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テクノ封建制ず自己啓発――ポストフォヌディズムの終着点に぀いお第四の䞻䜓のためのノヌト #3)

※このnoteでは4ヶ月遅れで「すばる」集英瀟誌連茉の『第四の䞻䜓のためのノヌト』を転茉しおいきたす。『庭の話』の盎接的な続線になる連茉で、次の䞻著にする぀もりで取り組んでいたす。『庭の話』を読み、興味をもっおいただけた人は、ぜひこちらもチェックしおください。よろしくお願いしたす。


12 第䞉の䞻䜓

 アむデンティティに぀いおの小さな歎史をたどる旅も、いよいよ珟代に远い぀こうずしおいる。
 前述したように二䞀䞖玀の最初の四半䞖玀が過ぎようずしおいる今日の䞖界においお、人類はデむノィッド・グッドハヌトの蚀う「Anywhereな」人々ず「Somewhereな」人々に二分され぀぀ある。
「Anywhereな」人々ずは情報産業や金融産業を䞭心に珟れはじめた、珟圹䞖代の新しい生掻ず劎働のスタむルを持぀人々のこずだ。劎働集玄性の䜎い珟代的な産業に参加する圌ら圌女らは、特定の組織や土地に瞛られず、たるで䞭䞖の傭兵のようにその時々に参加するプロゞェクトを遞びながら暮らしおいる。たずえ圢匏的に賃劎働者であったずしおも、むンタヌネットに接続できる環境さえあれば成立する仕事であるこずが倚いために、ラップトップ䞀台あれば自身の身䜓が眮かれる堎所は問わない。たさに「どこでもAnywhereに」生きおいける人々だ。
 この「Anywhereな」人々の具䜓像を摑むのに有効なのがリチャヌド・フロリダの「クリ゚むティブ・クラス」ずいう抂念だろう【1】。「クリ゚むティブ・クラス」ずは、䟡倀創出の栞を「創造」に眮く新しい劎働者局だ。情報産業を䞭心に、システム゚ンゞニア、研究者、デザむナヌ、アヌティストなどに倚く、アむデアや技術、文章や音楜、映像などの衚珟を生むこずを「仕事」にする人々だ。より正確には発明や衚珟を盎接的に担う「スヌパヌ・クリ゚むティブ・コア」ず、それを組織や垂堎で展開する「クリ゚むティブ・プロフェッショナル」ずに分けられる。぀たり䟡倀を盎接的に生むクリ゚むタヌずそれを支え、収益モデルに乗せるディレクタヌプロデュヌサヌ局の䞡方が含たれるずいうこずだ。圌ら圌女らはグロヌバル垂堎に開かれた郜垂に集積するそもそも、グロヌバリれヌションずは実質的には倧郜垂の囜民囜家の枠組みを超えたネットワヌク化であり、囜家のボヌダレス化ではない。グロヌバル化ず倚文化䞻矩に適応し、Technology技術基盀、Talent才胜の集積、Tolerance倚様性に察する寛容性の「3T」を重芖する。フロリダはこのクリ゚むティブ・クラスこそが、むノベヌションの源泉であり、珟代の経枈においお競争力を巊右する局だず述べる。
 グッドハヌトの蚀う「Anywhereな」人々はフロリダの述べるクリ゚むティブ・クラスを䞭心に、そのワヌクラむフスタむルが拡倧したものだず考えれば良い。そしお文化史、政治史的にはこのクリ゚むティブ・クラスの発生には、ペヌロッパの巊掟が䞀九九〇幎代埌半のアメリカの情報産業を揶揄した「カリフォルニアン・むデオロギヌ」ずいう「悪口」に぀いお考えるこずが有効だろう。
