日本も権威主義国家へまっしぐら~外国人に対する規制強化~
高市政権は、喫緊の物価高対策やナフサ・原油危機等の市民生活のための政策、少子高齢化対策等、中長期的な大きな課題のための政策検討には熱心ではないようです。一方、自民党への企業・団体献金でゆがめられた産業界優遇政策(関連投稿1)や戦争準備のための政策(関連投稿2)、その土台となる権威主義国家化のための政策の検討を加速しています。
ちなみにウィキペディアによると、権威主義体制とは、下記のような民主主義や自由主義とは対照的な価値観を持つ体制とされています。
・自由や多様性を制限し、個人の権利よりも共同体の統一や秩序を優先
・民族主義的要素を伴う場合、異文化や少数派に対する抑圧や排除が制度的に進められることがある
自由や多様性を制限し、個人の権利よりも共同体の統一や秩序を優先する点では、国旗損壊罪の制定や国家情報局・国家情報会議の新設、「スパイ防止法」の制定検討等の具体的動きがあります。(関連投稿3)
異文化や少数派に対する抑圧や排除が制度的に進められるという点では、排外主義的なマインドが醸成されつつあります。それに乗じて、多くの政党が外国人政策を重要な政治的な争点にするようになり、高市政権も外国人規制強化施策を打ち出しています。
残念なことに、排外主義に陥ってしまう根本には、進化の負の遺産としての人類共通のマインドセットがあるように思います。つまり、集団形成を武器に種を存続させてきたホモサピエンスは、自集団の存続のために、競合する外集団に対しては、敵対するというマインドが初期設定(デフォルト)になっているということです。(関連投稿4)
そのような人類進化の負の遺産を知性で克服しなければならないのに、逆に外国人に関する根拠に乏しい情報や「外国人のせいで治安が悪化している」といったデマがSNS等で拡散して、排外主義的なマインドが醸成されつつあるのは、危険な兆候だと思います。
しかも、昨年の自民党の総裁選中に、高市首相自ら、外国人に関する根拠が乏しい(ない)下記の情報を主張しました。
・外国人による奈良公園の鹿の虐待問題
組織的な調査や客観的なデータでは、「外国人が組織的・頻繁にシカを虐待している」という事実は確認されていないにもかかわらず、高市氏自身の真偽不明な個人的な目撃談を主張して、発言の撤回を拒否しています。5)
・外国人の不起訴問題
外国人による犯罪が「通訳が確保できない」という理由だけで不起訴になっているケースが多々あると主張しました。警察庁および法務省は、野党議員の問いに対し、「通訳を確保できずに不起訴にしたという事案は把握していない」と回答しているにもかかわらず、発言を撤回していません。6)
「外国人のせいで治安が悪化している」という点については、犯罪統計による詳細な分析検証によると、外国人の増加は治安の悪化にはつながっていないと明確に結論付けられています。7)
また、生活習慣・ルールの違いによる地域摩擦が、SNS上で「外国人全体の犯罪」であるかのようにデマを交えて拡散され、人々の不安を増幅させている側面があります。(埼玉県川口市のクルド人コミュニティなど)
国内の物価高や生活苦等に対する社会的な不満が、外国人への敵視という形で顕在化しているように思います。それを受けて、外国人に対する制度的な締め付けを求める心理が強まっているようです。
このような漠然とした外国人に対するマインドに乗じて、高市政権は、在留資格審査や日本国籍取得(帰化)の要件を大幅に厳格化する等の外国人規制強化施策(総合的対応策)8)を取りまとめました。
外国人が日本で起業・経営する際の在留資格「経営・管理ビザ」における最低資本金を従来の500万円から3000万円への引き上げる在留資格審査の強化は、国内の労働力不足や投資誘致に悪影響を与えることが懸念されます。
この強化により、すでに国内で地道にビジネスをしてきた中小の外国人経営者までもが資本金・雇用の制約に直面し、帰国を迫られるケースが出ているそうですし、技術系スタートアップやイノベーションを起こそうとする外国人起業家への悪影響が懸念されます。9)
少子高齢化に有効な対策を打たない(打てない)政府の元、日本は将来の労働力不足が深刻になることが懸念されています。このような施策は、高市政権のキャッチフレーズの「日本列島を、強く豊かに」に全く逆行しています。
高市政権は発足後半年がたちました。優先しているのは、物価高対策等の国民生活のための施策ではないようです。市民の自由や多様性を制限し、個人の権利よりも国の秩序や権力者の権力維持・強化を最優先し、少数派に対する抑圧や排除を制度的に進める権威主義体制への道を精力的に進めています。その結果、ロシアのような選挙制度はあるけれども不自由で活力のない内向きな「選挙権威主義国家」に日本が落ちぶれていってしまうのかもしれません。
権威主義体制ではなく、人々の自由や権利を享受できる、多様な選択が可能な社会であってほしいと切に思います。
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