書体が最後にできた人工的な大書体だからです。甲骨文から金文が、金文から篆書体が、篆書体の省略体として隷書と草書が、そして横画右上がりの草書から行書が生まれ、さらに行書が石刻されたことをきっかけとして楷書体が生まれました。
私はその文字のデフォルメの程度を見ると、当然のように楷書体から行書、草書が生まれたに違いないと思っていました。なんと逆だったのです!
私がなぜ覚えていたかと言うと、私の思い込みとのギャップがあまりにも大きくて衝撃を受けたからでしょう。
しかし、問題はそれだけではありません。私の「書」の理解はこの段階で止まっていたことです。このままでは、今回の特集「明末清初の書」の理解に繋がらないのです。
🔳眼中になかった北宋以後清末までの書の変遷
実は石川氏は、六五〇年前後の楷書体の頂点が、中国書史の分水嶺だとします。それ以前は「石の時代」、それ以降は「紙の時代」に分かれるとし、しかも書き手によってさまざまなスタイルをもつ一人一書体(小書体=スタイル)の時代になるとみなします。
まさに、明末清初の書もその後者の区分に入るのです。詳しい経緯は別の記事に譲るとして、初唐の草書から明末清初の連綿草に至る過程を時代順にポイントとキーワードだけリストして見ましょう。
●孫過庭「書譜」(687):独草体による草書体の基準(二折法)
●狂草(盛唐、中唐):張旭「古詩四帖」、懐素「自叙帖」(三折法)
●顔真卿「送裴将軍詩」「多宝塔碑」:筆蝕表現の中で深度を拡張。狂草を
踏まえている意味で「狂草の楷書」と言える書。
●北宋三大家(蘇軾、黄庭堅、米芾):筆蝕が波立つように揺れ、字形が歪
み、文字が倒れ、行が傾くことが共通。多折法の誕生(黄庭堅)これら
は、初唐代の楷書=政治文字に対し、複雑な政治的意識を持つ文人・士大
夫の登場とともに誕生。北宋三大家は文人・士大夫の書。
●特異的な元代の書
1)啓蒙的書の出現:画一的な字画の反復、機械的。筆蝕は仮面のような表
情。習字手本のような書(趙孟頫「玄妙觀重修三門記」、鮮于枢「透光
古鏡歌」) その背景に①商人など民間人(大衆)の文化成熟、士大夫
の民間文学参加。②西域文化流入③ニ君(宋、元)に仕えた知識人の中
立的無害な教師的姿勢④印刷の発達と活字文字の影響。
2)元代の復古(多様性):①章草(独草体)の流行②二折法・王義之の古
法草書③唐代三折法楷書④盛唐期の李邕の上疎下密の構成
⑤中唐代の狂草
3)カスレの登場:筆毫を押し付け摩擦する書の増加、渇筆表現が重要に。
4)条幅の出現:従来の巻物から壁に垂直に立つ条幅の成立。それは石碑や
絵画的空間の出現であり、書の絵画化、絵画の書化が到来。
●明代の書:最後の楽園 1)三つの特色:①宋代書の継承と展開②折法=リズム法の相対化③筆蝕の
角度の高度化
2)明末連綿草の登場:王鐸、張瑞図、傅山、黄道周、倪元璐、許友らに共
通の特徴(字画だけでなく筆脈や連綿が同水準の存在となり一体化)実
体は草より行がベースなので「明末連綿行」の登場の方がふさわしい。
3)草書は貴族書体、楷書は国家書体、行書は士大夫(民衆)書体とみな
せ、明では行書が日常化した。その士大夫書体(行)が貴族書体(草)
を吞み込んで成立したのが「明末連綿草」。明末清初の激動の時代を政
治的志を持って生きた士大夫の、それぞれの行き方スタイルから明末連
綿草という書のスタイルが産みだされた。
●伝統的書法の解体、書の自立ー清代諸家
1)揚州八怪と書法の解体:多折法の多折化、無限微分折法の成立=折法の
書字法の解体。
2)八大山人の書の意味:線(筆蝕)と速度を主体とする明末連綿草と、速
度より構え(構成)を重視する揚州八怪への転換点に位置する。
①折法の解体から深度主体の均質な太さの筆蝕が生まれる。②とぼけた
字姿はリズム法(折法)の解体の中で、きめ細かな摩擦筆蝕により生ま
れた。
3)無限微動筆蝕と奇抜な造形:八大山人の摩擦筆蝕がさらに展開すると無
限微分折法・無限微動筆蝕の姿を現す(金農「題昔邪之廬壁上」)。字
画の長さや構成の制約からも解放された。書は無制限の自由を得た。
4)書の近代化、芸術化:無限の自由の獲得により書がはじめて近代的な芸
術表現として独立した。筆蝕自体が言葉と化し、自立性を獲得した書は
芸術化した。
5)揚州八怪の多彩な書:隷書の見直し、復権の意味。金農「楷書昔邪之廬
詩」、鄭燮「懐素自叙帖」、楊法「篆書五言古詩」などの傑作群。
6)篆・隷、筆文字の発明:無限微分折法・無限微動筆蝕により石を刻るた
めの書体、隷書、篆書、金文を毛筆で再現的に書くことが可能となる。
(鄧石如は毛筆書きの篆書体、隷書体を発明した。「朱韓山座右銘」「行
書五言聯」)