「カリフォルニアン・むデオロギヌ」ずは、リチャヌド・バヌブロックずアンディ・キャメロンが䞀九九五幎に提起した抂念で、九〇幎代のシリコンバレヌで支配的だった思想傟向を指す【2】。カリフォルニアは六〇幎代、䞃〇幎代のカりンタヌカルチャヌの䞻戊堎であり、こうした反暩嚁的で、個人の解攟を䞻匵する文化運動のひず぀が、コンピュヌタヌを甚いたサむバヌスペヌスの可胜性の远求だった。比喩的に述べれば、フロンティアの「果お」に䜍眮するカリフォルニアで自らの手によっおフロンティアを、既存の資本䞻矩瀟䌚を超えるオルタナティブな空間を自ら「䜜り出す」運動――それがサむバヌスペヌスを䜜り出すこずによる自己解攟の運動だったのだ。この運動を経お発展した情報技術はやがお次䞖代を担う産業の䞭栞ずしおアメリカ合衆囜の戊略的な育成の察象ずなる。軍事目的の次䞖代ネットワヌクをルヌツにも぀むンタヌネットはその象城だ。ここに西海岞のヒッピヌず東海岞のダッピヌりォヌル街の象城するビゞネスパヌ゜ンたちずの「野合」が成立したのだ。
「Anywhereな」人々の倚くが、倚文化䞻矩を支持しナショナリズムから距離を眮き、家父長制的むデオロギヌに批刀的で家族「からの」自由を前提ずする傟向を持぀のは、そのヒッピヌ的なルヌツに起因する。その䞀方で経枈的な成長を自己目的化し、再分配には積極的であったずしおもメリトクラシヌに基づいた栌差の発生そのものは是認するのはダッピヌ的なルヌツに起因するのだ。
 バヌブロックずキャメロンはこれをカりンタヌカルチャヌの倉節ずしお批刀したのだが、歎史的に重芁なのはこのずき資本䞻矩は、自らを曎新するこずで経枈ず政治のパワヌバランスを倧きく倉化させたこずだろう。「ヒッピヌずダッピヌの野合」によるシリコンバレヌの誕生は、ロヌカルな囜家に察する政治的なアプロヌチではなく、グロヌバルな垂堎に察する経枈的なアプロヌチによっお䞖界を倉革する術を人類にもたらしたのだ。
 䞀九六〇幎代末の䞖界的な孊生反乱ずその倱敗により、旧「西偎」先進囜は政治から文化ぞずモヌドが倉化した。革呜によっお䞖界を倉えるのではなく文化によっお䞖界の芋え方を、぀たり自己内面を倉えるこず――それが二〇䞖玀末の四半䞖玀を支配した「文化」的アプロヌチの時代だった。しかしこの時代の反䜓制的な「文化」の䞀぀だったコンピュヌタヌはやがおその技術発展によっお巚倧な産業に成長し、むンタヌネットずそれに接続する情報機噚は二䞀䞖玀の人類瀟䌚を支えるむンフラストラクチャヌになっおいった。ここに、「経枈」的なアプロヌチで䞖界を倉える方法が発芋されたのだ。それもこのアプロヌチは囜民囜家ずいうロヌカルな単䜍ではなく、垂堎ずいうグロヌバルな単䜍で発生し埗るものだった。革呜や瀟䌚運動を成功させおもその囜の内郚の法システムを倉えるこずしかできないが、垂堎にむノベヌティブな商品やサヌビスを投入すれば、早ければ半幎皋床で䞖界䞭の人々の暮らしを倉えるこずができる。圌ら圌女らのグロヌバルな垂堎を通じた経枈的なアプロヌチは、囜家に察する政治的なアプロヌチよりも圧倒的な速床で、より倧きな範囲の䞖界を倉えるこずが可胜だ。そしお人類瀟䌚はいたこの巚倧な、いや巚倧すぎる力に翻匄されおいるのだ。

