「まぁ、なんとかなるよ。」そう言える人生とは~50億円を失った男の物語~
昨日、ある経営者を紹介していただいた。
70歳を超えた今も、現役の男性である。
戦後間もない頃に生まれ、高度経済成長の中で青春を過ごした。
新しい文化が生まれ、
新しいファッションが流行り、
日本中が「明日は今日より豊かになる」と信じていた時代。
その後、バブルを謳歌し、
バブルが崩壊する。
そして、平成不況が始まり、
好景気と不景気の波に何度も揉まれてきた。
そんな波乱な時代を、
経営者として生き抜いてきた人である。
いろいろな話を聞いた。
でも、私の心に一番残ったのは、
成功した話でも、
経営の話でもなかった。
何気なく口にした、この言葉だった。
「まあ、なんとかなるよ。」
という、実に軽い言葉であった。
私も、よく使う言葉である。
ところが、この人の人生を聞いていくと、
その「なんとかなるよ」が、
まったく別の意味に聞こえた。
50億円が、吹っ飛んだ。
50億円。
あまりにも大きすぎて、
その金額の大きささえよく分からなかった。
1億円でも想像できないのに、
それが50個である。
仮に毎年1億円ずつ使っても、
50年かかる。
そんな金額が、吹っ飛んだ。
私だったら、
「なんとかなるよ」なんて、
とても言えないと思う。
眠れるのだろうか。
飯が喉を通るのだろうか。
社員や家族に何と言うのだろうか。
平然と、何事もなかったように会社へ行けるのだろうか。
下請け業者が倒産したこともあった。
そして、
癌が見つかったこともあった。
普通なら、
「死ぬかもしれない」と考えると思う。
ところが、この人は、
「俺は絶対に死なない。」
そう思ったという。
もちろん、
癌は気持ちだけで治るものではない。
医学的な話をしているわけでもない。
ただ、この人には、
「俺は、これくらいでは終わらない」
という、説明のつかない自信があったのだ。
そばで話を聞きながら、
なんとも言えない凄みを感じていた。
知識でもない。
理屈でもない。
経営理論でもない。
もっと人間の根っこにある、
「生きる力」
のようなものだった。
話を聞いて分かったというより、
そばにいて、肌で感じた。
そんな感覚に近かった。
しばらく話を聞いていると、
この人が言った。
「好景気もあった。不景気もあった。
いろんなことがあったよ。」
そして、
「俺はいつも、『まあ、なんとかなるよ』
って言ってきた。」
少し笑って、こう続けた。
「でも本当は、どうにかしてきたんだよ。」
この一言には、やられた。
「なんとかなる」と、
「どうにかしてきた」は、
似ているようで、まったく違う。
じっと待っていれば、誰かが助けてくれる。
そのうち景気が良くなる。
時間が解決してくれる。
そんな「なんとかなる」ではなかった。
逃げたくても逃げず、考え抜く、
頭を下げる時には、頭を下げ、
人に頼る時には、頼り、
ダメなら別の方法を探す。
それでもダメなら、また考える。
そうやって、どうにかしてきた。
だから、「なんとかなるよ」と言える。
この順番なんだと思った。
失敗には法則がある。
でも、成功には法則がない。
この人の話を聞きながら、そんなことも考えた。
失敗には、ある程度の法則があると思っている。
それは、
絶対にやってはいけないことを、やってしまうこと。
人を裏切る。
約束を守らない。
驕る。
見栄を張る。
無理を重ねる。
現実から目を背ける。
小さな綻びを、
「まあ、いいか」と放っておく。
失敗した後に振り返ると、
「あそこでやってはいけないことを、やってしまった」
という原因が、案外見つかるものだと思う。
ところが、
成功には、決まった法則がない。
「私は、これをやったから成功した」
という話はたくさんある。
本屋へ行けば、
成功法則の本もたくさん並んでいる。
でも、本当にそれだけだろうか。
その時代の流れがあったはず。
その時、どう判断したか。
あの人に出会ったから。
たまたま、あの話が舞い込んできたから。
半年早かったら、ダメだったかもしれない。
半年遅かったら、誰かが先にやっていたかもしれない。
そして、運がよかった。