p104からp202までのキーワード、短文を抜き出した。
太字は筆者による。
🔳作成したリストについて思うこと
私は、このリストを抜き出し、そしてnoteの下書きに入力しながら、驚きとともに興奮しています。
なぜなら、前期および後期に苦しみつつも鑑賞した明末清初の書について抱いた疑問の答えがこのリストにあったからです。
例えば、①なぜこんなに自由な書きぶりなのか②八大山人のあのちびた筆で書いたような、どうみても稚拙な書は何なのだというところから始まり、なぜこんなにバカでかい軸の書ばかり並ぶのか?などなどです。
まさか、条幅の一般化が元、明からだとは夢にも思っていませんでした。日本でも襖に描かれた書に慣れていますし、現代でも書道展では大きな掛軸形式に見慣れているからです。
今回、私の思い込みを覆したのは、清代に初めて毛筆で書く篆書体、隷書体が発明されたというくだりです。
実際、これを読むまでは、篆字、隷字は、古代中国の石碑などから採取したものだとしか思っていませんでした。
ところが篆隷辞典に収蔵されている文字の大半は清代の物だそうです(石川九楊「説き語り中国書史」新潮選書(2012)p202)
しかし、なによりも興奮(いや感激かも)したのは、宋以降明末連綿草に至る、石川流に言えば、筆蝕のドラマです。
私が注目したのは、石川氏は、単なる書の道具とその使い方の問題に限定せず、筆蝕のドラマの背後にある、人間とその活動(階級と社会、政治と商業経済)と関連づけて言及していることです。
今回の特集展で言えば、会場で「揚州八怪」の解説板に、揚州が商業的に栄えていたこと、商人達の支援と関連付けて説明がなされていて、「オッと」と注目したのですが、それは上記リストの流れにそのままつながります。
古代王権(皇帝、王族、貴族)時代の文字(秦、漢、唐)⇒宋の一般民衆(文人・士大夫)時代の書体⇒(元)明の一般民衆(文人・士大夫)、商人時代の書体⇒明末・清初(文人・士大夫)激動時代の書体⇒清初(揚州八怪)商業経済発展時代の書体
この流れは、西欧における近代絵画発展の歴史や日本絵画、特に浮世絵版画が生まれてくる流れとよく似ています。
「中国の書の変遷も同じだった!」という気づきで興奮すると共に嬉しくも感じたのです。
長くなりすぎました。次章で関連する私見を書いて終わりたいと思います。
さいごに
「植物画は芸術か?」、「書は芸術か?」、「東洋絵画(水墨画)は芸術か?」、「浮世絵版画、漫画は芸術か?」、これらの問いはどこか似ていると思いませんか?
最後に余談を書きます。
数年前から現在にかけて中国の水墨画、日本の水墨画、浮世絵版画(花鳥画)、植物画の記事を書いてきましたが、西洋においても、中国、日本においても絵画が誰のためにあるのか、政治経済体制の変化の理解なしに絵画を理解できないことを実感してきました。
最近、江戸の植物図譜や、若冲の黒ベタ版画、多色刷り木版画(錦絵)の中国の図譜、絵画、版画の影響が言われますが、私としては、中国、特に明・清の政治経済、中でも経済の大衆レベルの発展について知る必要がある思っていた矢先、今回「説き語り中国書史」において、書こそ政治経済の状況を反映していることが書かれており、やはりそうだったのかという思いです。
私のnote記事は、「線スケッチ」の観点を軸に、これまで「浮世絵版画」「新版画」、「ジャポニスムの影響を受けた西洋近代絵画、版画」、「同、商業美術(挿絵、ポスターなど)」「水墨画」、「植物画」の順に記事の対象を広げてきました。
植物画については1年近くかけており、はたしてこれでよいのかと思いながら書き続けてきましたが、今回「書」も共通の軸として通っていることがわかり、記事を続けていくことは間違っていないと思えるようになりました。
興味深いことに、西洋の芸術観による西洋絵画(油絵)を除き、これまで取り上げたどの対象も、それがはたして近代以後西洋で定義された「芸術」と言えるのかという同じ問いがなされているのは、その中に共通の本質的な問題が含まれることを示していると考えます(下記)。
●水墨画は芸術(絵画)といえるのか?
●浮世絵版画は芸術(絵画)といえるのか?
●漫画は芸術(絵画)といえるのか?
●植物画は芸術(絵画)といえるのか?
●書は芸術といえるのか?
これまで私は、水墨画、日本絵画、植物画の実作品の鑑賞を続けてきました。
これに「書」を加えることにより、「人がなぜ二次元平面で絵(書)を創作するのか」「なぜ様式を変化させていくのか」など昔からの本質的な問いへの足掛かりになるかもしれません。
(おしまい)
前回の記事は、下記をご覧ください。
末尾参考画像:紹介しなかった残りの作品を示します。