 このカリフォルニアン・むデオロギヌを内面化した「Anywhereな」人々こそが、今䞖玀に出珟した第䞉の䞻䜓――「囜民」でも「父母」でもない䞻䜓――のモデルであり、「囜家」でも「家族」でもない堎所にアむデンティティの眮き堎を発芋した人々だ。そしおその眮き堎ずは「垂堎」だ、それもグロヌバルに拡倧した垂堎なのだ。
 前述したように、圌ら圌女らは「個人」ずしお垂堎ずいう名のゲヌムボヌドの䞊に立っおいる。䌁業や団䜓に圢匏的に所属するこずはあっおも、実質的には特定の事業たたはプロゞェクトに参加しおいる堎合が倚く、これらの職堎の共同䜓のメンバヌであるずいう意識は垌薄だ。そのため、圌ら圌女らは、埓来の賃劎働者に比しおそれらを自分の仕事であるず感じるこずが容易だ。
 マルクスは生産手段の共有により、぀たり資本家ずいう存圚を瀟䌚からアンむンストヌルするこずで、劎働の「疎倖」を解消しようずした。぀たり生産手段を劎働者間で共有すれば生産行為が他人の仕事ではなく、か぀おの狩猟採集瀟䌚のように自分の仕事であるず感じられるようになるず考えたのだ。
 察しお珟代の資本䞻矩はその逆のアプロヌチで「疎倖」の問題を解決しおいるず蚀える。比喩的に蚀えば誰もが資本家になるこず資本家的に振る舞うこずで、぀たり垂堎で展開するゲヌムのプレむダヌになるこずで、それが自分の仕事であるず感じさせるこずに成功しおいるのだ。
 圓然のこずだがゲヌムプレむダヌである圌ら圌女らが劎働によっお生産したものもたた、他の資本家のものであり、圌ら圌女ら自身のものではなく、このレベルでは疎倖は解決されおいない。しかし、圌ら圌女らはその生産に関䞎したこずを匷く「実感する」こずができる。なぜならば圌ら圌女らの倚くが䌁業や団䜓の䞀員ずしお業務呜什に埓っおそれを生産したのではなく、自ら遞択しお――たずえ哲孊的に「自由意志」ずいうものは成立しないずしおも、少なくずもそう「感じられる」環境䞋で遞択しお――その仕事に加わっおいるからだ。ゲヌムプレむダヌたちは、それが自分の仕事であるず感じるこずができるのだ。
 そしおこのずき圌ら圌女らは自己ずいう名の「資本」を垂堎に投䞋しおいる。ある人物がある「プロゞェクト」に「ゞョむン」する。片仮名を䞊べおいるのは嫌味で曞いおいるからで、私が日垞的にこういう語圙を奜んで甚いおいるず誀解しないで欲しいのだが、ずもかくそのプロゞェクトが成果を䞊げれば、圌圌女の垂堎からの評䟡は、もっず蚀えば䟡栌は䞊昇する。そしお圌圌女は次の「プロゞェクト」により奜条件で「ゞョむン」するこずができる。このずき、圌ら圌女らは自己を資本ずしお垂堎に投䞋し、その䟡倀の䞊昇を詊みる。このずき圌ら圌女らの生産掻動には、埓来の賃劎働者ずは異なり圌ら圌女らの名前が盞察的に匷く蚘茉されおいる。そしお珟圚の情報技術は、そのこずを圌ら圌女ら自身が䞖界䞭に発信するこずを可胜にしおいる。少なくずもこのレベルにおいお、か぀おの賃劎働がもたらした疎倖の問題は倧きく解消されおいるず蚀えるだろう。
 誀解しないで欲しいが、これらのアむデンティティは圓然のこずだが共存し埗る。ある人間が囜民であるこずに誇りを持ち、か぀父たたは母であるこずを生きがいにし、その䞊で資本䞻矩のゲヌムのプレむダヌずしお、䞖界に玠手で觊れおいるこずを感じおいる――ずいうケヌスは珍しくない。
 その䞀方で、人間に䞎えられた時間は有限だ。あるアむデンティティに足堎を眮くず、盞察的に他のアむデンティティが支えるものは軜くなる。その意味においお、「Anywhereな」人々は盞察的に「自由」なのだ。
「Anywhereな」人々にずっおグロヌバル資本䞻矩ずいう巚倧なゲヌムのプレむダヌずしお生きるこずは、少なくずも「囜民」であるこずや、「父母」であるこずず同皋床に、いや、堎合によっおはより匷く人間を支えるアむデンティティずしお機胜しおいるこずは疑いようがない。
 あるタむプの読者は資本䞻矩や情報技術の肯定的な偎面を少しでも評䟡する蚘述を目にするず途端にアレルギヌ反応を起こすが、そういった幌皚さは今すぐ反省しお、萜ち着いお読み進めお欲しい。このような反応をしおも、同じように時代に眮き去りにされおしたうのではないかずいう焊りを共有する人間たちずの傷の舐め合いを通じお安心できるだけで、あなたの知性は確実に䜎䞋するだろう。
 しかしその䞊でこの「Anywhereな」人々ずいう䞻䜓は「解」ではないず考えざるを埗ない。なぜならば「Anywhereな」人々ずしお生きるこずができるのは、前述したようにごく限られたゲヌムの勝者に過ぎないからだ。そしお圌ら圌女らは埓来の賃劎働がもたらす「疎倖」からは盞察的に解攟されおいるその䞀方で、別の眠に陥っおいるからだ。

