ある80歳の人生をインタビューした。最後に出てきた言葉が、「お母ちゃん、ありがとう」だった。
傘寿を迎えた、ある経営者の人生を一冊の本にまとめた。
タイトルは、
『我が人生悔いはなし』
80年という歳月を振り返ると、何が思い出としたあるのだろうか。
産んできれた父と母のこと。
故郷を離れて、幼少期の思い出
夢中になって仕事をした青年期
家族を持ったこと。
人生を振り返った時に残るもの、
残したいもの
思い起こせば、いろいろと思い出します。
けれども、話を聞けば聞くほど話に出てきたのは、
もっと小さな、何でもない出来事の記憶だった。
18歳で、信州・故郷を離れた。
長野県の雪深い小さな村で育った。
父親を早くに亡くし、母と兄弟に囲まれて育った末っ子だった。
高校を卒業して、縁もゆかりもない名古屋という土地へ
就職するため、故郷を離れた。
持っていたものといえば、柔道で鍛えた身体くらい。
「丈夫に産んでもらったことだけでも、親には感謝する」
そんなことを言いながら、若い頃の話を始めた。
1960年代、世の中はモータリゼーションの真っ只中。
道路には、車が増え、
田畑には、工場ができ、
町の景色もどんどん変わっていった。
今日よりも、明日はもっと幸せになる。
誰もがもモーレツに働いた時代であった。
だからこそ、自分も負けじと我武者羅に働いた。
やがて50歳になり、小さな工場を持つことができた。
それから30年。
会社も設立30周年を迎え、自分も80歳になった。
そろそろ引退を考える頃になった。
子どもたちは、それぞれ自分の道を歩いている。
必死になって作り、守ってきた会社を、
M&Aで売却することになった。
悔しくなかったと言えば、嘘になる。
会社は、建物でも機械でもない。
そこには、自分が働いてきた時間が詰まっている。
それを手放すのだから、簡単に割り切れるものではなかった。
これも人生か。
そう思えるようになるまでには、少し時間が必要だった。
決して自分の人を、忘れていた訳ではない。
自分の80年を話してくださいと言われても、
最初から何もかも思い出せるわけではない。
「中学生の頃は、どんな少年でしたか?」
そう尋ねると、しばらく考えて、
突然、こんなことを言った。
「中学校の校歌なら、今でも歌えるよ」
そして、本当に歌い始めた。
何十年も歌っていなかったはずなのに、歌詞もメロディーも出てくる。
人間の記憶とは、不思議なものである。
一枚の古い写真を見せる。
すると、また一つ、記憶の扉が開き、
雄弁に語り始める。
初めて就職した名古屋の会社。
そこで仲良くなった友がいた。
仕事が終われば、会社の食堂で一緒にラーメンを食べた。
何を話していたのかは、もう覚えていない。
でも、ラーメンを一緒に食べたことは覚えている。
その友は、もう亡くなっている。
「そうか……あいつも、もういないんだよな」
ぽつりと、そんな言葉が出る。
記憶の中では、今でも。その頃と同じ若いままである。
「初めて給料をもらった時、何に使いましたか?」
そんな質問をした。
また、しばらく考える。
そして、思い出した。
母親を連れて、明治村へ行った。
そこで、すき焼きを食べた。
自分で働いて、初めてもらった給料だった。
そのお金で母親に、すき焼きを食べてもらった。
初任給がいくらだったのか。
そんな数字は、もう忘れている。
それなのに、母と食べたすき焼きは思い出として残っている。
金額は忘れても、誰と食べたかは残っている。
人生の記憶とは、案外そんなものなのかもしれない。
一つ思い出すと、また一つ出てくる。
仕事の話になれば、
30年も付き合いが続いている板金屋の大将が出てくる。
「あの大将とは長いなあ」
その一言から、昔の仕事の話が次々に始まる。
会社が少し軌道に乗った頃、
社員たちと初めて社員旅行へ出かけた。
北海道だった。
仕事場では見せない社員の顔。
一緒に飲んだ酒。
旅行だから話せたこともあった。
仕事仲間と、
アメリカ・ボストンへ海外視察に行ったこともある。
昔の写真を眺めながら、
「ああ、この時はな……」
と、また話が始まる。
面白いことに、
写真に写っている出来事だけを話すわけではない。
その日の天気。
仕事半分、ゴルフ半分で楽しんだこと。
ホテルにカバンを忘れて、200ドルの損をしたこと。
ナイアガラの滝の前で話した会話。
写真を撮る前や、
撮った後に起きたことまで蘇ってくる。
写真に写っているものより、
写真に写っていないことの方を、人は語り始める。
写真には残っていない夜もある。
楽しい記憶ばかりではない。
会社員だった頃、
自分の人生を自分で決めようと、会社を辞めた。
しかも妻には、
事後報告だった。
「会社、辞めてきた」
その夜、夫婦でどんな会話をしたのだろう。
妻は、どんな顔をして聞いていたのだろう。
若い頃には話せなかったことも、
80歳になった今だから笑って話せることがある。
そしてもう一つ。
30年間守ってきた会社を、
M&Aで手放すことを決めた夜。
一人で、飲み明かした。
嬉しい酒ではなかった。
悔しさもあった。
寂しさもあった。
「これでよかったのだろうか」