人生:松江 (上海市) の人。著述出版を生業とした 。
作品解説要約:本作は避暑を題材とした自詠詩を記し、
涵六なる人物に 贈った扇面。墨量の変化が紙面に奥行を感じさせる。

人生:松江 (上海市) の人。著述出版を生業とした 。
作品解説要約:本作は避暑を題材とした自詠詩を記し、
涵六なる人物に 贈った扇面。墨量の変化が紙面に奥行を感じさせる。

人生:明時代末期、嘉定(上海市) の文人。

人生:進賢 (江西省) の人。明時代後期の官僚で地方を歴任。
宦官魏忠賢の生祠の碑文を依頼されたが、拒否して辞官。

人生:李雄の伝記は未詳

伝記は未詳
作品解説要約:市川米庵は、この書は明の文徴明の流れを汲むもので、
清勁であって殊のほか佳いと評した。

人生:長興(浙江省)の人。明末の地方官。
作品解説要約:本作は放縦な筆致で、連綿を用いながら
潤渴の変化をつけて大胆に書写されている。

人生:奇怪な形の岩塊が湿潤な大気の中にけぶっているような山水表現を得意とする。



人生:福建出の画家で、張瑞図や黄 道周ら明末の著名な文人との交流。
作品解説の要約:本作は、金箋の扇面を用いて、細緻な筆線と端麗な彩色により、
王義之の蘭亭の宴を見事に表している。


人生:福建省福清の人。明末、天啓元年(1621)の挙人で、
江蘇省如 皋の県知事などを務めたが、のちに福清の漁渓に帰隠して、詩酒に耽った 。
作品解説要約:鋭い筆致で北宋の米芾や明の董其昌を想起させる字姿。

人生:反清勢力の拠点の一つとなった、明の故都、南京で活動
した。 明末清初の戦乱に翻弄されつつ、幻想的で雄大な独自の山水画風を築き上げた。

人生:父は亡命政権の南明に仕え殉死した徐汧。父の命により遺民として生涯を送る。
作品解説要約:内面世界を象徴するように、人を寄せ付けない 厳しい大山が表されている。

人生:清の順治3年(1646)の進士。安徽布政使に任官し、
康熙18 年(1679)には博学鴻詞に推挙されたものの就かなかった。

人生:姜実節の父の姜埰、叔父の姜垓はいずれも明の忠 臣として知られ、
姜実節自身も遺民として生涯を送った。

人生:明朝の遺民で王朝復興を果たせず日本に亡命しました。
作品解説:巧みな文字配置により各行の流れがよくなっている。

人生:貴陽(貴州省)の人。明の亡命政権につき、最後は福建で清軍に殺された 。
作品解説要約:石田という人物の送別に際して贈ったもの。画を見たら私を思い出してください、といいます。
コメント(わたなべ):金箋墨画にしては、墨が良くのっている。左半分の樹林、真ん中の巨木、河岸の葦(ススキ?)の植物の配置、描写が好きだ。

人生:明末の官僚。明朝滅亡後は名を逸麟と改め、逸老と号し遺民の立場を貫いた。

人生:明朝滅亡に際し抗清の姿勢を貫き、滅亡後は隠居し遺民として終えた。

人生:嘉興(浙江省)出身の書画家、篆刻家。明が滅びた際に出家し浄洢と称した。

人生:明朝宗室の後裔。幼くして明朝の滅亡に遭う。出家し晩年は揚州で詩書画に耽った。
作品解説要約:淡墨を用いて、墨色の変化に富む。