13 新しい封建制ずメリトクラシヌ

「Anywhereな」人々ず「Somewhereな」人々ずの分断を指摘したデむノィッド・グッドハヌトは前者の「Anywhereな」人々を珟代むギリスの党人口の二割五分から䞉割ず掚蚈する【3】。
 今日の資本䞻矩を牜匕する情報産業は既にグロヌバルなプラットフォヌマヌの寡占状態にあり、これを実質的な封建制ぞの回垰であるずいう批刀も頻出しおいる。未来孊者ゞョ゚ル・コトキンや、ギリシャの財務倧臣も぀ずめた経枈孊者ダニス・バルファキスがこれらの批刀を行っおいる代衚的な存圚だが、圌らの批刀の共通点は「封建制」の比喩により実質的な階玚の固定化を指摘しおいる点だ。旧「西偎」先進囜の「栄光の䞉十幎」における䞭間局の圢成が、旧怍民地からの搟取ず劎働垂堎からのマむノリティ䞻に女性ず移民の排陀によっお獲埗されたものであるこずは既に確認した通りだ。この倉化をゞョニヌ・ロレンスやリヌ・シャヌマンのような「栄光の䞉十幎」の時代ならば搟取する偎に立぀こずができた人々は喪倱ず受け止める。しかしその理解は䞍正確で、今日においおは䞖界䞭の人々が分け隔おなく「搟取」の察象になり、そしおその構造が固定化され぀぀ある。それはより䞍可芖で、広範な搟取ぞの倉化なのだ。
 そしおポむントはこの階玚構造が固定化され぀぀あるこずだ。バルファキスはGoogleやFacebook、Amazonなどのグロヌバルなむンタヌネット・プラットフォヌマヌの収益構造を埓来の資本䞻矩の「利最」ではなく実質的な「地代」の城収であるず指摘する【4】。Appleの創業者スティヌブ・ゞョブズの「発明」したプラットフォヌム的なビゞネスモデルでは、サむバヌスペヌスに実質的に獲埗された「領土」プラットフォヌム䞊で流通するあらゆる商品やサヌビス、あるいは広告から「地代」的なマヌゞンが城収される。自ら開拓した垂堎を、先行者ずしお支配する圌らはもはや劎働者の生産する剰䜙䟡倀を獲埗するのではなく、埌からその垂堎に参入した別のプレむダヌから「領䞻」ずしお「地代」を城収しおいるのだ。この新しい経枈構造は自由競争の行われる垂堎を砎壊し、実質的な封建領地に倉質させおいる。そしお階玚を、いや、身分制すら圢成し぀぀ある。地代から利最ぞの転換は、封建制から資本䞻矩ぞの転換の本質に他ならない。そのためバルファキスは珟代の資本䞻矩は、自らその存圚を倉質させ新しい「封建制」を圢成し぀぀あるず考えるのだ。
 たたコトキンは䞭䞖ペヌロッパの身分に぀いおの区分を揎甚しお今日のグロヌバル資本䞻矩瀟䌚を論じる【5】。第䞀身分ず第二身分はプラットフォヌマヌの経営者や所有者である「寡頭支配者oligarchs」たちずその支配を正圓化する孊者や文化人たち、぀たり「有識者clerisy」だ。これはグッドハヌトの蚀う「Anywhereな」人々ずより狭い゚リヌト局を指しおいるが抂ね重なる。そしお被支配者局に圓たるのが、二〇䞖玀的な旧産業の埓事者を䞭心ずする第䞉身分で、ここにはブルヌカラヌ局だけではなく旧態䟝然ずしたメンバヌシップ型の組織に属する管理職や事務職のホワむトカラヌ局も含たれる。
 コトキンはここで第䞀、第二身分が「再分配」によっお、第䞉身分に報いるこずを問題芖しおいる。なぜならば再分配が、コトキンのいう「有識者clerisy」による「寡頭支配者oligarchs」の支配を正圓化する根拠ずしお䜜甚しおいるからだ。実際にピヌタヌ・ティヌルやむヌロン・マスクのような、広矩の加速䞻矩者を陀けばシリコンバレヌのクリ゚むティブ・クラスはリベラル・デモクラシヌに芪和的で、再分配政策を支持する傟向が匷い。しかし圌ら圌女らもたたプラットフォヌマヌの寡占が代衚する富の集䞭を促進する構造そのものの改善には消極的だ。コトキンのいう「有識者clerisy」これはトマ・ピケティが「バラモン巊翌」ずしお批刀する【6】局ずほが同䞀の存圚だは実質的にこの階玚の固定、぀たり「封建制」を肯定し、それを再分配の支持で正圓化しおいるのだ。
 Anywhereな人々、぀たり「有識者clerisy」や「バラモン巊翌」が䞻匵し、「寡頭支配者oligarchs」の倚くが支持する再分配をゞョニヌやリヌのような、぀たりSomewhereな人々は拒吊する。なぜならば、それが圌らの尊厳を奪うからだ。瀟䌚に貢献する生産を担うAnywhereな人々の富の「おこがれ」をSomewhereな人々が䞎えられるこず――この封建的な階玚構造の可芖化が、圌らの尊厳を奪う。そのため圌らは別の圢で尊厳を守るこずを遞び、囜家ナショナリズムや家族家父長制ぞ回垰するようになる。
 今日においおゲヌムに敗れた「Somewhereな」人々のかなりの割合が再分配ではなく尊厳を、オバマ・ケアではなく移民の排斥を芁求しおいる。圌らは倧きな栌差を生むゲヌムの蚭蚈を改めるこずも、再分配による栌差の是正も芁求するこずはなく、圌らが半ば陰謀論的にゲヌムに䞍圓に参加しおいるず考える他のプレむダヌたち女性や移民の排陀を芁求する。぀たりゲヌムの敗者たちは、栌差を拡倧するゲヌムを改めるこずでも、ゲヌムの結果ずしお生じる栌差を是正するこずでもなく、ゲヌムの参加者を制限するこずを求めるのだ。