そんな思いもあったと思う。
しかし、その夜もまた、
過ぎてしまえば、自分が歩いてきた道の一場面になっていた。
80歳になると、会いたい人が増えてくる。
80年も生きていると、
同級生や仕事仲間、友人、知人。
先に逝ってしまう人も、少しずつ増えてくる。
若い頃は、
いつでも、会えると思っていた。
来年も会える。
またいつか一緒に酒でも飲めばいい。
そう思って別れた。
だから最後の言葉なんて、
そんなものだったのかもしれない。
ところが、その「また」が来なかった人もいる。
昔の写真を眺めると、
自分は80歳になったのに、
写真の中の友人は、あの日のまま笑っている。
歳を重ねるということは、
出会いが減っていくことではなく、
会いたい人が、少しずつ増えていくことなのかもしれない。
最近は、
仏壇の前で手を合わせる時間も増えたという。
線香を一本立てる。
煙が、静かに上っていく。
若い頃には照れくさくて言えなかったこと。
もっと話しておけばよかったと思う人。
もう一度、一緒に酒を飲みたかった人。
顔を思い浮かべていると、
言葉にならない感謝の気持ちが、自然と沸き起こってくる。
亡くなった人は、
自分の人生からいなくなったわけではない。
思い出すたび、
その人と過ごした時間まで戻ってくる。
話すことで、記憶は動き始める。
こうして話を聞いていると、
一つの記憶が、次の記憶を連れてくることに気づく。
校歌を口ずさめば、
故郷の雪景色が浮かぶ。
昔の写真を見れば、
北海道やボストンの景色が戻ってくる。
会社の話をすれば、
板金屋の大将の顔が出てくる。
妻の話になれば、
会社を辞めた夜の会話を思い出す。
人は、忘れてしまったのではないのかもしれない。
思い出すきっかけが、なかっただけなのかもしれない。
「その時、誰といましたか?」
「何を食べましたか?」
「その人は、何と言いましたか?」
「この写真の隣にいる人は誰ですか?」
誰かに聞かれる。
写真を見る。
名前を口にする。
すると、
何十年も眠っていた記憶が、
昨日の出来事のように動き始める。
話している本人が、
「ああ、そんなこともあったなあ」
と笑う。
時には言葉が止まる。
遠くを見るような目になることもある。
自分のことなのに、
話してみて初めて気づくことがある。
80年を遡った先にいた人。
自分一人で歩いてきたと思っていた道を、
こうして振り返ってみる。
すると、
そこには、実にたくさんの人がいた。
故郷の家族。
同級生。
仕事仲間。
社員たち。
妻。
子どもたち。
そして、
もう会うことのできない人たち。
若い頃は、
自分の力でここまで来たと思っていた時期もあったかもしれない。
けれど、
80年を振り返ってみると、
「何を成し遂げたか」より、
「誰と生きてきたか」が残っていた。
会社を手放した悔しさも、
少しずつ違って見えるようになった。
「よく頑張ったな」
と自分で自分に、そんな言葉もかけられるようになった。
そして、
さらに時間を遡っていく。
18歳で故郷を離れる前。
名古屋へでた頃。
会社をつくる頃。
結婚した頃、
子供ができた頃
孫が出来た頃、
もっと、もっと遡る。
何者でもない。
会社もない。
工場もない。
雪深い故郷に、
一人の少年がいるだけある。
そして、
その少年のそばには、
母がいた。
80年の記憶を一つずつ辿った先で、
最後に口から出てきた言葉は、
「お母ちゃん、ありがとう」
なぜ、最後に母なのだろう。
そこにどんな気持ちがあるのか。
あえて言葉にしなくてもいいような気がする。
人それぞれに、
心の中に浮かぶ人がいると思うから。
人生を書くということ。
自叙伝というと、
華々しい成功談や、
自分の経歴を後世に残すものだと思われることがある。
けれど、
実際に一人の80年を聞いてみると、
少し違うように感じる。
残っていたのは、
会社の売上でも、
肩書でも、
勲章でもなかった。
校歌だった。
食堂のラーメンだった。
明治村のすき焼きだった。
板金屋の大将だった。
北海道だった。
ボストンだった。
妻と話した夜だった。
飲み明かした夜だった。
そして、
もう会えなくなった人たちの顔だった。
人生を書くとは、
自分が成し遂げたことを並べることではなく、
忘れかけていた自分と、
自分の人生にいてくれた人たちに、
もう一度会いに行くことなのかもしれない。
そして不思議なことに、
過去を振り返ったからといって、
人生が後ろ向きになるわけではない。
80歳の人は、
最後に笑いながら言った。
「まだまだ、これからですよ」
そして、もう一言。
「この続きは、90歳になってから」
人生を書いたことで、
人生を締めくくった訳ではない。
これまで歩いてきた道に、
一度、句読点を打っただけなのだと思う。
そしてまた、
その先を歩いていく。
次にどんな人と出会い、
どんな景色を見て、
どんなことを思うのだろう。
人生には、まだ続きがある。
その続きは、
これから生きる本人にしか、
書くことができない。
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