成功には、
そんな説明できないものが、
いくつも入り込んでいる。
だから私は、
「成功した方法」より、
「成功するまで、その人がどう生きてきたか」
の方が気になる。
そこには必ず、
その人の人生のあちこちに、
小さな付箋が貼られているような気がする。
あの時、誰に助けてもらったのか。
誰の言葉を信じたのか。
苦しい時、
誰がそばにいてくれたのか。
自分が苦しい時にも、
誰かを助けたのか。
約束を守ったか。
逃げなかったか。
人を大切にしたか。
そんな一つひとつの付箋が、
何十年という時間の中で重なっていく。
そして、ある日、「運がよかった」
「いい人に出会った」
「不思議と助けてもらった」
という形になって、
自分のところへ戻ってくる。
成功の法則はなくても、
成功するまでの生き方には、必ず付箋がある。
そんな気がした。
そして、この人から、もう一つ印象に残る話を聞いた。
「傘を貸してもらったら、今度は自分が傘を貸す人になればいい。」
人生には、どうにもならない雨の日がある。
そんな時に、傘を貸してくれる人がいる。
お金かもしれない。
仕事かもしれない。
人を紹介してくれたのかもしれない。
黙って待ってくれたのかもしれない。
たった一言、
「大丈夫か?」
と声をかけてくれた人かもしれない。
助けてもらった恩を、
その人に返せないことだってある。
だったら、
今度は自分が、雨に濡れている別の誰かに、
傘を貸せばいい。
これが、「恩送り」なのだと思う。
恩は、返すだけではない。
次の人へ送ることもできる。
そして、この人は、
「人徳も、資産なんだよ。」
と言った。
これも凄く心に残った。
資産と聞けば、
預金。
株。
不動産。
会社。
そんなものを思い浮かべる。
でも、
50億円だって、なくなる時にはなくなる。
会社だって、なくなることがある。
不動産も株も、価値が下がることがある。
ところが、人に渡した恩は、
どこかを巡って、
思いもしなかったところから返ってくることがある。
自分が本当に困った時、
「分かった。俺が何とかするよ」
と言ってくれる人が現れる。
それもまた、長い人生の中で築いてきた、
目には見えない資産なのかもしれない。
考えてみれば、
人徳という資産は、使うほど増える。
銀行の残高には出てこない。
決算書にも載らない。
相続税もかからない。
でも、人生の土壇場になると、
とてつもない価値を持つ。
50億円を失ったことのある人から、
「人徳も資産なんだよ」と言われると、
なんとも言えない説得力があった。
私は昨日、
成功者に会ったから元気をもらったのではない。
50億円という金額に驚いたからでもない。
70年以上生きてきた一人の人間が、
大きなものを失い、
苦難に遭い、
癌になり、
人に助けられ、
また誰かを助け、
それでも、
「まあ、なんとかなるよ。」
と笑っている。
その姿に、元気をもらったのだと思う。
たぶん、
この人はこれから何があっても、
また、
「まあ、なんとかなるよ」
と言うのだろう。
でも私は、
その言葉の裏側を少しだけ知った。
「どうにかなる」んじゃない。
「どうにかしてきた」んだ。
そして、
これからもきっと、どうにかする。
それでも、自分一人ではどうにもならない時には、
昔、自分が誰かに貸した傘が、
巡り巡って、
どこかから返ってくるのかもしれない。
成功の法則なんて、分からない。
でも、
その人がどう生きてきたかは、
その人の言葉に出る。
「まあ、なんとかなるよ。」
昨日までは、何度も聞いたことのある、
ありふれた言葉だった。
でも、
70年を超えて生きてきた人が言うと、
その言葉の重さが違った。
人生をくぐってきた人の言葉には、
その人が生きてきた時間が染み込んでいる。
「まあ、なんとかなるよ。」
なんだか、
本当になんとかなるような気がしてきた。
きっと、この人は死ぬまで生き続けると思う。
「生きる力」
その言葉が、
なんとなく気になった一日でした。
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます。
チップの評価は大変励みになります。