 この構造に倧きな圱響を䞎えおいるのが、メリトクラシヌ胜力䞻矩だ。デむノィッド・グッドハヌト【7】やマむケル・サンデル【8】が指摘するように、今日の旧「西偎」先進囜を支配する民䞻䞻矩ず資本䞻矩ずいう二぀のむデオロギヌの結蚗は、必然的にメリトクラシヌの肥倧を呌ぶ。アファヌマティブ・アクションが象城するように、今日の瀟䌚は機䌚の平等を積極的に敎備する。しかしそのこずによっお、自由競争の結果ずしお発生する敗者にはより匷く無胜者ずしおの刻印が䞎えられおしたう。こうしおあなたがゲヌムに負けたのは、あなたに才胜がなく、努力が足りなかったからだず残酷に宣告されるこずになるのだ。
 そしおその䞀方で「Anywhereな人々」は――「有識者clerisy」や「バラモン巊翌」たちは――再分配ずメリトクラシヌによっお今日の資本䞻矩を肯定する。才胜を有し、努力を惜したない人々がゲヌムの勝者ずなり垂堎を通しお経枈的に評䟡され、圌ら圌女らの生み出した富をゲヌムの敗者に分配するこずで、瀟䌚を維持するべきだず述べる。
 メリトクラシヌの問題の厄介さは、これをゲヌムの敗者の立堎から批刀するこずが、自らが運ず才胜ず努力を――特に埌者の二぀を――持たないこずを認めるこずだず圓事者が受け取っおしたうからだ。そのため圌らはメリトクラシヌも、それによっお正圓化される勝者に富が集䞭するゲヌムの構造も批刀するこずはない。それは挑戊を恐れ成長を拒吊する態床であり、才胜がなく努力を攟棄した人間であるこずを認めるこずず同矩だからだ。ゲヌムの敗者がメリトクラシヌを批刀するこずそのものが、人間の尊厳を奪うのだ。

 既に今日の瀟䌚が蚌明するように、垂堎で評䟡を䞎えられるレベルの創造性を発揮できる個人はそれほど倚くはない。たいおいのプレむダヌは、ゲヌムに勝぀こずはない。クリ゚むティブ・クラスずしお、「Anywhereな」人々ずしお振る舞うこずは、珟実的に考えお䞀郚の才胜ず運に恵たれ、努力を重ねた人々の特暩以倖の䜕ものでもない。
 ほずんどの人間には残念ながら「資本䞻矩䞋で」ネゞや歯車以䞊の機胜を発揮するこずは難しい。この残酷な珟実は、むンタヌネットの四半䞖玀䜙りの粟神史を参照するずよく理解できるはずだ。
 九〇幎代の草創期から普及期にかけおのむンタヌネットが、発信胜力の民䞻化により人類の眠れる創造性を発揮させるずいう、楜芳的技術䞻矩に支えられおいたこずを蚘憶しおいる読者も倚いだろう。
 しかしWeb2.0の時代の埌期――ブログの普及からSNSの出珟にかけお――人類が目の圓たりにしたのは、ほずんどの人間には創造性は存圚しないずいう珟実であり、にもかかわらず自己の発信が䞍特定倚数に承認される快楜にいずも簡単にゲヌミフィケヌション的なアプロヌチによっお䞭毒化する珟実だったはずだ。

 そしお䞻にAnywhereな人々により生み出され、支配されるSNSプラットフォヌム䞊ではこうしおいる今も、メリトクラシヌの支配するゲヌムに敗北した人々が、その満たされない思いを発信するこずで䞭和しようずしおいる。珟代を生きる人々であれば、目に付くニュヌスや自分より成功しおいる有名人の発蚀を匕甚し、ただひたすら毒づいおいるFacebookやXのアカりントを目にしたこずがあるだろう。今日のSNSのタむムラむンにおいお、すっかり定着した珟象だがここで泚目したいのは圌ら圌女らはそれを、具䜓的な珟象や人物ぞの嫌悪や悪意よりはむしろ、自身に察する慰撫ずしお行っおいるこずだ。自分はダメじゃない、愚かではない、バカじゃない、たたたた運に恵たれおいないだけだず、自己に蚀い聞かせるように圌らは眵倒を反埩する。
 むンタヌネットでは、特にSNSの普及以降は少なくずも意芋の衚明に぀いおは公平な競争が行われおいる。぀たり同じ条件で意芋を衚明するこずができる。その意芋が倚くの賛同者を埗なくずも、ある分野の専門家等に評䟡されるこずにより、その発蚀者の固有名詞に䟡倀が生たれる。実際にむンタヌネット䞊に発衚した文章や動画を足がかりに、瀟䌚的に認められた人々ももはや珍しくない。しかしこの珟実こそが圌ら圌女らを远い詰める。圌ら圌女らは自己の思考が、決しお盞察的に秀でおは「いない」こずに実は気が぀いおいる。しかしどうしおも実のずころ自分はあたり「賢くない」ずいう事実を受けいれるこずができない。圓然のこずだが、圌ら圌女らが考える「賢さ」ずいうのは、珟代的な知識瀟䌚のあるタむプの産業で芁求される情報分析ず掚論に特化した知性のこずだ。それは人間の知性のある䞀偎面に過ぎない。しかし情報分析ず掚論が苊手な圌ら圌女らの知性は、県の前の短期的な珟象に螊らされお、自分たちが憧れるタむプの知性が人間の胜力の䞭で最重芁だず思い蟌むこずになる。残念ながら、圌ら圌女らは自分たちが憧れるタむプの知性が䜎いからこそ、その知性が「すべお」だず考えおしたう。そしお自己に察しお自分は劣っおいないず蚌明するために、投皿を繰り返す。
 そしおその胜力を評䟡されるこずが難しい圌ら圌女らは、タむムラむンに圢成される共同性䞀時的な共同䜓からの承認を埗ようずする。そのためそれらの投皿は胜力的にほが無内容なものになる。タむムラむンの朮目を読み、肯定的な反応を埗やすい内容――䞻流掟の意芋に匷く賛成か反察かを衚明するもの――になるのだ。そしおこうした人々が、ドナルド・トランプをはじめずする珟代的なポピュリストの動員察象ずなり、機械的なマヌケティングの逌食になっおいるこずも広く知られおいる。

 このメリトクラシヌの問題がより匷く露呈しおいるのは、「Somewhereな人々」のなかでもゞョニヌやリヌのようなブルヌカラヌ局ではなく、むしろホワむトカラヌに属しながらも前䞖玀的な産業を䞭心に残存するメンバヌシップ型雇甚の劎働に携わる人々だ。コトキンは第䞉身分にゞョニヌやリヌのようなブルヌカラヌ局だけではなく、旧産業のホワむトカラヌ局を含めおいるが、これがグッドハヌトの述べる「Anywhereな人々」ず「Somewhereな人々」の䞭間的な人々――前者に憧れる嫉劬する埌者――に圓おはたる。グッドハヌトはその具䜓像を詳述しおいないが、たずえばこれはこの囜の郜垂郚のホワむトカラヌ局を想定するずよいだろう。そしお今日の資本䞻矩においおメリトクラシヌの眠はこの局に匷く䜜甚しおいるのだ。
 ぀たり珟代のホワむトカラヌ局の倚くが「Somewhereな人々」でありながら「Somewhereな」劎働環境に眮かれながら「Anywhereな人々」ずしお振る舞おうずする。組織ずいう単䜍ではなく、個人ずしおの䟡倀を劎働を通じお蚌明しようずする。
 その結果ずしお、発生する珟象はなにか。それは「成長」の自己目的化だ。日本のような二〇䞖玀的な劎働圢態の匷固に残存する瀟䌚においおは、メンバヌシップ型雇甚が維持されたたたKPIをはじめずする業務䞊の「指暙」ず衚面的な成果䞻矩により、劎働者個人が数倀目暙を䞎えられ、その達成床により評䟡を受ける制床の導入は、劎働を通じた自己実珟を芁求する劎働者の欲望に応え、そしおゲヌミフィケヌション的に自己の「成長」を確認可胜にする。こうしお職堎の共同䜓のメンバヌシップの確認で自己を支えおいた昭和の「瀟畜」は、職堎の䞎えた数倀目暙をクリアするこずを目的ずしたゲヌムをプレむし、そのスコアによっお自己の「成長」を確認する快楜を燃料に働く什和の「瀟畜」に倉化したのだ。
 そしおこの「成長」の䞎える快楜を自己目的化するむデオロギヌは、今日の囜内においおは「自己啓発」ず呌ばれおいる。あなたが珟代の日本に暮らすホワむトカラヌであればある皋床広い範囲の呚囲を芋枡すこずで、あるいは経枈系ゞャヌナルのメディアのコメント欄などを少し芗けば「成長」する快楜の䞭毒化に陥っおいるビゞネスパヌ゜ンの姿を目にするこずができるだろう。今日においお成長そのものが匷い快楜をもたらすこずはもはや心理孊䞊の垞識だが、近幎ではこれに加えおゲヌミフィケヌション的な動機づけが斜され、よりその没入は効率化されおいるのだ。

 ここで劎働者たちを動機付けおいるのは、Anywhereな人々のようにゞョブ型雇甚や起業による劎働疎倖の解消――自分の仕事を芋぀けるこず――ではない。たいおいの人間はそもそもそのような「動機」を持たないこずは、Web2.0の顚末が既に蚌明枈みだ。
 ほずんどの人間はむしろ、ゲヌムに勝利しお自己のスコア䟡栌、぀たり垂堎からの評䟡を䞊昇させるこずを目的ずしおいたのだ。いや、それすらも才胜ず努力ず運に恵たれおいたひず握りの人間にしか圓おはたらないだろう。たいおいの人間にずっお、プレむしおいるのは自己の「成長」の快楜を獲埗するゲヌムなのだ。
 こうしお珟代の劎働垂堎の構造が完成する。ひず握りのAnywhereな人々は個人を単䜍に「自分らしく」働き、堎所にも、特定の団䜓や組織にも瞛られず、自分の仕事を通じお自己実珟を果たす。高い付加䟡倀を生み出し、高収入を埗る。察しお倧倚数のSomewhereな人々はAnywhereな人々を芋䞊げながらネゞや歯車のような劎働の疎倖に苊しみ、それを埋め合わせる囜家ナショナリズムや家族家父長制に回垰し、時代錯誀の無孊者ずしおAnywhereな人々の嘲笑を受ける。そしお䞡者の䞭間にいる人々は昔ながらのメンバヌシップ型の雇甚䞋で、誰が執行しおも倉わらない仕事の䞎える疎倖に苊しみながら、うち䜕割かはそれをゲヌミフィケヌション化され、自己の「成長」の可芖化により動機づけられおいるのだ。
 そしおここで重芁なのは、䞀芋するずこれらの眠から逃れられおいるかのように芋えるAnywhereな人々もたた、Somewhereな人々をメリトクラシヌの呪いに瞛り付ける「成長」の自己目的化の眠に陥っおいるこずなのだ。

14 グレヌト・ゲヌムず加速䞻矩

「Anywhereな」人々はあるプロゞェクトにゞョむンし、その成果により垂堎からの評䟡ゲヌムのスコアを䞊昇させるこずを目論む。そしおゲヌムの攻略に成功すれば、獲埗したスコアに応じお自己の䟡栌が䞊昇し、より有利な条件で次のステヌゞに挑むこずができる。そもそも資本䞻矩は資本の自己増殖をその原動力にする。資本の所有者はその増殖を欲望し、資本はたるで生物のように垂堎においお自己増殖運動を行う。しかしここで発生しおいるのは、この資本䞻矩の原初的な運動より進化した圢態だ。それはゲヌムは自己そのものを資本ずし、その増殖評䟡の獲埗を目的ずするゲヌムなのだ。
 このずき「Anywhereな」人々の「Somewhereな」人々に察する、぀たり二〇䞖玀的な賃劎働者に察するアドバンテヌゞは、より匷くその生産掻動仕事そのものの快楜を盎接的に享受できるこずだ。分業により现分化された業務を、それも所属する䌁業や団䜓により業務呜什ずしお䞎えられるかたちで行うこずで「Somewhereな」人々の劎働は二重に疎倖されおいる。しかし「Anywhereな」人々の劎働はその分業の床合いも、仕事そのものも、ある皋床自己決定するこずができる。少なくずもどちらも最初から䌁業や団䜓に所属した時点で決定暩のない「Somewhereな」人々の眮かれた状況からは根本的に異なり、自己で遞択し決定する䜙地が構造的に存圚しおいる。
 その意味で、「Anywhereな」人々は自由だ。しかしここに眠がある。「Anywhereな」人々はその自由さのために、ゲヌムそのものの自己目的化の眠に陥るのだ。なぜならば「Somewhereな」人々のプレむする自己啓発的なゲヌムは、「Anywhereな」人々の間で支配的なむデオロギヌをポストフォヌディズム的なマネゞメントずしお応甚したものだからだ。
 自己啓発はゲヌムの敗者にその生産が想定するレベルのものではなくおも、その評䟡が垌望するレベルに達するこずがなくずも、成長するこずそのものの快楜に目的を移動させるこずでその人間の尊厳を維持する。この成長のゲヌムは、経枈のゲヌムの䞀郚ではあるが独立しおいる。぀たりその人が成長するこずで、経枈的にも成果を䞊げる可胜性が高くなるが、あくたで䞀芁因でしかない。しかし経枈掻動ずくに劎働を通じたアむデンティティの確認が機胜するケヌスが限られおいる資本䞻矩においお、成長の自己目的化は匷くアむデンティティの危機により揺らぐ個人の尊厳を支え埗る。この匷すぎる力は、実際に生産による䞖界ぞの関䞎優れた商品やサヌビス、あるいは衚珟を生み出すこずや、それによる経枈的成功が可胜な局――「Anywhereな」人々――すらも魅惑しおいる。
 今日の資本䞻矩の䞭心地であるシリコンバレヌはその傟向が特に匷い。前述したバヌブロックずキャメロンが「カリフォルニアン・むデオロギヌ」ずいう蚀葉でシリコンバレヌを批刀したその時点で、この成長の自己目的化傟向は指摘されおいる。そしお実際にポヌル・グレアムの「スタヌトアップ成長【9】」ずいうキャッチフレヌズのようにシリコンバレヌのアントレプレナヌたちは、自らの蚀葉でこの成長の目的化を半ば前提のように掲げおいる。
 この成長の自己目的化はシリコンバレヌを生み出した思想的な土壌に由来する。既に確認した通り、シリコンバレヌのルヌツには六〇幎代から䞃〇幎代のヒッピヌ・ムヌブメントがある。これらの運動を担った圌ら圌女らの目的は、フロンティアの再獲埗だった。アメリカの建囜から二癟幎䜙り、この時代に既に開拓すべきフロンティアはなく資本䞻矩瀟䌚が氞遠に続くこずぞの安心ず倱望感が瀟䌚を芆っおいた。この安定ず停滞ぞの文化的抵抗運動がヒッピヌ・ムヌブメントであり、その結果の䞀぀がコンピュヌタヌによるフロンティアサむバヌスペヌスの創造だった。぀たり、起業やゞョブ型雇甚によるクリ゚むティブ・クラス――「Anywhereな人々」ずいう第䞉の䞻䜓――は、結果的に発生したものであり、シリコンバレヌはむしろ拡匵するこず、成長するこずを「目的」にしたむデオロギヌの産物だったのだ。誀解しおはいけない。シリコンバレヌ的なものの象城する珟代の資本䞻矩が自己啓発的で、成長を自己目的ずしおいるのではなく、そもそも成長を自己目的化した自己啓発的なむデオロギヌの産物がシリコンバレヌであり、今日の資本䞻矩なのだ。

 そしお資本䞻矩の歎史の䞭で、成長や拡匵が手段ではなく目的化したケヌスはこれが最初ではない。

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10,200字
僕はもはやFacebookやTwitterは意芋を衚明する堎所ずしおは盞応しくないず考えおいたす。日々考えおいるこずを、半分だけ閉じたこうした堎所で発信しおいけたらず思っおいたす。

宇野垞寛がこっそりはじめたひずりマガゞン。瀟䌚時評ず文化批評、あず個人的に日々のこずを綎った゚ッセむを曞いおいきたす。いた曞いおいる本の草 

僕ず僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの盎接的なサポヌトで支えられおいたす。このノヌトもそのうちの䞀぀です。面癜かったなず思っおくれた分だけサポヌトしおもらえるずより長く、続けられるしそれ以䞊にちゃんず読者に届いおいるんだなず思えお、なんずいうかやる気がでたす。